第十七話:非情なる姫君
古くから魔法大国として名を馳せていたヴィラージュ王国。
魔法を極め、落ち人達のもたらす科学技術についての知識を取り入れ、他の大国もおいそれと手出しできないほどの国力を誇っていたかの国が。
怒りに沸く国民達が反旗を翻したことにより、終焉を迎えることとなった。
賢明なる王妃も、平凡ながらも公正であろうとした国王も、その側近たちも、たった一人の少女を虐めたとしてその地位を追われ、解けぬ死の呪いを負ったままこの国の行く末を哀れみながら息絶えていったという。
そしてその後任としてこの世の春を謳歌していた者達は全員順番に処刑台へと上げられ、何故だ、こんなのは間違っている、魔族の呪いだと叫びながら命を散らした。
この国最期の王族とその側近亡き後、現在は遠き国ウィスガルドに倣って民主国家を目指し、生き残った賢明なる領主や貴族達が日々話し合いのもと、新しい国家の設立について協議しているらしい。
「ウィスガルド?あの海の向こうの遠き国のことなど、あの国の国民は殆ど知らないでしょうに」
「ええ。かの国もまた愚かな国王により滅びの一途を辿っていたところを、国民が革命を起こしたことで民主国家として立て直したのだと聞きます。それは遥か昔……まだ魔法が一般的ではなく、魔力を扱える者は術士として異端視されていた時代の話故……確かに、知る者はそう多くはありませんが。人は、我々魔族ほど長寿ではありませんからね」
「そう。確か反乱の旗頭となったのは北の辺境伯だったわね?その方は確かまだお若くて、お兄様が気まぐれに学園に在籍されておられた頃、よくお二人で語り合った仲だと聞いていたのだけど……」
何かを探るような視線でテーブルの向こうの美中年を見つめるクリスティアナ、その視線を受けた淫魔の長であるギルバートはゆるりと微笑み、
「恐らく、姫様のお察しの通りでございましょう」
と肯定して見せた。
やっぱりね、とクリスティアナも苦笑する。
ヴィラージュ王国は魔法大国というだけあって、魔法について研究する者は多くいたがそれ以外の学問についてはあまり頓着せず、それらを学ぼうとする者がいればむしろ異端者扱いされたほど偏っていた。
故に、歴史を深く学んだ者はいただろうが彼らは国に重用されることなくひっそりと過ごし、歴史書を遺したところで埃を被って本棚の肥やしになる程度であったため、遠き国ウィスガルドで起こった革命についても知る者は殆どいなかっただろう、と推測できる。
そんなヴィラージュ王国にて、今まさに過去の記録を参考にしながら民主国家の設立を目指す動きが進んでいるという。
ならば、そこに【歴史を知る者】の介入があった、と考えるのが自然だ。
ウィスガルドの悲劇は、時代的に考えてまだ先代魔王の現役時であったはずだが、その頃から生きている魔族はまだ大勢いる。
現魔王であるヒルデベルトは民主国家に暮らしていたという前世の記憶がある所為で、平和で平等な国を作ろうと目指している……ならばウィスガルドの悲劇を知る長老達からその話を聞き、反面教師として己の治世を考えたとしても不思議はない。
そして、聡明なる辺境伯子息に民主国家についての話を語って聞かせ、そういう国もあったのだとその時はまだ世間話として知識を植えつけさせた。
もし万が一……あの国の王族がバカをやらかした時、辺境伯となった彼の中でその知識が芽吹くように、と。
それにしても、とクリスティアナは嘆く。
「シンシアが王妃となったのはほんの少し前だというのに、どうして国庫が空になるほどの浪費ができるのかしら?新しいドレスに宝飾品、絢爛豪華な夜会に華やかな茶会、お披露目パレード、と思いつく限りの贅沢をしたところで、多少財政が圧迫される程度だと思うのだけど」
「かの愚かなる王妃におかれましては、王妃として正式に立たれる前より我侭勝手な振る舞いにて王子を振り回していたと聞きます。例えば、辛気臭いとの一言で離宮を建て直しさせたり、前王妃の趣味とは合わないと主張して王城を改装させたり、己一人を愛して欲しいと世迷言を……もとい、可愛らしいおねだりをして後宮を取り壊させたり。他にも、庭の花々から季節を感じたいと我侭を言って全面改修させたり、ああ後は特定の孤児院への多額の寄付という無駄もありましたね」
「…………もういいわ。よくわかったから」
王子の婚約者、として紹介された准男爵令嬢の可愛らしい我侭を知ると、賢明なる領主達は納める税を最低限に留めて密かに貯蓄を始めた。
だがそれすらも罪なことだとして王命により搾取されてしまうと、これ以上は領地を運営していけないからと彼らは一致団結して立ち上がった、というわけだ。
(シンシアはわたくしよりも前世の記憶が確かなはず。なのにどうしてそれをいい方向に使えなかったの?)
贅沢三昧すればお金がなくなって当然、無理に国民から搾取しようとすれば反乱が起きて当然。
そういった過去の過ちを学んできたはずの彼女がどうして、同じ過ちを繰り返してしまったのか。
それはきっと彼女が、目の前の幸せにしか興味がなかったから。
『主人公は王子様と結ばれて、末永く幸せに暮らしました』
そんな言葉でエンディングを迎える、もしくはイチャラブなエンディングスチルと共に終わるハッピーエンドの物語だと信じきっていたからだ。
確かに乙女ゲーム要素を盛り込んだストーリーの中に、内政やその後の王妃教育などといった厳しいものは登場しない。
ヒロインは選ばれ、愛され、そして幸せに暮らしていく、ただそれだけだ。
だからこそ、彼女は最期まで『ハッピーエンドを迎えたつもりが実はバッドエンドだった。リセットしなきゃ』とあがいていたに違いない。
「…………バカな子」
そんな彼女には、蔑みを。
同情も哀れみも嘆きも、国を潰した彼女には相応しくない。
シナリオ通りにクリスティアナを断罪しようとし、居場所を奪い、将来の伴侶を略奪し、見下し蔑んだまま幸せになろうとした愚かな女には。
嘲笑こそが、餞だ。
ギルバートの館を出たクリスティアナは、帰り際にもらった『おみやげ』を手に国境の砦へと向かった。
砦は今日も変わらず厳つい鬼人族によって警備されており、彼らは彼女の姿に気づくとお忍びであることを察して一礼し、そのまま砦の中へと通してくれる。
「これは姫様。おいでなさいませ」
書類を置いて立ち上がろうとした砦の責任者イザークに、クリスティアナは片手を上げてそれを制した。
「そのままでいいわ、イザーク。それより、勇者が南の国境に現れたと報告を受けたのだけど、詳細はわかるかしら?」
「はい。現地からの報告書がこちらにございます」
差し出されたそれを、受け取って読む。
勇者は、南の砦から少し離れた国境の森に現れ、そのまま澄ました顔で森を通過しようとしたが結界に阻まれ、これを断念。
取り巻きの女騎士が剣を振り上げたり神殿仕えの魔術師が魔法を放ったりしたが、それが全く効かなかったことで何を思ったか、一度南の砦に近づいて様子を伺った後突然方向転換し、今はぐるりと回りこんでこの東の砦に向かってきているのだという。
「なるほど、ね」
「姫様はこの勇者の奇行の意味がお分かりに?」
「ええ。恐らくだけど、南の砦には獣人族を配置しているでしょう?己のハーレムの一員と同じ種族を傷つけるのは不味い、とそう考えたのではないかしら」
「……ふむ。では姫様の作戦勝ち、というものですな」
勇者が旅立ったという情報を聞いたクリスティアナは、彼がこの東の砦に向かってくるようにちょっとした罠を張った。
まずは砦以外のところから通り抜けられないように厳重な結界を張り、魔族の中でも物理的な力だけなら最強と言われる鬼人族を配置したこの東の砦以外は、獣人族、淫魔族、亡霊族をそれぞれ配置する。
獣人族は彼の連れている奴隷と同じ種族、淫魔族は見目麗しい人型であるため攻撃しにくく、亡霊族は死の呪いを使うため非常に厄介だからだ。
とはいえ万が一にも光魔法に弱い亡霊族を狙われないように、人族の国からは最も遠い北の砦に彼らを配置するという配慮は忘れない。
彼らが通ってくるだろうルートに一番近い南の砦には獣人族を置き、もし反対方向に回りこまれた時の対策として西の砦に淫魔を置いた。
淫魔族であれば魅了はお手の物だ、もし魅了が通じなくても彼らは同時に魔術の使い手でもあるので、クリスティアナが駆けつけるまで充分に足止めをしていてくれるだろう。
「勇者一行は予定通りこちらに向かっているのね?」
「はい。順調ならば夕刻にでも姿を見せるのではないかと」
「そう。なら姿が見えたらこれを使って」
と、彼女は去り際にギルバートに託された『おみやげ』の小瓶をイザークに差し出した。
小瓶の中では、なにやらスパイシーな臭いのする液体が揺れている。
五感の鋭い鬼人族のイザークはそのあまりのキツい臭いに顔をしかめ、指先でつまみあげたそれが何なのかとクリスティアナに視線で問いかけた。
彼女は笑う、その瞳を愉しげに細めて。
「それはね、幻術がかかった薬よ。飲んで真っ先に視線を向けた相手が、最も厭う者の姿を纏うことができるの。指定された相手に幻覚を見せることが出来る、と言い換えればわかりやすいかしら。それで、勇者を動揺させることができれば重畳、できなくても弱点を知れるから益にはなるでしょう?」