第十四話:守りたい、ということ
「ついておいでなさい」と言われて素直について行ったカイトは、「ここよ」と示された扉を前にさてどう反応したものやらと戸惑った。
国境沿いをうろついている冒険者らしき者達をどうにかする、そのために重い腰を上げたのだから当然そのまま国境まで向かうのだと思っていた、のだが。
着いた先は、見覚えのあるクリスティアナの執務室。
その大きなデスクの脇を通り過ぎ、休憩も取れる小さな続き部屋に入ったところで、彼女は壁に描かれてある扉の前で立ち止まった。
(どこからどう見ても絵、だよな……?)
そう、それは絵だった。
精巧に描かれてあるが、凹凸もなければ厚みもない。
そういう壁紙なんですと言われれば、あぁそうですかと納得できるようなデザインのそれに片手をついて、彼女は一度カイトを見て悪戯っぽく笑って見せてから、
「国境沿いの森」
と呟き、そしてその扉を押した。
「な、っ!?」
ギィッ、と軋むような音を立てて、動くはずのない扉が開く。
その向こうに見えたのは、木、木、木、そして土、更に青空。
一瞬ざぁっと吹き込んできた風は生温く、森独特の青臭いような湿ったような匂いを運んでくる。
(これ……これって、もしかして……)
「どこでも○ア……?」
「そうね。確かにイメージしたのはそれだけど、どこでも行けるわけではないわ。これはあらかじめ行きたい先を登録しておいて使う、言わば簡易の転移門のようなもの。だから、可愛いあの子のお風呂場に行きたいと願っても、ラッキースケベは叶わないからそのつもりでね。それ以前に、貴方の魔力は登録されていないから使えないのだけど」
「…………はぁ」
いかにも貴族のお嬢様といった外見、声、仕草のクリスティアナが『ラッキースケベ』と言うだけでもどうにも違和感が半端ない。
これがクラスメイト達が言っていたギャップ萌えというやつか、いやこういうギャップにはそもそも萌えないから違うだろうか、などと埒もないことを考えながらカイトは生返事を返した。
恐る恐る扉をくぐって外に出ると、そこは確かに森の中だった。
目をこらすと、遠目に国境の砦らしき建物も見える。
ぐるりと見回しても人のいる気配はないので、恐らく国境から少し離れた場所に出たのだろうと、カイトがまずはホッと一息ついたその瞬間
「!!」
耳のすぐ傍でキィンッ、と何かが弾かれるような音がした。
反射的に音とは反対の方向に体を逃がすカイト、そして視線を向けた先からまたも跳んでくる『何か』が、目の前でキィンッと音を立てる。
何が起こっているのかとクリスティアナに目を向けると、彼女は「動かないで」と彼にそう言い置いてから面倒くさげに手を一振りした。
遠くから、ぎゃあ、と派手な叫び声がいくつも上がったのが、彼の耳にもはっきりと聞こえる。
「国境周辺を徘徊しているというから、何かをしているのだろうとは思っていたけれど……やはり、結界を破るつもりだったようね」
「それじゃ、今のは」
「ええ。結界にあけた穴から攻撃を叩き込んできたの。そのコントロールと度胸は褒めてあげてもいいわね。ただし、問答無用でわたくしを狙ってきたことに関しては話は別だけど」
手加減はしたけど死んでないといいわね。
そう彼女は事も無げに言って、真っ直ぐカイトを見た。
「戦争を知らない世代ですもの、命のやりとりには嫌悪感があるかしら。でもね、わたくしもお兄様も国を動かす側の者として、やられて黙っているわけにはいかないの。相手がこちらを殺しにかかってきたら、わたくしも遠慮はしないわ。非情だと言われても、謗られても、そうするしかないのよ」
「………………いいえ」
考えに考えた末の否定の言葉に、クリスティアナは軽く目を見開いて従者を見つめる。
「俺は、貴方を非情だとは思いません。だってさっき、俺を守ってくれたでしょう?貴方一人なら防ぐまでもなかった攻撃を、弾いてくれたでしょう?」
ここにいたのがクリスティアナ一人なら、避けることも防ぐこともせずに即座に反撃してコトを終わらせていただろう。
もしくは砦の兵に連絡を取り、攻撃してきたタイミングで全滅させていたかもしれない。
だが彼女はカイトが傍にいることを考えてまず防御壁を張り、そしてあえてあちらに先に攻撃を仕掛けさせることで彼に注意喚起し、それから反撃に移った。
彼女の従者を務める以上は今度何度でもあるだろう事態に、慣れさせるために。
そう指摘してやると、彼女は困ったような顔になった。
「それは確かに間違ってはいないけど…………でもそうね、貴方にとったらわたくしのこの行動も【非情】だったかもしれないわ。だって、さっきの攻撃を弾かなければ貴方は望み通り死ねたかもしれないでしょう?」
「…………あ」
そこで彼は思い出した。
この世界へ来た当初、己が死にたがっていたというその事実を。
(どうして忘れていられたんだ……?あんなにも絶望していたのに。どうして……)
死にたかった、もうどうでも良かった。
どうせ彼が長年抱き続けてきた夢はもう叶わない、将来への展望も何もかも崩れ去ってしまった。
あんなところにワックスを塗った、その犯人探しもどうでも良かった。
犯人が見つかったところで、もう傷ついた腕は元には戻ってくれないのだ。
だからこのまま、誰かが殺してくれるまで怠惰に生きていくつもりだった。
なのに突然幼馴染のついででこの世界に召喚されたと聞かされ、そしてよりにもよって勇者である幼馴染と敵対する魔王の陣営に拾われたと知り、それなら何のとりえもない人間である自分は早々に殺されるだろう、そう思っていた、のに。
クリスティアナは、彼の手を引いて立ち上がらせてくれた。
ヒルデベルトは、彼の存在を容認してくれた。
彼らに仕える他の魔族達も、最初はいい顔をしなかったがそれでも見捨てずにあれこれと教えてくれた。
(そうだ、いつの間にか俺はこの居心地のいい空間に慣れてた……)
時に高飛車で我侭で、だがやっぱり優しいクリスティアナの従者でいられることに、すっかり慣れてしまっていた。
だから今、本当は死にたがっていただろうとその主に指摘されたことに、彼の心は傷ついたと訴えかけてきている。
勝手だな、と彼は自嘲する。
いつ死んでも構わないと思っていたというのに、主に守られて嬉しいと思ってしまうなど。
その主から、死にたがっていたことを指摘されて傷つくなど。
身勝手すぎて情けなくなってくる。
そんな彼の中で一人反省会が行われているとは露知らず、クリスティアナは「カイト」と静かに声をかけた。
「結界を張り直しに行ってくるわ。わたくし一人なら狙われても問題ないから、カイトはここにいてちょうだい。彼らはこちら側にいる『人型』というだけで、勝手に魔族だと判断して襲ってくるだろうから」
だからついてこないように、と言い置いて彼女は先ほど攻撃が飛んできた辺りへ向かって歩き出す。
確かにこのままなら、クリスティアナ一人が冒険者たちの目を引き付けてくれることで、カイトが狙われる可能性は低くなる。
全くないとは言い切れないが、それでも彼女が結界を張るまでの間なら気づかれずに隠れていることは可能だろう。
(だけどそれで本当にいいのか?……あの人に守られるだけで)
いいわけない、と彼は立ち上がった。
ついて行ったからと言って何が出来るわけじゃない。
彼はようやく魔力の使い方を覚えたばかりで、まだ陣は出せないのだから。
攻撃はおろか、防御することもできないだろう。
そして、クリスティアナの言ったように『人型』だというだけで攻撃対象になってしまったら、彼女を煩わせてしまう。
だけどどうしてもこのまま安寧と守られていることなどできず、彼はクリスティアナが向かった方へとそろそろと移動を始めた。
(いた!)
まず真っ先に見つけたのは、地面にしゃがみこんで目を閉じ、何かを念じているようなクリスティアナの姿。
恐らく結界を張り直すべく魔力を集中させているのだろう。
簡単に『結界を張る』と言っても、この広い魔族の国全体を囲うようにぐるりと展開させるのだから、いくらクリスティアナが規格外だと言っても相応の魔力は必要だろうし、それなりに集中しなければならないはずだ。
そしてそんな無防備な彼女を木の陰から狙っている、数人の冒険者達。
矢をつがえる者、呪文を唱える者、短剣を構える者、戦闘スタイルは様々だが直接突っ込んで行こうという無謀な者はさすがにいないようで、彼らは少し離れた場所からクリスティアナを狙っている。
今からカイトが飛び出して、間に合う距離ではない。
むしろ彼が飛び出すことでクリスティアナの集中が切れてしまったら……その方が申し訳ないし、また彼を庇わせてしまうことになる、という負い目もある。
そうこう考えているうちに、彼らは一斉に攻撃の構えを取った。
(危ないっ!!)
必死だった。
クリスティアナが同じ魔族の者にでさえ規格外だと言われる魔王の妹だということも忘れ、とにかくなんとかしなくてはとそれだけを考えていた。
彼が反射的に伸ばした手に淡いブルーの光が宿り、そこからピアノの鍵盤のようなものが宙に描き出されていく。
彼の指はその鍵盤を無意識になぞり、そして
「守れっ!!」
この声と共に、鍵盤から弾き出された無数の音符がクリスティアナを取り巻き、壁を作って全ての攻撃を弾いていく。
矢も、魔法も、ナイフも、全て弾いて威力を失わせてしまう。
ぽかん、とその光景を見ていたクリスティアナはハッと我に返ると陣を展開させる。
彼女が手をかざした方向からまるでオーロラのように淡い光のカーテンが国境沿いに広がっていき、目の前にいた冒険者達もそのカーテンに弾き出されて後方に吹っ飛んでいった。
「……すごい……」
「すごいのは貴方よ、カイト。やっと、陣を発動させることができたわね」
「…………あ」
彼の周囲には、まだあの術の名残のように淡いブルーの光が纏わりついている。
皮肉なもので、彼の指の自由ごと生きる気力を失わせたピアノの鍵盤が、今度は彼のやる気に応えて力を与えてくれたのだ。
戸惑ったように自分の指を握ったり開いたりしている従者を見つめ、クリスティアナは微笑とも苦笑ともとれる笑みを浮かべた。
「おめでとう……と言ってもいいのかしら。これで貴方も魔族の仲間入りよ」