第十話:死にたがりは従者の夢を見るか
自分はもう生きている意味がないんだ、とそう少年は語った。
彼は幼い頃からピアニストを目指してきた。
早くに両親を亡くし、引き取ってくれる親戚もなかったため施設で育った彼は、ふとしたことで触れたピアノの魅力の虜になってしまった。
周囲も彼のピアノの才能を褒め称え、いずれ成功するかもしれないと先行投資でピアノ教室にも通わせてくれ、そのお陰で彼の腕はぐんぐんと上達していった。
小、中、高と出場したコンクールでも優勝を重ね、名門音楽大学への推薦入学も決まった……そんな時。
彼を、悪夢が襲った。
放課後、音楽室に移動しようとしている最中、不意に身体のバランスを崩して階段から落ちてしまったのだ。
幸い怪我はたいしたことなく頭も打たなかったが、彼にとっては何よりも大事な指を傷めてしまった。
指は動く、日常生活にも支障はない、ただ……どれだけ頑張ってもこれまで通りの演奏はできなくなっていた。
ピアノの鍵盤を叩くことに、指の神経が耐えられなくなって痛みを訴えてくるのだ。
後から聞いた話では、階段の一段分だけワックスが塗ってあったそうだが、その悪戯の犯人が誰なのか結局わからずじまい。
彼はその日から、何もかも諦めたようにただ無気力に過ごすしかできなかった。
生きていたくない、だが自殺したところで成仏できず彷徨うだろうことはわかっている、だから誰かが殺してくれないか、ずっとそう思いながら無為に日々を送ってきた。
「では、あの女装は……」
「幼馴染が、文化祭で女装喫茶をするから手伝えと……俺はただ、前に座って客寄せするだけでいいから、と。だから、衣装合わせして、あいつの取り巻きに化粧されて、そして」
同じ施設出身の幼馴染は、彼とは違って明るく行動的な人気者だった。
彼の取り巻きである女子生徒の制服を着せられ、化粧もされ、ウイッグをつけられ、そうして幼馴染の隣に並ばされたところで、突然眩い光に包まれて意識はブラックアウト。
気がついたら、この場所だったと彼はそう語る。
「さっきの怖い人は、言いたいことだけ言って俺の話を聞かずに出て行った。だから貴方にお願いします、俺を殺してください。ここは魔族の国なんだって聞きました。だったら、俺みたいな無力な人ひとりくらい簡単に殺せるでしょう?」
ここにいるのがもしシンシアだったらどうするかしら、とクリスティアナは埒もないことを考えた。
彼の生い立ちに、そして彼を襲った悲劇に、涙を零すだろうか。
死んではダメ、死んでいい人なんていない、そう訴えるだろうか。
それとも命を粗末にするなと怒って、平手打ちでもするだろうか。
そのどれが彼の心に響くかなど、わからない。
わからないが、クリスティアナはそのどの行動も選ばなかった。
(正論をぶつけたところで虚しいだけ。彼の心は彼のものだわ)
死んで何になる、世の中には生きたくても生きられない人がいると言うのに。
そんなことを訴えたところで、彼にとっては所詮他人事だ。
生きる気力を失くし、周囲を見回すだけの余裕もなく、己の悲劇にすっかり酔いしれてしまった彼には、きっと何を訴えても届かない。
それなら、とクリスティアナは彼の言葉を肯定して見せた。
「ええ、確かに……わたくしの力なら、何の力も持たない無力な人間など簡単に滅せますわ」
「だったら……」
「ですけど、それなら貴方はその代償に一体なにを差し出すおつもりかしら?」
「…………えっ?」
「あら、代償もなしにわたくしに手を汚せと仰るの?……貴方、魔族という種族を誤解しているのではなくて?殺せと言われてはいそうですかと殺せるほど、我々は血に飢えているわけでも殺戮狂でもありませんのよ」
心外ですわ、と彼女はわざと悪役令嬢のようにツンと澄ました顔でそう言い切った。
まさかこんな反応をされるとは思っていなかったのだろう、少年の顔も先ほどまでのような悲壮感に満ちたものから、呆気にとられたぽかんとしたものになっている。
そうして意表をついておいて、彼女は更に畳み掛けた。
「そうですわね……魔王の妹であるわたくし自ら手を汚す代償として……貴方、わたくしの従者になりなさい。わたくしがもう充分と思うまでしっかり従者を勤め上げたら、願いをかなえてあげますわ」
「…………そんなの。別に他の魔族に頼んだって……」
「ええ、どうぞご自由に。頼む相手によっては『下のお世話から陵辱雌豚転落コース』や『生かさず殺さず生き血を提供し続ける保存食コース』さらには『洗脳、のちに感情を持たない殺戮人形コース』などもあるでしょうが。わたくしの庇護下から出るというなら、関係のないことですものね」
それでは失礼、とクリスティアナはその場で一礼してからくるりと踵を返した。
「ま、って…………待って、くだ、さい」
かすれた声に呼び止められ、足を止める。
こうなることは予測済みだったため驚きはしないが、さて何を言われるのやらと彼女は少しだけ身構えた。
非常にわかりやすい脅し文句だったので、当然彼にもその意図は通じているだろう。
だがそれが脅しであると同時に、この魔族領では実際にありえることなのだということも、恐らく気づいたはずだ。
どうすべきかと考えて、そして自棄になってどうにでもなれとクリスティアナの手を放すのではなく、その手を掴む選択肢を選ぼうとしている。
「まだ何か?」
「その、従者になるとしたら……本当に、俺のことを殺してくれるんですか?」
「不安なようでしたら、誓約を交わしても構いませんわ。そうですわね……ちょうどいいアイテムがありますから、それを使いましょう」
パチン、と指を鳴らして魔法陣を展開し、そこからメタリックブルーの腕輪を取り出す。
「これは【誓約の腕輪】というもので、その名の通り何らかの誓いを立ててそれが叶ったら自動で壊れる、という仕組みの魔道具ですわ。これを貴方に嵌めて、わたくしが誓約を行いましょう」
「……騙すつもりは」
「この誓約の腕輪は、一方が誓約を行いもう一方がそれを承認するという形で、はじめて効果を発揮しますの。ですから気に入らなければ一言、【破棄】と宣言すればよろしいのです」
「…………」
腕輪の取り扱い説明が信じられないのか、それともそもそも腕輪の存在自体に疑問を持っているのか。
少年の視線は、クリスティアナとメタリックブルーの腕輪を行ったりきたりしている。
そうしてしばらく考えこんだ後、彼は小さく頷いて「わかりました」とそれに応じた。
「では始めましょう。手を」
どちらか片方、と言われた少年は左腕を前に差し出す。
その手首にメタリックブルーの腕輪を嵌め、クリスティアナは指先でその腕輪に触れながら静かにゆっくりと魔力を流し込んだ。
そうすることで、彼女が誓約主であると認識させるためだ。
「わたくし、クリスティアナ・レクターはここに誓う。この者を従者とし、これより一年の間我が庇護下に置くことを。その後、この者の願いをひとつだけ叶えることを」
一年、とあえて期間を区切ったのは、ずるずるとなし崩しにそのままいるつもりだろう、と思われないためだ。
彼女とて、殺してくださいと言われてはいそうですかと殺せるほど、非情でも残酷でもない。
だから一年の間に、できることなら彼の方が心変わりをしてくれればいいな、という淡い期待は抱いているのだが……最悪の場合、もし彼の決意が変わらない場合は責任を持って願いを叶えるつもりではいる。
「腕輪の主の承認をもって、この誓約は成立する。……承認か、破棄か?」
「…………」
「わたくしと同じように名前を名乗って、承認するか破棄するか宣言するだけですわ。さ、どうぞ」
「…………俺、は……伊集院 海斗は、この誓約を…………承認、する」
彼が言い終えた瞬間、腕輪は眩い光を放ちながらぐんぐんと縮まっていき、パッと見細身のブレスレットにしか見えないようなデザインに変化して、手首にぶら下がった。
どういうことだと視線で問われたクリスティアナは、そういう仕様なのですわと薄く微笑んだ。
「腕輪のままではあからさまでしょう?ですから持ち主の好みそうなデザインに変化する、そんな仕様のアイテムなのです。一見すぐに外れそうですけれど、制約がかかっている間は絶対に外れませんわ」
「へぇ……」
軽く腕を振るとシャランと涼やかな音が鳴る。
青銀色のそれは一見すると金属製のようだが、殆ど重みは感じない。
ひとしきりそれを観察して、ようやく納得できた彼が顔を上げると、微笑を湛えた絶世の美少女が真っ直ぐに彼を見つめていた。
「さて、では改めて。わたくしは当代魔王の妹、クリスティアナ・レクター。これから一年間、貴方にはわたくしの従者を務めてもらうわ。一年で願いの対価が払えるほど働いてもらうつもりだから、よろしくね。カイト」
げ、と言う小さな呟きが聞こえたのだろう。
クリスティアナはしてやったりという顔で声を上げて笑った。
一方、その頃ヴィラージュ王国では。
「素晴らしい!!剣の才能に加え、全属性の魔法が使えるとは!さすがは異世界の勇者殿だ」
「勇者殿、頼みます。あの忌まわしき魔王とその妹を倒せるのは、勇者殿を置いて他には居ません」
「魔王の呪いで、国王陛下も王妃陛下もお倒れになった……どうか、魔王を倒してその呪いを解いてはくれないだろうか」
「もちろん、俺にできることなら協力するさ。そのためにも、訓練だけじゃなくギルドの依頼を受けたり装備の強化をしたり、色々やっておかなくちゃな」
あの無許可での勇者召喚の儀式後、さすがにもう見過ごせないと王子の断罪に踏み切ろうとした国王夫妻とその側近達だったが、どういうわけか全員揃って突然の病に倒れてしまった。
王族お抱えの医師が診察するも原因は不明、代わって宮廷魔術師が魔法の痕跡を探ると、どうやら闇属性魔法の禁術である死の呪いをかけられていることがわかったのだ。
かけた者が誰なのかまではわからなかったが、テオドールは「そんなことをする者は魔王しかいない」と断言して魔王討伐を宣言し、国内にも広くお触れを出した。
今は世継ぎの王子であるテオドールが国王代理を務め、その側近達がそれぞれ倒れた者達の代わりとして役目を担っている。
その中でもただ一人……王子の部屋の隣に移されたシンシアは、召喚された勇者が自分と同じ転生者であるのかどうか、ゲームの記憶があるのかどうか、どうにかして探れないかとイライラしながら日々を過ごしていた。
(直接話す機会が作れればいいんだけど……バカ正直にそんなこと頼んでも、テオが許してくれるわけないわよね)
すっかりシンシアを独占した気分に浸っているあの王子のことだ、もし勇者に会いたいなどと言ったら嫉妬のあまり外出を止められてしまうかもしれない。
そうなってしまったら、勇者に会うどころか彼が旅に出ている間に『ヤンデレ監禁孕ませルート』に突入してしまう可能性も、ないとは言い切れないわけで。
(じょうっだんじゃないわ!まだ魔王ルートは諦めてないんだから!!)
要は王子にバレなければいいのだ。
それなら、攻略中にも同時進行で他の攻略対象者達とデートを重ねたように、上手くやれば勇者とこっそり出会うことだってできるはず。
よし、と意気込んで彼女はひとまず城内を歩き回ってみることにして、部屋を出た。
その数分後、慌てて曲がり角を曲がってきた一人の少年と出会いがしらにぶつかってしまうという、古典的な出会い方をするとは予想すらせずに。