第一話:流行遅れの婚約破棄
「王太子テオドール・レナード・ヴィラージュの名においてここに宣言する。我が婚約者クリスティアナ・レクター公爵令嬢は王族となる資格なしと判断されたため、この場をもって婚約を破棄!加えて、このたび【聖女】として神託を受けたシンシア・フュオーラ准男爵令嬢を新しき婚約者とする!!」
「テオドール様……うれしい」
ぽぉっと頬をバラ色に染めた、ピンクベージュの目立つ髪色をしたまだ幼さの残る顔立ちの少女。
そんな彼女に向かって手を差し伸べ、恥じらいながら身を寄せてきた彼女の細い肩を抱きながら、テオドールはキッとかつての婚約者を睨みつけた。
「…………あら、まぁ」
なんということでしょう、と驚きに蒼の瞳を見開いたキツい顔立ちの少女は、パチパチと二度ゆっくりと瞬いて、三度目でふらりと立ちくらみを起こして背を仰け反らせた、が。
それまで静かに斜め後方に控えていた青年がその背を支え、ふわりと柔らかく抱き込むようにして倒れるのを防いだ。
「ティア、まだ休むのは早いよ?ほら、しっかり」
「…………お、にい、さま?」
「あぁ」
「お兄様は……わたくしのお兄様、よね?」
「なんだい、いきなり。勿論、そうに決まっているじゃないか。私とお前はこの世でたった二人の兄妹……これまでも、そしてこれからもそれは変わらないよ」
そうですわね、良かった。
ゆるりと巻かれた黒髪が美しいその少女は、同じ黒髪を持つ青年を至近距離で見上げて小さく微笑む。
だがその笑顔も青年の腕の中から身を起こす頃には跡形もなく消え去り、冷え冷えとした無表情がそれにとってかわった。
その表情から何かを悟ったのだろう、青年は少女の背を軽く押すようにして前に立たせる。
「さあ、まだやることがあるだろう?いっておいで、私の可愛い妹」
ヴィラージュ総合学園。
何か秀でるものを持った若者を育成するために創られたこの学園は、国の名を冠しているだけあってその運営母体は『国』であり『王族』である。
将来的に国に貢献できる才能があれば、貴族・平民の身分を問わず入学が許可され、成績優秀者の中には国からスカウトを受けて就職先が決まる、という者までいるという。
就学年齢は13歳から18歳の5年間とされているが、その間に就職先が決まれば特別に早期卒業という形で学園を出る、という例もないわけではない。
そんなヴィラージュ総合学園の卒業式が終了すると、卒業生達はこれから本格的に関わることになる社交界を知るという意味合いで、初めての夜会に参加することとなる。
参加できるのはその年の卒業生、そしてそのパートナーに選ばれた者、後は招待された王族とこの学園の関係者達だけだ。
この日も、昼間に卒業式を終えたばかりの卒業生たちが思い思いに着飾り、あらかじめ予定していたパートナーの手を取って、学園の大ホールを使っての夜会に参加すべく集まっていた。
その場で最も注目を集めていたのは、2年前に既に卒業した王太子テオドールと、その婚約者であるレクター公爵令嬢クリスティアナであろう。
豪奢な金髪と新緑色の双眸という王家の象徴のような色合いを持ったテオドールは、真紅のドレスを嫌味なく着こなした婚約者クリスティアナの手を取ってホールの中央まで進み出ると、そのままダンスを誘うように向き合って立ち、周囲が固唾を呑んで『婚約発表』の宣言を待っているそんな空気を引き裂くように、まるで汚らわしいものにでも触れたかのようにクリスティアナの手を振り払い、例の『婚約破棄&婚約宣言』を高らかに告げたのだった。
『行っておいで』と背を優しく押されたクリスティアナは、胸元に滑り落ちる巻き毛を軽く払って背に流し、ピンと姿勢を正してこの国の王太子に向き直った。
「わたくしが『王族になる資格がないと判断された』と先ほどそう仰いましたけれど、一体どなたがそのような判断を下されたのでしょうか?」
「ふん。お前は知らなかっただろうが、王太子妃たる者の見極め役として私の側近達がお前の言動を調査していたのだ」
「あら、そうでしたの。それはもしかしてそちらの宰相閣下、騎士団長、魔術師団長、神官長のご子息様方のことですの?」
「無論だ。彼らは私の傍仕えになれるほど有能で、家柄もしっかりしているからな」
そうですか、とクリスティアナはさらりとそれを流して視線をチラリと居並ぶイケメン達へと向け、そして彼らが時折熱っぽい視線を注ぐシンシアへと視線を移す。
びくりと身を震わせたシンシアが怯えたようにテオドールにしなだれかかり、そのことでテオドール他四名の視線がなおいっそう険しさを増してクリスティアナに襲い掛かる。
「お前は姑息にも私やその側近達に隠れて平民出身者を見下し、彼らを擁護するシンシアに何度も嫌味をぶつけたそうだな?その上、シンシアが引かぬとわかると今度は制服を風魔法で切り裂き、部屋を荒らして彼女の母の形見であるブローチを奪い、挙句その大事なブローチを焼却炉に捨てて踏み躙った!お前は隠したつもりだったろうが、騎士団の調査によって証拠も見つかっているのだ!いい加減観念して罪を認めろ、往生際が悪いぞ!!」
「……まぁ、怖い。そんなに怒鳴らないでくださいませ。高貴な貴方様の唾がここまで飛んで参りましてよ」
あら嫌だ、と彼女はわざとらしくドレスの前面を手にした扇でぱたぱたと払う。
あからさまにバカにしたようなその態度に、テオドールは冷静さをかなぐり捨ててなおも罵倒しようと一歩前に踏み出そうとした、が。
「殿下、挑発に乗ってはなりません。ここはどうぞ、お引きください」
「しかしだな、ヒューイ」
「ここからは、俺にお任せを」
選手交代、とばかりに前に進み出たのは赤茶の髪に赤褐色の双眸をした、ヒューイ・パッカード。
パッカード宰相の息子にして、次期宰相との呼び声も高い王太子の側近筆頭である。
彼は、今時珍しいモノクルをくいっと指先で上げ、見下すように顎をややそらしてクリスティアナと対峙した。
「さて、ご令嬢。先ほど殿下が仰った貴方の罪について、何か申し開きがおありか?……あぁ、念のために申し添えておくが、どの罪状にも一般生徒の目撃者がいる。その上で、言い訳があるならお聞きしよう」
彼らは、クリスティアナを侮っていた。
婚約者であるテオドールに公の場で断罪され、憤慨するか逆ギレするか公爵である兄に泣きつくか、その程度だと高を括っていたのだ。
だが実際、彼女は背筋をピンと伸ばしたまま前を向き、一向に動じた様子も見せず無表情を貫いている。
その姿はまるで、冒しがたい何か神々しいものであるかのようだ。
「このような栄えある場において醜い諍いを長々と続けることは、他の卒業生の方々及び来賓の皆様に失礼ですわ。……とはいえ、申し開きをせねばわたくしの罪は確定……でしたら、早々に終わらせましょう。関係のない皆様は、もうしばらくご辛抱くださいませね」
では、とクリスティアナは第一の罪状である『平民を見下し、それを庇ったシンシアに嫌味をぶつけた』という、罪になるのかどうかもわからない微罪について説明を加えた。
曰く、数少ない平民出身の生徒の中には『貴族は優遇されている』『ある程度金を積めば入れるんだろう』『試験すら受けていない者もいるかもしれない』と貴族出身者の能力をも侮ったことを言う者がいる。
たまたまそんな愚痴を聞いてしまった彼女は、それは僻みというものだ、悔しかったら実力で貴族出身者を見下して御覧なさいと声をかけたのだという。
「わたくしはこうも言いましたわ。このようなところで腐っているより、打倒貴族の目標を掲げて成り上がる方が余程有意義ですわよ。ここに入学できたあなた方ならできるのではなくて?と」
「あぁ、そういえば」
「……そんな話を聞いたことがある」
「平民連中がやけにやる気になってたと思ったが……」
ぼそぼそ、と彼らを囲む輪の中からクリスティアナの言葉を裏付けるような呟きが聞こえる。
それに混じって、そう多くはないが「その通りだ!」「この方は俺達を救ってくださったんだ!」と彼女を擁護する平民出身者の声も上がりはじめ、ヒューイは不愉快そうに声を張り上げて「静粛に!」と叫んだ。
「恐れ多くも王太子殿下の取り仕切る場において、許可なく平民ごときが発言するなど!口を慎め!」
「あら。平民如き、ですって?次期宰相と名高い貴方が、貴族のために働いて税を納めてくださる皆様のことを如き、と仰いますの?」
クリスティアナ自身は無表情で淡々と事実を指摘しているだけなのだが、周囲から堪えきれなくなったように嘲笑する声が漏れ聞こえてくる。
ヒューイもハッと我に返ったが時既に遅し、後輩たちから彼に向けられる視線はどれこれも冷ややかで嘲りを含んだものばかりで、彼は羞恥と憤怒で顔を赤く染めた。
そこに、クリスティアナの畳み掛けるような静かな声が響く。
「……実に嘆かわしいことですわ。平民を見下したことが罪だと仰った貴方が。それともその罪は、そちらのシンシア嬢にご忠告申し上げたことだけを指しておりますの?」
「だ、まれ……っ」
「黙りませんわ、申し開きがまだですもの。わたくしが平民出身者へ忠告したことで、ちょうど偶然その場を通りかかられたシンシア嬢が、平民だからといじめるなんて最低です!などと声を荒げられたのです。ですからわたくしはご忠告差し上げたのですわ。『淑女たるものみだりに声を荒げるものではありませんわよ。それと関係のないことに首を突っ込むのはマナー違反ですわ』と。それが何度か続いただけですわ」
わたくし、何か間違ったことを申しておりますかしら?
小さく首を傾げながらそう誰とはなしに問いかけるクリスティアナに呼応するように、今度は貴族令息達から「そういえば俺聞いたかも」「俺もだ」「あの程度ならうちの母上の方がよっぽど怖い」などと賛同する声が上がる。
今回は貴族令息ということもあって、ヒューイも容易に注意できずに唇を強く噛み締めている。
そんなヒューイの肩をぽんと叩いた者がいる。
魔術師団長子息であるデルフィード・インテルだ。
「僕が代わるよ。次の罪状の証明には、魔術師団も関わってるからね」
君はもう下がっていいよ。
暗に力不足と揶揄されたことがわかったヒューイは、拳をブルブルと震わせながらついには俯き、居並ぶ取り巻き達の最後尾へと渋々引き下がるしかなかった。