本能寺戮 その2
二時間目は数学、つまり自習時間だ。
私立文系専願の俺にとって、数学は勉強する必要がない。
英語、国語、そして社会。この3つの文系教科だけやっておけばいい。
幸いにもうちの高校は、定期試験で赤点をとっても追試を受ければ単位を取らせてくれる。
その追試も定期試験と全く同じ問題だから、途中式と解答を丸暗記さえしておけばOKだ。
……人としてNGとか言ってはならない。
大事なのは、あくまで自由時間ではなく自習時間であるということだ。
受験科目が3つでいいということは、裏返せばその分一つ一つの教科の難度が高いということであり、理系教科の授業も内職に活用し、文系教科の学力を伸ばすことが肝要となる。
だが、教師によっては内職を咎める者もいる。
私立文系というのは進学校ひいては予備校界隈ではアホほど地位が低い。まず間違いなく早々に苦手教科を捨てた根性なし扱いされるし、場合によっちゃ「死文とかwwww 就活縛りプレイwwww」みたいに理系に煽られる。
少し言い過ぎたが、とかく私立文系というのは、国立の難関大や医学科志望が多い進学校においてはマイノリティであり、理解が得られないことが多いということだ。
今教卓に立っている教師などその典型だ。
生徒が内職をしようものなら白墨を投擲しかねない熱血漢だ。俺が1年の時に身をもって証明したから間違いない。
だが、学習能力の高い俺は二の轍は踏まない。
俺はあらかじめ薄い文字で英単語を書き留めておいたノートを机の中から取り出す。
それを机に出した数学の教科書とノートの間にセットし、準備完了。
これで教師が俺の机に近寄って来ても、自然に英単語のノートを閉じれば、後には数学の教材だけが机に残る。
だが、これはあくまで保険だ。実際は俺の席は教室の最後部に位置しているため、まず教師がここまで来ることはない。
準備が整った俺は、悠々自適な自習時間を開始する。
神妙な表情を浮かべながら教師の眉毛を見つめ、思い出したかのようにノートの英単語を確認する。
退屈極まりないが、充実はしている。それなりに気に入っている時間だ。
こうして英単語を一つ一つ覚えていく作業は、RPGにおけるレベル上げに似ている。
一回一回の地味な作業が、経験値という名の自分の血肉になり、レベルアップに繋がる。
レベル99への道もスライムから、難関大への道も一つの英単語から、だ。
それに、暗記は、ある程度考え事をしながらでも出来るから好きだ。
現に俺の視線は、教師の眉毛と英単語の間を行き来しながらも、時折他の生徒の授業態度に向けられる。
一番後ろの席というのは特等席なのだ。もちろん死角こそあるものの、教室で起こるほとんどの事象を知ることが出来る。
「後ろを取る」ということは格闘技から戦争まで様々な状況下で有利とされる。
これは物理的な前後の話に限ったことでもない。時間における前後でも同じだ。
じゃんけんから技術開発に至るまで、後出しはいつだって勝負を制するジョーカーとなりうる。
ならば現在、最後部の座席に座り、授業に心を奪われることなく自分の活動に励んでいる俺は最強といえるだろう。
この教室で何か異常が起こった際、最もそれを早く感知し、その経過を見極めてから最善の一手を繰り出せるのだから。
そんな荒唐無稽なナルシズムに身を浸しながら、俺は暗記の傍ら、生徒たちの授業態度の観察を続ける。
流石は仮にも進学校を自称する高校だ。ほとんどの連中が真面目に授業を受けている。時たま、何人かが船を漕ぐくらいだ。まあ、ありふれた授業風景と言っていいだろう。
だが、一人、周囲から浮いている生徒がいる。
俺の席からさほど離れていない、比較的窓際寄りの席に座る男子だ。
確か名前は… 島鳥、だっけか。いや鳥島だったかな……。
とりあえず、似た漢字が2つ連なる、紛らわしく珍しい名字だったはずだ。
今度確認しておこう。彼の名字を呼ぶ機会そのものが無い気もするが、それでも人の名前を間違えたくはない。
俺自身、名字を間違えて呼ばれた経験があるので、その苛立ちがよく分かるからだ。なんだよ法隆寺って……僕の名前は本能寺です。いや確かにどっちも焼けたけどさ。
その鳥島くん(仮)は、一時間目の古文の時間、なんと50分間ずっと落書きに興じていたのだ。
何を描いているのかまでは分からなかったが、授業中ひたすらノートの端に向かってシャーペンを走らせていれば、誰だって落書きをしていることは見抜ける。
俺もたいがい厚顔無恥というか、ふてぶてしい性格であるという自信があるが、彼には適わないだろう。
全くノートを取らず、教師や黒板の方を一切見遣ることなく描き続けるとは、何という潔さだろうか。その姿は、体を張って教育制度に対して異を唱えるレジスタンスのようにも見えた。
だが、問題は高校が義務教育ではないということである。あいつ何考えて学校来てんだ……。
ま、どうせなら、今度はここからも見えるように、ノートの全面を使って絵を描いてほしいものである。