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2匹のライオン

作者: 澤村しゅう

 パキン、という乾いた音を立てて、小さな衝撃が頬へと走る。

 砕けた黒芯は残骸を撒き散らし、キレイにまとめてきたノートを黒く汚した。

 ふう、といつの間にか詰まっていた息を吐き、消しゴムでゴシゴシとその痕跡を消す。首を回すと、いささか心配になるほどの豪快な音を発した。沈黙を保つ図書室ではそんなわずかな雑音さえ気になるのか、隣の席の女子が煩わしげにこちらを見やる。

 時刻はまだ4時。塾の時間まで大分ある。一度途切れた集中力はすぐには繋ぎ直せないと判断して、カバンからICレコーダーを取り出す。決して安くないその機械は、両親が喜々として買い与えてくれたものだ。

 再生ボタンを押して周りに目を向けてみれば、同じような機械を片手に勉強している生徒の姿がチラホラと写る。ICレコーダーで講師の授業を録音し、あとでの復習に使う。英語の授業などで特に重宝するその勉強法は、最近教室数を大幅に増やした人気塾が提唱するものだった。この学校でも多くの人がその塾に通っている。僕もまた然り。

 じっと目をつぶり、流れる音に意識を集中させる。

 本当ならば塾なんかには行きたくない。両親や先生は学年で一番の成績を取れと強要するが、別に一番じゃなくても大学には入れるのだ。始めの頃は特別扱いされるのがうれしかったが、最近では意欲を保つほどの快感とは思えなくなっていた。結果成績は下がる。両親に文句を言われるのが嫌で形だけでもと皆と同じ塾に通い、こうして勉強を続けているわけだが。気が重い。


「……の! ……ァノはいるか?!」

「?! は、ハイ!」

 静かに、と率先して言うはずの教師が乱暴に扉を開けて呼ぶ。慌ててイヤホンを外し、入り口に向かって立ち上がった。

「違う、浜野じゃなくて長野だ」

 どうやら聞き間違いだったらしい。どくどくと鼓動を増す心臓を抑えてノートに向き直る。でもとてもこんな状況じゃ勉強に集中できそうにない。深呼吸をし、カナル型のイヤホンをぎゅっと耳に押し込む。

「長野! お前何勝手に追試を抜け出してるんだ!」

「センセ、ここ図書室。お静かにね」

 しーっとわざとらしく口元に指を当てて諌める。柱の陰で気づかなかったが、クラスメイトの問題児が図書室に逃げ込んでいたようだ。机には図鑑らしき分厚い本がいくつも置かれている。

「さぼってたワケじゃないぜ。ほら、最後の問題『生態系のピラミッドを書け』ってあるじゃん? 植物の前は何だろと調べてたらさ、微生物の種類だけですっげぇいっぱいあんの。これ、どれ書けばいい?」

「そこは『分解者』でいいんだ。分からなかったら空欄にしておけ」

「全部埋めるまで帰さねぇって言ってたじゃん」

 ニヤニヤと揚げ足を取って笑う。この顔はおそらく、分かっていて空とぼけているのだろう。進学校の問題児は一筋縄では行かない奴が多いのだ。

「とにかく教室へ戻れ! さっさと本を片付けろ!」

「へいへい」

 重みのある本を抱えて、ふらふらと書庫の方へ向かう。何も一気に運ばなくてもいいのに、危なっかしいな。

 こっそりと横目で伺っていたら、僕の隣に差し掛かった時にグラリと大きく傾いだ。椅子に響いた振動で、一瞬にして何が起きたのか理解する。……さっき立ち上がった時に、カバンが大きくはみ出てしまったんだ。思わぬ場所に転がっていたカバンは、彼の死角から足元を攫う。

 たたらを踏み、なんとか彼は転ばずに済んだものの、積み上げた本は耐え切れずに落下する。バサバサバサという盛大な音は先程より多くの視線を集めてしまった。

 ご、ごめん、と小さく詫びて本を拾い上げる。しかし慌てていたため、机の上に置きっぱなしだったICレコーダーが引っかかり、床へと落っこちてしまった。イヤホンジャックが外れ、内蔵スピーカーからこぼれだしたのは、講師の硬い授業なんかではなく軽快なギター。続いて、訴えかけるような英語のしゃがれ声。

 大慌てで本を投げ捨て、ICレコーダーの再生ボタンを止める。

 しまった、と探るように視線を上げると、僕とは対称的にキラキラと輝いた瞳がこちらに向けられた。

「チャック・ベリーじゃん! お前、好きなの?!」

 落とさずに済んだ本を抱きしめながら、身を乗り出して問いかけられる。その勢いにたじたじと、机に体を預ける羽目になった。密接して並べられている机に振動が走る。打たれた舌打ちが耳に痛い。

「……あ、悪ぃ。なんでもねぇ」

 引いている僕に気が付いたのか。視線を逸らし気まずそうに本を拾い上げる。「長野!」と教師の急かす声に返事をしながら、クラスの問題児はしぶしぶと図書室を後にした。

 嵐のような時間が過ぎ去り、こちらへと向けられていた目がひとつ、またひとつと離れていく。……今日はもう、勉強するのは無理かもしれない。突然の事態に対応できなかった心臓がなおもバクバクと鼓動を重ねる。少し早いが、もう塾へ向かってしまおう。

 ノート類を片付け、カバンにしまう。そこでふと、一冊の本がカバンの陰に落ちているのに気がついた。小さな本だから見落としたのだろう。拾い上げ、書庫に戻すべくタイトルを確認する。

 ――その本は、僕が何度も読み返しているお気に入りの本だった。




 チャイムの音とともに一斉に教室から人が吐き出される。購買へ走る者、学食へ行く者。みな空腹を満たすために必死だ。それに混じっていつも昼を共にしていた友人が、「先輩に呼ばれたから」と頭を下げて立ち去る。別に一緒に食べようと約束している訳でもないのに、律義なことだ。

 開け放った窓から心地いい風が入ってくる。新緑の青々とした葉が、地面にいくつものレース模様を描いていた。天気もいいし、最近勉強ばかりで太陽に当たっていない。たまには外で食べるのもいいだろう。

 窓際の特等席から外を眺めると、いつの間にそこまでたどり着いたのか。ついさっきまで教室に居たはずの長野が、ふらふらと部室棟の裏へ歩いていく姿が見えた。

 仮にも進学校であるこの学校で、不良と称される長野の存在は異質なものだ。頭は悪くないのに、行動が突拍子もない。昨日のことにしてもそうだ。皆がAということをしている時に、長野はBという行動を取る。それも楽しそうに。

 常識にとらわれないその行動は、教師たちの心をたいへん苛つかせた。赤点を免れているのに追試を受けるなんて、長野くらいのものだろう。

 対して僕は、品行方正、生徒の鏡だと三者面談の度に先生にべた褒めされる授業態度だ。彼を見下すつもりはないが、優等生と問題児。レッテルを貼るならばその2単語が的確だろう。

 いわゆる、世界が違う人間というやつだ。同じクラスでありながらも、この先接点はほとんどないに違いない。


 ――と思っていたはずなのに。

 弁当を片手に、長野が消えていった方へと歩みをすすめる。なぜか足がこちらに向いてしまった。まあ、外で食べるのもいいと思っていたし。たまには気分転換も必要だ。

 キョロキョロと辺りを見回したが、こちらにはベンチもなく落ち着いて食べられそうな場所がない。長野どころか、人っ子ひとり見つけることができなかった。

 もしかしからどこかの部室に潜り込んでいるのかもしれない。彼を追いかけることを諦めて、快適な場所探しに目標を切り替える。案外、会えなくて良かったのかもしれない。自分でも説明不可能なこの衝動を彼に伝えるのは難しそうだ。

 どうせなら、と部室棟から離れて林の方に向かう。木々に囲まれている場所の方が軽いピクニック気分を味わえるだろう。視線をさまよわせながら歩いていると、目の前を白いものがトテトテと横切った。猫だ。

 野良猫が住み着いているらしく、度々校内で目撃証言が出ていた。学園のアイドルと化しているその猫は、見つけたら女子が騒ぎ立てるくらいにはレアキャラだ。思わず追いかけると、木々の中で少しだけ開けた場所に出る。

 もともと芝生が引いてあったのか、茶色く変色した草が土を覆っている。一部はまだ青々とした芝が生えていたが、手入れをされなければそのうち枯れるだろう。

 そんな荒れ果てた元芝生の上で、ひとりの生徒が仰向けに転がっていた。長野だ。

 猫が少し離れた位置で座り込む。彼は雑誌を日よけ代わりに顔に被せ、どうやら眠っているようだった。隣にコンビニのビニール袋が置いてある。白い半透明な袋の中に、小分けにされた猫の餌袋が見えて。猫はこれが狙いで長野の隣に立っているのだと予測する。もしかしてこの男は、学園のアイドルをこっそり餌付けしていたのだろうか。

 袋にはまだパンが残っていることから、どうやら昼食を食べる前に仮眠しているらしい。普通寝るなら食後だろうに。つくづく常識にとらわれない男だ。起こさないよう隣にゆっくりと腰かけ、お弁当箱を開く。枯れ草のおかげでズボンに土がつく心配をしなくていい。寝転がる勇気は出ないが、食事場所としては十分だ。


「ん……」

 ごろりと寝返りをうった拍子に、頭に乗せていた雑誌が落ちる。暖かい日差しは寝るのには眩しいのか、顔をしかめて手を雑誌の方に伸ばした。

 しかし寝ぼけた手は見当はずれの場所に伸ばされ、僕の体へとぶつかる。その感触に驚いたのか、ペシペシと何度か僕の体をたたいた後、のっそりと顔を上げた。

「……何でここにいるんだ?」

 至極当然な質問だろう。

「お弁当を食べるのにちょうど良さそうだったから」

 箸を動かす手を止めずにそう答える。

「だからって真横で食わなくてもいいんじゃねぇ? ビビるわ」

「ちょっと話してみたかったし」

 考えてみれば、寝ている人の横でわざわざ弁当を食べるなんて異質だったかもしれない。

 けれども、普段彼のほうが突拍子もない行動を取りまくっているのだ。それに比べれば許容範囲だろう。

「もしかして、チャック・ベリーの話か?」

「チャック・ベリー?」

「なんだ、違うのかよ」

 がっかりした、と分かりやすい顔をする。昨日から思っていたが、彼は表情が豊かだ。どこかで聞いた音だと記憶を探り、すぐに彼が昨日ICレコーダーを聞いて口走った名前だということに思い当たる。

「父親が音楽好きでね。適当にCDを借りて聞いていたんだけど、リズムがいいから、特に名前も見ないまま入れてたんだ」

「数多い音楽の中からチャック・ベリーを選んだって訳か。センス良いぜ、お前」

 がさがさと横においていた袋を漁る。サンドイッチを口に咥えた後、傍らに佇む猫に向かって銀色の袋を開けてみせた。中には猫用の固形餌が入っている。草が生い茂っていない場所に広げると、カリカリと小気味いい音が辺りに響き渡った。

 チャック・ベリーってどんな人なの? という会話からどんどん話が広がる。ロックンロールの祖とも呼べる人物で、なかなかに波乱万丈な人生を送ったらしい。彼が歌い上げた世界観から、迫害を受けた歴史まで。他にもこんな音楽を聞いているよ、と持ってきたICレコーダーを再生させたら、ほとんどの曲名を上げてみせた。そのまま流しっぱなしにして話に興じる。

 繰り返されるリズム。軽快なギターサウンド。降り注ぐ日差しと新緑が絶妙なコントラストを生み出して、ここが学校だということを忘れそうになった。ごろん、と足元で猫が気持ちよさそうに転がる。


「すっげー意外。浜野って無表情でクラシック聞いてそうなイメージがあったからさ」

 おなかを見せて転がる猫を優しく撫で上げる。気持ち良いのか、猫は自分から率先して頭を長野の手に擦りつけていた。

「長野だって、こーゆー本を読むような人には見えなかったけど」

「え……あっ!」

 取り出したのは昨日机の下で拾った本と同じもの。小さい頃から大事にしている、僕の愛読書だった。

「他の本の間に挟まったのかと思ってたけど……もしかしてあん時拾いそびれてた?」

「この本を読んで、僕は獣医になろうと思ったんだ」

 長野の問いには答えず、自分が言いたかったことを先に言う。獣医がさまざまな動物と交流を深めるという、幼児向けの小さな絵本。彼のことをからかおうと思って話題に出したのではないと、分かってもらう為だ。

 その意図を汲んでくれたのか、彼は肩の力を抜いて足を組み直す。

「獣医とはさすがだなぁ。俺はせいぜい、ペットショップの店長だぜ」

「ペットショップの店長になるつもりなの?」

 オウム返しに問いかけると、照れながらもうなずいてくれる。実は今ペットショップでバイトしてる、と教えてくれた。会話を重ねるに連れ、次々と彼のことが判明していく。正直、こんなに話しやすい人間だとは思いもしなかった。人は見かけによらないものだ。


 猫が『こっちも掻け』とばかりに向きを変えて転がり直す。どうやら長野の撫でテクニックがお気に召したらしい。顔からは想像できないが、相当な動物好きなのだろう。クスクスと笑いながら猫の望むままに首を撫でてやる。

 ペットショップのことについてもっと詳しく聞き出そうとすると、昼休みの終了を告げるチャイムが鳴った。

「お前、5限目始まるぞ」

「どうせ次は美術でしょ。終わる直前に画板取りに行けばバレないよ」

 昼休みから継続して絵を描きたいという熱心な生徒を尊重して、出席は終わりの方にしか取らなかった。実行に移すのは初めてだが、いくらでもサボれる授業だ。お前意外としたたかだな、という褒め言葉をもらう。

 チャイムが鳴ると、画板を抱えた生徒がチラホラと校庭に出てくる。しかしもっぱら校舎正面や学校のシンボルとなっている時計塔に集まり、こんな外れの方まではやって来ない。せっかく好きな場所を描いていいと言われているのに。できあがる絵は、全クラスがどことなく似通った印象だ。

「不思議だよね。何でみんな似たような場所に集まるんだろう」

「周りに合わせてれば安心だからじゃねーの」

 間をおかず放たれた言葉に驚いて彼を見る。ずずず、と音を立てて飲み干された牛乳パックが小さく潰された。

「周りと一緒ならば、万が一何かがあっても攻撃対象が分散される。草食動物が群れで移動してるのと同じこった」

 人だって動物だからどこかに本能が残っているんだろ、と解説される。興味深い仮説に、話の続きを促した。

「単独で行動する奴は何が起きてもひとりで解決しなきゃいけねぇ。狙われやすくもなる。だから皆、意識しないまま周りに合わせようとするんだろ。その方が安全だから」

 それは周りから逸脱している長野が言うからこそ、重みの感じる言葉だった。固まって絵を描いている一群を遠く見つめる。


 みんなと一緒に行動していれば傷つかずに済む。それは僕にも覚えのある行動だった。

 教師や両親に文句を言われたくないから、通いたくもない塾に通い、皆と一緒に勉強する。学校の授業で十分だと自分でも分かっているのに。自分が草食動物にでもなったような錯覚に陥る。

「長野はあまり団体行動を取ろうとしないよね。それだとライオンとかに食べられちゃわない?」

 ぱちりと。僕の顔を見て目を瞬かせる。突然止まった手に不満を抱いたのか、タイミング良く猫が長野の手に噛み付いた。笑いながら手を胸元へと引き寄せる。

「何度も噛じられてるよ。昨日も噛まれたばっかだ」

 手のひらをさすりながら笑う彼は、どこかさみしげで。伏し目がちな顔が大人びて見えた。

「……でも、群れじゃ一日に進める距離が限られてるけど、ひとりだったらどこまででも遠くへ進める」

 ぐっと。さすっていた手を握りしめて視線を上げる。

「俺は、ロックンロールは戦う動物たちの歌だと思ってるぜ。群れから離れることで危険は増えるけど、自由を得ることができる」

 そのまなざしの強さに、僕は目を離すことができなかった。荒れた芝生の中。長野が瞳をギラギラと輝かせて語る。

「人と違うことをすると迫害される。けれどもそれに負けず、堂々と自分を通したのがロックンロールだ。ひとりで生きる姿は、サバンナで生きる肉食動物のようにかっこいい。俺はそんな風に生きてみたい」

 夢を語る彼は、先ほどの大人びた表情と打って変わって子供っぽく見えた。けれども、彼の姿が肉食動物の姿と重なって見える。まだ小さいけれど、懸命にひとりで生き抜こうと努力するライオンの姿に。

 何も言えず見つめていると、彼の静かなる雄たけびを邪魔するかのように携帯が鳴る。一応マナーモードにされていたそれを操作しながら、小さく。耳を澄まさなければ聞き落としてしまいそうな大きさでポツリと言葉を付け足した。

「……でもやっぱ」

 かさりと。風で煽られたビニール袋が空虚な音を奏でる。

「俺は人間だから。たまーに人恋しくなっちまうけどな」

 その時初めて。彼は別世界の人間なのではなく、自分となんら変わらないひとりの青年だということを唐突に思い出した。

「うっわ、くっせぇーー俺! なーにマジんなって語ってるんだよってな」

 バンバンと乱暴にお尻についた枯れ草を払いながら、照れくさそうに笑う。時間、と小さく言われて時計を確認したら、授業終了8分前だった。急いで画板を取りに行かないと。一緒に行こうと誘うと、やんわり断られる。

「お前みたいな優等生が俺なんかと一緒に歩いてたら、いろいろ目ぇつけられちまうだろうしな。話せてうれしかったよ。またいつか話そうぜ」

 いつか。その言葉は彼と僕の間に明確な線を引こうとしていた。撤回させる前に、荷物をまとめて走りだしてしまう。美術室ではなく、教室の方へと。

「どこいくの?」

「バイト! 店長が熱出したって。ピンチヒッターで店番してくる!」

 午後にはまだ出席にうるさい教師の授業が残っているというのに。彼にとっての優先順位は、怒られることより将来の夢のほうが高いらしい。呼び止めることもできずに呆然と後ろ姿を見送る。

 流しっぱなしになっていたICレコーダーが、電池残量切れのアラームを発してブツリと途切れる。

 無音の世界は僕の足を地面へ縫い止めたまま、歩き出すのを拒んでいるように感じた。


******


 人がもがいている姿というのは、傍から見れば滑稽だ。手足をめちゃくちゃな方向に振り回し、奇声を上げる。事情を知らない人が見たら頭がおかしくなったと思うだろう。

 しかし、それを止めることなくずっと繰り返し続けたなら。それはリズムを持ったダンスとなる。今まで誰も踊ったことのない、新しいダンスだ。それはもがいた人間にしか生み出すことができない。


 しっかりと充電したICレコーダーを操作し、目的のフォルダを選択する。音量は耳に負担がかからない範囲で最大。外の音を遮断するため、耳栓に似たカナル型のイヤホンをギュッと耳に押し込む。

 歪んだノイズ交じりのギターサウンド。繰り返されるリズム。踊り出すかのように足が前に進む。

 しっかりとそのリズムを脳に焼き付けて、教室前でイヤホンをしまいこんだ。ガラリ、と勢いよく教室の扉を開く。

「おはよう」

 勇気を出して、既に登校していた彼に声をかけてみる。すると彼は一瞬だけ目を見開いた後、「うっす」と小さく応えて視線を逸らした。昨日引かれた一本の線は変わらず間にあるらしい。ならば、Go,Go。乗り越えるまでだ。


「なあ、長野。お前って浜野と仲よかったっけ?」

「いつの間に学年トップと親しくなったんだよ。俺にも勉強教えろって」

 長野と比較的仲の良いクラスメイトたちが、からかい半分に問いかける。対する僕の方の友人も「やめなよ、良くないよ」と彼につきまとうことを止めようとした。けれども構うものか。事あるごとに長野に話しかけ、共に行動しようとする。金魚の糞か、はたまたカルガモの子か。こうして誰かを追いかけるなんてことしたことなかったから、意外と楽しい。

「お前さ、何のつもりだよ」

 はぁ、と重いため息とともに呆れた目でこちらを振り返る。放課後。図書室や塾へと向かう流れに逆らって、長野ストーキングを続行する。昇降口を出てもなおついてくる僕の姿を、さすがに放って置けなくなったらしい。

「今日もペットショップ行くんでしょ? 動物について色々聞きたいし。僕も連れてって」

「連れてけって……お前、塾があるだろ」

「辞めた」

「やめたって……ええっ?!」

 ずざっとその場から飛び退いて見せる。やっぱり彼は表情豊かだ。

「別に行かなくっても大学受かる成績は保てるし。マズくなったらその時だけ通えば十分だよ」

 この件に関しては母親と随分揉めに揉めた。昨日帰ってから父親が帰宅するまで、耐久4時間の壮絶バトルだ。説得は無理かと諦めかけた頃に、父親のフォローは有難かった。これ以上成績が落ちたら即塾に通わせるという条件こそついたが、放課後は自由に過ごしていいという許可を得る。

 遅めの夕食を終えた後。父親の書斎に礼を言いに訪ねたら、なぜ突然そんな行動に出たのかと問いかけられた。ICレコーダーに曲を入れて楽しんでいたことを白状し、長野との出会いを説明する。そもそも、父親の部屋にクラシック以外のCDがある事自体おかしかったんだ。昔熱狂的なロックのファンだったことを明かされ、お勧めのCDと、小さなキーホルダーを渡される。長野との話に出てきた歌手の名前をいくつも見つけて、案外父親と長野を会わせたら気が合うんじゃないかと思われた。近寄りがたかった父親がほんの少しだけ身近に感じる。

「必要ないことをみんなに合わせてやっていたって、無駄じゃない? 流されてれば楽だろうけどさ」

 昨日話した草食動物の例えも絡めて言い放つ。はぁ、と大げさなため息を付いて、彼は顔を片手で覆った。

「お前なぁ。せっかく頭いいんだから、何もこんな生きにくい道を選ぶ必要なんか……」

「同じじゃないよ」

 きっぱりと言い放つ僕の言葉に、疑わしげに視線を上げる。

「僕が目指してるのは獣医だから、違う道だ。けれどもキミと同じ方向にある。群れで動くんじゃなく、ただ同じ方向だったというだけ。遅れたら置いて行ってくれて構わない」

 しっかりと。お腹に力を入れて口にする。

 キミの群れに入れて欲しいと頼んでいるのではなく、僕も同類だと。彼にちゃんと伝わるように。

「僕は自分の道を進むだけだ。他の人なんて関係ない。キミに近づこうが離れようが、僕の『自由』だろ?」

 例え攻撃されたとしても、彼のせいにするつもりはない。自分のことは自分で責任を持つつもりだ。

 使ってこなかった表情筋を駆使して、にっと決意を込めて笑う。


 彼は大きく目を見開いた後。「……上等じゃん?」と泣きそうな顔で微笑んだ。

 3歩。大きく踏み出して彼の隣に並ぶ。行こう、という意味を込めて、彼が心酔している英単語を口にした。

 頭の中に、何度も繰り返し再生してきたメロディーがよぎる。

『飛び出せ』と促す。『自由を』と叫ぶ。

 規則正しいリズムは僕の足を前へ、前へと押し進めた。


 孤独な旅路を、他者の攻撃を恐れながら進んでいく。

 けれども、同じように頑張っている仲間がいるのだと思うと怖くはなかった。

 カバンにつけた、ギターを模したキーホルダーが揺れる。


「行くぞ」


 じゃり、という音を立てて。

 広大なサバンナを、2匹のライオンが駆けていった。


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