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『最初の物語』

 「ひかり、もう数日で『計画』は発動されます」

 「……」

 「王ケテルは新天地へと旅立ち、あなたも元の世界へ還されるでしょう」

 「……っ」

 節々が痛む身体でわたしは思わずベッドから起き上がっていた。昨日のあとの今日、今日のあとの明日。そうやって続くと思っていたものは、限りのあるものだった。考えてみれば当たり前のことだったが、わたしは本当にこの瞬間までその考えに思い至らなかった。

 終わってしまう。

 限りなく甘く、限りなく苦い、この日々が。

 半身起き上がったわたしの視界に、テーブルの上に置かれたノートが目に入った。あれは鞄の中に入っていたふつうの勉強用ノートだった。だが、ほとんど空想の世界に耽っているわたしは全教科そのノートに背負わせているものの、ほんの10ページも消化できずにいたものだった。

 立ち上がり、ページを捲る。

 この世界に来てから、かれこれ一週間が経過しようとしていた。数ページしか書けていなかったこのノートは、すでにその3分の2にびっしりと書き込みがなされていた。石版が魔力を失ってからは出来ていなかったが、様々な『物語』をわたしのものだと偽って発表するなかで、わたしも拙いながらもこうして文章を綴っていた。

 それは『物語』とはまだ呼べないものだろう。ひとシーンが書けていればまだ上出来。場合によっては、ちょっとしたキャラクターの台詞の掛け合いや、どこかで見たことのあるような設定の羅列、単なるダジャレが並んでいるだけ。それでも妄想癖が役に立ったのか、アイディアは止まるところを知らなかった。わたしに『物語』としてまとめる能力がないだけで、その欠片たちは壊れた蛇口にように溢れていた。

 インプットとアウトプット。おそらく先人たちの素晴らしい『物語』が適切な教科書として役に立っていたのだろう。たくさんの『物語』に触れてきたから、語彙には自信がある。多くの『物語』を味わってきたから、展開のバリエーションも憶えがある。数えきれない『物語』を見てきたから、活きるキャラクターの作り方だってある程度わきまえているし、あらゆる『物語』を聞いてきたから、いわゆる定石的な展開だってわかってる。数多の『物語』を嗅いできたから、リアルな描写の引き出しもある程度揃ってはいるはず。

 「それに、わたしはとんでもない『嘘つき』だ」

 なんだ。

 できない理由がないじゃないか。

 『どうして、貴女の世界の彼らはわざわざ『創作』ということをしていたのでしょう』

 ビナーのその質問にはまだ明確な答えはわからないが、ぼんやりと何かが見え始めたような気がした。すでに頭のなかでは堰を切ったように、自分の生み出したキャラクターが好き勝手に動きまわっては喋っていた。

 『落ち着いて!』

 わたしは頭のなかのキャラクターにそう叫ぶ。

 『いまからあなたを『物語』という概念の存在しない不思議な猫の王国に飛ばすから、そこで精一杯生きてみて!』

 主人公の少女は不安そうにひとつ、頷いた。


 ※


 『計画』が発動しようとしている――。

 王の間の玉座は複雑な変形を遂げ、円形の『門』を形成していた。その内側には無数のプラズマが走り、その眩しさが向こう側が見えない。王ケテルくんはその奥へと征くのだろうということは容易に想像できた。わたしたちより遥かに先をゆく科学水準の彼らでも、ここまで時間をかけて入念に準備をした『計画』だ。そして、『計画』の準備中、ひとり余暇を与え、あらゆるわがままにも応える体勢を造るほど、過酷な任務なのだろう。

 王ケテルくんはその輪の前にまっすぐに立ち、尻尾は力なく垂れて床に触れていた。いつも左右どちらかにずれている王冠はぴったりと中央にあっており、猫耳はピンと屹立していた。左手はきつく握られ、右手には大きな鍵のようなものを携えていた。

 「ケテルくん、みんな――」

 「ひかり、もう体調は大丈夫かい?」

 頷く。胸元に抱きしめているのは砕けてしまってもう使えない『魔法の石版』、それと一晩書けて書きなぐった一冊のノート。わたしはもう嘘をつかない。この世界に『物語』を伝来させた巫女として、最後くらいはきちんとした仕事をしてみせる。

 「忙しいのはわかってる。すごく重大な仕事をしようとしてるってことも。でも、わたしのケジメとして、ひとつだけ『物語』を話したい。他の誰でもない、わたし自身の『物語』を。どうしても伝えたいんだ」

 「ひかり、ボクたちの『計画』はまもなく発動する。ウラシマ効果もあるけど君たちの時間で56億7千万年かけて準備してきた、『種を蒔く』計画だ。あの生命が芽生えなかった惑星に、ボクが始祖となり、世界を創る。そういう仕事。ボクやビナー、コクマーを含めた10の『演算子カリキュレーションチルドレン』がこの『セフィロトのキー』を使うことで、観測するまでわからない箱が開かれる。すべてはここから始まるんだ」

 ごくり。

 唾を飲み込んだ。想定していたよりも数億倍ほど壮大な任務だった。少年少女の姿かたちをしているから、舐めていたのかもしれない。王ケテルくんはこれから誰もいない惑星に降りたち、その後の億万年の礎となるのだという。それはとてもとても大変なことだ。わたしが一晩で仕上げた『物語』を聞いてほしいからって、止められるようなものであるはずがない。

 「ご、ごめ――」

 「でもね、ひかり、ボクは君がもたらしてくれた『物語』という概念にとても感謝をしているんだ。そんな大切な君のお願いなんて断れるわけないだろう。『計画』のこのフェイズは一時中止、六時間後に再開できるようアイドリングをしておくんだ」

 「しかし、王、そんなことで――」

 コクマーがそう進言したが、ビナーが彼を睨みつけた。

 「王の命令です。何か文句がおあり? さて、ひかり、いま紅茶を持ってこさせましょう。少しはリラックスしなければ、せっかくの『物語』が台無しになってしまいますから」

 わたしの涙腺はもう決壊してしまったようだった。両手でぐしゃぐしゃと眼をこする。きっと顔はぼろぼろだろう。生まれてからいままで何度も何度も、数えきれないほど泣いたことはあった。けれど、ああ。嬉しいときにも、まだわたしは涙を流すことができたのだ。

 「ひかりはこの世界に『物語』をもたらした人間だ。君がおこなったことは嘘かもしれないが、そのことは事実。民も君のことを尊敬している。そしてなにより、みんなが君の『物語』を待っている」

 コクマーがなにやら『演算子カリキュレーションチルドレン』たちに指示を飛ばしていた。変形した玉座の『門』のプラズマが比較的収まっていく。王ケテルくんが、剣ほどもある『セフィロトのキー』を門に立てかけ、ものの数分でこの街じゅうの少年少女がいつものようにこの玉座の間に集まってきた。

 ――いつものように。

 そうだ、わたしはひょんなことでこの世界に来てから、ここで毎日『物語』を披露していた。それは誰かの栄光を横取りするような行為ではあったけれど、そのときわたしはたしかに生きていることを感じていた。あの世界にいたころよりも。誰かに『物語』るという行為の気持ちよさを、わたしは誰よりも知っている……。

 だから。

 「わたしの初めて書いた小説。きっと拙いと思う。いままでみんなに聞かせてきてたような『物語』とは比べ物にならないくらい下手かもしれない。でも、聞いて欲しい。伝えたい。わたしの想いを。タイトルは――」


 ※


 「……どう、かな?」

 いままでの素晴らしい『物語』のように明確なクライマックスもなければ、わかりやすいエンドマークもない。わたしの力量の関係で、唐突過ぎる終わり方だったかもしれない。あるいはそもそも全体的に意味がわからず、つまらない『物語』だったかもしれない。

 『魔法の石版』ではなく、『ただのノート』を抱きしめたわたしは、いつものようにここに集まった少年少女を見渡した。耳まで真っ赤になっていることだろう。いままであれほどドヤ顔で『物語』っていたあの巫女が、こんなギクシャクしたものを急に披露し始めたのだから。

 少年少女は呆気に取られたような表情で、わたしを見つめている。

 「ひかり」

 王冠を被ったケテルくんが、群衆の中から一歩前に出る。

 「素晴らしい『物語』だった――、とは言わないよ。でも、とてもひかりらしいお話だった」

 「そっか……」

 苦笑する。やっぱり世の中甘くはない。わたし自身まだ数えきれないほど納得の行っていないところはあった。悔しい。悔しいなあ。それにせっかく頑張ったこのキャラクターがかわいそうだ、わたしの力不足で。よし。次はもっと素晴らしい『物語』に仕上げてやろう!

 「ボクが拓く新世界は、『物語』が溢れる地平としよう」

 ケテルくんは王の剣のように『セフィロトのキー』を天高く掲げる。不思議な光を放ったその鍵に導かれるように、玉座の門に再びプラズマの雷が宿り始める。絵の具をかき混ぜたような時空の膜のその向こうに、小さな蒼い惑星の姿が見える。

 「ボクは始祖、かつて滅びた惑星を再び芽吹かせるその種子とならん」

 ケテルくんのその宣言とともに、わたしを囲んでいた少年少女達は不思議な光に包まれて霧のように消えていった。ひとり、またひとり。料理を創ってくれたコック帽を被った猫少女さんや、いつもご飯を食べ過ぎてお腹いっぱいで横になっている猫少年さんも。

 「大丈夫。死ぬわけじゃない。貴女には知覚できない存在に戻るだけ」

 ビナーが光に包まれながら、そう呟いた。黒衣の少女。『理解の姫君』。彼女はいつもわたしの近くにいてくれた。ときには敵視もされたけれど、彼女がいなければ、わたしは早々に諦めていただろう。そして気づけなかったに違いない。わたしも『物語』を紡げるのだということを。

 「また逢いましょう、そのときには貴女もびっくりするくらいの『物語』をお届けするわ」

 「うん、約束だよ!」

 手を伸ばした彼女に触れようとした瞬間に、弾けるように彼女の姿は消えてしまった。無数の光はケテルくんの王冠に集っていき、光に包まれたと思ったら、王冠を被った白猫が其処にいた。こちらを虹色の光煌めく瞳孔で見つめ、玉座の門へと飛び上がる。

 「ケテルくん、頑張って! わたしも頑張るから!」

 消え去るその瞬間にそう叫ぶと、誰もいない空間が『にゃあ♪』と鳴いた。


 ※


 「『物語』が溢れる世界、ボクに連なる血脈の末に、ひかりあれ!」


 ※


 「――斯くして、『最初の人』は『楽園』を追われ、『ひかりあれ』の言葉とともに、罪深い『嘘つき』なわたしたちの世界が始まった、と」

 もといた世界に返されたわたしは、高校の文芸部に飛び入りで入部した。中途半端なタイミングでの入部はとても不思議がられたが、万年部員不足で悩んでいたらしく歓迎されることになった。あのノートに殴り書きした『はじめての物語』を一ヶ月書けて書き直し、『山田ひかり』の処女作として、いま部長の小夜啼さよなきさんに読んでもらっているところだった。

 「この出来事は神話となって各地に散らばり、『魔法の石版』は十戒に、そこに描かれていた林檎のマークは『楽園を追放された主因』とされ、『セフィロトのキー』の形は前方後円墳に、一時的に世界の太陽が引きこもった逸話は天岩戸に、『カップラーメン』は太陽神(ラー=アメン)とミイラの技術となってエジプト神話に刻まれた、と」

 「どうですか、せんぱい?」

 「ねえ、これってあなたが本当にはじめて書いた小説? 荒唐無稽だけど、それにしては妙なリアリティというか描写力があるのよねえ」

 えへへ、わたしは苦笑しながら頭をかくしかなかった。


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