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『嘘』

 よくあるファンタジーものだと思ったら、ドラゴンの卵の調理法にそのほとんど費やした物語。

 続いて、平和な学園生活が急にロボットSF戦争ものに巻き込まれてしまう短編作品。

 もちろん、『ドラゴン』だとか『学校』、『携帯電話』、概念が伝わないようなものは注釈を入れた。わたしの好きなVRMMOものは注釈するだけで疲れてしまいそうだったから、できるだけ説明がし易い短編を中心に、わたしは少年少女たちに『わたしの考えた物語』を披露した。

 そのひとつひとつが終わる度に、はちきれんばかりの大喝采が繰り広げられる。自分は構ってちゃんではないと思っていたが、これはさすがに気持ちがいい。教室の隅でじっとしているわたしが、こんな興味を向けられたことはなかった(教室でこれほど興味を向けられたらある意味恐怖を憶えるのだが、幸いな事にいま囲まれているのは悪意のない純粋な猫耳少年少女たちなのだ!)。

 別世界のこととはいえ、他人が創作した物語を『わたしの考えた物語』として紹介することには、まだ若干の戸惑いがあった。が、わたしの中の悪魔は『どうせばれないんだから、このまま続けちゃいなよ★』と囁き、その反対側では天使が『どうせばれないんだから、このまま続けちゃいなよ☆』と囁いていた。まさかの満場一致で、わたしはますます自信満々に物語を騙っていった。

 恋愛やロマンス系の小説もわたしは好きだったけれど、さすがに相手が少年少女とはいえ、声に出すのは恥ずかしくて躊躇われた。それに『物語』という文化が伝来したてのこの世界に、さっそく同性愛なんて教えこんだらあとで怒られそうな気もしていた。

 「さて、それじゃ次の物語は――」

 調子に乗っているわたしは石版を天高く掲げて、画面をスクロールした。すると、案内役だったコクマーが鋭い表情で空を見上げた。

 「王っ!」

 尖った声に、国民全員が電気でも走ったかのように天を仰ぐ。わたしも釣られて見上げると、驚いて間抜けな声が出てしまった。巨大な壁掛け時計の時計盤に怖い顔が浮かび上がり、口を開いていた。

 『オヤスミノ時間ダヨー。ネルヨー、ハヨネルヨー』

 妙なイントネーションで部屋全体を震わせるような声が降ってきた。少年少女たちは怯えたように散り散りになり、部屋から出て行く。王冠のケテルも「は、早くおやすみしなきゃ!」と震えながら玉座の間から去り、コクマーがそれに追随する。喋る巨大な時計はそれほどまでに恐ろしいものなのか。いや、たしかに怖いけれども。

 「わたしはどうすれば」

 「こちらに用意してございます」

 広間の入り口のあたりで声がして、それが理解の姫君と名乗ったビナーであることがわかった。細くて流麗な尻尾を立てて、ひょこひょこ歩いて行く。わたしは魔法の石版を鞄にしまい、彼女を追いかける。

 「あなたはあの時計、怖くはないの?」

 「特例です。あなたを案内したら、わたしもすぐに寝なければ」

 「みんな健康なんだね」

 「こうして管理をしないとやっていけないのです」

 玉座の間を出て長い廊下が続く。それを終えると、螺旋階段をぐるぐるぐるぐると上がっていく。このお城ってこんなに高さあったっけ、と疑問に思うわたしをよそに、ビナーは早足でぐいぐい進んでいく。やがて、複雑な文様の描かれた扉にぶつかり、ビナーが手をかざすと、魔法陣が発光して重そうな扉が開いた。

 「理解子シンパシトンを通じ、あなたの世界に合わせました」

 「まだ数時間も経ってないよね?」

 「そのくらいお茶の子さいさいです」

 すたすたと欠伸をしながら去っていくビナー。まだ交流が深いわけではないが、なんというか、こう、事務的な感じがした。彼女はこうして客人を理解し、もてなす役割なのだろう。わたしのことが嫌いなんだろうか、と真剣に考える。いつもなら気にならないことだが、こうして少年少女たちに受け入れられている現状では、彼女の距離感がやはり気になってしまうのだ。

 でも、ビナーがいなければ、きっと途方にくれてしまっただろう。

 「あ、ありがとね!」

 階段を降りていくビナーの後ろ姿に声をかけると、彼女はふわふわと尻尾を揺らした。


 ※


 「ふかふかベッドー」

 ぼふっとダイビングすると、心地いい香りが部屋を包んだ。家具などは決して豪華すぎず、シンプルにまとまっている。鞄の中からのど飴をひとつ口に入れて、舌で転がしながら、まぶたを閉じる。いろいろあって、というか、いろいろありすぎて、脳が完全にオーバーヒートしていた。

 だけど、気持ちのいい疲労だった。

 うるさい教室でひとりで読書しているほうが何倍も疲れる。いま横になっているこのベッドもふかふかで、万年床の家の布団とは大違いだ。窓からは怪しい笑顔のお月様が見えるけれども、それを加味しても、静かで、落ち着く夜だった。

 いつもの癖で鞄を引っ張り込み、ipadの電源を入れる。電源に挿して充電しようと思ったところで、ここは自宅ではないことを思い出す。無線LANも当然のごとく届いていなくて、新刊チェックができないことを思い知った。

 「……いまごろみんな何をしているんだろう」

 昼間の嵐のような騒々しさのときには気にかけなかった、わたしのもといた世界のこと。こうしてひとりきりになれば、否が応でも思い出してしまう。学校ではわたしひとりいなくなったところでなんともないだろうけど、母は心配してくれるだろうか。

 ため息をついて、寝返りをうつ。

 「明日の練習しなくちゃな」

 こんなことになるなら、演劇部か合唱部にでも所属しておくべきだった。なれないことをしてちょっと痛む喉を庇いながら、明日公演する『わたしの考えた物語』を選定し、台詞の練習をする。彼らの文化にとって理解しづらいところも、いまのうちにピックアップしておく。

 こんなに誰かに求められたことはなかった。

 学校ではもちろんのこと、家でもほとんどもう親と会うことはないし、求められているのも最低限の家事だけだ。わたしなんていなくなっても同じだろう、そう、父がいなくなってからずっと思っていた。父は『嘘をつけばそれを隠すための嘘をつかなければならなくなる』と何度も何度も言ってくれた記憶がある。その当人が女絡みの嘘に絡め取られて失踪するなんて、笑えない冗談だ。

 「嘘をついてしまったんだ、わたしは……」

 相変わらず、わたしの中の天使と悪魔は手を取り合っている。

 だけど、些細な事だ。この世界にとって、『物語』という概念の伝来こそが革命。誰が創ったのかということは誰も問題にしていないし、そもそも著作権を主張するような人物もここにはいない。わたしが気にするべきはそんな小さなことではなく、明日、どんな素晴らしい物語を彼らに読み聞かせるのかということだ。

 「『それはとても不思議な出逢いでした。図書館地下深くに封じられた暴君龍と、まだ見ぬ本を探し迷い込んだ司書。世界に散らばる三冊の禁書を巡る冒険の序章となることは、いまは誰にもわからないことでした――』」

 タブレット端末の光に照らされながら、異世界の夜は更けていく――。

 「帰りたくないなぁ」


 ※


 客人の部屋からひとり遠ざかっていく影があった。

 夜闇に溶け込むような毛並み、細い尻尾をくねらせながら、彼女は螺旋階段を堕りていく。

 「ふぅん、嘘、ね」

 闇の中で猫を思わせる眼が輝いた。


 ※


 「おはようございます、ひかり。ごきげんいかが?」

 「あ、おはよ。えっと」

 「『理解の姫君』ビナーです」

 「あぁ、ビナー。おはよ。気持ちよく眠れた」

 まだ夢うつつの中で、寝返りを打った。枕元の目覚まし時計が見つからなくて焦ったが、そもそもここそんなものはないということに気がついた。わたしのベッドの端にぴょこんとビナーが腰掛けていた。

 「何か不足はありませんでしたか?」

 「……ごはん」

 ここに来てようやくその致命的な点に気がついた。思い出したようにきゅるるるとお腹が鳴る。昨日は学校で弁当を食べたきり、あとは夜にパイン味の飴玉を舐めただけだ。

 「あぁ、食事ですか。お待ちください」

 とことことビナーが寝室から出て行くと、ほんの一分もしないうちに美味しそうな玉子焼きの香りが匂ってきた。香ばしい香りはベーコンか何かだろうか。まるで魔法のようだと思っていると、ビナーが帰ってくる。

 「しばしお待ちを」

 「あ、ありがとう。なんでもできるんだね」

 「王のためなら」

 相変わらずツンとしているが、ビナーの働きはたいへんありがたかった。漂ってくる香りに、さらにお腹の虫が主張を始めたのが恥ずかしくてたまらなかったが。ご飯に味噌汁、玉子焼き。ご飯には海苔の佃煮が乗っており、わたし好みの朝ごはんとなった。食後のコーヒーを飲みながら、椅子に座ったビナーを見つめる。

 「この食事ってどうやってつくったの? 見たところ田んぼも畑もないのに。というか、キッチンもない」

 「説明すると長くなりますが、魔法のようなものだと思っていてください。『万物の根源ロゴス』を組み合わせて造るパズルのようなものです」

 「あなたは食べないの?」

 「ええ。その必要もありません」

 この不思議な世界。猫だけの街。けれど、科学に関しては、わたしがもといた世界よりも遥かに進んでいるようだった。いまビナーが言及した『万物の根源ロゴス』というのは原子のことだろうか。あるいはそれよりも細かい構成粒子のことだろうか。たしかに原理的には、数種類のつぶつぶからあらゆるものが出来ているのは理解できるが、目の前でこうしてやられると、たしかに魔法というほか表現が見つからない。

 「あ、ちなみにもうひとつ、欲しいものがあるんだけど、いいかな?」

 「なんでしょう」

 「コンセント」

 肌身離さず持っているipadだったが、さすがの酷使に耐えられず、バッテリー残量は10%を切っていた。あちらの世界ならば、家に帰ればずっと充電しっぱなしだったから気にならなかったものの、たった一日充電できないだけでこれほど消耗するのかと思った。

 魔法の石版。わたしの命綱。

 原子変換だかなんだか知らないが、ほとんど無から朝食を創れる技術力があるなら、ipadを充電するくらい何の苦労もしないだろう。電子を動かす、それはこの宇宙すべてで通用するシンプルな手段だからだ。だからこそ、ビナーが小首を傾げたのには、驚いた。

 「……え、無理なの?」

 「それは『魔法の石版』なのでは?」

 コーヒーのカップを持つ手が止まる。

 「もし、万が一、その『魔法の石版』が電力と論理計算で動いているのならば、この世界に『物語』をもたらすのは、ひかりでなくともいいということになります。それを解析し、我々で使えばいい。我々とはまったく別の『物語』の創作に特化した技術体系の代物であるから、私はそれを『魔法の石版』と呼び、ああ、私の理解の及ばぬ神秘があるのだなと思っていたのですが?」

 「い、いや、そういうことじゃなくて……、これはわたしじゃないとダメなやつだから、ね」

 せっかく見つけたわたしの居場所。わたしが求められる世界。ほんとうはipadに保存されたテキストデータを読み上げているなんてバレたら、ほんとうにわたしは無意味になってしまう。あの世界でも、この世界でも、役立たずだということが証明されてしまう。そんなのは何が何でも否定しなければならない。わたし自身を肯定するためにも。

 「……そうね、冷静に考えてみれば、ビナーの言うとおり。勘違いだったわ。わたしの世界にはそれとよく似た機械があって、それは電力で動いているのよ。それと間違えてしまったのだわ」

 語尾は震えていないだろうか。カップでとりあえず口元を隠す。

 ビナーが少し微笑んだように思えた。

 「ですよね。『魔法の石版』、ですもの」

 朝食と食後のコーヒーを終えて、しばらく自由時間だと言い渡された。王冠のケテルは国民たちに対して、午後から『物語』の時間だと伝えているらしく、それまで寝ててもいいらしい。わたしは電池のマークが赤くなってしまったipadを見つめながら、ため息をついていた。


 ※


 「嘘ばっかり」

 客人のためにこしらえた部屋から、ケテルのもとに帰る途中、私はそう呟いた。あの、慌てふためくような姿とそのあとの言い訳、滑稽だった。注目されたい、自分にしか出来ない、虚栄心。なるほど、たしかにそういった欲望に塗れていれば、あのような虚構の話の文化が花咲くのも頷ける。

 「あんまり『理解の姫君』を舐めないでもらいたいわね」

 警備の衛兵を顔パスし、王ケテルのところに最短距離で進んでいく。彼の命令でもなければ、いくら『理解子シンパシトン』の第一人者とはいえ、あんな野蛮人の世話などするものか。赤いカーペットを踏みながら進んでいくと、豪奢な椅子にケテルがいつものように昼寝をしていた。

 「王、我らが王」

 王冠のケテルはこうなるとしばらく起き出さない。執務はほとんど知恵の従者コクマーが行っているし、これでいいのだ。私としてもばりばり働くようなケテルはあまり見たくはない。顔の表情が緩むのが自分でもわかった。すぴーすぴーという静かな寝息が聴こえる。

 この時間、私とコクマーしかここは入られないから、邪魔はきっと入らない。私は彼を起こさないぎりぎりの距離まで近づいて、まぶたを閉じた。幸せなひととき。誰にも奪わせはしない。彼の耳元に唇を近づける。

 『ひかりはきっともう物語は披露してくれないでしょうね』

 『用済みは多少時空が不安定でも、もとの世界に帰すべきでは』

 『王の暇潰しは私がお相手しますゆえ……』

 「ビナー」

 私の至福のときは、コクマーの一声で打ち崩された。不機嫌さを全面に押し出して振り向くと、外套を纏った少年がそこにいた。手には山ほどの書類を抱えている。

 「何の用?」

 「仕事が溜まっています。特に計画も終盤、君の理解子シンパシトンの力がどうしても必要になってきます。ひかりの『物語』で王の暇は潰せていますが、仕事ができる時間は限られているのですから」

 「あ、そう」

 ため息をつきながら、私はコクマーの書類を受け取った。彼は有能な人材だった。ただ生真面目すぎる。重力子グラヴィトンという非常にシビアなものをコントロールしているのだから、仕方ないとは思うのだけど。彼が物理定数を1%間違えるだけでも、出来上がる世界はカオス論的に大きく食い違ったものとなるのだ。

 たしかに計画の大枠が固まれば、あとはほとんど私の仕事となる。時間はあまり残されてはいない。

 「コクマー、本当にあそこでよかったの?」

 「箱の中の猫が生きているのか、死んでいるのか、『観測する』までわかりませんよ?」

 「それもそうね」

 あまりそのあとのことは考えたくなかったが、非情に時間は進んでいく。たとえ歩いていても、光速で進んでいたとしても、エントロピーが増加する方向にしか時間は進まないし、それを止めることはできない。私にできることは、王に寄り添うこと。それは計画の最終調整よりも大事なことだった。

 私のひとりごとは、コクマーには聞こえていなかったようだ。

 「それにしても、今日もひかりの『物語』が聞けると思うと、熱が入ります。我々にもああいった娯楽が必要だったのかも知れませんね、非常に興味深い」

 「……否定はしない」

 「意外ですね。昨日、あんなに嫌そうな顔をしていたじゃありませんか」

 「それでも、王が喜ぶのなら、良いことだわ」

 あんまり調子に乗らせるわけにもいかないけどね。

 執務はこれからおよそ四時間。お昼休みの宣告が、壁掛け時計からなされるまで。そのころにはケテルも起きだしてご飯を求めてくることだろう。そのあと、城をあげての物語鑑賞会だ。さて、あの客人のための部屋で彼女は、『もとの世界に帰してくれ』って泣き叫んでいるのだろうか。それとも、開き直って嘘だと宣言をする準備をしているのだろうか。

 尻尾を揺らしながら、私は執務室へと向かっていった。


 ※


 友達なんていなかった。

 学校に通っていたのは世間体のためと、休憩時間に読書をするため。楽しかったことなんて片手で数えられるほど。家に帰っても楽しいことはなかった。父親のことはいまでも許せていないし、その割を食らった母は、わたしに時間を費やすほど暇ではなくなってしまった。もとより本を与えればおとなしくひとりで過ごせる『いい子』であったから、いつもひとりで時間を潰していた。

 寂しかった?

 否定はしない。きっとそうだったんだと思う。でも、そう自覚することは許されなかった。わたしがわたしでいちゃいけないようで。それに、クラスの友達と何を話したらいいのかわからなかった。小説投稿SNS『小説家に俺はなる!』の話題は誰もわかってはくれないだろう。小説の感想を書くときのように何度も何度も推敲して意を決して書き込む――といったことが、現実のコミュニケーションではできないのも問題だった。瞬間瞬間で相手の求めてることを理解しなければならない。どう考えても世界の構築段階での欠陥だ、そんなこと、出来るわけない。

 わたしだけ欠陥品なだけかもしれないけれど……。

 そんなわたしだから、ますます小説の世界にのめり込んでいった。毎年毎年電子書籍元年と呼ばれる時代が過ぎ、ようやくわたしもipadを利用できるようになった。もう鞄の中に大量の文庫本を入れなくてもよくなったのだ。この手元の『魔法の石版』の中に無限の書庫があるのだから(もっとも物理的な紙として触れられない欠点もあるのだが)。

 この『魔法の石版』のおかげにより、わたしは交通事故により死んでしまうのだけど、この異世界において『物語』という概念の伝道者として持て囃されることとなった。わたしの人生で、こんなに誰かから必要とされたことはなかった。この二十年足らずの人生でからっからに乾いていた自己実現の器は、もう溢れんばかりに満たされていったのだ。

 でも、この世界にコンセントはない。

 この『魔法の石版』には数え切れないほどの『物語』が保存されている。わたしがすべて考えているのだと『嘘』をついて、このまま持て囃され続けるためには、どうやったって電力が必要なのだ。でも、この世界の少年少女は、わたしの『物語』を待ってくれている。

 いまさら嘘だと正直に告白する……?  

 否だ。それは絶対に否だ。ようやく見つけた『居場所』。これはどうやったって死守しなければならない。わたしが、わたしであるために。ここはわたしの家ではない。ベッドの脇にコンセントはない。どうする、どうする――と悩んでいたわたしは、すごく簡単な事を見過ごしていた。


 ※


 「年貢の納め時ね」

 ケテルから押し付けられた書類の処理に手間取り、執務室を出るのが随分遅れてしまった。時計を見れば、もうお昼過ぎ。王の間では、この街じゅうの人々が集まって、ひかりの物語を楽しみに待っていることだろう。しかし、彼女の電子機器は毎晩のように充電をすることを前提としているようだ。彼女の虚栄心ゆえの不正行為はここに明らかになり、人々は失意の眼差しで彼女を見ることだろう。自業自得の侮蔑と非難。王もこれで気づくことだろう、ひかりはこの世界に不適切な存在なのだと――。

 半ばスキップ気味になりながら、螺旋階段を降り、王の間へと向かう。遠くからでもざわついている声が聞こえてきた。わくわくしながら、扉を開ける。

 「……えっ」

 わたしは目の前に飛び込んできたものをすぐには信じることが出来なかった。集まったこの街の住民たちは一様に一点を見つめ、割れんばかりの拍手をしていたのだ。その視線の中心にいるのは、『魔法の石版』を掲げた物語の巫女。ご満悦な表情で、お辞儀をしているところだった。

 「ふぅ、疲れました! これにてこの物語は終了です。さて、倒されてしまったドラゴンの守る秘宝の行方は? そして母ドラゴンが倒されるところを見てしまった子ドラゴンの想いとは! いくつかの謎を残してこの物語は終わります。第二部は、受験が終わっ――、げふんげふん、みなさんの心のなかに!」

 拍手喝采を受けるひかりを、わたしは呆然と見つめていた。なぜ……。理解子シンパシトンで読み取った彼女の思考では、もうあの石版は機能しないはず。しかし、いま現実に目の前にあるあの石版には煌々と灯りが灯っているではないか。

 王はいままでわたしにも見せたことのないような表情で、ひかりを見つめている。

 「どうして……。あ」

 『魔法の石版』の下部に白いコードが接続されていた。長いそれは脚元に置かれている鞄の中に伸びていた(理解子シンパシトンによると、学校指定の鞄というものらしい)。さらに注意深く猫の瞳で詮索すると、ようやくからくりが見えてきた。

 充電。

 以前読み取ったときには、毎日のように家のコンセントという装置であの機械は充電されているとのことだった。だから、この世界にコンセントなるものを設置しなければ、あの機械は無力化されると思っていた。しかし、彼女は鞄の中に無数の携帯充電器を忍ばせていたのだ。

 ――なぜ、ここに召喚されることを読んでいたというの?

 いや、そんなことはありえない。私たちだって、実際にコクマーの召喚術が成功するまで、誰が呼び出されるかわからなかったのだから。それに彼女の世界はそこまで時空間物理に精通はしていないはず。理屈はわからないが、私の目論見が失敗したことは明らかだった。ひかりは『物語』の巫女としてさらなる信頼を獲得し、王はその物語に心酔している……。あんな笑顔は見たことがなかった。

 ギリっ。

 何の音だろうと思ったその音は、私の歯軋りの音だった。


 ※


 本の虫のわたしは、読書欲が止まらないときにipadの電源が切れると死んでしまうという特殊な病に罹患している。そのため、鞄の中には常に複数の携帯充電器を持ち込んでいるのだった。もちろんもとの世界にいたときから、フル充電されているもの。

 「……危なかったぁ」

 普段はベッド脇の充電で事足りるものだから、ほとんど忘れていたのだった。この世界に呼び出されて二日目。王の間での『物語』をどうにか無事に終えることができたわたしは、ビナーに案内されて自分の部屋へと帰って来た。彼女が部屋を出てから、ようやく緊張の糸が切れ、ベッドの上でだらだらし始めるわたしだった。

 あと少しで正直に告白するところだった。あなたがたが崇めているものは、わたしが得意気に語っているものは、すべて『嘘

』なのだと。わたしは誰かが汗水垂らしてゼロから創りあげた作品を、横から盗んでいるだけなのだと。ただ、この世界にはわたしを糾弾する者がいないから。それに、この世界はわたしのその嘘でさえも『物語』を必要としているような気がするから……。

 「なんて」

 言い訳なのはわかってる。この世界に『物語』が必要なんて、自分を正当化するための方便だってこともわかってる。わたしは、つまり、気持ちが良いんだ。こうしてちやほやされることが何よりも気持よくて堪らない。いままでのわたしの人生が何だったのかって思うほど。たとえそれが嘘で成り立っている虚構のものだとしても、わたしはもうこの快感を忘れられないんだ。

 『嘘をつけばそれを隠すための嘘をつかなければならなくなる』

 嘘がきっかけでわたしたち家族を棄てていった父はそう言っていた。嘘を隠すための嘘。わたしはipadの電源を切り、机の上に置いた。この世界にコンセントはない。残された携帯充電器はあとふたつ。あまり無駄遣いもできない。今日を乗り切ったからといって、わたしが抱えてこんでいる電力は無限ではない――。

 「わけでもない」

 きりきり、きりきり。わたしはベッドで横になりながら今日使った携帯充電器についているハンドルを回していた。本当に緊急用の機能だったが、まさかこんなかたちで役に立つとは。きりきり、きりきり。わたしが抱えている電力は無限。わたしがこの『魔法の石版』に保存している物語は、このペースで披露して行っても余裕で五十年は持つ量だった。

 ずっとここで永遠にちやほやされて生きていこう。いままでつまらない人生を我慢してきたわたしにはその権利があるのだから。きっと神様が与えてくれたご褒美なんだ。

 「ふふふ……」

 こんこん、ドアがノックされて、ビナーが顔を出した。わたしはとっさに手回し式充電器を枕の下に隠して、「どうかしたの?」と声を出した。体調でも悪いのだろうか、黒衣を身にまとったビナーの目の周りは赤く腫れていた。猫耳はへたんと垂れ、尻尾も力なく床についている。血の気を失って白くなった唇が開いた。

 「なんでもありません」

 「そう。ならいいけど……」

 「食事の時間です。王が貴女をもてなしたいと」

 まるで棒読みのような言葉にわたしは若干の違和感を憶えた。部屋を出て、長い長い螺旋階段を降りて行くあいだも、蝋燭のような灯りを手にした彼女は終始無言だった。わたしだってお喋りな方ではなかったけれど、あまりにもその沈黙の重さに耐え切れずに口を開いた。

 「あの、あなたの生まれはここなの?」

 してはいけない質問だったのか、ビナーは不意に立ち止まり、昏い顔でこちらを見上げた。

 「いいえ、私たちは別の世界で生まれ、ある使命のためにこの世界に集まっています。『種を蒔く』ために。コクマーとともにあらゆる可能性の箱を開け、王のための世界を探す――。貴女に言ってもわからないでしょうけど」

 「そ、そうなんだ。すごい」

 ビナーは無言で踵を返し、螺旋階段を降りていく。

 「わ、わたしなんてそんな使命なんて担ったことがないから、すごいなって思う。大した取り柄もないし、何をやっても失敗ばかりで――」

 「『物語』を紡ぐという才能があるじゃないですか」

 ビナーは振り返らずにそう言った。

 「あ、そ、そっか。そうだよね。この世界に来られてよかったと思うよ」

 ギリッ、という何かが擦れるような音が聞こえたが、ビナーは特に反応もなく階段を降りていくばかりだ。きっと気のせいなのだろう。それにビナーはどうも機嫌がよくないようだった。わたしには会話の才能なんてこれっぽっちもないので、下手な地雷を踏む前に、沈黙は金なりと自分に言い聞かせた。

 やがて長い長い螺旋階段の末に、地上階へとたどり着いた。

 「それでは」

 「あれ、ビナーも一緒じゃないの?」

 「王が貴女と二人の食事を望んでおりましたので。私は貴女の部屋の掃除でもしようかと」

 「へ!?」

 別にやましいものがあるわけではないが、わたしより遥かに科学的に先を行っているであろう彼女に、『魔法の石版』や携帯充電器を見られるのは嫌な予感がしていた。

 「べ、別にいいよ」

 「客人はどうか遠慮なさらず」

 「でも……っ!」

 「王、ひかりをお連れしました」

 わたしとの会話を遮るように、王の間の扉をノックする。「それでは、ごゆっくり」と妙な笑顔でビナーはお辞儀をした。わたしは彼女を止めようとしたが、すぐに出てきたコクマーに捕まり、王の間へと招待された。いくらなんでもこれ以上拒むのは、何かやましいものがあると言っているようなものだ。わたしはエロ本をベッドの上に置いたまま登校してしまった男の子のような気持ちで、王ケテルの前で一礼した。

 「ひかり、今日の『物語』も面白かった!」

 「それは光栄にございます」

 「また明日も期待しているよ」

 王冠を被った猫耳の少年が無邪気な笑顔で見上げてくる。案内された食堂には何人ものメイドたちが慌ただしく準備を進めていた。彼女たちもケテルと同じくらいの年齢で、一様に猫耳と尻尾がついていた。「さ、座って座って」と長辺が異様に長いテーブルに着席する。白いテーブルクロス、豪華な燭台、並ぶ明らかに多い料理。どこか漫画か何かで見たような光景だった。

 「ビナーの理解子シンパシトンで、君の世界の食事を用意させた。満足してくれると嬉しいな」

 「はぁ、だからカップヌードルとかどん兵衛が並んでいるわけですか」

 「ボクたちの高度な科学力でも再現はかなり苦労したけどね、はい、ファミチキとかいうやつ」

 「あ、ありがとうございます」

 安い油まで再現しているのか、ひとくち食んだだけで、学校帰りのあのコンビニで食べた味を思い出させた。溢れでた汁で指がべとべとになるのも、そのとおり。こんな豪勢な食事のシーンで、どん兵衛(赤いきつね)を啜っているのはマヌケな話だが、ケテルは悪気なく歓迎してくれているようだった。

 「美味しい?」

 「え、あ、はい」

 「よかった」

 にこにこと無邪気に笑うケテル。

 「本当にひかりが来てくれてから毎日が楽しいよ。こんな娯楽があるなんて知らなかった。それまではあんまり楽しみなことがなかったからねえ。ビナーの話も堅苦しくてつまらないし」

 「ビナーとコクマーはなにか忙しく仕事をしているようですけど、ケテルは忙しくないんですか?」

 「王様だからね」

 えっへんと言わんばかりに胸を張るその姿が可愛らしくて、笑ってしまった。

 「笑ったね。でも本当なんだ。ボクが忙しくなるのは『計画』が発動してから。そりゃもう激務だよ。でもそのかわりいまだけはこうして楽ができるってわけ」

 「なるほど」

 どん兵衛を食べ終えたので、手近にあった芋けんぴをつまんで食べる。フランス料理かっていうほど大きな皿に上品に五本だけ並んでいた。ちなみにケテル君はガリガリ君(コーンポタージュ味)を食べていた。当たっていたら、何処で交換をするのだろう。

 「うん、これ美味しいね。不思議な味だ。さて、本題だけどさ」

 「本題?」

 「うん、王様からのお願い」

 ケテルはガリガリ君の棒を置いて、高貴なナプキンで口元を拭った。猫耳を数度ピクピクさせて、王冠の位置を直す。なんだか改まった様子に、おしゃぶりこんぶを食べていたわたしもついつい居住まいを正してしまう。

 「もっと『物語』を教えて欲しいんだ」

 「そんなことなら明日――」

 「いや、ボクにだけ。もうすぐ『計画』が発動する。そうすれば、もうこんな日々は暮らせない。それまでに出来るだけ多く君の『物語』に触れたい。それはこの任務にも関わることだ。できる限りの文化を持って行きたい。だから、ボクをもっと楽しませて欲しいんだ。どうかな」

 本当なら首を横に振るべきだったのだろう。交渉は食事中にやるのがいいということをケテルが知っていたのか、わたしがショタコン入ってることを知っていたのかは知らないが、自己承認欲をこんなにもくすぐられた上に、そんな可愛い顔で頼まれてしまっては、頷かないわけにはいかなかった。

 「嬉しい。それじゃ、食後、お風呂に入ったら、ボクの寝室に来てよね」

 「へ……、それって」

 頭のなかに、某書院かなにかのロマンス小説を読んだときの記憶が蘇る。『ボクをもっと楽しませて欲しいんだ』という台詞が随分と意味深に聞こえてきた。やばい。これはやばい。ファンタジー世界の王子様と、なんて何度か夢想したことはあるけれど、こんなかたちでリアルになるなんて。『物語に触れたい』ってのも、何か上品な隠喩だったんだろうか。

 顔が真っ赤になったのがわかる。とても食事など喉を通るはずもなく、わたしは「ご、ごちそうさま!」とだけいって席を立った。帰り道はわかっている。とりあえず部屋に戻って――と考えていたところに、「待ってるよ!」とケテルの無邪気な声が背中にかかった。

 ――ああ、もう、ずるい。

 

 ※


 王は、ケテルは、私のすべてだった。

 私の存在意義そのものといっても過言ではない。『理解の姫君』。それは『計画』のためには必要な能力であり、『計画』はすべて王ケテルのためにあるものだった。だから、私は道具。使い捨ててもらって構わない。だけれど、せめて『ここ』にいるときだけは、私のことを見つめていて欲しかった。いずれすぐにその無邪気な瞳は、私よりもっともっと大きなものを見ることになるのだから――。

 ひかりという異物がいた。

 それまでは王の暇潰しは姫たる私の役割だった。私の秘めたる想いに気づかない彼だったけれど、それでよかった。私は私の世界の物理法則や『ここ』がどれほどの科学技術で出来上がっているのか、そしてこれから征くところはどのような法則に縛られているところなのかを彼に教えた。彼はつまらなそうにしていたが、これらはすべて彼に必要な情報なのだ。無意味になるはずはないと、私は続けた。

 『いいよ。ビナーの話はもういい。コクマー、なんかいい暇つぶしはないー?』

 そこからすべてが狂い始めた。呼び出されたひかりが何の話もできないならまだよかった。しかし、『物語』という私たちの世界にはなかったものを持ち込んでしまい、王はそれに心酔してしまった。外来種。その異物は瞬く間にこの『ここ』の乗組員を虜にしていく。王は、もう私を特別とは思ってはくれない。

 「……っ」

 ひかりのベッドの上には、手回しハンドルのついた小型の機械が落ちていた。理解子シンパシトンを通じて説明書きを読むと充電器であることがわかる。私がコンセントなるものを精製しなくても、これでひかりは半永久的にあの石版を動かすことができる。逆に、

 「これさえ壊せば――」

 石版も机の上に置いてあるが、これを壊すのはご法度だ。王が悲しむ。それよりは電力の元を断って、ひかり自ら嘘を暴くように仕向けるのが良い。新しい物語を紡げなくなれば、彼女は終わりだ。何の価値もない。私に『物語』を語ることはできないけれど、少なくとも『物語』を失ったひかりよりは――。

 手のひらにもう少し力を入れるだけで、これは壊れる。が、どこかで迷っている私がいた。

 『わ、わたしなんてそんな使命なんて担ったことがないから、すごいなって思う。大した取り柄もないし、何をやっても失敗ばかりで――』

 ひかりは王と何を話したのだろう。ここに呼ばれたのは偶然とはいえ、自らの武器を自認し、自らを騙り、虚栄の器を満たしながら。虚構を騙る種族とはいえ、少しは良心が痛んだりはしないのだろうか。それとも。ふと、机の上に置かれたノートが気になった。学生鞄の中身を一度ぶちまけたのだろう。他の充電器、リップクリーム、あめ玉の袋に混じって、筆箱とノートが置かれている。

 「これって……」

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