・後編
1972(昭和47)年2月17日、上野駅。
「間もなく電車が発車いたします。ご乗車の方はお急ぎください」
信輔はその言葉に追われるように電車に乗り込むと開いている席を見つけて、持っていた荷物を上の網棚に置き、席に座った。
信輔の右手には袋に収めた神剣が、そして左手には上野駅で買った新聞が握られていた。
ほどなく発車のベルが鳴ると電車が走りだした。
信輔は自分の席の隣に置いた神剣をちらと見ると、新聞を開いた。
そこには
「連合赤軍 永田洋子・森恒夫逮捕」
という記事が書かれていた。
昨日連合赤軍の最高幹部である二人が妙義山中で逮捕された、という内容だった。
信輔はその記事をじっと見ていた。
「…もし、お前が彼らと関係があったとしたら、どうするつもりだったんだ?」
*
話は前日、2月16日にさかのぼる。
信輔が通っている大学の図書館。
ある一つの机の上には様々な本や新聞が乗っており、信輔はそれを片端から読んでいった。
父親からは戦争のことを、祖母からは関東大震災や二・二六事件のことは聞いていて入るのだが、それ以前、幕末のころや日露戦争前後に関しては、一応知識は人並みには持っている、と思っているが、それでもわからないことが多いのだった。
しかし、こういった歴史の本などに書かれていることは信輔が知っている以上のことは書かれてはいなかった。
信輔の家はこれまでも人に知られずに「あの男」と戦っているのだから仕方がないといえば仕方がないのだが。
今度は新聞を開いてみた。
さすがに札幌オリンピック前後のころは新聞もそちらの方の話題ばかりだったが、昨年あたりからは日本赤軍やその関係者と思える犯罪が多く報道されていた。
記事を丹念に追っていくうちに信輔は不思議なことに気がついた。
運動家が何者かによって殺害される、という事件が明るみになったのはここ最近のことであり、しかもいずれも容疑者の手掛かりは残っていない、ということだった。
しかし、もしこれが「あの男」の起こしたことだとしたら一応は納得がいく。
「だとしたら何でヤツは次々と運動家を血祭りにあげてるんだ…」
「あの男」は2年前に三島由紀夫たち「楯の会」と接触を図った、という。しかし三島のそれは紛れもない自殺だ。
その後、「あの男」は今度は日本赤軍と接触を図っているのではないか、と父親の義明は言っている。しかし、いくら信輔がノンポリ学生とはいえ三島たちの思想と日本赤軍の思想が全く相いれないものくらいはわかっている。
それなのになぜ「あの男」は会えて接触を試みたのだろうか?
「…ヤツは日本を混乱に陥れようと考えていて、これまでにも幕末、日露戦争直後、関東大震災直後、終戦間際の日本に現れている。それまでにもフランス革命の時のフランスややナチスドイツにも現れていたという噂もあるしな…」
と、その時だった。
「どうした、防人、珍しいな。お前が考え込んじまうなんて」
大学の同級生が話しかけてきた。
「いや、何でもねえよ」
「そうか、それならいいけどよ。それにしても最近またこの辺もうるさくなってきたな」
「どうかしたのか?」
「昨日警察がウチの大学の連中の下宿を家宅捜索したらしい」
「家宅捜索?」
「なんでも連合赤軍と関係があるんじゃないか、ってヤツがいてさ。そいつが取り調べを受けたらしいんだ。実際には何の関係もないことがわかったらしいんだけどな。まったく。学生運動やってる連中の中には連合赤軍のやり方に否定的な奴もいるってのにさ」
「あ、そうか、ノンポリのお前に行ってもこんなこと言っても仕方がないか。…ったく、本当にとんだ迷惑だよな」
「とんだ迷惑ね…」
と、その時だった。
「待てよ…。もしアイツにとって連中が『迷惑な存在』だとしたら…。だとしたらヤツの目的は…」
ふいに信輔が立ちあがった。
「おい、防人、どうした」
「あ、ごめん。今日、あとの授業休むわ。よろしくな」
次の瞬間、信輔の肚は決まっていた。
*
「…というわけで親父、オレは長野に行ってこようかと思ってるんだ」
大学から帰って来た信輔は父親の義明にそう言った。
「長野に、だって?」
「ああ、どうもオレの考えているものの答えは長野にありそうな気がしてな」
「答えだって?」
「ああ、ヤツがなんで運動家を次々と殺害しているのかの理由がわかりかけてきてるんだ。そしてだんだんと長野に向かっている、ということもな」
「…大丈夫なのか? 長野には日本赤軍の連中もいるかもしれ人だぞ」
「大丈夫だよ、心配しなくていいさ。大体連中がオレみたいなノンポリ学生を相手にすると思うか?」
「そりゃそうだが…」
「それに、オレには親父がくれたアレがあるからな。いよいよ使うときが来たということだ」
「…わかった。そこまで言うのならな。でも、気をつけろよ」
「わかってるって」
こうして信輔は今、長野に向かう電車の中にいる、というわけである。
*
「…永田洋子と森恒夫が昨日逮捕されたという情報はおそらく日本赤軍の連中もヤツも知っているはずだ。だとしたらヤツはどこで赤軍派の連中と接触しようとしてるんだ?」
そんなことを考えていると、
「ご乗車の皆様、間もなく高崎に到着いたします。信越本線をご利用の方はお乗換えです」
社内のアナウンスが聞こえ、信輔は乗り換えの準備を始めた。
高崎から信越本線に乗り換え、軽井沢で電車を降りた。
軽井沢といえば別荘地が有名だが、さすがに2月となると人影もまばらである。
おまけに数日前に雪でも降ったか、道路のあちこちに雪が残っていた。
そんな風景を信輔が眺めていると、
「ちょっと失礼します」
一人の警察官が話しかけてきた。
「…どうかしましたか?」
「何か、身分を証明するものをお持ちでしょうか?」
信輔は一応のために、ということで持っていた学生証を見せる。
「ああ、東京の学生さんですか」
「いったい何があったんですか?」
「いえ、実は昨夜、この近くで殺人があったもので」
「なんですって?」
「それで目撃者を捜しているのですが、なかなか見つからないんで」
「その、殺された人物って何者なんですか?」
「いえ、詳しい情報がないのでわからない野ですが、近所の人の話だと何科学生運動にも参加していた、という話なんですよ」
(…もしかして…)
信輔の脳裏に一つの考えが浮かんだ。
「どうかしましたか?」
「あ、い、いえ。…そうだ、こうしちゃいられない。友達が待ってるんだ」
そう言うと信輔はその場を立ち去った。
*
2月18日。
信輔は旅館の玄関に置いてあった新聞を借りるとそれを広げた。
小さいながらも昨日の軽井沢駅の前で聞いた殺人のことが乗っていた。
さすがにこれまでの東京や群馬で起きた事件と関連があるのかどうかといったところまでは書いてはいないが、信輔は関連があるのではないか、と確信していた。
そう、なぜならば犯人は「あの男」意外に考えられないからだ。
そして今、連合赤軍は長野近辺にいる、という噂がある。もしヤツが彼らを狙うとしたら…
「…やっぱり、ヤツはこの辺にいると考えて間違いがないのかもしれないな…」
*
そしてその夜のことだった。
信輔は旅館の玄関から外に出ようとした。
「…お客さん、どこ行くんですか?」
旅館の女将が信輔に聞いた。
「あ、すぐ戻りますよ」
「そう。でもあまり出歩かないほうがいいですよ」
「何でですか?」
「いや、この辺にもなんか変な人たちがうろついているって言うからねえ」
「もしかして運動家とか?」
「そこまではわからないけど…」
「大丈夫ですよ」
それでも心配そうな女将に対してそう言うと信輔は外に出た。
そして旅館から少し離れたところまで歩くと、例の神剣を取りだした。
「…これだけは見つけられるわけにはいかないからな」
*
信輔は夜の軽井沢の街を歩いていた。
「…さすがこの辺は明るいから連中だって歩きづらいだろうな」
普通に考えたら真っ昼間に武器やらなんやらを持って歩き回っていたら誰だって怪しいと思うはずである。
おそらく彼らが活動するとしたら夜だろう。そしてヤツが動き出すのも…
これまでの運動家が殺害された、という事件も決まって夜に起こっている。そのことから考えてもヤツは夜に行動をしているはずだ。そして今長野に連合赤軍のメンバーがいるという噂も…
そんなことを考えていた時、信輔はある人物とすれ違った。
「…?」
なぜかはわからない。自分の体を流れている防人の血が教えた、としか言いようがない。
信輔は後ろを振り向く。いま、自分とすれ違った人物がその先にいた。
次の瞬間、
「待て、阿那冥土!」
信輔は叫んでいた。
次の瞬間、その男が立ち止った。
「…誰だ、私の名を呼ぶのは?」
その男が振り返った。
もちろん信輔は阿那冥土を直接見るのは初めてだったが、なぜか前から知っていたような気がした。
「防人…信輔」
信輔が名乗ると、
「防人? まさか、お前は…」
「ああ。先祖が新選組隊士でお前と戦ったやつの子孫だよ」
「そうか…」
「この前に現れたのは戦争が終わろうとしていた時、そしてその前は関東大震災直後。そして今は連合赤軍が次々とテロを起こして日本が混乱している。必ずお前は日本が混乱しているときに出現している。しかし、お前にとっては日本赤軍の連中は邪魔な存在でしかない。そうだろう?」
「それが?」
「もう一つ日本を混乱に陥れようとしている存在があったら、お前にとってやり辛いからな。それでお前は次々と連中と関係のある運動家を殺害していった。違うか? そして今お前が長野にいるのもそのためだ」
「そのためだと?」
「…お前の目的は今ここに逃げ込んだという噂がある残りの連中と接触して始末しようとしていることだ。違うか?」
「…だとしたら、どうするつもりだ?」
「オレは日本赤軍の考え方なんかに興味はねえ。でもな、日本を混乱させようと考えているお前の思い通りにはさせねえよ。それが、防人の血を継いだものの宿命なんだからな」
そして信輔は神剣を構えた。
それを見て阿那冥土も構える。
「行くぞ!」
そう叫ぶと信輔は駆け出し、神剣を振り下ろすと、阿那冥土はその神剣をかわした。
信輔は神剣を次々と繰り出す。
しかし阿那冥土も信輔の剣を紙一重でかわしていく。
「…なかなかの腕前だな。さすがに防人の名を継いでいるものだけはある」
「お前からそんな言葉が出るとはな。さすがに親父や祖母さんたちが闘ってきただけのことはある」
そして信輔は大上段に構えた神剣を振り下ろした。
しかし、阿那冥土はそれを神剣白刃取りで受け止める。
「なに!」
そして神剣ごと信輔を脇へと投げ飛ばした。
体を打った信輔がよろよろと立ち上がった。
「どうした? お前の力はその程度か?」
そう言うと阿那冥土は信輔に向かって手刀を振り下ろした。
信輔はすんでのところでかわすが、軽く肩にその手刀が当たった。
「…なに!」
軽く当たった程度だというのに衝撃を感じる信輔。
「…もし、これがまともに体にあたっていたら…」
阿那冥土の持っている底知れぬ力を信輔は感じた。
「よくかわしたな。だが、次はこうはいかんぞ」
阿那冥土が信輔に迫ってくる。
信輔はその攻撃をかわすのが精いっぱいだった。
その時、信輔の視界に先ほど投げ飛ばされた神剣が入った。
(…よし!)
阿那冥土が手刀を振り下ろす。
その瞬間、信輔は横に跳ぶと落ちていた神剣を拾う。そして、
「せいやっ!」
そう叫ぶと、阿那冥土の脇腹に向かって神剣を突き刺した。
「…やった!」
信輔はそう思った。
しかし、阿那冥土は軽くよろめいただけで脇腹を抑えてその場に立っていた。
「まさか、致命傷を与えたはずだ」
それを見て信輔は一瞬たじろいだ。
「…ふっ、この程度では私に傷を与えることができても殺すことなどできん。しかし、今のは効いたぞ、ほめてやろう」
そう言うと阿那冥土は脇腹に突き刺さった神剣を抜くとその場に投げ捨てた。
そして信輔に背中を向けると一目散に走りだした。
「…待て!」
信輔は慌てて神剣を拾うと後を追うが、すでに姿は消えていた。
「野郎、いったいどこへ消えたんだ」
信輔はあたりを見回すと、自分の右手にある神剣をじっと見る。
その刃先についている赤い血が確かに手ごたえがあったことを意味していた。
「…なぜだ。致命傷を与えたはずだったのに、ヤツはなんであれだけの傷で済んだんだ…。もしかしたらやつが100年以上も姿形を替えない、というのもその辺に秘密がある、というのか…」
*
2月19日。
東京へ帰ろうと軽井沢駅にやってきた信輔は何やら駅前の雰囲気がざわついているのに気が付いた。
「…どうしたんですか?」
信輔が近くの人に聞く。
「なんか連合赤軍のメンバーが捕まったらしいんですよ」
「へー、そうなんですか」
「へー、って…。学生さん、なんとも思わないのかい?」
「だってオレ、学生運動とかそういったのに興味ないですから」
信輔はいつも通りのノンポリ学生に戻っていたようだ。
信輔はやってきた電車に乗ると東京へと戻っていく。
しかし、それと同じころ、残った5人のメンバーが軽井沢で警官隊との銃撃戦の末、数百メートル離れた「あさま山荘」に逃げ込み、10日間に及ぶ籠城戦を行うことになるとはだれもまだ知らなかった。
(エピローグに続く)
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