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・プロローグ

♪ぼくらは書く いのちのかぎり いま太陽の真下に

 生まれ変わるサッポロの地に きみの名を書く オリンピックと

 生まれ変わるサッポロの地に きみの名を書く オリンピックと

    *

 1972(昭和47)年2月3日、北海道札幌市。

 この日、アジアで初めてとなる第11回冬季オリンピック札幌大会の開会式が行われていた。

 1945年の終戦から27年。奇跡とも思える復興を成し遂げた日本。

 東京オリンピックから8年、大阪万国博から2年という月日が過ぎ、今や日本は先進国の仲間入りを果たし、一見平和に思える日々が過ぎて行った。

    *

 東京のある喫茶店。

 大学生とも思える一団がその喫茶店のテーブルに座っていて、その札幌オリンピックの開会式をテレビで見ていた。

「しかしまあ、東京オリンピックをやったと思ったら、万博をやって今度は札幌オリンピックか。こんなにつづけさまにイベントが続くとはねえ」

「でもまあ、よく戦争から30年足らずでよくこれだけ立ち直ったな」

「ホントホント。日本は平和になったよね」


 と、その時、それまで黙っていた男が、

「いや、そうとも言い切れねえだろ」

「…どうしたんだ、防人?」

「いや、確かにオリンピックや万博を開催できるくらい日本が平和になったのは認めるよ。でもこうやっている間にも山狩りは続いているんだからな」

「…まあ、確かにそうだな。いったい連中はどこに潜んでいるんだろうな」

     *

 この年、1972年という年は1960年代から続いていた「学生運動」は徐々に下火になってきていたとはいえ、まだあちこちで武力によって日本の革命を狙う所謂「過激派」の手口と思われるテロ事件が日本のあちこちで起こっていた。

 前年、1971(昭和46)年7月、テロリスト集団の「赤軍派」と「京浜安保共闘」が合同で「連合赤軍」を結成。以来、彼らの仕業と思われる銀行や交番を襲撃する、という事件が起こっていた。

 そんな彼らが12月に山梨県で合同訓練を実施する、という情報をつかんだ警察側は大規模な山狩りを観光し、年明けにはアジトの一部を発見し、今もメンバーを探すための山狩りを続けていたのだった。

 しかし、彼らは警察の追跡をかわしつつ、こうして年を越した今も山狩りは続いていたのである。


 防人信輔もそんな中で日々を送っている大学生だった。

 大学2年生の20歳、そろそろ3年への進級を控えているこの時期だが、信輔の通っている大学も授業そっちのけで学生運動を行っている学生もいた。

 とはいえ、信輔は所謂政治問題などに全くと言っていいほど興味を持っていない「ノンポリ学生」であり、学生運動に全く参加せず、こうして毎日を過ごしている学生だったのだ。


「…そういえば防人、知ってるか?」

「何を?」

「昨日、また運動家が殺られたらしいな」

「…なんだって? またか?」

「ああ。今度は熊谷で死体が発見されたらしい」

「…まったく、妙なことが続くなあ」

    *

 今から1か月ほど前、年が明けて間もなくのころ、東京は北区赤羽のあるアパートで一人の連合赤軍と関係があると思われる運動家の遺体が発見された。

 現場の様子などからその運動家が何者かによって殺害された、と判断した警察は捜査を始めたのだが、全くと言っていいほど犯人の手掛かりをつかめないうちに今度は埼玉県の浦和市である運動家が殺害されたのだった。

 そしてその次には大宮市で、先週は上尾市で、と次々と運動家が何者によって殺害されていたのだった。


「…それにしても、手がかりを全く残さない、ってどういうことなんだろうな?」

「…そういうお前は誰がやったと思っているんだ?」

 信輔が向かいの席に座っている男に聞いた。

「うーん。やっぱり対立している組織の誰かがやったんじゃないかな、と思うんだけどなあ。…ほら、ここのところ同じ運動家なのに対立が激しくなってきているからな。いくらお前がノンポリだからってそれ位のことは知っているだろう?」

 1960年代にはじまった学生運動もこのころになると運動方針を巡って組織と組織の間で対立が起こっており、対立する組織同士での乱闘騒ぎが世間をにぎわせており、次第に世間からも白い目で見られるようになっていたのだった。

「…でもだとしたら、証拠の一つや二つは残しているだろうし、こう立て続けに事件なんか起こさないだろう」

「…なんだ防人、お前は誰か別に犯人がいるんじゃないか、と思ってるのか?」

「いや、そういうわけでもないけどな。…おっと、聖火入場だぜ」

 ちょうどその時テレビでは、アテネから運ばれてきたオリンピックの聖火が真駒内の開会式場に運ばれてきたところだった。

    *

 2月7日。

 その日の朝、信輔は新聞を広げた。

「…へえ、『日の丸飛行隊、表彰台独占』ねえ」

 この日の前日、すなわち2月6日に行われた札幌五輪の70m級ジャンプ(今でいうノーマルヒル)で笠谷幸生が冬季初となる金メダルを獲得したのをはじめ、金野昭次が銀、青地清二が銅メダル、と日本勢がメダルを独占した、という記事が大きく掲載されていた。

 そして冬季大会では金メダルを獲得したのはこれが初めて、ということも。

「…まあ、開催国だもんな。1個くらいは金メダル取らなきゃ…」

 そして社会面を開いた時だった。

「…?」

 信輔の目がある記事で止まった。

「また運動家殺害」という記事が片隅に乗っていたのだ。

 記事によると今度は群馬県の前橋市で運動家が何者かによって殺害されたそうである。その人物は連合赤軍と関係があるとみて警察がマークしていた人物らしい。

 警察は当初は対立している組織の人物が犯行にかかわっているとみていたようだが、何やら言い争う音などは全く聞こえなかった、という証言があったということから顔見知りの犯行とみて捜査を始めたらしい。


 信輔はその記事をしばらく眺めていた。そして、

「…本当に顔見知りの犯行なのか…?」

 なぜかわからなかった。

 信輔はその事件がただの殺人事件とは思えなかったのだ。

 なぜだかはわからない。あえて言うとすれば防人家の100年以上に及ぶ「あの戦い」の中でその血を受け継いだ者の「勘」とでもいおうか。


 そしてこの社会面の片隅に掲載された「事件」こそ、信輔の3週間に及ぶ「戦い」の幕開けだったのだ。


(前編に続く)


※「虹と雪のバラード」…作詞/河邨文一郎、作曲/村井邦彦

(作者より)この作品に対する感想等がありましたら「ともゆきのホームページ」BBS(http://www5e.biglobe.ne.jp/~t-azuma/bbs-chui.htm)の方にお願いします。

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