二章 (5/5)
「La-Lune」駅前のファッションモールの裏路地、そこに小さな看板を構えて佇む洒落た喫茶店だ。
「でね、そこでやっとさやかちゃんも気づいたんだあー」
「へえー、そりゃ災難だったな」
「でしょっ」
スプーンで器用にカプチーノの泡を口に運ぶ。…。流れる沈黙に、単調なクラシックが間を繋げる。ゆっくりと店内を見渡した。人はそこまで多くないが、共通点はある。どの客も男女一ペアで来店しているのだ。
来店条件はただ一つ、「カップルで来る」ということだ。静かな店内に、初老の店員がカウンター席で新聞をめくる音が時折響く。
「あ…。そういえば、キョンちゃんさ」
アリスは思い出したように顔を上げる。
「恋してるでしょ」
「えっ」
アリスの不意討ちに、つい動揺した声を上げてしまった。
「やっぱりしてるんだあー」
「してないよ」
「嘘だ。キョンちゃんが嘘ついたら、私、すぐ分かるもん」
アリスは真剣な眼差しで、じっと俺を見つめる。ブラケットライトから滲み出る淡いライトブラウンの光を、アリスの透き通った瞳が反射し、俺は思わず目を逸らす。
「ほらねー」
そう言って、アリスは勝ち誇った笑みを浮かべる。俺は苦笑しながら再度、「してないよ」と呟いた。
「当ててあげよっか」
アリスは両手に持ったカプチーノのカップをテーブルに置いて、手を交差する。
「その子は、あなたと同じ学校の生徒です」
俺は苦笑してうつむく。
「その子は、次の十人の中にいます」
アリスは目線を左上へと向け、小首を傾げる。次々と挙げられていく名前のほとんどは、面識がなかった。
「それと…」九人目まで言い終えて、右上に視線をずらす。不意に俺に向き直り、真剣な表情に戻る。十人目は…
「…宮木優子」
俺の瞳を真剣な顔で見つめながら、アリスはそっと呟いた。俺は長いまつげに囲まれた、アリスの綺麗な瞳を真っ直ぐ見返す。引き込まれるような、深い漆黒の瞳が見つめている。
ほんの一瞬だった。やがてアリスの真剣な表情は微笑へと変わり、そしてゆっくりと息を吐いた。
「やっぱりね」
「違うよ」
「そうだよ」
「違うって」
「ううん、キョンちゃんの嘘はいっつも簡単」
アリスはうつむいて首をふり、そして顔をあげて微笑む。俺も微笑み返した。クラシックの一曲が終わり、新聞をめくる音だけが、静寂の店内に響く。
玄関口に自転車を止め、インターホンの横にあるレンズを覗き込む。数秒の後にカチャリと音を立ててドアの鍵が開いた。
革靴を脱ぎながら「ただいまー」とリビングに発する。母親の「おかえりー」という声が帰ってきた。
「今日も遅帰りかね、少年」
ソファーに寝転がったままの姉がニヤリと笑った。「買い物行ってただけ」と返して、苺タルトの入った紙袋を投げ渡す。姉は「サンキュー」と言いながらキャッチした。
「今日の晩飯、何ー?」
キッチンにいるはずの母親に尋ねると、唐揚げという答えが返ってきた。時刻は夕方の6時半を回ったところだ。
「唐揚げかー、ラッキー」
とはしゃぐ姉を横目に、俺は自室に向かった。
「にしても高いの買ったなー」
京介の姉、百合は紙袋の中に入っていたベストの背についたバーコードシールを剥がして顔に近づける…「19800円」。百合は「タルトタルト…」と呟きながら、シールを小さく丸めてゴミ箱に捨てた。