メルヒュン その1
壁に据付けられた本棚に収まりきらなかった本が部屋の四方に積み上げられた、見慣れた小部屋。小さな出窓の外は橙色の空が広がり、夕刻を告げる鐘の音にせかされ家路へと駆ける子供達の声が聞こえてくるようでした。
「あぁ~~~。疲れたぁ~」
しかし、そんな夕暮れ時の麗らかな風景も、今のメメリはお構いなしで、へなへなとイスに座って背もたれに身を預けます。今こうして手元に先ほど手に入れた杖が残っていなければ、まるで白昼夢だったのでは疑ってしまいそうな出来事と、やっと元の場所に戻ってこれた安堵感で、メメリはどっと疲れてしまっている様でした。
…それでも一応注意だけはしておこう、とルーティリアは口を開きます。
「今回は私がここに落ちていた光の粉を見つけて、助けに行く事が出来たからいいけれど、もう絶対あんな危険な『メルヒェン』を開いたりしたらダメよ! わかった?」
腰に手を当て、厳しい口調のルーティリア。しかし反面、その表情はどこか楽しそうです。
「はい…。
でも先生、あれは一体なんだったの??」
怒られて少ししょげながらも、メメリは先ほどまでの出来事が上手く理解できていませんでした。同じ目にはもう遭いたいとも思いませんが、どうやったら遭わずに済むのかもよくわかりません。
「そうね…。まだメメリにはちゃんと説明していなかったわね。
貴女も私の弟子、呪術師の片隅…端くれみたいなものなんだし、ちゃんと知っておく必要があるかもね」
そう言ってルーティリアは、書架から数冊の本を抜き取り机に並べていきます。そして、メメリを手招きし、話し始めました。
「今はもうほとんどいなくなってしまったけれど、昔は街や村に1人は必ず、呪術師がいたの。善い呪術も悪い呪術もごくごく当たり前にあって、困った事を解決したり、時には戦いの道具としても使われたりしたわ。
この街にも、しばらく呪術師がいなくて、それで私が呼ばれたのよ」
興味深げに身を乗り出してルーティリアの話に耳を傾けるメメリ。今まで弟子と言っても、お使いや部屋の片付けを手伝う程度で、ルーティリアが自ら呪術について話してくれた事は初めてでした。
「昔は、病気を治したり、雨を降らせたりする事も呪術師のお仕事だったけれど、今はそれはお医者さんや他の職業が代わりにこなせる様になって、私達呪術師の仕事はほとんど無いわ。
でも、1つだけ呪術師にしか出来ない事があるの。…それがこれ」
そこで話を区切り、ルーティリアは机の上に並べられた本を指差しました。
その指さす先には、よく知った童話が3冊。
「…先生。もしかしてこれも、さっきのと同じ…?」
言葉少なながらも何かを感じ取ったメメリの表情を見て、満足げに頷くルーティリア。さらに話を続けます。
「そうよ。さっきメメリが開いた<ルンペルシュティルツヒェン>と同じ、魔法の力を持ったメルヒェンよ。
呪術の才能を持った作者によって書かれた童話達。それを安全に管理する事が、今の私達呪術師の仕事なの」
机の上に並べられた本を見つめ、メメリは息を呑みます。とても怖い思いをしたその筈なのに、大好きな童話達の世界に入れるという夢のような出来事が、とてもとても魅力に感じてしまうのです。
「…この仕事、メメリに手伝ってもらってもいいかしら?」
そんなメメリの胸のうちに気づいていた様で、ルーティリアのその一言でメメリは花が咲いた様な笑顔になりました。
「ほんと? ほんとに私も手伝っていいの!?」
「いいわよ」と言いながら、念を押すように聞き返すメメリの頭を優しく撫でるルーティリア。
「わーい! これで、私も立派な呪術師ね!」
仕事を任され、なんだか大人になった様な気分です。舞い上がるメメリを嗜めるように、ルーティリアは続けます。
「…でもまだ、さっきの<ルンペルシュティルツヒェン>みたいな危険なメルヒュンはダメよ。あんな本、一体どこで手に入れたの?」
「ぇ? ルンペルシュ…、ペルティルの本は先生の本じゃ…」
と、メメルが言いかけたその時です!
胸元に抱き締めて持ち帰った杖が、淡く光を放つと…、その中から小さな影が現れたのです!
「ぁ~~。やっと出られた」
気の抜けた声とため息、しかしその姿は先ほどの…。
「あ、貴方はルンペルシュティルツヒェン!!」
びっくりするメメリと、身構えるルーティリア。光の中から現れたのは、紛れも無く先ほど倒した筈の物の怪、ルンペルシュティルツヒェンだったのです!
「あっと、何構えてるんだい?
ボクだって好きで出てきたわけじゃないよ…」
しかし、何やら様子が変です。ルンペルシュティルツヒェンはふわふわと浮かびながら、溜息混じりに「やれやれ」とまるで肩を竦ませるような動作をしています。
「…君、もしかして自分が何したかわかってないの?」
一旦びっくりしてから杖を構えて固まったままのメメリを指し、ルンペルシュティルツヒェンは呆れ顔で見つめます。
「…ぇ? あたし?」
先刻までとの明らかなテンションのギャップに、メメリも肩の力が抜けてしまいます。しかし、そう言われても思い当たる節もありません。
「メメリ…、気をつけなさいね」
一応は臨戦態勢を崩さないルーティリアですが、内心相手のやる気の無さに既に拍子抜けしてしまっていました。
「……ぁ~。もしかしてわかってないの?
はぁ~、そんな奴とボクが契約だなんて…やってらんないなぁ~」
そう1人呟き、落ち込むルンペルシュティルツヒェン。もうそこに先ほどまでの威圧感や恐怖感は微塵もありません。
「…契約って、どういう事? 私、貴方に何かしたかしら?」
おずおずと、脱力する物の怪に問いかけるメメリ。もはや哀愁さえ漂うルンペルシュティルツヒェンは、そんなメメリの顔を見てまた大きなため息をつきました。
「はぁ~。ボクら“ルンペルシュティルツヒェン”は、自分の名前を言い当てられる事が弱点なんだ。
それを君が勝手に名前をつけて、しかも触媒まで投げるから、ボクと君の間で契約が成立しちゃったの。わかんないでやるの止めてよね、もぉ…」
説明と言うよりほとんど愚痴に近い説明ですが、ルーティリアには通じたようです。
「ま、まさか貴方、その杖の精霊なの…?」
成り行きを見守っていたルーティリアの問いかけに、ルンペルシュティルツヒェンはだるそうに首を縦に振るだけで答えます。
「え?え? どういう事?
この杖は、ペルティルのものなの?」
事態が飲み込めず、一人困惑顔のメメリ。当のペルティルは最早説明する気力も残っていない様で、黙って中空に浮いたままです。
「えぇとね、メメリ…」
もう喋る気力も残っていなさそうなペルティルに代わり、ルーティリアはメメリにも解かる様に説明してあげました。
「貴女がこのルンペルシュティルツヒェンに名前をつけて契約してしまって…、とにかくペルティルがメメリの仲間になったって事ね。よかったわね☆」
「え! すごい!
私はメメリよ。よろしくね、ペルティル♪」
説明を途中で放棄し、抜群の笑顔で誤魔化すルーティリア。そして、そうとは知らずに手放しで喜ぶ自分の契約者・メメリの姿を見て、また大きな溜息の漏れるペルティルでした。
・・・。
「ごほん…。とにかく、メメリも今日から立派な呪術師を目指して頑張りなさい」
場の空気を換える為、わざとらしく咳払いを1つすると、ルーティリアは少し胸を逸らせて師匠モードに切り替えます。
「術を覚えたりする事も勿論大切だけど、一番大切な事は、困っている誰かを助けてあげる事。いいわね?」
「はい!」
師匠の思いに応える為に、メメリも杖を抱きしめて元気に返事を返しました。
「それじゃ、もう遅いから今日は帰りなさい。・・・私も疲れたし。
ぁ、それと…」
「え? ルーテ先生どうしたの?」
不自然に言葉を詰まらせたルーティリアをメメリが不思議そうに見つめています。しかし、メメリのそんな視線も構う事なく、ルーティリアの視線はメメリの背後をぷかぷか浮いたままでいるペルティルに固定されたままでした。
「…メメリ、後ろの“それ”は出したままで行くの?」
なんだかんだあって、もう既にペルティルの姿は見慣れてしまった2人ですが、流石にこれを街のみんなに見せるわけにはいきません。
「ぁ…。ペルティル、貴方杖の中に戻れるの?」
ルーティリアの視線の意味に気づき、メメリはペルティルに訊ねてみました。メメリの中には、ルーティリアに杖ごと預かって貰うなんて発想は勿論無く、ルーティリアに止められなければそのまま杖ごと連れて帰るところでした。
「ぁ~。それは契約者の君がそうすればいいんじゃないかな?
…別にボクは、呼ばれたから出たわけなんだし」
ペルティルの不貞腐れた様な返答に納得したメメリは、早速「ペルティル、戻って!」と杖をかざします。するとどうでしょう、いとも簡単にペルティルは輝石に吸い込まれてしまいました。
「なるほどね。これなら大丈夫だわ」
うんうんと1人ご満悦のメメリ。憧れたルーティリアと肩を並べられた様で、小さな出来事1つ1つが朝露の様に新鮮で輝いています。ルーティリアはそんなまだまだ危なっかしい愛弟子の様子を、ハラハラしながらも優しげな眼差しで見つめているのでした。
「さぁ、早く帰らないとメメリのお姉さんも心配するわ。
…それと、精霊は契約したメメリ本人以外にも、ある程度の魔力を持っている相手には視えるはずだから、気をつけてね」
「はい! それじゃ先生、また明日来るね!」
そう元気に返事をして帰っていくメメリ。大事そうに腕に抱えた杖はまだメメリには大きい様ですが、いつかその杖を自在に操る日が来るのかと思うと、ルーティリアの頬も緩んでしまうのでした。
しばらくして、出窓からは家路へと向かい歩いていく、小さなメメリの後姿が見えます。夕暮れの色に染まる白亜の街並みと、遥か遠くの海の上に早くもその姿を現した三日月を眺めながら、ブルゲリーアの呪術師・ルーティリアの1日は終わるのでした。