桃葉と犬飼。それぞれの才能と勇気
合宿4日目。この日は朝から大雨で外での練習ができなかった。室内のトレーニング室で各自、補強トレーニングやフィットネスバイクを漕いだり、ランニングマシンで走ったりしている。
やれる練習も少なく、各自が自由行動で、夏休みの宿題をやっていたり、談笑していたり、昼寝をしたりと各々の時間を過ごしている。
昨日の夜の騒動から犬飼はいつもの騒がしさが影を潜めて、無の表情をしている。駿と鷹斗は声をかけるも心ここに在らずという返事ばかりだ。
桃葉は興奮して昨日は眠れず、目の下にクマがてきていた。だが、駿を見るなり、元気になり、おはようと声ををかけ、駿からもおはようと返される。当たり前の挨拶でも周りがどよめいている。
凛(中身は陸)は午前中の補強トレーニングが長くなり、遅めの昼食となった。同じく、鷹斗もトレーニングで遅くなっており、美月は片付けや明日の準備に追われていたため、遅めの昼食になり、意外な3人で食事をしていた。
鷹斗「美月さんに聞きたいことがあったんですが、駿さんって元々、子どものころから速かったんですか?」
美月「そうだね。小学生の頃から走りで負けたのを見たことが無いくらい速かったかな。中学生になってからは大会とか見たことが無かったから、この合宿で久しぶりに速いところを見れたから良かった」
凛(中身は陸)「(そうだったんだ……速い人は子どもの頃から速いんだなぁ)」
鷹斗「駿さんはやっぱり凄いな!でも何で美月さんは中学生になってからは見てないんですか?」
凛(中身は陸)「(鷹斗くんは聞きにくいことも何でも聞くなぁ。でもお陰で色んなこと知れるチャンスかも)」
美月「実は……駿が中学1年生の頃に私が大会に応援に行ってもいい?って聞いたら、断られて……あんまり来てほしくなかいのかなって思って……それからは応援のことを言い出せなくなって一度も行ってないの」
鷹斗「そうだったんすね。駿さん、どうしてそんなこと言っちゃったんだろ」
凛(中身は陸)「まだ、一年生だったのもあって負けるとこを見せたくなかったのかもね」
美月「それもあるかもしれないけど、私のことをあんまり好きじゃないのかなって……そう感じているの……みんなは何となく気付いてると思うけど、私は駿の本当の母では無いから、お母さんとは呼ばずに『美月さん』と呼んでいて、どこか距離を置かれてるの」
鷹斗「駿さんも完璧人間に見えて、人知れず何か抱えてるんすね」
凛(中身は陸)「(家の中のぎこちない雰囲気はそういうことだったんだ……)」
美月「けど、駿はみんなと楽しそうに走ってるから安心したの。それに可愛い彼女もできて幸せそうだし、私はそれが見れただけで十分」
美月は食べ終えた食器を運びながら去っていった。
凛(中身は陸)「鷹斗くん……ありがとう」
鷹斗「俺、何かしました?」
凛(中身は陸)はいつも近くにいながらも知らないことを知れて鷹斗に感謝していた。それと同時に美月の悩みを解決できないか頭の中身で模索していた。
休息の4日目が終わり、5日目。前日の大雨が嘘のような快晴。雨上がりの湿気と暑さに加えて、高地の低酸素で外にいるだけでも厳しい環境だ。
男子部の全員が集まり、前回と同様の2グループ分けでのポイント練習をする。
駿「合宿も後半戦、暑さや疲労もあるので、無理せず、慎重にコンディションを見極めて取り組んでいこう」
犬飼は昨日から相変わらず無の表情をしていたが少し前に出て口を開いた。
犬飼「俺の恋人は『走り』ということに気付いた。だから今日からの俺は一味違うぜ」
鷹斗「そうこなくっちゃ!犬飼さん!」
隼人「明らかに強がってるようにしか見えないが……」
練習が始まり、犬飼は最初から飛ばして、誰がみても明らかに無茶してるような走りになっている。5本目が終わり、設定ペースよりも速くなっていたため、亀山と佐竹はリタイア。
隼人「はぁはぁ。犬飼、飛ばし過ぎてるぞ。フォームもバラバラだ。今日は暑さや湿気もあるからペースは抑えた方がいい」
犬飼「はぁはぁはぁ。俺はこのままじゃダメなんだ!とにかく俺は速くなりたいんだ!」
陸(中身は凛)「はぁはぁ。怪我したら、合宿の練習が全部無駄になるよ! 落ち着いて!」
犬飼「うるせぇ!俺はもっと飛ばすぜ!」
犬飼は隼人と陸(中身は凛)の忠告を無視してバラバラなフォームで無理やり体を動かしてスパートをかけたが、すぐにペースダウンした。
犬飼「グッ……」
犬飼は右のふくらはぎに激痛がはしる。足を庇いながら途中で走るのを辞めた。そこへ駿が駆け寄る。
駿「大丈夫か?」
犬飼「足を攣っただけだ。大丈夫だ」
隼人「……本当は、攣った以上の違和感があるんじゃないか?」
タイムを計測していた美月が給水ドリンクを犬飼に渡した。
美月「これ飲んで日陰で休もうか!」
犬飼「……ありがとうございます」
渡されたドリンクを一気に飲み干した。飲んでいる間に他のメンバーも心配して集まり声をかけていた。
犬飼「本当に攣っただけだ!心配しなくてもいい!」
駿「今日は休んで、明日は様子を見て練習するか判断しよう」
犬飼「分かったよ……」
この日はあまりの暑さで全員がバテていた。駿は全体の状況を鑑みて午後からの各自ジョグは無しにして、レストにした。
夜になり、疲れから殆どのメンバーはすぐに就寝したが犬飼は眠れずに食堂の隅で自販機の青白い光に照らされてうつむいていた。まるで酒を飲んでいるかのようにスポーツドリンクを1人で飲んでいる。
そこへ、パタパタとスリッパの音を立てて桃葉がやってくる。彼女が向かいに座った瞬間、犬飼の暗かった手元に、彼女が持ってきた明るいスマホの画面の光が差し込む。
桃葉「あ、犬飼くんも起きてたんだ」
犬飼「桃ちゃんか。こんな時間にどうしたの?」
桃葉「何か興奮して眠れなくて」
桃葉は駿と付き合えた喜びの余韻がまだまだ残っていた。
犬飼「桃ちゃんはいいなぁ……俺とは正反対で俺に持って無いものばかり持ってて羨ましいよ……」
桃葉「そうかな」
いつもの桃葉なら明るく答えていたが、珍しく空気を読んで控えめに答える。
犬飼「走る才能もあるし、良い彼氏もできたし。俺なんか走る才能も無ければ、告白に失敗するし……練習では空回りばっか。本当に俺って、ただの負け犬だなって思うよ……」
メンタルを病んでるせいで、普段は誰にも見せない弱気な発言をしていた。
桃葉「犬飼くんは今はちょっと調子が悪いだけだよ」
犬飼「桃ちゃんはいつもポジティブで、話をしてるだけで元気を貰えるよ」
桃葉「私は駿くんへの好きな気持ちと憧れだけで前を向けるの。犬飼くんにも前を向いてほしい。私で良ければ話くらいは聞いてあげれるよ」
犬飼は俯いた顔を少し上げて語り始める。
犬飼「俺も小学生の頃から駿は憧れだった。いつもダントツの速さで絶対的な存在だ。中学生になり、隼人もいて、こんな速いやつらと駅伝を走れるなんて絶対に全国にいけると思って嬉しかったんだ」
桃葉「隼人くんも小学生の頃から相当速かったみたいだよね」
犬飼「だが、実力はあの2人に追いつくどころか離されていく一方だ。俺は2人の横を走っていたかったのに、自分の平凡な才能では天才達には追いつけないんだと感じて悔しかった。それどころか今年から練習を始めたあんなに太っていた不動にも俺は負けそうになっている。亀山や佐竹も実力を付けてきて、あいつらにも負けるんじゃないかってビビってるんだ……情けねぇよ……」
桃葉「考え方によっては恵まれてる環境かもしれないよ。絶対的な存在の駿くん、他校ならエースクラスの隼人くんに鷹斗くん、背中を追ってくる3人。漫画なら犬飼くん、主人公的ポジションじゃない?」
犬飼「そう言ってくれるのは嬉しいけど、でも俺はただの脇役だよ……才能が無い自分が惨めで、悔しくて、どうしようもない……でも、そんな俺でもあいつらとタスキを繋ぎたい。駿や隼人とは3年間を共に過ごした仲だ。駅伝に俺がいない想像はしたくない!」
潤んだ目で犬飼が拳を握っている。
桃葉「犬飼くん、駅伝に脇役はないよ。犬飼くんらしくなるために私が『勇気』をあげる。そのために良い名前を付けるから!ん〜そうだなぁ……『粘りの犬飼』ってどう??いつも粘りに粘って、泥臭く食らいついて、速い人達についていってるからね!」
桃葉の言葉で犬飼はハッと何かを思い出した顔をしていた。
犬飼「粘りの犬飼か……悪くないかも。その名前、貰っておくよ。俺にピッタリかもね。自分の持ち味を忘れかけてたけど思い出せた……才能が無い俺なりにもう少し足掻いてみるよ。どんな結果になるかは分からないけど自分のために、チームのために、桃ちゃんのためにもね」
犬飼は悩みながらも桃葉の言葉で前を向く決意ができた。
桃葉「犬飼くんのことも応援してるからね!」
犬飼「うん、桃ちゃんのお陰で自分の道がハッキリした。遅い時間までありがとう。それじゃあお休み!」
ずっと湿っていた犬飼の声が、いつもの騒がしい彼らしい響きを取り戻した。
桃葉「お休みなさい!」
2人が去った後の暗い食堂には、ただ自販機の青白い光だけが、静かに床を照らし続けている。
犬飼と桃葉は話をして、2人とも気持ちが落ち着き、ぐっすりと眠れた。
こうして合宿5日目が終わった。
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