女子のレース。脅威の走り
6月、県総体当日。梅雨の晴れ間の湿った熱気が、競技場を包んでいた。 駅伝シーズンへの前哨戦とも言える大会。
駿達率いる山麓町中学校からは女子3人、男子4人が出場する。
女子は出場できる種目で最長距離が1500mなので凛(中身は陸)、烈華、桃葉の3人が出場する。
男子は3000mに駿と鷹斗が出場し、1500mには隼人と犬飼が出場する。陸(中身は凛)と亀山、佐竹は今回は出場は無く、応援のみだ。
普段はあまり顔を見せない顧問の村田先生も引率で来ている。
村田先生「今日は思う存分、力を発揮して3年間の練習の成果を見せられるように楽しみながら頑張りましょう!」
陸上経験が無く、専門的なことはあまり言えないし、あまり練習にも関われなく申し訳ないとは思っているので、せめて勇気づける言葉くらいはかけようとは思っている。
女子1500mは予選と決勝の2レース。3人ともまずは予選に向けてアップを始めていた。
凛(中身は陸)「(……凄い熱気だ。テレビで見ていた世界とは、音も、匂いも全然違う……みんな速そうだ‥‥)」
凛(中身は陸)は、凛の細い指を握り締め、胸を抑えて心臓の鼓動を鎮めようとしていた。以前は「走る」ことすら苦痛だった自分が、今はスパイクを履き、スタートラインに向かおうとしている。
程よい緊張感と高揚感の中、凛(中身は陸)が出場する予選がスタート。余力を残しながら決勝へ行く必要があるのでペース配分に気をつけないといけない。先頭集団を形成しながらラストは流して1位通過に。その後に行われた予選でも烈華、桃葉も難なく予選通過をした。
桃葉「凛ちゃん、烈華ちゃん!まずは予選通過できたね!次の決勝が楽しみだね!」
桃葉は1位になればいよいよ駿に告白できるのでウキウキしている。
烈華「そうね。まぁ予選はこんなもの。今回、ピーキング(調整)もバッチリだから私が勝たせてもらうわよ」
自信に満ち溢れた表情で烈華は桃葉に話していて、凛(中身は陸)とは目を合わせていない。
凛(中身は陸)「(こちらもコンディションは非常に良い。決勝では負ける訳にはいかない)」
決勝は人生をかけるともいえるレース。結果次第では駅伝に出れなくなり、一生体はそのままになる。この1ヶ月間の練習を振り返り、今ならやれる!と自信を持ってレースに臨める。
男子の1500mの予選も行われて隼人、犬飼ともに通過することができた。
犬飼「凛ちゃん!俺たち揃って次は決勝だね!ともに頑張ろうね!」
凛(中身は陸)「そうだね。犬飼くんのことも応援してるね」
凛(中身は陸上)はそれどころではないので、犬飼には素っ気なく答えた。
犬飼「ありがとう!!凛ちゃん!!凛ちゃんに応援されたら優勝するしかない!隼人!俺に負けても文句言うなよ!」
犬飼は凛からの応援で喜び、騒がしくしているが、隼人はいつもと同じで冷静でいる。
隼人「決勝はそう上手くはいかなそうだけど……」
いよいよ女子1500m決勝。
陸(中身は凛)は観客席の片隅、影からそのスタートラインに整列している凛(中身は陸)を凝視していた。今はただ、自分の「体」を預けた凛(中身は陸)を信じている。
陸(中身は凛)「(……大丈夫よ、不動くん。あなたはもう、ただの素人じゃない。私の体を理解し、私の悔しさを誰よりも理解してくれた……今のあなたには、以前のヘタレなあなたではないわ)」
陸(中身は凛)は、両手で手をギュッと握り、今は応援するのみ。
「オン・ユア・マークス(位置について)」
静寂が訪れる。凛(中身は陸)は、凛の細い体から伝わる「筋肉の記憶」を信じた。1ヶ月間は初めて自分で考えてトレーニングをした。やれることは全てやってきた。
凛(中身は陸)「(見てて、凛さん。あなたのことは、僕がこの脚で守る……!)」
スタートまでの静寂が長く感じる。
パァン――!
乾いた号砲が響き、女子1500m決勝がスタートした。 先頭に躍り出たのは、驚異的な加速を見せた凛(中身は陸)。それに驚く烈華、冷静に烈華の後ろにいる桃葉。
烈華「(凛、また無茶な走りを……)」
桃葉「(大丈夫。最後には私が勝つ!)」
凛の後半型のレーススタイルを無視した序盤からの猛烈なスプリント。実は凛はレーススタイルについて陸にはあえて伝えていなかった。先入観を持つよりも、新しい自分を見つけてくれるかもしれないと淡い期待をしていたからだ。分からないからこその前半からの猛烈なスプリントだった。
凛(中身は陸)「(軽い……! 頭の中のイメージと体の動きが噛み合っている……!前回のタイムトライアルとは確実に違う)」
体の動かし方を追求してフォームの基礎を固めることで、ここに来て「凛のポテンシャル」を完全に解き放っていた。それはかつての凛よりのフォームよりも更に研ぎ澄まされていた。
先頭の凛(中身は陸)は最初の400mを68秒で通過。前回のタイムトライアルの時と同じタイムだが、その時よりも余力があるのを感じていた。
少し離れて2位集団の烈華と桃葉が72秒で通過。他校のトップ選手達も2位集団で前を狙っている。
烈華「(あのペースは最後でまた失速するのが目に見えているわ)」
桃葉「(凛ちゃん……以前の走りとは違う気がする)」
桃葉は意外と鋭かった。
2周目も順位変わらず、トップの凛(中身は陸)はこの400mを72秒で通過。2位集団も粘りながら72秒で通過。2位集団はトップの凛(中身は陸)に追いつこうと集団で追うも無理なペースで縦長の集団になっていく。
烈華「はぁはぁ(凛……落ちる気配が無い……まさかこのまま押し切るつもり……)」
桃葉は凛(中身は陸)の走りの違和感を感じ、今前に出なければ!と思い、2週目を過ぎたタイミングで2位集団を引っ張っていた烈華の前に出る。
桃葉「はぁはぁ(このまま凛ちゃんに逃げられる訳にはいかない!)」
烈華も桃葉の後ろにつき、離されまいと食らいつく。だが、前を走る凛(中身は陸)とは一向に差が縮まらない。
3周目の400mをトップの凛(中身は陸)は前のラップと変わらず72秒で通過する。
陸(中身は凛)「(不動くん……私とは違う走りのスタイルであんなにも速く走れるなんて……)」
桃葉が引っ張る2位集団も負けじと追っていたつもりが、この1周は75秒かかり、寧ろ離れていた。
ラスト300m。凛(中身は陸)はキツい中でペースをキープしている。後ろは見ない。
凛(中身は陸)「はぁはぁ(凛さんの体なら、どこまでも行ける。苦しくないわけじゃない。でも、肺の痛みすら、自分が生きてる証拠みたいで心地いい。……これが、凛さんがいつも見ていた景色なんだ!)」
視界が一点に集中し、風の抵抗さえも追い風に感じる「ゾーン」の状態。烈華や桃葉の追撃など、今の彼の意識には入っていなかった。ただただ、この最高の肉体と一つになり、風を切り裂く快感に身を委ねていた。
桃葉「(駿くんのために!最後まで諦めない!!)」
桃葉も猛追する。
烈華「(負けない!)」
烈華も桃葉について粘りを見せる!
そして遂に1位がゴール!
凛(中身は陸)が4分26秒の大会新で圧倒的な1位だ。
2位は猛追及ばす、桃葉が4分34秒。
3位は烈華で4分35秒。
観客席で立ち尽くしていた陸(中身は凛)は、掲示板の数字から目が離せなかった。
陸(中身は凛)「(4分26秒……私が壁に感じていた4分30秒を切るなんて……1ヶ月でここまでタイムを伸ばすなんて信じられない……)」
挫折した去年の駅伝のトラウマが残る体を陸はこの期間で操り、凛さえ到達できなかった領域へと連れていったのだ。
陸(中身は凛)「(私の体を使って、私を超えた……。陸くん、あなた……今、何を見ているの?)」
あまりの速さに会場もどよめいていた。
その後、芝生に倒れ込み、肩で息をしながらも、片手で拳を上げながら片手で胸を抑えている。空を見上げて満足げに笑う凛(中身は陸)。 その姿は、本物の「羽瀬凛」がかつて失ってしまった、純粋に走ることを楽しむ輝きに満ちた顔をしていた。
倒れ込む凛(中身は陸)にその視界を遮るように、影が落ちる。 見上げると、そこには肩で息をしながらも、鋭い視線を向ける烈華が立っていた。
烈華「……凛。4分26秒……なんてタイム出されたら、もう文句の言いようがないじゃない」
烈華の瞳には、涙がたまっていた。しかし、その唇は微かに震え、どこか嬉しそうに歪んでいる。
烈華「怪我を隠して走ったあなたも、魂の抜けた期間のあなたも、私は認められなかった……でも、今のあなたは……私の知っている凛よりも、ずっと凄かった。あなたの走り認めるわ。おかえり、凛。そして偉そうなことばかり言ってごめんね……」
彼女が差し出した手を、凛(中身は陸)は力強く握り返した。
そこへ、崩れ落ちるように桃葉が割り込んできた。
桃葉「うわあああーん! 凛ちゃんのバカー! なんでそんなに速いのよー! 烈華ちゃんには勝てたのに、凛ちゃんに負けたら告白できないじゃない! 私の結婚式が遠のいちゃったじゃなーーーい!!」
地べたを叩いて嘆く桃葉に、凛(中身は陸)は苦笑いしながら凛の口調で言い聞かせる。
凛(中身は陸)「いいじゃない、桃。告白のチャンスが先に延びただけよ。……今のあなたなら、もっと速くなれる。もっと最速の女になってから、お兄ちゃんを驚かせなさいよ」
桃葉「……っ! そ、そうだよね……。分かったわよ! もっともっと鍛えて、駅伝では駿くんに見せつけてやるんだから!」
三人はゴール地点で円陣を組むように抱き合った。
烈華「凛、桃。今日の結果で分かったはずよ。……今年の私達は、間違いなく過去最強。誰が欠けてもダメ。……今年こそ、あのタスキを全国の舞台で繋ぐわよ。異論はないわね?」
桃葉「もちろんです! 私が区間賞を獲って駿くんにいいとこを見せる!」
凛(中身は陸)「……うん。行こう、全国へ!」
バラバラだった三人の想いが、「全国大会」という一つの目標に向かって、かつてないほど強固に結びついた。
その様子を遠くから見つめていた陸(中身は凛)は、安堵から膝の力が抜けるのを感じた。
不動(中身は凛)「(……よかった。私が壊しかけたチームを、不動くん、あなたが救ってくれたのね。……ありがとう。本当に……)」
驚異的なタイムで制した凛(中身は陸)。 トラック上で烈華・桃葉と和解した後、晴れやかな表情でスタンドを仰ぎ見た。そこには陸(中身は凛)の姿があった。
凛(中身は陸)は、陸(中身は凛)に向けて力強く右手の拳を突き上げた。
「凛さん、やったよ!」という感謝と勝利の報告だった。
それを見たスタンドの犬飼が、突如として絶叫した。
犬飼「うわあああ! 見たか今!? 凛ちゃん、俺に向かってガッツポーズしたぞ! こんな大勢の前で、俺に『愛』を伝えちゃうなんて……! 罪な女だぜ、凛ちゃん!」
犬飼は頬を赤らめ、激しく悶えながらガッツポーズを返している。
その隣で、陸(中身は凛)もまた、凛(中身は陸)の快挙に感極まり、無意識に力強いガッツポーズを返していた。 二人の間だけで通じ合う、魂の共鳴。
しかし、それを目ざとく見つけた犬飼が、冷水を浴びせるように不動の脇腹を小突いた。
犬飼「……オイオイ、デブ。勘違いすんなよ? 凛ちゃんは今、俺たち男子部のスーパーイケメン枠である『この俺』に向けて手を挙げたんだぞ。お前みたいなジャガイモが同じポーズしてんじゃねーよ、恥ずかしいだろ!」
陸(中身は凛)「(……勘違いしてるのは、あんたの方でしょ)」
陸(中身は凛)は心の中で盛大にツッコミを入れたかったが下手に言い返して深く詮索されるのを避けるため、フンと鼻を鳴らして視線をトラックに戻した。
犬飼が「凛ちゃん、結婚しようぜー!」と叫び続けている横で、駿だけは静かだった。 妹が自分に向けてではなく、なぜか陸に向けて真っ直ぐに合図を送ったこと、そして陸がそれに応えた様子を、鋭い眼差しで観察していた。
駿「(……不動。お前、凛と何かあるのか……?)」
駿の胸に芽生えた小さな違和感。しかし、それを打ち消すように、競技場にアナウンスが流れる。
『プログラム第24番、男子1500m決勝。招集所に集合してください』
犬飼「俺も凛ちゃんのようにかっこよく走ってくるぜ」
ここまで読んでいただきましてありがとうございます!投稿して4日目でこんなにも多くの方々に読んでいただき大変光栄です!引き続き宜しくお願いします!




