動き始めた時間
「桜花は私にとっての全て。手に届くはずもない、雲の上の存在よ」
霜宮は何もかもを諦めたかのように、どこか朗らかな笑みを浮かべながらそう言い切った。それだけ聞くと桜花がこの世の人じゃないように聞こえる発言なんだが、あながちそれも間違ってないように思えてくる。
「なんであいつ学校もまともに通ってなかったはずなのに、あれだけの実力が」
「貴方もしかして桜花の実家の話は何も聞かされていないの?」
「実家?」
実家って、ようは桜花の実の家族とかの話だよな?
「あ、ああ。俺の母親からは、桜花の両親とは訳あって一緒に暮らせなくなったと、その程度のことしか聞いてない」
「つまり、貴方は桜花の元の苗字を知らないってことね?」
「ああ。俺が桜花に出会ったときには、あいつはもう嵯峨野桜花だったから」
元の苗字、だと? そんなの気にしたこともなかった。桜花は常にあんな調子だし、聞く必要もないこととも思っていたから。もしくは俺が聞くのが怖かっただけかもしれないが。
「そう……。であるなら、私からその話をするのはきっと筋違いね」
「…………」
でも霜宮がこう聞いてくるってことは、桜花の実家とはもしかすると。
「今貴方に言えるのは、桜花はただの天才なんかじゃないわ。あれは幼い頃から蓄積された努力の結晶よ。そこら辺の凡人がとても追いつくことができない時間の差ってことね。もっともそれを世間では天才と呼ぶのかもしれないけど」
「つまり……」
だけど俺は吐き出そうとした言葉を途中で止めた。
つまり、桜花は天から与えられた才能などではなく、英才教育を受けてきた賜物。勉強の仕方などを徹底的に身に着けさせられ、学校なんて通う必要もない程に、自力で学べる術を身につけていると。何故そのような境遇であったかと言えば、桜花の実家に理由があるというわけか。
でも桜花はそんな実家と離れて暮らすことになった。何らかの事件があり、そのせいで自分自身の過去を見失っている。
霜宮との大切な思い出も含めて。
「でもやはり釈然としないわ。私の上に桜花だけじゃなく貴方もいたなんてね」
「それはまぁ……たまたまじゃないですかね」
苦笑いしながらそう返すと、ヘビのような鋭い視線で睨まれる。だから怖いって。
「私のことなど忘れたままで、今の桜花は貴方に盗まれて、本当に馬鹿馬鹿しいわ」
「表現!! 俺が桜花を盗んだとかそういのじゃないからな」
「虚しいわね。何もかも……」
俺に対する強気な発言とは裏腹に、声音は徐々に弱くなる一方だった。
本当はそう、霜宮は俺に入試の成績で負けたことなどどうでもよくて、仲良しだった友人が自分のことを忘れた状態で再び姿を現したことの方が辛いはずだ。それでも再開できたことは不幸中の幸いかもしれない。もしくはこんな今を迎えるなら、もう会わない方が良かったのか。
だけど時間はいつだって止まってくれなくて、また再び時間は動き始めている。
俺達が生きてる限り、新しい『初めまして』がやってくるのだ。
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登場人物
嵯峨野泰史: 俺。元文芸部員
霜宮朱実: 心臓に氷を宿す元物理化学部員
嵯峨野桜花: 俺の義妹。生徒会庶務
※カクヨムでも連載しています
https://kakuyomu.jp/works/822139841863405829




