桜花の抱く二つの時間
彼女は記憶を失っている。演技などでもなく、確かな真実がそこにあった。
それを裏付けさせるのは、彼女の灰色の瞳のせい。映るもの全てがどこか透き通っていて、恐らく俺自身も幻想か何かに見えてるのかもしれない。そもそも彼女は今、何者と会話しているのか。
まるで幽霊そのもので、そこに覇気というものは一切感じられない。
っておい。俺はどうにもとんでもないものを押し付けられた気がしてきたぞ。母から聞いていたのは、『登校拒否してた義妹をヨロシク』みたいな軽いノリで、記憶喪失なんて話は一ミリも聞いてない。そもそも数日前まで赤の他人だった同学年の女子と二人きりで暮らすというのも微妙な話であって、なるほどこういう事情なら俺はやましい発想にならないという確信まで母にはあったということか。
窓の外の薄暗い空を見上げる。こっちの部屋にはちゃんとカーテンもついてるのな。
「な、なぁ。とりあえず、買い物行ってきてもいいか?」
俺の部屋に取り付けるカーテンを買いたい。
「待って」
だが、依然と部屋の隅で体育座りをしたままの彼女は、俺を呼び止めた。幼すぎる顔だけを俺の方へ向け、まるで段ボールに入れられ捨てられた子犬のような、そんな瞳を俺にぶつけてくる。どうしようもないほどやりきれない、冷たすぎるほどの視線を感じる。別に俺を嫌ってるわけではないはずなのに、ただ単純に温かみというものが存在しないのだ。
しばらく互いに見つめ合った後、ようやく彼女は次の言葉を発した。
「ひとりに、しないで」
「あ、ああ……」
こうなると俺はそう返すしかない。……えっと、駅前のカーテンが売ってるホームセンターって何時までやってたっけ?
彼女はにっこりと、どこかぎこちない無機質な微笑みを返してくる。
「ええっと、君のことはなんて呼べばいいのかな?」
はて、不器用なのは俺も同じだ。今更何を聞いているのだろう。
「桜花でいい。わたし、桜花だから」
「そっか。じゃあ、桜花って呼ぶことにする」
「わたしはタイシくんのことタイシくんって呼ぶね。だってタイシくんはタイシくんだし」
「そ、それでいいよ」
ちょっ。なんですかこの可愛い生き物は!? 顔こそ無表情に近いそれなのに、言葉だけは殺人レベルの破壊力を誇っていた。え、俺これからこんな生物と一緒に暮らすことになるわけ?
「ところで四月から高校生なんだよな? 高校には通うのか?」
「タイシくんと同じ高校に通うことになってるけど、千鶴さんから聞いてないかな?」
「え。だってあの高校、この辺りじゃトップの進学校だぞ?」
まさか中学を登校拒否してた生徒が簡単に進学できる高校ではない。
「え。わたしこの前の入試で一位の成績だったって聞いたけど、そんなにレベル高いの?」
「は!?!??」
突然のカミングアウトにさすがに半信半疑だ。いやだって見様によっては小学生にも見間違われそうな妹君に、そんなこと急に言われて信じられるか?
「でね。入学式で新入生の挨拶をって話があったらしいんだけど、さすがに三位だった人に任せるからって断られちゃった。わたしって、やっぱり全然信用されてないんだね」
「あ、ああ……。確かにそんな話もあったな」
そういう電話なら俺のところにもあったぞ。新入生の挨拶について、入試で一位の女子生徒は諸々の理由で相応しくないから、三位の女子生徒に任せることにしたって、わざわざ二位だった俺のところにご丁寧に連絡あったという具合だ。そういう意味ではあの学校、男子生徒全般を信用してないってことになるな、うん。
「その代わり生徒会に入ってほしいって言われた。なんか、楽しそうだよね」
「それはよかったな」
そう薄っすらと微笑んだ不器用だったはずの笑顔は、少しずつほぐれてきた気がする。もしかするとずっとこの部屋に籠もっていたのなら、彼女にとって人と話すこと自体が久しぶりなのかもしれない。
でも……。
こんなにも楽しそうに高校のことを話す桜花は、なぜ登校拒否をしていたのだろう。
記憶の一部分を失うほどの過去と、生徒会が楽しそうと言う今。どちらも桜花の時間であることに間違えなくて、もやもやしたものだけが胸の奥にぽつりと落ちた。
登場人物
嵯峨野泰史: 俺。元文芸部員
嵯峨野桜花: 泰史の義妹。生徒会庶務
嵯峨野千鶴: 泰史の母親。お仕事忙しい
読んでくださり、ありがとうございます。
駅前にホームセンターあると便利そうですね(?)
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