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妹に傷物と言いふらされ、父に勘当された伯爵令嬢は男子寮の寮母となる~そしたら上位貴族のイケメンに囲まれた!?~

第1話


 伯爵家侍女のマーガストが魔女だったことに気付いた時にはもう遅かった。

 魔女は呪われた短剣を振り回し、使用人を傷付けながら逃走を図っていた。怪我をした使用人達は強い痛みを訴え、倒れていく。伯爵令嬢のヴィオレットもその被害者のひとりだった。彼女は呪われた短剣によって、その下腹部に小さな傷を負った。やがて魔女は伯爵家に仕える騎士に取り押さえられ、その場で首を刎ねられた。ヴィオレットは安心した、これでもう大丈夫なのだと。

 しかし真の災難はここからだった。

 ヴィオレットにはルージュという恐ろしい妹がいた。ルージュは姉を嫌っており、普段からいじめ抜いていた。その妹がこう言った――“姉は魔女の剣を下腹部にを受けて、子供を産めない体になった”と。実際、ヴィオレットは傷を受けた後も、何の変わりもなく月のものが来ていた。しかし妹の悪意によってなされたその発言は王都中を駆け巡り、やがて“伯爵令嬢ヴィオレットは不妊”というレッテルを貼られてしまったのだった。


「ヴィオレットとの婚約をなかったことにしてほしい」


 侯爵令息アンセム・パシクールは長い指を髪に絡ませて言った。それを聞いたヴィオレットはティーカップを落としそうになった。婚約者の発言が理解できず、“こんやくをなかったことにしてほしい”という発音が頭の中でただ繰り返される。


「婚約破棄……したいということですかな?」


 ヴィオレットの父であるルデマルク伯爵は身を乗り出し、聞き返す。

 するとアンセムは深い溜息を吐いた後、大きく頷いた。


「だってヴィオレットは子供が産めない体になったのでしょう? 私は侯爵として子を成さなければならないのです。ですから彼女との婚約は破棄したい」


 ヴィオレットはようやくアンセムの言葉の意味が分かった。

 子供を産めない女はいらない――彼はそう言っているのだ。


「で、でも……アンセム様……! 私は子供を産めます……!」


 ヴィオレットは慌てて発言した。それは紛れもない事実――その証拠に月のものもちゃんと来ている。しかしそのことを殿方に言うのは憚られる。ヴィオレットはこのままだと婚約破棄が決まってしまいそうな気配を感じて、気が気でなかった。そんな中、アンセムは渋い顔をすると、こう言い放った。


「呪いを受けて気でも狂ったのかい? 君はもう#傷物__・__#だろう――」

「き、傷物……? 傷物とは、私のことですか……?」

「はあ? 君以外に誰がいるんだ?」


 ヴィオレットの背中に、じわりと嫌な汗が浮かんでいた。この人は何を言っているのだろうか。婚約者に……いや、ひとりの女性に対して、傷物だなんて。ヴィオレットの中に嫌な感情が渦巻いていく。その時、伯爵が破顔して言った。


「はっはは! 厳しいことをおっしゃる! 確かにうちの娘は#愚かにも__・__#呪いを受けてしまいましたが、傷物とは――」

「傷物は傷物だろう。私は事実を言ったまでだ」

「そう、ですか」


 伯爵は神妙な面持ちで頷くと、「確かに……」と呟いた。


「分かりました。男としてアンセム殿の気持ちは理解できます。姉のヴィオレットとは婚約破棄して下さって構いません。その代わり、妹のルージュと婚約して下さいませんか?」

「え……? 何をおっしゃってるの……お父様……?」

「お前は黙っていなさい」


 伯爵はヴィオレットの言葉を遮ると、扉に向けて声をかけた。


「ルージュ! いるんだろう? 入ってきなさい!」

「はぁい、お父様」


 ゆっくりと客間の扉が開く――そこには姉ヴィオレットより飾り立てた妹ルージュの姿があった。それはあまりに華美過ぎて、下品にすら見える。そんな彼女はにっこりと微笑むと、アンセムの隣りに腰かけた。すると今まで仏頂面だったアンセムが嬉しそうに顔を緩めたのだ。


「ルージュ、君は女神のようだ」

「あらあら、アンセム様の女神はお姉様でしょう?」

「いいや、この女とはもう縁を切った。これからは君が私の女神だ」

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第2話


 ヴィオレットの心は粉々に砕けてしまいそうだった。

 全てのことが嘘のように感じられ、全部空想に思える。

 しかしアンセムの愛を紡ぐ言葉が彼女を現実に引き戻した。


「ああ、姉よりも美しいルージュ! ずっと君と結婚したかった! 私の婚約者になってくれるかい?」


 そう言って、アンセムはルージュの前に跪く。ずっと妹と結婚したかった? ということは私は愛されていなかった? では私にくれた様々な愛の言葉や贈り物は何だったの? 内心嫌だったの? そんな思いで一杯のヴィオレットは今すぐにでも叫んで逃げだしてしまいたかった。


「ええ、勿論ですわ! 私はアンセム様の婚約者になります!」

「あぁ、永遠に愛しているよ、ルージュ!」

「はっはっは! 良かったな、ルージュ!」


 三人の声が遠くにあるようで、ヴィオレットは眩暈を覚えた。

 しかしアンセムの問いで、彼女は再び残酷な現実へ戻されることになる。


「それで、ヴィオレットはこの先どうするんですか?」


 自分を傷物と捨てた男が問うべきことだろうか。

 しかしアンセムはただの好奇心から尋ねているらしい。

 すると伯爵は厳しい表情を浮かべながら答えた。


「ヴィオレットはもう駄目です。結婚は望めない」

「では、どうするおつもりですか? 修道女にでもするのですか?」


 もう駄目、結婚は望めない、そんな言葉がヴィオレットの胸を突き刺す。父である伯爵がそういった態度なら、確かに彼女は修道女になるしかないだろう。しかし伯爵はゆるゆると首を振ると、こう言った。


「いえ、修道女にはしません。とりあえず、私の知人に娼館を営んでいる者がいますから、その者に世話を頼もうと思っていますよ」

「娼館? ヴィオレットを娼婦にするのですか?」

「まあ、そうなりますな。ただし高級娼婦ですが――」


 ヴィオレットの喉から、ひゅうっと空気が漏れた。体に力が入った直後、一気に脱力して椅子から落ちそうになる。手が、足が、わなわなと震えてどうしようもない。意識が霞んでいき、このままどうにかなってしまいそうだ。この悪魔のような男達に掴みかかりたい――そう思っても手に力が入らない。


「なるほど、賢明な判断をなさいましたね、伯爵殿」

「ははっ、そうでしょう? アンセム殿」

「ええ、名案ですわ、お父様」


 そして三人は哄笑を上げた――それは狂喜に満ちた悪魔の笑い声。

 その時、ヴィオレットの中で、ぷちんと音を立てて何かが千切れた。


「……ふざけないで」

「何だ? ヴィオレット」

「ふざけないでッ! 最低……最低最低最低よッ!」


 ヴィオレットは立ち上がると、全てをぶちまけた。


「婚約破棄も、代わりに妹が婚約者になるのも、結構ですわ! でも私は絶対に娼館には行きませんから! 私はルージュにいじめられながら我慢して、侯爵家へ嫁ぐことだけ考えてきたんですよ!? もう我慢なんてまっぴらです!」


 そしてヴィオレットは伯爵とルージュを見た。

 胸が燃え盛るようで、自分自身を止められない。


「私、知っているんですから! お父様とルージュが親子でありながら、寝ていること! 毎晩毎晩、私の部屋にルージュの嬌声が響いて参りますわ! しかもそれはルージュが九歳の時からずっとですわ! 法に背いていたとしても実の父と妹……そう思って黙ってきたけど、もう我慢できません!」


 それは全て真実だった。ルージュは父に初めて抱かれた日、姉のヴィオレットに自慢した。“私はこんなにお父様に愛されているのに、お姉様はお可哀想だわ”と優越に浸った口調でそう言った。普通、自分の父親に抱かれたら、嘆き悲しむはずではないだろうか――ヴィオレットはそう思いつつ妹がまともでないことを知ったのだ。


「何をおっしゃっておりますの、お姉様?」

「はあ、傷物女の発狂とはこんなに見苦しいのか――」

「まさかヴィオレットがここまで愚かな娘だったとはな……」


 首を傾げてしらばっくれるルージュ。深々と溜息を吐くアンセム。そんな中で、伯爵は失望し切った顔をして、立ち上がった。そしてヴィオレットを睨み付けると、こう言ったのだ。


「ヴィオレット、お前とは勘当だ! 情けをかけて娼館へ送ってやろうと思ったが、お前にはもう呆れ果てた! 物乞いとなって惨めに死ぬがいい!」

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第3話


「ヴィオレット、ごめんなさいね……私が弱いばかりに……」


 ヴィオレットの母はそう言って、彼女を抱き締めた。母は地位の低い男爵家の出で、伯爵である父に頭が上がらない。それでも母は今回の件を知るなり、土下座して伯爵へ許し請うたのだ。しかし伯爵の許しは得られず、ヴィオレットは勘当された。裏口の脇に置かれたのはたったひとつの鞄――それだけがヴィオレットに許された荷物だった。


「最後にこれを……――」

「え?」


 手に握らされたのは地図と大きな鍵である。

 母は彼女の耳に口を寄せると、そっと呟いた。


「これは私が所有する空き屋の地図と鍵よ。お父上はこのことを知らないから、空き屋に住んで仕事を探せばきっと生きていけるわ。後でこの土地と建物をあなたの名義に変えておくわね」

「お、お母様……!」


 母の愛情にヴィオレットは泣きそうになる。

 彼女の言う通り、空き屋に住んで仕事をすれば生きていける。

 そしてヴィオレットは母に別れを告げて、伯爵家を去ったのであった。




。・゜・。。・゜・。。・゜・。。・゜・。・゜・。。・゜・。




「ここがお母様が所有する空き屋……? 思っていた以上だわ……」


 ヴィオレットはその建物と土地を見て、驚いた。建物は随分古びてはいるが、屋敷と呼べるような立派な造りをしている。土地もほんのわずか中心地から離れているだけで、一等地と言えるのではないか。彼女は鍵を握り締めると、建物の扉へ向かった。


「あら……? 鍵が開いている……?」


 鍵を回しても手ごたえがない。

 ドアノブを回すと、あっさりと扉が開いた。

 まさか誰かが勝手に住んでいるのでは――そう思って警戒したが、他に帰る家はない。ヴィオレットは自らを奮い立たせると、建物の中に入っていった。建物内は埃っぽく、人が住んでいる形跡はなかったため、きっと母が鍵をかけ忘れたんだと納得する。どの部屋も少し手直ししたら使えそうで、彼女はほっと胸を撫で下ろした。ただし早く仕事を見つけなければ、その手直しすらできないのだが。

 そして彼女が寝室へ入った時、突然目の前が闇に包まれた。


「だぁれだ?」

「きゃっ……きゃあああああああああっ!?」


 彼女は逃げようとしたが、次は体を抱き締められた。

 身を捩って相手の顔を見ると、そこには恐ろしいまでの美青年がいた。


「ガレッド、淑女に抱き付くなんて失礼ですよ」

「ブラッド、別にいいじゃねぇか」

「え……? ガレッドにブラッドって……?」


 ヴィオレットはその名前に聞き覚えがあった。しかしまさか二人がその人物だとは思えない。なぜならガレッドとブラッドという双子の兄弟はとても地位の高い令息達であるのだから。彼女が茫然としていると、双子の片方が恭しく挨拶した。


「初めまして、ヴィオレット様。僕は公爵家のブラッド・フェシニークと申します」

「初めて会うな、ヴィオレット。俺も公爵家の息子のガレッド・フェシニークだ」

「え……ええっ……!?」


 輝ける金髪、美しき青の双眸、神が与えし顔貌――彼らは間違いなく、公爵家の麗しき令息ガレッドとブラッドであった。ヴィオレットは頭を抱え、混乱する。確かこの二人は第一王子の従兄弟にあたる王族の血を引く者達だ。そんなやんごとなき人々がなぜここいるのか、理解できずにいた。


「あ、あのう……こ、これって……――」

「ん? ここへ来た経緯は言わなくていいぞ、全部知っているからな」

「それより、僕達がどうしてここにいるのか、説明しましょうか」


 ここへ来た経緯を知っているとはどういうことだろうか。

 しかし二人は首を傾げるヴィオレットを座らせ、こう語り出した。


「王都学園で火事があったのは知ってるな? 実はあの火事で、男子寮が焼け落ちててしまったんだ。しかも上位貴族の住む建物がな」

「現在、男子生徒達には宿を取らせて対処していますが、それを長く続ける訳にはいきません。それで僕達はこの建物に目を付けたのです」


 ヴィオレットはその話しの続きが分かった。

 つまり彼らはこの建物を使わせてほしいのだ。


「頼む、ヴィオレット。この建物を男子寮として貸し出してほしい」

「勿論、代金は支払いますし、改装費用はこちらが持ちます。どうですか?」


 一瞬、ヴィオレットは困惑した――しかしすぐに胸が高鳴った。

 この依頼を受ければ、自分は仕事を探さなくて済む。

 断る理由はひとつもないのだった。


「分かりました! この建物を男子寮として提供します!」

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第4話


 そして一ヶ月の改修工事が終わった――

 古かった建物はそれは見事な男子寮へと変貌を遂げた。全部屋が新しくなったのは勿論、バスルームもキッチンも何もかもが最新式になり、住み心地が良くなった。そして新しき男子寮にはひとりの若き寮母の姿があった――美しき淑女ヴィオレットである。彼女は最初、寮母になってほしいという頼みを断ろうとしたが、双子がどうしてもと引かなかったのだ。


「ヴィオレット、今日も美しいよ」

「こんなに可愛い寮母がいてくれるなんて最高だね」

「ねぇ、ヴィオレット。君のお菓子が食べたいんだけど?」


 彼女に話しかけるのは上位貴族の令息達だった。公爵家のローランドは線の細い美青年、侯爵家のメルヴィンは逞しい好青年、同じく侯爵家のサミュエルは知的な美形である。そんな三人はヴィオレットを心から気に入っており、優しく扱う。彼らの世話は屋敷から連れてきた従者がするので、ヴィオレットはすることがほとんどない。しかし彼らに手作りのお菓子が食べたいとせがまれ、毎日調理場に立っていた。


「おいおい、ヴィオレットの作ったものは全部俺のものだぞ?」

「駄目ですよ、皆さん。ヴィオレット様に負担をかけては――」


 そこにガレッドとブラッドが姿を現した。

 彼らはヴィオレットの両端に立ち、にっこり微笑む。


「あ……ガレッド様、ブラッド様、おはようございます……」

「様はいらない。何度も言ってるだろう?」

「そうです、ブラッドとお呼び下さい」

「そ、そんな恐れ多い……!」


 平民となった自分が公爵令息を呼び捨てできるはずがない。

 そう怯えるヴィオレットにブラッドはそっと顔を寄せる。


「ああ、可愛らしいヴィオレット様。ガレッドや他の令息達はさて置いて、僕はあなたのことを本当に愛しているのですよ。今すぐあなたを妻にしたいくらいだ。もし僕が求婚したら、受け入れてくれますか?」

「そ……それは勿論です……ごにょごにょ……」


 その言葉を聞くと、ブラッドは満足気に微笑んだ。

 ヴィオレットは礼儀正しく優しいブラッドが好きだった。

 しかしいつもこうして自分を揶揄ってくる――それだけは困っていた。


「おい、ブラッド! 抜け駆けするな!」

「やれやれ、朝から見せ付けてくれるよな?」

「やめてやれよ、ヴィオレットが赤くなっているぞ」


 二人のやり取りを見詰め、上位貴族の令息達は笑っていた。

 彼らにとって純朴なヴィオレットは心の癒しだった。

 そんな中、ひとりの珍客が訪れる――


「――ご機嫌よう、お姉様」


 扉が開き、ダイニングに妹のルージュが入り込んできた。すぐ後ろでは警備の者が慌てた様子で付いてきている。きっと寮母の妹だと言って、無理矢理入り込んだに違いない。それにしても、なぜこの場所が分かったのだろうか。考えられるのは母を問い詰めて居場所を吐かせた可能性だ――ヴィオレットの全身に恐怖が走った。


「まあ! 公爵家のガレッド様とブラッド様とローランド様! それに侯爵家のメルヴィン様とサミュエル様まで! 私のために家柄の良い美青年を集めて下さいましたのね、お姉様?」

「な、何を言ってるの……ルージュ……」

「そちらこそ何を言ってますの! この私のために婿候補を集めてあげたと手紙に書いていたじゃありませんか! 忘れたんですの?」

「誰がそんなこと……――」


 口答えしようとすると、ルージュの目付きが鋭くなった。

 今まで受けた壮絶ないじめが思い出され、ヴィオレットは縮こまる。

 ルージュはほとんど拷問に近いいじめを、実の姉に加えてきたのだった。


「はぁ? 花婿候補? 何言ってんだ、こいつは」

「ヴィオレット様を花嫁にするなら話は分かりますが……」


 双子が怪訝そうな顔をして、ルージュを見詰める。

 すると彼女は興奮に頬を染めて、こう言った。


「やはり噂通りの美男子ですわね……! この私に相応しいですわ……!」


 その言葉にダイニングにいた令息全員が軽蔑の表情を浮かべた。

 すると自分に関心が集まったのが嬉しかったのか、ルージュは微笑んだ。


「うふふ、皆様。学園など休んで、今日は私とお過ごし下さい。姉はこの通り魔女の呪いを受けましたが、私は美しいまでに無事でしたわ。こんな呪われた女と過ごすなんて、品位が下がりましてよ?」


 ルージュの自信満々の言葉に令息達は即答した。


「――は? 誰がお前なんかと過ごすって?」

「――君みたいな恥知らずの女は初めて見たよ」

「――実の姉をそのように侮辱する女性は嫌いだね」

「――ヴィオレットは素晴らしい人だ。君とはまるで違う」


 その時、ブラッドが震えるヴィオレットの肩を抱いた。


「全て、彼らの言う通りです。僕はあなたみたいな女性を相手にはしたくないし、ヴィオレット様を深く敬愛しています。これ以上、この場で自由に振る舞うことは許しません。即刻お帰り願います、ルージュ様」

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第5話


 ルージュは令息達の言葉が信じられなかった。父に愛されたことを皮切りに、何人もの男を寝取ってきたのだ。姉から奪ったアンセムも自分に骨抜きになり、ひたすら溺愛してくる。そんな価値の高い自分に靡かない男がいるなんて――ルージュは苛立ちを隠さずに騒ぎ立てる。


「はあっ!? そんな女を敬愛ですって!? しかもこの私に帰れと!? 有り得ないですわ! 頭がおかしんじゃないのかしらっ!?」


 怒りと大声を撒き散らす彼女に全員が辟易する。


「おかしいのはそちらの方でしょう? それにあなたは伯爵家の者ですよね? ここにいる全員はあなたより上位の貴族です。立場というものをわきまえて下さい」

「は? は? 立場をわきまえる? それはあなた達の方でしょう!? 姉よりも美しい私が遊びに誘っているのですわよ!? それに応えるのが紳士でしょう!?」


 その言葉に令息達は目配せし合った。

 どうやらこの女は自尊心が高いらしい。

 それも自分の立場を理解できないほどに――


「やれやれ、君は分かっていないな、ヴィオレットの価値を」

「……何ですって?」


 ローランドはそう言うと、流れる金髪を掻き上げて言った。


「ヴィオレットは俺が立ち眩みをして倒れた時、ずっと看病してくれたんだ。何度も何度も布巾を絞って額に乗せてくれた彼女は天使だ。君にそれができるか?」

「な、何よ……! そんなの下心でやったのよ……!」


 するとメルヴィンが大きく頷きながら言った。


「そう、ヴィオレットは天使だ。彼女は試合で傷を負った俺のために薬湯を用意して、治癒効果のある飲み物を作ってくれた。これほど優しい女性を見たことはない」

「は、はあっ……!? そんなのデタラメでしょ……!?」


 最後にサミュエルが眼鏡を持ち上げて言った。


「ヴィオレットは遅くまで勉強する僕にいつも甘いものを差し入れしてくれる。しかも学業のお守りに集中力を高めるポプリまで作ってくれた。彼女は女神だ」

「な、何言ってるの……! そんなの子供騙しよ……!」


 すると三人の令息は顔を見合わせて、話し合った。


「下心? デタラメ? 子供騙し? 俺はそうは思わない」

「ああ、ヴィオレットの腕前はかなりものだった」

「そうだね。あのポプリかなり効いてるよ」

「ううううううぅ……うるさいうるさいうるさいッ……――」 


 ルージュは悔しさのあまりダンダンッと床を踏み鳴らす。

 そして令息達を睨み付けると、肩を怒らせてこう言った。


「あいつは殿方に媚びてるだけじゃないッ! なぜそれが分からないんですのッ! 全部殿方を落とすために身に着けたことでしょうッ!? 馬鹿じゃないのッ!?」


 それが完全な間違いであることをルージュは知らない。

 ローランドを懸命に看病したのも、メルヴィンの治療を手伝ったのも、サミュエルの勉強の助けになったのも、ヴィオレットが痛みと苦しみを知っているからだ。彼女はルージュから虐待を受けていたため、苦しんでいる者の心が分かる。さらには自力で傷を治していたので、治療には詳しい。また痛みを紛らわすために作ったポプリにも熟知していた。


「はあ、どうやら君は思考がだいぶ狂っているようだね」

「男に媚びるためだけにあんな治療ができるはずないだろう」

「あーあ、ヴィオレットのお菓子を食べるはずが台無しになったな」

「そうだ、今日はもう学園を休んで、ヴィオレットと俺達で遊ぼうぜ!」


 最後のガレッドの言葉に三人の令息は“賛成!”と声を上げた。

 

「ちょ……ちょっと……! この私を放っておく気ですの……!?」

「当り前だろ? どうしてお前なんかを相手にする?」

「わ、私を美しいと思わないの……!? 私はこんなに魅力的で……――」

「はぁ? 男子寮に闖入してきた不審者に誰が魅力を感じるんだ? お前なんてそこら辺に生えている雑草よりも価値がないね」

「くっ……――」


 ルージュは顔を真っ赤にし、手を握り締めた。

 頭の中が沸騰しておかしくなってしまいそうだった。

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第6話


 こうなったら、どんなことをしてもこの女を貶めてやる――そんな悪意に支配されたルージュはヴィオレットを指差して、こう喚き散らした。


「この女はね! 自分が娼館に売られると知った途端、とんでもない嘘を吐いたんですのよ! 信じられないことに、私と父が男女の関係にあると言いましたの! まったく、品性を疑いますわ! そいつは浅ましい考えしかできない最低女なのです!」


 ヴィオレットは絶句した。真実を元にした発言である分、質が悪い。嘘を吐いているのはルージュだったが、これを聞いた令息達はどう思うだろうか――その時、ブラッドが言った。


「それはどうでしょう? あなたこそ嘘吐きなのではありませんか? もしかしたらヴィオレット様が呪いを受けたというのも、嘘ではないかと僕は思っています」

「はあっ……!? 何を根拠に……――」

「あなたの失礼極まりない言動、そしてヴィオレット様の素晴らしき人柄、これらを見れば一目瞭然です。皆さん、そうでしょう?」


 ブラッドが同意を求めると、令息達は直ちに頷いた。

 それを見たルージュは怒りのあまり茹で蛸のように赤くなって震える。

 そしてついに我慢の限界を迎えた――


「何よ……何なのよッ……! どうせお姉様はいずれ死ぬんですのよッ……? 魔女の剣で傷を負った使用人達は重傷者から順に呪われて死んでいったんですものッ……! 小さい傷を負ったお姉様だってその内、死ぬんですからッ……!」

「え――」


 それを聞いたヴィオレットは目の前が真っ暗になった。死ぬ……? 死んでしまう……? 剣の呪いで……? そんな言葉が頭の中を巡り、体中が冷えていった。そんな彼女の肩を抱いていたブラッドがルージュを睨み、問い質す。


「それは本当ですか……!? 伯爵家でそんな騒ぎはなかったはずです……!」

「お父様が隠していたのですわ! それが知れたら、家の評判は下がりますもの! でももうそんなこと、どうでもいいですわ! その女は剣の呪いで死ぬんですの! あっはははは――」


 高笑いを響かせて、ルージュは男子寮を後にした。取り残されたヴィオレットと令息達は茫然とした。今の発言は苦し紛れのものだったのだろうか、いや、それは調べてみないと分からないことだ。令息達は即座に従者に命じて、ルージュの発言の裏を取るよう使いを出させた。


「私は……死ぬのでしょうか……?」


 ヴィオレットのその呟きには絶望が含まれており、痛々しい。

 令息達は彼女に駆け寄ると、こう言って励ました。


「大丈夫だよ、ヴィオレット。まだ本当と決まった訳じゃない」

「そうだよ、悲しまないで。俺達が必ず君のことを助けるよ」

「ああ、安心しろ。本当だとしても、死は回避させる」

「そうだぞ! 気を大きく持て!」


 そんな言葉の中、ブラッドだけがひとり無言で立ち尽くしていた。

 そして翌日――彼は何も言わないまま男子寮から消えてしまった。




。・゜・。。・゜・。。・゜・。。・゜・。・゜・。。・゜・。




 一ヶ月後――

 ルージュの発言は紛れもない事実だった。ヴィオレットの呪いは悪化し、寮母を続けられなくなっていた。そのため治療院へ入り、苦しみに耐える日々を送る。男子寮の令息達は従者に解呪の方法を探らせたが、まるで手掛かりがない。そんな中、ガレッドは王宮から呼び出しを受けて、寮からいなくなってしまった。ヴィオレットはそのことを心配したが、何よりもブラッドの安否が気掛かりだった。どうか無事でいてほしい――そう祈り続けるある日、彼女の元にひとつの書簡が届いた。


「これは……王宮舞踏会の招待状……?」


 なぜこんなものが伯爵家から勘当された自分に届いたのか、ヴィオレットは理解できずにいた。しかし王家からの招待状だ、断れば何が起きるか分からない。彼女は辛い体に鞭打って、舞踏会の準備を始めた。

 その時、扉が開け放たれ、ルージュが入ってきた。


「まあまあ、哀れですわね、お姉様!」

「ル、ルージュ……」


 やつれたヴィオレットを見て、ルージュは嘲笑う。

 そしてつかつかと歩み寄ると、書簡に目をやりがらこう言った。


「その王宮舞踏会、絶対参加して下さいましね?」

「なぜ……? 一体何があるの……?」

「第一王子が不治の病にかかって倒れたのは知っていますわね? そのために王位継承権が王族の血を引くフェシニーク公爵家の息子へ移ったのです。そしてその息子の婚約者とはこの私――舞踏会ではそのお披露目が行われるのですわ!」

「そ、そんな……そんなこと……――」

「うふふ、羨ましいですか? お姉様はもう死ぬばっかりですものね? 最後に私の晴れ姿を目に焼き付けて下さい。それではご機嫌よう」


 そしてルージュは行ってしまった。

 ヴィオレットは物思いに沈みそうになり、首を振った。

 自分はもう死ぬしかない、何を考えても無駄だ――彼女は淡々と準備を続けた。

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第7話


 そして王宮舞踏会の夜――

 ヴィオレットはふらつきながらも王宮にある会場へ入る。それを見た貴族の令嬢達は伯爵家から勘当された彼女がこの場にいることに驚き、そしてその体調不良を感じ取るなりクスクス笑い始めた。ヴィオレットはそんな意地の悪い笑いを無視し、会場の奥へと進んでいく。するとローランド、メルヴィン、サミュエルが彼女に気付き、慌てて駆け寄ってきた。


「ヴィオレット! 君も招かれていたのか!?」

「ああ、ヴィオレット! 辛いだろう!? 俺の肩に掴まってくれ!」

「いいや、具合が悪いなら医務室へ運ぼう。俺が背負っていくから……」

「――いいえ、大丈夫です。皆様、ありがとうございます」


 ヴィオレットは額に汗を浮かべて、必死に微笑んだ。

 その時、令息達に気遣われるその姿に嫉妬した令嬢達が騒ぎ始めた。


「あらあら! 勘当された平民がいい御身分ね!」

「三人もの令息を手玉に取った売女がいるわよ!」

「汚い平民は医務室じゃなくて外へ行きなさい!」


 その途端、令息達は鋭い視線でもって彼女達を睨んだ。


「……おい、外野が何を騒いでいる?」

「ヴィオレットを侮辱する奴は決して許さない」

「醜い嫉妬心でヴィオレットを傷付けさせはしません」


 それを聞いた令嬢達はばつが悪そうに顔を逸らし、立ち去った。

 やがて会場には国王と王妃が入場した。ヴィオレットは三人の令息に支えられ、その姿を眺める。やがて二人は高みの席に着くと、招待者達をぐるりと眺めて頷いた。そして年老いた国王が直々に言葉を下したのだった。


「皆の者、よく集まってくれた。この度、フェシニーク公爵家の者が王位継承することとなったのは周知の事実であろう」


 ヴィオレットは辺りを見渡し、ガレッドの姿を探した。

 すると王族の列に並んでいる彼の姿がすぐに見付かった。

 先日、ガレッドが王宮に呼び出された理由がようやく分かった。第一王子の従兄弟であるフェシニーク家の双子は王族の血を引いている。ブラッドがいない今、王位継承者は彼しかいないのだ――きっとそれを知らせるために呼び出されたに違いない。しかしなぜルージュがその婚約者になったのか、それだけが謎だった。

 その時、国王が話しを終えて、こう言った。


「では、その王位継承者を紹介するとしよう。ブラッド・フェシニーク。前へ出よ」

「はっ――」


 そう返事をして、ブラッドは王族の列から歩み出た。

 ヴィオレットは信じられない思いで、それを見詰めていた。

 どうして彼が……――いいえ、無事だったのね……――彼女の目に涙が浮かぶ。


「今宵はお集まりいただき、ありがとうございます。この度、第一王子に代わり、王位を継承することになりました。この国と国民へ尽くすことを今ここで誓わせていただきます」


 大きな拍手の中、ブラッドはお辞儀をしてこう続ける。


「さて、突然ですが、僕の婚約者となる女性を紹介したいと思います。その方は今この会場にいらっしゃいます――前へ出てきて下さいますか?」


 そう言ってブラッドは会場をぐるり見渡す。

 彼の目は愛しい人を探しているようで、ヴィオレットの胸が痛む。

 やがて令嬢達の集まりの中から、ルージュが華麗なお辞儀を見せて歩み出た。


「――はい、ブラッド様」


 彼女は満面の笑みを浮かべて、ブラッドの隣りに並ぶ。

 そして会場を見渡すと、優越を滲ませてこう言った。


「私は伯爵家のルージュ・ルデマルクですわ。この度、ブラッド様の婚約者となりました。未来の王妃として、皆様に尽くすことをここで誓います」


 盛大が拍手が上がり、ルージュは再びお辞儀をする。ヴィオレットは胸に亀裂が入るような痛みを感じていた。愛するブラッドが選んだのはルージュだった。しかしそれもそのはず、自分は平民で、呪いを受けて余命幾許もない。一方ルージュは貴族で、呪いを受けずに健康なのだ。諦めて祝福するしかない――そう思った時だった。

 ブラッドがルージュを睨み、こう言い放った。


「は? あなたのことは呼んでいませんが?」

「えっ……? ブラッド様、何をおっしゃって――」

「あなたなど呼んでいないと言ったのです。なぜ前に出たのです?」


 ブラッドが冷徹な顔で、ルージュを見下ろしていた。

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第8話


「えっと、私はあなた様の婚約者ですわ……? そうでしょう……?」


 ルージュは目を白黒させて、そう呟く。

 それを見ている貴族達も驚いている様子である。

 しかしブラッドは冷たい態度を崩さずにこう言った。


「僕の婚約者はあなたではありません。本当の婚約者にはすでに結婚の承諾をもらっています。もう一度問います、なぜ無関係のあなたが前へ出たのですか?」


 その言葉にルージュは目を剥いて口をぱくぱくさせた後、反論した。


「はああぁっ……!? 私はフェシニーク家から婚約を求める書簡を受け取っていますわよ……!? お父様、持ってきていますでしょう……!?」


 紳士の集まりの中から、慌てた様子のルデマルク伯爵が現れた。

 その手にはひとつの書簡がしっかり握られている。

 それを目にしたブラッドはこう告げた。


「では、それを父上へお渡し下さい」


 そして伯爵はフェシニーク公爵へ書簡を渡した。

 公爵は眼鏡をかけて書簡を見るなり、首を振った。


「全くのまがいものです。これは我が家の書簡ではありません。紋章も似てはいますが、違います。おそらく捏造されたものでしょう。そもそも我が家では書簡だけで婚約を求めるなんて無礼なことはしませんし――」

「なっ……!?」

「そ、そんな……!?」


 会場は騒然となった。貴族達は騒めき、好奇の視線をルージュへ送る。見られた当人は顔を赤くして震えるばかりだ。一方、ヴィオレットはその成り行きを不安な心地で眺めていた。きっとブラッドが裏で何かをしたのだ――そんな予感が胸を支配していた。するとブラッドが貴族達のざわめきの中で、こう発言した。


「ここでひとつルデマルク家のことで、忠告したいことがあります。ここにいますルージュは大嘘吐きです。実の姉ヴィオレットが呪われたと言いふらし、彼女が勘当されるように追い詰めたのです。ですから、かつて巷に流布していたヴィオレット様の噂は全くの大嘘なのです――」


 会場はさらに騒然となった。ルデマルク家のルージュは大嘘吐き――この発言は彼女が書簡を捏造したと暗に告げているものだった。


「な、何をおっしゃっているんですの!? 私は嘘吐きじゃありませんわ! 書簡だって、捏造なんてしていません!」

「そうです! 我が家と娘を侮辱するなんて、許しませんぞ!」


 ルージュと伯爵は口角泡を飛ばし、食ってかかる。ヴィオレットはそれを見て、内心はらはらしていた。確かにルージュが広めた噂は嘘だが、今の自分は体調を崩すあまり月のものが止まっており、子供を産めるとは言い難い。ルージュの言葉が嘘だという証拠がない今、ブラッドの発言は覆されるかもしれなかった。

 するとそれを見ていた国王が声を上げた。


「ルデマルク伯爵とその娘ルージュよ、今は王位継承者の婚約者発表の場だ。発言を控えるがいい」


 その言葉に二人は驚き、そして沈黙した。ヴィオレットは国王の言葉にほっと胸を撫で下ろす。ここで噂の真偽を確かめるからと、自分が引っ張り出されたら不味いことになっていた。やがて会場が静まると、ブラッドは王に一礼してから発言した。


「それでは、僕の婚約者を発表させていただきます」


 そしてブラッドは愛しい人へ手を伸ばした。


「ヴィオレット様――さあ、前へ」

「え……――?」


 ブラッドはそう言うと、ヴィオレットの目を見て微笑んだ。それはいつも男子寮で見ていた優しい笑みで、彼女は泣き出しそうになった。あまりのことに動けず立ち尽くしていると、彼の方からゆっくりと近付いてきた。


「久しぶりですね、愛しいヴィオレット様。“もし僕が求婚したら受け入れてくれるか”と尋ねたら、あなたは“勿論”と返してくれましたね? その気持ち、今でも同じですか?」

「あ、ああ……ブラッド様……私の気持ちはずっと同じです……――」


 ヴィオレットの目から、嬉しさのあまり涙が零れる。

 一ヶ月間の不安と心配が一気に消え去った瞬間であった――

 しかしそれを見ていたルージュと伯爵は声を張って怒鳴り散らした。


「信じられませんわッ! 呪われて死ぬばかりの女が婚約者だなんてッ! あの女は呪いの剣を受けた所為で死ぬんですッ! これは嘘なんかじゃありませんわよ!」

「そうだッ! そいつは呪われている上に伯爵家から勘当された娘だ! 王位継承者の婚約者には相応しくないぞッ!」


 するとブラッドは顔を上げ、国王を見詰めて言った。


「陛下、僕はヴィオレット様の呪いの解呪方法を見付けました。そして陛下は勘当された娘でも婚約者にする許可を下さいました。そうですね?」

「うむ、その通りだ。ヴィオレットはやがて健康を取り戻すであろう。勘当された娘であれど、我が認めれば問題はない。何か不満はあるか、ルデマルク伯爵よ?」

「ぐっ……ぐう……――」

「うぅ……――」


 伯爵は顔を青ざめさせてわなわな震え出した。

 ルージュも首を締められたアヒルのように押し黙る。

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第9話


 ルージュと伯爵の無様な姿に貴族達は失笑し、会場が再びざわつき始めた。

 国王はそれを手で制して静めると、ブラッドの方を見た。

 彼は頷き、人々に事情を告げた。


「僕はヴィオレット様の呪いを解くため、隣国の聖女様の元を訪ねていました。聖女様は心から同情を示して下さり、僕に聖力を託してくれたのです。その聖力をヴィオレット様に注げば、彼女は助かります。これで僕達の婚約に何も問題はないはずです」


 ヴィオレットはブラッドの愛情に心から感謝した。彼は彼女のために一ヶ月もの時間をかけて隣国へ出向いていたのだ。命が助かる――それはこの上なく喜ばしい知らせだった。しかし彼女はそれ以上にブラッドの行動そのものに胸を打たれていた。いつしか周囲からは拍手が巻き起こり、貴族達は賞賛の声を送っていた。


「ブラッド、ヴィオレットを幸せにしろよ……?」

「ガレッド、当然です。絶対に幸せにしてみせます」


 その時ようやく、双子の片割れが近付いてきて声をかけた。ガレッドもヴィオレットのことは気に入っていたが、その愛の深さではブラッドに到底敵わないと負けを認めていた。嬉し涙を流すヴィオレットをローランド、メルヴィン、サミュエルが満足気に見守っている。男子寮の面々は共に頷き合うと、いつものように微笑んだ。

 その時、呻き声が響いた。


「ううぅッ……ああぁあああぁッ! ふざけないで……ふざけないでよぉ……! この私を馬鹿にしているの……!? あの書簡を捏造して送ったのはブラッド様でしょう!? 私を笑いものにしたかったのね!? 最低だわ!」

「それは……――」


 反論しようとするブラッドをガレッドが止めた。あの書簡はルージュと伯爵を断罪する切欠を作るために双子が捏造し、送ったものだ。しかし今ここでそれがばれてしまっては分が悪い。ガレッドはすぐさま懐に手を入れると、ひとつの水晶玉を取り出す――それは魔道の力によって映像を記録する道具であった。彼は水晶玉を掲げると、ルデマルク家の屋敷内の映像を空中へ大写しにした。


「ルージュ、お前がこの場で怒り散らす権利はない。お前は未来の王妃であるヴィオレットをいじめていた。いや、虐待と言った方が正しいな――」


 突如、映像が切り替わった。映されたのはルージュがヴィオレットを鞭打っている場面だった。次いで水責め、火責めと残酷な方法で実の姉をいじめ抜く姿が映し出された。それを目にした貴族達は怯えた声を上げ、後退る。ヴィオレットは驚きのあまり口を開いた。


「そ、その映像は……いつ撮ったのですか……?」

ブラッドはヴィオレットを見初めた時からずっと身辺調査をしていたんだ。そしてルデマルク家に監視役を入れたんだが……こんな映像も撮れた」


 そしてガレッドは裸の二人を映し出した。

 親子で交わるルージュと伯爵――それが人々の前に曝け出される。

 映像の中の彼女は満面の笑みで嬌声を上げ、楽しそうに実の父親と戯れていた。


「いやッ……! 見ないでッ……! これは違うのッ……!」

「そうだッ……! これは捏造だッ……! 見るんじゃないッ……!」


 二人は狂ったように取り乱し、顔を覆う。

 しかしそんな親子を見詰める貴族達の目は冷たい。

 その時、ルージュが伯爵を指差して、泣きながら叫んだ。


「お父様は……いいえ、この男は幼い私を犯したのですッ! それからずっと夜の相手を務めなければ殺すと脅され……私は嫌々抱かれていたんですッ……!」

「う、嘘だッ……! ルージュから誘ってきたんだろうがッ……!?」

「九歳の子供が父を誘う訳ないでしょうッ……! こいつを捕らえてッ……!」


 この醜い言い争いに、貴族達は顔を顰める。ヴィオレットは父の言葉が正しいと確信していた。この異常な妹なら、実の父を誘うことすらするに違いない。しかしそうだったとしても、その誘いに乗って実の娘を抱いてしまう父も異常なのだが。

 すると目線を鋭くした国王が伯爵に問いかけた。


「ルデマルク伯爵、近親相姦の罪は重いが、そなたはさらに罪を犯しているだろう? 姉のヴィオレットを娼館送りにしようとしたらしいな? しかもそれを拒んだ彼女を勘当したであろう? つまりヴィオレットは実の父からいわれのない苦しみを与えられた被害者だったのだ。未来の王妃に働いたこの罪、軽くはないぞ?」

「ぐッ……ぐがががッ……――」


 伯爵はきつく歯を噛み締め、戦慄いている。その姿には伯爵家の主人たる威厳はまるでない。ただひたすら罰を恐れる罪人そのものとなっていた。ガレッドは水晶玉を仕舞って衛兵を呼び寄せると、こう言った。


「国王陛下のおっしゃる通りだ。近親相姦はこの国では重罪だ。勿論、虐待もだ。おい、この二人を連れていけ――」


 衛兵が怯える父娘の元へ向かっていく。

 その瞬間、ルージュが頭を押さえて絶叫した。


「いやあああぁッ! もういやよおおおぉッ! 私は婚約者のアンセム様も捨てたのよッ!? これじゃあ、貰い手がないじゃないッ!? 一体どうしてくれ……――」

「――ルージュッ! よくもこの私を裏切ったなッ!」


 アンセムの怒号と共に、ぱぁっと赤い血の花が散った。やがて彼が身を引くと、顔を切り裂かれ、腹にナイフが刺さったルージュの姿が見えた。彼女は空中に手を彷徨わせると、そのまま仰向けに倒れていった。それは誰も防ぎようのない、突然の凶行であった――


「ルージュが……いや、この淫売が悪いんだッ……! 私を捨てた上に、実の父親と寝ていたなんて……! どれだけ私に恥を掻かせれば気が済むんだッ……!」


 アンセムは血濡れの腕を振り回し、そう訴える。

 ガレッドは一瞬驚きに支配されたが、すぐにこう命じた。


「衛兵! こいつを捕まえろ!」


 するとアンセムは身を震わせて、叫び声をあげた。


「いっ……いやだああああああぁッ! 私は何も悪くないッ! 全部全部ルージュと伯爵が悪いんだあああッ! 私は被害者だ……被害者……ひいいいぃッ!」


 すぐさま衛兵に捕まった彼は大いに取り乱し、最後には訳の分からない言葉を叫びながら涎を垂らした。ブラッドは呆然と立ち尽くすヴィオレットの目を隠し、悲惨な現実から遠ざける。そして王宮舞踏会は散々な形で幕を閉じた――

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第10話


 アンセムの凶行の後のこと――

 腹に傷を受けたルージュは三日三晩苦しみ、そして息を引き取った。それを知った獄中のルデマルク伯爵は悲しみのあまりおかしくなり、自殺を図って亡くなった。殺人罪で処刑が決まったアンセムは自らの死に恐怖し、喚き散らしているという――

 ヴィオレットはこの成り行きに衝撃を受け、深い悲しみの中にあった。

 しかしブラッドの心からの慰めが伝わり、徐々に元気を取り戻していった。




。・゜・。。・゜・。。・゜・。。・゜・。・゜・。。・゜・。




 あの王宮舞踏会から数年が経った春の日。

 王宮では国王と王妃主催のお茶会が開かれた。多く集まった貴族の中には、とっくの昔に学園を卒業したローランド、メルヴィン、サミュエルの姿もある。やがて招待者が揃うと、国王に即位したばかりのブラッドが姿を現した。王宮舞踏会の時点でかなり年老いていた前国王はついに王位を退いたのだった。やがてブラッドは招待者達を見渡すと、一礼して挨拶した。


「皆様、今日はお茶会へお越しいただき、ありがとうございます。こうして皆様と過ごせる時間は何よりの幸福です。さて、突然ですが、今ここで喜ばしい報告をさせていただきたいと思います。さあ、ヴィオレット――」


 そして登場したのは王妃となったヴィオレットだった。

 彼女はゆったりとしたドレスを着て、微笑んでいる。

 それもそのはず、その下腹部はわずかに膨らんでいた――


「皆様にしたい報告と言うのは、ヴィオレットの懐妊です。医者によると、現在四カ月目だそうです」


 そう言ってブラッドはヴィオレットと微笑み合った。招待者達は驚きと喜びの声を上げ、大きな拍手を送る。中にはヴィオレットのこれまでの不遇を思い、感動の涙を流す者さえいた。そんな相手にヴィオレットは心からの感謝を示し、喜びに満ちたお茶会が続いていった。


「おめでとう、ヴィオレット様!」

「ああ、こんなに嬉しいことはない!」

「どんな可愛い子が生まれるか、楽しみです!」


 ローランド、メルヴィン、サミュエルが二人に声をかける。

 ブラッドとヴィオレットはそんな三人とテーブルを囲み、昔話に興じる。

 そこに遅れてやってきたガレッドも加わり、お茶会はより華やかになっていった。


「それにしても、俺はもっと早く妊娠すると思ってたぜ?」


 ガレッドがブラッドへ微笑みかける。


「それはなぜですか? ガレッド?」

「だって聖女様から託された聖力をヴィオレットに注ぐって言ってただろう? つまりそれって……そういう意味だろう?」


 ガレッドの下品な想像にブラッドは溜息を吐く。


「確かに、隣国から動けない聖女様はこの僕に聖力を託しました。そしてその聖力は僕の体へ浸透し、そして彼女に注がれた。……でもそれは、そんないかがわしい意味ではありませんよ?」

「え? そうなのか?」

「ええ、非常に健全な形で彼女に注がれました。唇を使ってね?」

「おいおい、のろけるなよ!」


 テーブルが一気に笑いに包まれる。そんな中、ヴィオレットは幸せそうにお腹を擦っていた。彼女のお腹はふっくらと盛り上がり、数ヶ月後には元気な子が生まれてくることが誰の目にも明らかだった。ヴィオレットの母も孫の誕生を心から祝福し、今では共に王宮で暮らしている。やがてブラッドが、愛おし気に彼女のお腹を撫でた。


「僕達の愛の結晶はきっと女の子でしょうね」

「え……? 分かるのですか、ブラッド……?」

「分かりますよ、ヴィオレット。僕には聖女様の力がまだ残っていますから」


 そして彼は遠い目をして語った。


「この子の次は男の子が生まれ、彼が王位を継ぐでしょう。そして王女は聖女様の住む隣国へ嫁ぎ、この国と隣国は友和でもって結ばれるのです。それが僕が聖力で見た未来です――」

「その未来が訪れるのが待ち遠しいですね、ブラッド。あなたと出会えたことは私にとって、本当に幸せなことでした」


 涙ぐんでそう言ったヴィオレットの頬にブラッドは優しく口づける。

 そして人々が囃し立てる中、二人は熱く抱き合ったのだった。


―END―

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