第20話
「やっと見つけたよ 灯 」
「!?…ビクッ…ッ」
日も暮れかけ、辺りには淋しげなひぐらしの音色が鳴きだしたころ
私がこの川沿いの古びた小さなベンチに座っていた親友へと名前を呼んだとき、灯は振り向かないままピクリと反応を示した
「 探したよ…灯 」
「ぁ…ぁ… ゆ…り…? 」
「……灯? 」
…驚いた
そこにはいつもの優しい明るい灯などいなかった
どんよりとした重い背中、雨の降る中を走ったからだろうか
制服は生乾きでしおしおになり、髪がぼさぼさに乱れ、足も泥だらけになっていた…
そして震える弱々しい声
ザッ…
私が灯の顔を確認しようと前へ回り込もうとした
そのときだった
「っ! み…見ないでっ…!」
「…っ!!? 」
小刻みに震えた声で灯は必死に自分の顔を手で隠した
「ぁ…ぇっと ごめん…っ 」
「…っ…ぁ…ヒクッ…」
俯き涙をすする声と震える喉の呼吸
(灯…そんなにたくさん泣いてたのかなぁ… )
きっと灯のことだから、普段は陽気な子だからこそ、今の自分を私には見せたくないはず
きっと今の灯はそう思っている…
だから私は灯の顔を見ないまま、おもむろに静かに灯の座っているベンチの横にそっと座った
太陽が遠い西の空に沈むころ、私たちは長い時間止まったままお互い背中合わせでベンチに座っていた
長い沈黙の間、川沿いの道には自転車の学生や笑顔で向かい合うカップルが何事もなく通り過ぎてゆく
日も消えかける頭上の空には星が空を彩り始め、月が真上で街を夜へと進め始めたころ
…………
………
「…どうして… 」
「…? 」
新たに口を開いたのは灯のほうからだった
「…どうして…来たの…? 」
灯のその小さな言葉は本当に重く悲しげだった
(…… )
「灯……ごめんね」
「?…どうして…ゆりが謝るの? 」
…言葉に詰まる
「だって… 」
「だって私は灯にだけ大事な秘密 ずっと隠し続けてて 」
「ずっと……ずっと灯のこと騙し続けてて… 」
まぐろのことも、ずっと知らない振りをして気遣ってくれた体温のことも
ずっと…、それなのに灯は側にいてくれたのに
(なのに私は 嘘つきで弱虫で臆病者で… っ)
「本当にごめん…灯 本当にごめんなさぃ…」
背中合わせで灯には見えるはずもないのに、私は座ったまま深々と頭を下げて心の底から謝罪をした
許してもらおうなんて思ってない
それだけのことを…私は灯にしてしまったのだから
………
……
「…知ってたよ? 始めから 」
「…!? 」
まさしく不意打ちだった
灯の顔は見えない
けれど
けれどなぜだかその声は灯が微笑んでくれているかのように優しかった
叩かれも怒鳴られてもしまう覚悟だったのに、灯はいまだ泣きながらのぐずぐずの声であっさりと答えた
「あたしが逃げ出したのは…あのとき あたしがどうしようなく苦しかったから…」
「…ぅん 」
「始めから…‘そんな身体’なゆりだったからこそあたしはひよりをゆりに紹介したし 」
(そう…だったんだ )
…やっぱりだ、灯の優しさにはいつも自分が気がつかないうちに救われてしまう
「……でもさ 本当はどこかで信じてたのかも ゆりは弱い子だからあたしが側にいないとだめなんだって…」
(…… )
「でも 全然違った… 」
「ゆりはひよりや有珠とどんどん仲良くなっていって」
「それがたとえたった一週間でも 私にはそれがなにより辛かった…」
「ひよりを紹介したのはあたし …でも ゆりがひよりと話しているときはどうしようもなく苦しかった…っ」
「苦しくて…っ 辛かった 弱いのはゆりなんかじゃなくてあたしのほうだった…」
「……… 」
「…だってこんな理不尽な私は…ゆりが側にいないと笑うこともできなくて…」
「あたしはずっと…ずっと…ゆりのことが‘大好き’だったから…っ 」
「…ぇっと…それって 」
‘大好きだった’
灯が呟いたその言葉には、なぜだろうか
この状況だったからなのか
普通ならこれは当然、友としての好き、と解釈するはずだと思う
けれど、今の私にはこの言葉は不思議と単なる友へと好意ではなく、異性に対する好意に似たようなもののように感じた
灯はそのまま独り言のように小さな声で話しを続けた
「だから あの日… 逃げ出しちゃったとき ゆりがあたしに秘密のことを隠してたことじゃなくて なによりゆりがあたしじゃなくて‘ひよりにだけ’秘密を打ち明けてたことが本当に自分自身の中でショックだった…」
「ごめん… 灯 」
もう謝る以外の言葉が見つからなかった
「ゆりに友達が増えてうれしかったよ でもそれ以上に …あたしはゆりを独り占めしたくて ゆりに嫉妬してた… 」
「だから…あのとき たまらず逃げ出した 」
………
「……… 」
灯の本心を知ったとき、今までの灯に対する愚かな自分の振る舞いに酷く絶望に近い後悔をした
ひよりの痛み…紺色のカーディガン
有珠ちゃんの痛み…現在もなお続けている、いじめ
私の痛み…通り魔と同じこの身体、そしてまぐろ
灯だけは私たち三人とは違うとどこかで確信していた
いつも笑顔で、いつも優しくて、いつものほほんとしていて
しかし…どうだろう
灯が語ったこれら全てが灯の優しさでもある隠れた優しさの一つだったとして
痛みの真実を知ったとき、私の灯に対する感情がどれだけ浅はかな他人事の考えだったか…
灯の痛み…
それはまさしく‘私だったのだから’
「本当に…笑えちゃうくらい弱いよね…あたし 」
………
笑える…わけない
笑えるわけないよ…っ
私はその瞬間、今まで一緒に過ごしてきたたくさんの優しい灯が頭を駆け巡った
毎朝私に抱き着いてくる灯、授業中幸せそうに居眠りをする灯、嬉しそうに次々と話しをする灯、お昼ご飯のとき隙をついていつも私のパンを食べちゃう灯
…私のことをいつもどこかで助けてくれる灯、私のことを大好きって言ってくれた灯…
…それなのに…っ
それなのに…っ、今は私のせいでぼろぼろになっている灯…っ
初めて知った灯の想いと今まで当たり前のように側にいてくれた灯の柔らかい笑顔を思い出すだけで
言葉より先に滲み出るように涙が溢れ出してきた
灯が今日までどんな思いで過ごしてきたか…
そう思うともう堪らずいろんな気持ちが溢れてきた、さっきまで堪えていた涙の滴がとめどなく大粒になって頬をつたってぽろぽろと落ちてくる
「ぁっ…ぅ…ぅっ…」
「…ぇっと ゆり? 」
背中合わせで横に座っている灯から声がする
…私はきっと今、灯以上にひどく情けない顔をしていると思う
いきなり泣き出すなんて、こんな私に灯はきっと困っている、戸惑っている
「ごめん灯… 灯がそんな気持ちでいたなんて私考えもしなかった…っ」
「ずっと…本当に本当にごめんなさぃ…っ」
涙をすすり泣きながら、喉の奥に突き刺さる灯の想いで心が粉々になりそうだった
「ごめん灯…いきなり泣きだしたりなんかして…っ 気持ち…悪いよね…っ 」
(止まれ…っ 止まってよ…涙っ)
(もうこれ以上、灯に嫌われたくないのにぃ…っ )
体育座りの格好で俯き、必死に溢れる涙を止めようと声を押し殺し、震える唇を噛んで、滴が止まらない瞳を固くぎゅっと閉じた
そのときだった
ザッ…
下の砂利石を踏む足音
なんだろうと思った、その瞬間!
不意にふと、前から私を包みこむ温かい感覚を覚えた
優しい匂い、私のいつも側にいてくれる安心する匂い
(ビクッ……っ )
急なことで慌てて身体を引こうとする
しかし、それが何なのかすぐに気付いた
灯が…
灯が私にもたれかかってくるまでにぎゅうっと細い腕で強く強く私のことをぎゅっと抱きしめてくれていたのだった
…30度の冷たい身体が愛情に満ちた温もりに包まれてゆく
堪らず閉じた瞳を開けると
そこには
酷くくしゃくしゃな泣き顔で、充血した優しい瞳で精一杯の笑顔を作ろうとしている灯がいた
それは、今日初めて灯の顔を目にした瞬間だった
(…灯っ )
そしてそっと灯の唇から声が発っせられた
「気持ち悪くなんか…ないよ? ありがとぅ ゆり…っ 」
「‘大好きだよ’」
「…ぅぅ…っ 」
もう限界だった…
募りに募った感情がとめどなく溢れ出してきて
何度もバラバラになった心が誰より何より優しい温もりで守られていく
溢れ出す涙をこらえても、抑えきれないこの気持ちが私の瞳から光る滴として降り注いでゆく
「ぐすっ…ぅ…ぅあぁ…っ 灯ぃ…っ」
何日ぶりだろう、こうして灯に抱きしめてもらえるのは
そのまま私は灯の温もりの中で泣きじゃくった
幼い子供のように安心して灯の胸に身体を預け、甘えるように私からもぎゅっと灯の背中に手を回した
(はぁっ……灯の匂ぃ 落ち着く… )
………
……
そのまま、私と灯は少しだけその格好でいた
会話もなく何の動作もいらなかった
だって…
だって二人はまたこうして本当の意味の再会をすることができたのだから
「あのね 灯… たぶん私も灯のこと 」
「…だいすきぃ だよ… 」