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第1話

***


この街には、高校生の間にだけ存在する色々な噂やニュースがある。


どの学校にも必ず幽霊が出るだとか、あのカラオケの奥の部屋にはだとか、その類いだ。


根も葉も無い、根拠もない、ただ一つの話題性として存在するだけの、よくある噂だ。


一時期凄いハッカーがいた‘らしい’


これは確か、ある漫画が去年、ドラマ化して流行ったときの。


親を半殺しにした残忍な者が、どこかに今も潜んでる‘らしい’


これは確か、映画化したあるミステリー小説が元になっている。


ある夜、ある条件が揃うと、駅前で突然として、とあるミュージックが流れ始める‘らしい’


これに至っては意味不明だ、というか古い。


全て、私には関係ない事だ。


そして今回も関係ない、所詮ただの一時期の話題になる


……そのはずだったのに



***


好きな物、ココアの底に溜まった甘い部分、朝一番に聞く音楽、夏の夕方に網戸から入る風、買ったばかりの小説の香り。


嫌いな物、消えかけの電球、耳をつく蚊の音、月曜日の朝。


年齢十五歳、名前、小林 ゆり。


コンプレックス、体温。



「……ん」

新学期の朝とはどうしてこんなにも眠いのだろう。


長いはずだった一ヶ月の夏休みもあっという間に終わり、また今日から私の二学期が始まった。


「もう七時……」

携帯に表示された時刻に促され、もぞもぞとベットから這い出て制服に着替え始める。


夏休みが終わったとはいえ、まだまだ朝から暑い九月の初日。


ハーフパンツに半袖Tシャツの寝間着を脱ぎ捨て、ハンガーにかかった制服の半袖ブラウスに久しぶりに腕を通す。素肌を撫でるようなひんやりとした感覚がちょっと気持ちいい。


私の家には普段、私の他に二人の家族、母と兄がいる。


お母さんは仕事が忙しく、朝早くに家を出て夜遅くに帰ってくる生活をしている。


兄は現在、なにやら美大のなんとかで一週間前くらいから伝言メモだけを残して不在中だ。


つまり今は、一軒家に新学期の朝から一人で朝食を食べている。音の足りない広い家はちょっと寂しい気もするけれど、慣れれば一ヶ月近くほぼ一人でいれるのは単純に自由でいい。


洗面台で歯磨きをしながら、ふにゃふにゃになっている寝ぐせを直す。

唯一の友達にチョコレート色と言われ続けている茶系色の混じった私の黒髪は、小学生のときから伸ばし続けて今では背中ほどまである。


薄い学生カバンの中にひと通りの支度を済ませて、携帯の時間を確認する、七時四十五分。

この決まった時間が私がいつも家を出る時間だ。


私の学校は女子校で、家から学校まで徒歩でも十五分程度で行ける距離にある。だから自転車も使わない。


玄関でローファーにつま先を収め、半ば歩きかけてかかとまでを詰める。そして家のドアを開け、最後に鍵をする。



***


二学期始めの新鮮な空を見上げれば、昇り始めた太陽がもう眩しく通学路に光を反射させていた。今日も暑くなりそうだ。


iPodを耳にはめ、その日の気分によって選んだ曲を聞いて登校する。


ちらほらだったセミの鳴き声も次第に大きくなり始め、澄み渡る空からの熱がじわじわとその存在を強める。


程なくして、私の学校(聖蹟桜ヶ丘女子高等学校)に着いた。



生徒玄関で上履きに履き替え、二階の教室にあくび混じりで進む。一年E組と上にプラカードが垂れた私の教室のドアの前に立ち、そして一度足を止める。


色々と個人的な諸事情により、どうしてもここでそーっとドアを開けるなければならない。


なぜなら、真っ先にやって来るのは――


たったった、ガバッ!


新学期早々、教室に入っていきなり目の前が真っ暗になる。


猛獣でもゾンビでもいじめっ子でもなく、その正体は


「ゆりー、久しぶりにおはよーさよっ」


「お、おはよう灯、でもね、久しぶりの朝でこれはすごく暑いと思うの…… 」


栗山 (あかり)。人見知りの私を唯一いじる人間であり、そして、私の唯一の友達だ。


今でこそ真夏の朝っぱらからのこのノリも当たり前になったけれど、私がこんな身体で学校に入りたてのときは、それはそれは大変だったんだ。


少しだけ説明するならば、灯との出会いは、入学式のときのことになる。



***


まだ見渡す限り、辺りには満開の桜が咲き誇っていた頃。


心細くて不安で、新しい環境に進む季節。


始めは体育館で入学式が行われた。

パイプイスに座り、私の周りはもちろん誰も知らない顔で、揃って少し大きめのブレザーを着ていた。


式が終わり、教室に移動して、私は窓辺の席に座った。なぜか私の前の机は空席だった。


先生が大雑把にこれからの事を話した後、休み時間になり、徐々に他の生徒達が席を立ち始める。

廊下からは賑やかな声が聞こえてきた。

クラス内でもブロックが出来始め、携帯の赤外線を向け合ったりしている。


私はといえば、依然として冷たいイスにお尻を張りつけたままだった。


私は、大勢の人と交わることが人より少し苦手だった。


いざ自分から行動しようと思うと、途端に気持ちが強張ってしまう。

少なからずその原因は、去年から抱えたこの身体のコンプレックスのせいでもあった。


……体温


誰かと話すとき、無意識にまずバレないか心配する。だから同時に、本音にもなれない自分も思い浮かぶ。


それらが行動する私の障害になっていた。


時計が進む。教室の眩しさに紛れた中で、そうこうして、私はすっかり輪に入るタイミングを逃してしまった。


更にそれが五分と続くと、今度は息苦しい感覚に変わり、アウェーの周囲の目が気になり始めた。


このままでは自分に対する評価や分析が決められてしまう。


私はそれが嫌で、そういう感情があって、急かされるようについにイスから脱出してしまった。


悟られぬように出来るだけ遅いスピードと平然な顔を装い、手には開いた携帯を持って、


あたかもそれは友達から着信がきたから、そんな振る舞いを周りに見せて、


つまり…逃げ出した。


あっけなく高校デビューは失敗。


気がつけば、人がいない場所を求めて、吸い寄せられるように屋上へ続く階段を一人進んでいた。


その場しのぎに逃げ出した罪悪感を出来るだけ他のことへ紛らわせて、自分が屋上へ行く悲しい理由を取り繕う。


そうも思わなきゃ、自分のもどかしい弱さ加減と、入学式そうそう現状の惨めさに本当に落ち込んでしまいそうだった。


多分、頭の中では大袈裟に気にしすぎなのは分かってるんだけど、あそこにいる皆だってそれぞれに悩みくらいあるはずなんだけど、


そうなんだけど、現実は中々上手くはいかなくて……

いざその場にいると、何か根本的に自分のいるレールとは違う距離やズレを感じてしまう。


(私だって新一年生なのに、こんなところで何をしてるんだろう… )

(なんで、いつもこうなんだろう… )


とりあえず、残りの休み時間はここで潰そう。


大した期待もなく、行き止まりの屋上の扉を開けた。


屋上のアスファルトには僅かに砂埃が舞って、お昼前の薄い空は快晴に澄んでいた。


湿度の少ない爽やかな風が流れている。


むなしいほど物の気配もなく、眠気まじりの陽気が穏やかな昼に注いでいた。


ぽつんと、そこに私だけが小さく立っていた。


(この街の中で、これだけの人がいるのに、なんで私だけこんな孤独なんだろう…… )


(私だけ…… )

仕舞いにはそんな弱音を心にこぼす。


遠く空を見上げ、パッとしない世界に眉を垂らしたときだった。


――バサッ!


何の前触れもなく、その瞬間、突如視界が消えた。


そして、世界が弾けた。


若々しく透き通ったそよ風が、私の前髪を揺らした。


――そんな冴えない春の日に、私は彼女と出会ったんだ



――つまり


(…ぁ… )


‘女の子’が空から降ってきた


いや、正確には、すぐ目の前に飛び降りてきたんだ。


大きな着地音を跳ね上げて、頭上を舞っていた少女がこちらを向く。


その手にはなぜか一冊の‘ノート’が握られていた。


春の匂いを含んでそうな栗色の髪、調和性のないスカートから飛び出した裾。


活発さと脳天気さを兼ね合わせたような雰囲気があった。


どこから降ってきたのか見上げれば、どうやら彼女は屋上脇に設置された給水棟の上に座っていたらしい。


焦げ茶色の瞳が一瞬だけ合い、向こうは二回ほど瞬きをする表情を見せた。

驚いた私が何かしらの動作を思いつく間もなく、彼女は早々と扉から出ていってしまった。


まさにあっという間の出来事だった。


びっくりしたということよりも、不思議な気持ちと余韻でいっぱいだった。


塞ぎ込んでいた事もすっかり忘れて、今まさに出会った非日常に胸がドキドキしていた。


だって、どうして私以外の人がこんな所に来る必要があったのか?


自分と近い雰囲気か、友達になれそうな期待か、


気がつくと少しだけ、マイナスぎっていた感情が春の空に溶けていた。


来たときとは逆に、屋上の青さに心地良ささえ覚えていた。


今度会えたら、勇気を振り絞って声をかけてみようかな、


肩の上にのしかかっていた悩みは消え、自然と少し笑みがこぼれて、そんな風にも思えた。


チャイムが鳴り、私は歩き出す。


それから改めて、クラスに帰ってみると。


驚くべきことに、その子は私の前に座っていた。


それがきっかけで、私達は友達になった。


そして言うまでもなく、その子の名前が‘灯だった’



***


そんなわけで、現在、気がつけば思いっきり前から灯に力の限り抱き着かれている。


「これでもかっ、ふんぎゅーっ!」


「いやいやなんでムキになるの、というか前が見えないです、だからそろそろ―― 」


「そろそろなんだい? 」

「えっと……だから 」

灯の表情は見えないものの、きっと私をいじるときにだけ見せるニヤリとした笑みを浮かべているに違いない。


「あーもう、新学期早々、朝から邪魔 」

抵抗むなしく、せっかく朝直してきた髪を雑にわしゃわしゃされて、だんだん私も不機嫌になりかけ始める。


「しゃーないな、ほれ」

すると、灯はすっと手を離し、私を簡単に解放した。

しかしこれもいつものことで、灯は私が怒る一歩前で必ず動作を止める。

本当に嫌なことはしない、それが灯という子だった。


やっと視界が広がると、やっぱり私の前には灯の微笑む顔があった。

出会った時と全く変わらず、その柔らかくて明るい栗色のショートボブの髪に、ふわっとしたくせっ毛が特徴的だ。

その可愛いシルエットを見るたびに、いつかはストレートの私もボブにしてみたいと思ったりもする。


「ゆり君ー? 髪ぐしゃぐしゃなのはなぜだい? 」


「もうー、自分でやったくせに。いいよ自分で直すから、でも今日はこれ以上触らないでね 」

そう言いながら、私はそのまま教室の隅っこ、窓側一番後ろの自分の席に座る。


「あ、そういえばさー、今日の朝、BUMPのサイト見たら更新されてたよー」

カバンから鏡を取り出して私が手ぐしで髪を直していると、灯も私の前の席に座った。私達は席が前と後ろの関係にある。


「新しい情報でもあった?」

「うーん、あんましかなー、まあ、ちょっと日記更新されてただけか」


-BUMP OF CHICKEN- 私達の共通の好きなその名のアーティスト。


世間ではロキノン系バンドと呼ばれている。バンド名は弱者の反撃という意味があるらしい。


「そっか、残念 」

「でもさ、日記の写真がめっちゃ可愛くて―― 」


そう言いながら、灯はまた一人話を続けた。楽しそうにくしゃっと笑うそんな顔を見ると、なぜか私も同じく釣られてつい一緒になって微笑んでしまう。


「ゆりー、今日の朝、テレビ見た?」


私が髪を直し終えると、また急に話題が変わった。


「?、別に見てないけど、どうして?」

灯の話は小さい子どもと話すときのようだ、いつも突発的に内容が変わる。

灯が話し、私が聞く、灯がいじり、私がいじられる、そんなのが私達の日常なのだ。


「なんとね、今日の朝、聖蹟桜ヶ丘の駅前がニュースに出ちゃってたんだよー」


聖蹟桜ヶ丘というのは、私たちの住むこの街の地名である。


-聖蹟桜ヶ丘- 東京都多摩地区において、穏やかな街並みや、多くの自然が丘と川と共に残っている街。そこから見える絶景や桜を見に来る人も多いらしい。


そして仮にも東京なので駅前はそこそこの活気がある。


分かりやすく言うと、耳をすませばのモデルで有名な街だ。


「そうなんだ、でもどうして?、なんかの事件? 」

「んー ……でもなんか、内容はよくわかんない感じだったさよ」

そう言いながら、灯は眠そうに手の甲で目を擦った。


「えー、一応話しのネタにするくらいなら、ちゃんと調べてきてよ 」


「む、そんなこと言っていいのか?、そんなこと言うと、また髪の毛どもがあられもない姿に――」

「やーめーてーっ、わかったから髪はもうやめて!」


やっぱり、色んな意味でこの子のペースには勝てないと思うこの頃だ。


(…… )


ただ不意に、こんな風にしていると、これこそがきっと灯と私が仲良くなれた理由なんだと、何気なく感じる。


大げさに言えば、天性から授かったとも言える灯の鈍さというか適当さというか、

多分それは他の子に対しては短所や毛嫌いさせる部分でしかないんだけど、


私に対してだけは逆で、この体温はただの個性なものなんだって、灯は疑問を抱く以前にそんな風にしか思わないでいてくれている。

そんなマイペースな性格だからこそ、私は彼女と友達でいれるんだと思う。


そしてだから、私はこういう灯のスキンシップを根では嫌ってはいない。


「ぁ でも、確か……魚がどうとか言ってたよ」


そんな事を思っていると、灯はまた唐突にとんちんかんな単語を口にして私を困らせた。


「さかな…?」

「そう、魚だ!間違いないぞ!」


いやいや、今度はこの子は何を言ってるんだろう。

意味が分からない、ニュースとはグルメレポートのことだったのだろうか?


「あのね灯、今って聖蹟がニュースに出たっていう話だよね?、夜ご飯のお話じゃないよね?、それともまた話変わったの?」


「なっ!、失敬なっ、ちゃんテレビでそんなようなこと言ってたんさから!」


「はいはい、じゃあ今日の夜はサバでも食べようね 」


朝からそんな他愛もない会話を続けていると、丁度朝のホームルームのチャイムが鳴った。


ふと黒板の横の時計を見ると、すっかり時刻が八時三十分を過ぎていたことに気がつく。

チャイムが鳴り終わるすぐ前に、担任の先生が教室に入ってくる。

それで自然と一旦灯との謎の話は終わり、灯も前を向いた。


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