第18話
「灯……っ!? 」
一瞬だった
本当に一瞬だった
「ぁ、灯っ…!! 」
「……っ!!? 」
扉の窓を通して一瞬目の合った灯は
私がそれを灯だと確信したとき、教室には雨が降り続く外の音とともにダンッダンッダンッと灯が階段を物凄いスピードで駆け降りる足音だけが響いていた
………
「ゅ、ゆりさんっ! 今のっ 」
「追ってあげなくていいんでしょうか?」
有珠ちゃんやひよりもたった一瞬の灯の扉ごしの眼差しに気付いていた
「…ぁ……… 」
………
……
こんな場面が前にもあった気がする
灯に私の秘密がばれて、灯がこの教室から走り去って
私はただなにも出来ずに呆然と立ち尽くして…逃げて
「ゆりさんっっ 早くしないとっ」
…あの日から私は
何度も泣いた、何度も灯を想った
それなのに…
一度泣いただけじゃだめなのかな…っ?
私じゃ私は変えられないのかな…っ?
「ゆりさんっ!! 」
(有珠ちゃん……ごめん)
有珠ちゃんの声の先には…、またどうしようもなく、あの日のようにただ立ち尽くし俯いているヘタレな自分がいた
(…っ…っ )
(灯に逢いたい…逢いたいのに…っ)
恐怖や不安が私の頭にフィルターを、足にストッパーをかける
もし追い付いて今度こそ…だめだったら、本当に自分が壊れてしまいそうで…
………
「あっ! ゆりさんっ あれっ…灯さんが 」
(…ビクッ)
窓際にいた有珠ちゃんが校庭のほうを見て指差す
私もその指の差す方向を横目で見る
(……!? 灯…っ!? )
そこには、朝から続く雨に打たれながら、ぐしゃぐしゃの校庭の泥と水を跳ねながら自転車置き場へと走って向かう酷い灯の後ろ姿があった
「……灯… 」
目を締め付けるそのぐしゃぐしゃな灯の姿が私の胸を叩く…
………
……
やっぱりだめだ…私じゃだめなんだよ…
灯…
ごめんね…
…………
………
……
「- また 逃げるんですか? -」
(…っっ…!!)
私が諦めかけたときだった…
不意打ちの如く、後ろからひよりの声が聞こえた
腐りかけていた私はその言葉に慌ててばっと振り向いた
その瞬間
私は言葉を失った
なぜなら
ひよりの右手には
私に見せ付けるようにかざした携帯電話
しかしその画面にはっきりと表示されていた送信済メールボックスの画面
……送信済メール
9/6 雪村 灯
9/6 雪村 灯
9/6 雪村 灯
……
「…ぁ……それ…」
そこには、灯宛ての今日の日付の送信済メールが何通も…何通も表示されていた
まるでそれは、昨日憂鬱な私が泣き崩れるほどに助けられた‘あのメール’たちのようだった
私が動揺していると、私の近くにいた有珠ちゃんも懐から静かにもぞもぞとなにかを取り出し始めた
カチッと一回の開閉音
小さなボタンを押す音
有珠ちゃんの携帯電話
そして、有珠ちゃんもひよりのように私に携帯の画面を見せた
送信済ボックス
9/6 雪村 灯
9/6 雪村 灯
9/6 雪村 灯
(…っ!! )
「ひより…有珠ちゃん…」
「ゆりさんっ」
私がア然な表情をしていると有珠ちゃんが呟くように話し出した
「有珠たちは 昨日みたいにゆりさんがまた学校に来れるようにはいくらでも努力しますっ、でも…灯さんだけをまた元気にさせてあげられることはできないです」
「………」
「それができるのはたぶん世界中たった一人、ゆりさんにしかできませんっ」
「……」
「残念ですがゆりちゃん 私たちにできるのはここまでです」
有珠ちゃんに続けてひよりが喋った
あぁ、やっぱり…
やっぱりこの二人には勝てそうになぃ
昨日の朝の二人からのメールも、私がそれによって学校に来ることも、そしてこの教室に真っ先に来て一緒に無断早退して私を元気付けることも…
全部、二人の優しい優しい作戦だったんだ
そして今日…同じように灯にもメールを送ってあげて、この状況まで私たちを立ち直らせて
数え切れない気付かない優しさに、気付かないうちに助けられてきた
何度も
何度も
そして今回も
「…ひより 有珠ちゃん 」
「ゆりさんっ 見てくださいっ 雨…あがりましたよっ」
しきりに朝から降り続いていた雨空の音が止み、背中に夏の光の陽気をふと感じる
あんなに降り続いていた灰色の雨は、夏の陽気に負けるように押しのけられ、雨上がりの夏の空に身体が夏の日差しにさらされてゆく
「ゆりちゃんには話したと思いますが私のこのカーディガンの秘密」
「…ぅん」
「私は… 私も去年 今のゆりちゃんのような状況になりました」
「しかし私はあのとき走り出すことができませんでした」
「それは一年経った今でさえも はっきりとした後悔と挫折という気持ちで残っています」
「…ぅん」
「あのとき もし勇気を出してあの人の元まで走り出せていた自分がいたなら…」
(……)
そう言うとひよりは悲しげな表情をしてカーディガンの裾をぎゅっとにぎりしめる…
ひよりの痛み
すれ違って…
もう一度、大切な人を迎えに行くこともできず…
「ですが ゆりちゃん?」
「…はぃ 」
「ゆりちゃんは私とは違います」
「私たちなんかより 誰より先にゆりちゃんが向かうべき場所があるはずです」
「…うん 」
「もう一度 言います」
「-私たちにできるのはここまでです-」
「あとはゆりちゃん自身の判断です」
(…………)
こんな…
こんなにまで二人にされちゃったら…
もう、選択肢は一つしかないじゃんね
…………
………
「…ひより…有珠ちゃん 本当にありがとう…」
「はぃ」
「いえいえですっ」
「ちょっと… 」
「…行ってくるねっ 」
「はぃ いってらっしゃぃ」
「がんばってくださぃですっ」
「うん…っ! 」
バンッッ!!
そう伝えた瞬間っ、この教室の古びた扉を勢いよく跳ね開ける
そしてそのすぐ横にある下の階へと繋がる階段へと直ぐさま走り出す
足が廊下へと踏み出し、ありったけの力を込めて踏み出したこの一歩目
止めたくない今のこの速度で、最上階の階段を最大限のスピードで走り抜ける
スカートがフワリと揺れ、髪がなびき、階段の段差を飛び越えて舞い上がる
窓からは完全に雨の止んだ空からの斜陽が降り注ぐ
(今だけでいいから…)
この手よ、今は震えないで…っ
この足よ、ちゃんと私を支えて…っ
階段はダンッダンッという音を響かせながら、蹴り返し、風の如く身体を前へ前へ振り飛ばす
「はぁ…っ はぁ…っ 」
時間はあの日から止まったままなんだ…っ
あの日、ここで遠ざかって消えていった親友の背中…
灯と語ったくだらないあれこれや抱きしめて、私は今、灯と出会えた幸せを噛み締めながら、こんなにもこの階段を駆け抜けている…っ!
「はぁ…っ はぁ…っ 」
階段をありえないスピードで一気に下りきり
一階の生徒玄関で一度、血が巡りドクンッドクンッと激しく脈を打つ心臓の鼓動を落ち着かせる
「すぅ…はぁ~っ 」
目一杯の背伸びをして深呼吸をする
上履きを脱ぎ、ロッカーから入れ代わり出したローファーに2秒ではきかえる
そこでいったん私はその場で小さく俯きしゃがみ込む
両目を閉じて左胸の上にそっと手をおく…
(ここまで来たら…もう戻れないよね )
みっともない格好だけれど、こうして立ち止まっているのは、私が次のステップに私なりに進むための静かな前触れなのだから
左胸の奥が高鳴る感覚がわかる
不安が脈を打つ…
しかし、ゆっくりと両目を開き、静かに先立つ衝動に身を任せ始める
「ふ…ぅ すぅ… 」
次の瞬間っ!!
そのままのしゃがみ込んだままの体勢
そう…まるでクラウチングスタートのような格好で
助走もつけず、ザッと思いきって地面を蹴り飛ばす
今 行くから…っ
待ってて 灯っ!