97,多妻。
見物客たちと別れ、エレノアとふたりで野原で野営しているときのことだった。
「自分の未来について考えたことはあるか」
と、エレノアに問われたのは、焚火の火がひと際大きく爆ぜたときのことだ。
「将来ですか。実は、あまり考えたことはありません。このあいだ、エレノアさんに王になれと言われて、少しびっくりしてしまいました」
「革命を起こすということは、つまり、この国の次の統治者になるということだ。革命だけしておいて、あとはほったらかしにして好きに生きていく、というわけにはいくまい」
「まあ、言われてみればそうですが、でも、……想像がつかないですね」
「お前の気持ちもわかる」
エレノアはそう言ったまま、その美しい横顔をしばし焚火の火に照らされていた。
「……誰かと結婚する気はあるのか」
真っ直ぐ焚火を見据えながら、エレノアがぽつりと、そう聞いた。
「結婚ですか。……どうでしょうか」
その言葉を聞いて、真っ先に思い浮かんだのはアニーのことだ。
彼女と結婚出来れば自分は幸せになれそうだが、同時に、困難も多いとも思う。
彼女はこの国の宝とも言われる聖女アニーだ。親や親族を説得しなければならないし、俺自身の地位が高くなければ、なにより、世間が納得しないだろう。
そんなことをもやもやと考えていると、なにを誤解したのか、エレノアはこんなことを言った。
「王や有力貴族になれば、……多妻を取ることが認められるぞ」
「多妻?」と、思わず俺は、そう聞き返す。「複数の妻を娶れるということですか?」
エレノアはなにか顔を赤くして、ゆっくりと頷く。
複数女性との結婚は、考えてもいなかった。
なにより、アニーと結婚したとして、そこへ第二夫人として来てくれる女性がいるとも、想像がつかない。
すると、再びエレノアが、こんな思わぬことを口にした。
「第二夫人には、私なんかは、どうだろうか」
「エレノアさんですか……?」
エレノアは顔を赤くしたまま、頬を膨らませて、頷く。
「でも、第二夫人なんて、嫌じゃありませんか……?」
彼女は真っ直ぐ焚火を見据えたまま、こう呟いた。
「……私は、第二夫人であっても構わないと思うタイプの女だ」
良く見ると、昼間造ったワインがすでに瓶の底で空っぽになっている。
酒のあまり強くない彼女が、ここまで多量に飲むのは見たことがない。恐らくは酔っぱらったせいでこんな普段は口にしないことを言っているのだと思うが、それにしても、ここまでのことを言われると、さすがにこちらも照れる。
「その、ついでに聞きますが、……第一夫人になりたいとは、思ってはくれないのでしょうか」
「そりゃあ思うさ。だが、お前がアニーを好いているのは分かっている」
エレノアの横顔に、微かに暗い色がよぎる。
「妙なことと思うかもしれないが、私はアニーとお前の関係を、壊したいとも思ってはいない。ふたりには上手く行って欲しいと、本音でそう思っているんだ」
エレノアは相変わらず俺の目を見ることなく、必死にそう力説する。
「私は、お前の全部を欲しいとは思わん。アニーに与えている愛の、ほんの残りを、僅かに与えてくれれば、私は満足だ」
「それでは駄目だろうか?」
と、そのとき、潤んだ瞳で、エレノアが初めて俺を見つめた。
きらきらした、翡翠のように綺麗な目だ。
若い頃、多くの冒険者がこの瞳に見つめられ、あっけなく恋に落ちたという。
それほどの美女である彼女が、今、俺の為にここまで言ってくれている。
気の強そうな美人であるエレノアに「第二夫人でも構わない」とまで言われると、男として、心が揺らがずにはいられなかった。
「もう寝ませんか。俺が見張りをしていますから。エレノアさんは、酔っているからそんなことを言うんですよ」
「酔っているから言うのではない」エレノアは小声でそう囁く。「もうずっと前から考えていたことだ」
「本気にしてしまいます。冗談だったら、もう終わりにしましょう」
「冗談でもないんだ。私なりに充分考えて、出したアイデアだ」
エレノアは今や俺の服の端を掴んで、その大きな瞳をうるうると潤ませていた。
緑色の髪のなかできりりとした綺麗な顔立ちを見せている彼女は、どこか造り物めいてさえ見える。
その潤んだ瞳があまりにも可愛くて、見ていると、吸い込まれそうになる。
今や俺もエレノアも、顔を真っ赤にさせて、真っすぐに相手の目を見つめ合っていた。
「……第二夫人になって欲しいだなんて、自分からは言えません」
「多くの有力貴族がやっていることだ。お前には、そうすることが許されるだけの、力がある」
「だとしても、簡単にはそんなこと、出来ません」
「では、その選択肢があるとだけ、覚えておいてはくれないだろうか」
「……わかりました」
エレノアはしばらく目を潤ませたまま俺を見据え、下唇を噛んでいた。
かつて彼女にここまで言わせた男がいるだろうか。これほどの美女に求愛されているのだ。優越感がないと言ったら、嘘になる。
「涼、こっちへ来ないか。隣で一緒に焚火にあたろう」
彼女にそう言われ、俺は吸い寄せられるように、彼女の隣にそっと腰を下ろす。
真横に座った彼女は、至近距離でしばらく俺を見ていた。
「……どうしよう」
と、ふいに彼女は、ぽつりとそう言った。
「……どうしようと言うのは?」
「どうしたら良いかわからない。お前が好きすぎて、コントロールが効かん」
「ちょっと、エレノアさん!?」
彼女は急に俺の胸倉を掴むと、思い切り俺の身体を強く引き寄せた。
まさかキスされるのかと身構えたが、彼女はぎゅっと俺の身体を引き寄せると、肩に自分の頭を乗せた。
「今日はこのままくっついて寝させてくれ」
彼女の柔らかな頬が、直接俺の頬に触れている。
香水なのか、それとも花でも家に生けているのか、膨らむような甘い匂いがその身体からは発せられていた。
「良いですけど、……これ、寝れますかね」
横目でそっとエレノアを盗み見ると、彼女はじっと俺を見据えていて、思わず、ぱちりと目が合う。
ずっと怒るような顔で顔を赤らめていた彼女だが、その瞬間、ふわりと微笑み、
「私はこうしているだけで幸せだ」と言った。「私はアニーの残りで良い。こうしてたまに、くっついて寝させてくれ」




