93,軍部掌握。
※再びヴァレンティン目線の話です。
涼たちが宿に帰ったあと、ユグリスが見計らったように私の部屋を訪ねて来た。
「どうだった? 彼は君の眼鏡に適っただろうか」
「……ああ。なかなか規格外な男だ。セナやヴィクターが気に掛けるのも良くわかる」
「なにしろ彼は“終焉因子”だからな」
「いや……」
と言いかけ、私は被りを振る。
田村涼という男が凄いのは、彼が“終焉因子”だからではない。
むろんその凄さもあるにはあるのだが、彼の真の凄さはその人柄にある。
それは直に接して数時間を共にしなくてはわからない類のものだが、彼には、私たちにはない大らかな強さがある。そしてその強さは、恐らくはこの世界にかつて無かったものだ。
「実は、彼に直接会うまで、新手の詐欺師ではないかと疑っていたんだ」
朝焼けの降り注ぐ窓を見ながら、私はそう打ち明ける。
「分かっていたさ。お前とは何年の付き合いだと思っている」
「彼の解答次第では、その場で斬りつけることも辞さないつもりだった」
「血の気の多いお前のことだ。きっとそうだろうと踏んでいたさ」
「酒を酌み交わしたとき、実は、わかるかわからない程度に、殺気を発してみた」
「そうか。……それで、どうだった?」
「彼はまったく微動だにしなかった。反応すらほとんどなかった。恐らく反応出来なかったのではない。反応しなかったのだ」
その瞬間のことを私は思い出す。
自らの剣に手を掛け、それで彼の首元を掻っ捌く、――そんなイメージを、私は殺気を籠めて彼の前で思い浮かべた。
ある程度腕のある冒険者なら、相手が殺気を発すればなにかしらの反応を見せるものだ。
だが涼は、けろりとした表情で、グラスの酒を飲み干しただけだった。
「斬るはずがないと高を括っていたのだろうか?」
「いや……」
と、私は首を振る。。
「恐らくあれは、戦っても勝てると踏んでいたのだろう」
「まさか」
「いや、本当だ」
「元S級冒険者ヴァレンティン相手にか? いったいあの男は、どれだけ強いんだ……??」
「わからんが、なにせ翡翠の魔女エレノアの弟子だからな。想像もつかんよ」
「まったく、並外れた連中だな……」
ユグリスはそう呆れて見せるが、その表情は朗々と浮かれてさえ見える。
私にはその気持ちが自分のことのように理解出来た。桁外れに強く、人間的魅力に溢れたあの男と知り合えたことが、私たちは思わず微笑んでしまうほどに、嬉しいのだ。
「しかし”狂犬ヴァレンティン“と呼ばれたお前が、たった一晩で気に入ってしまうとはな」
「その綽名はよしてくれ。気に入っていない」
「話し方が気に入らない、態度が横柄で許せない、……そんな些細なことで、幾人もの男を病院送りにして来た男なのにな」
「……よしてくれ」
「軍部でも何度も上官とやりあったそうじゃないか。その噂は“法の守護者”の私にまで届いているぞ」
「過去のことだ。もう忘れてくれんか」
「そんな狂犬のお前が、知り合ったその日のうちに“騎士の紋”を結ぶとはな」
「……それだけ魅力的な男だったのだ。今後どれだけ一緒に過ごそうが、この印象は変わるまい」
しかし気になるのは涼だけではなかった。
翡翠の魔女と呼ばれるエレノアと顔を合わしたのはずいぶん久しぶりのことだったが、最後に会ったとき、彼女は深い憂鬱の底に沈んでいた。彼女に関する噂話は多く耳にしている。元いたパーティーに裏切られたとか、そのパーティーのリーダーが彼女の才能に嫉妬していた、とか。
だが、久しぶりに会った今日、エレノアの顔から当時の憂鬱さは消えていた。むしろかつての明るさを取り戻し、活力に溢れてさえ見えた。
「実力だけなら群を抜いていた。冒険者に戻った今、彼女がSランクに到達するのもそれほど遠いことではあるまい」
「誰の話だ?」
「エレノアだよ。顔を合わすのは久しぶりのことだ」
「ああ、私も気になった。ずいぶん明るくなったように見えたな」
「それもあの男の影響かもしれん。なにしろ、周囲のすべての人々を幸福にしてしまう男だ」
「ずいぶんあの男を買っているのだな」
からかうようなにやにや笑いを浮かべ、ユグリスがそう言う。
「買っているさ」と、私は答えた。「なにしろずっと待ち侘びていた男が現れたのだからな」
きっと、ユグリスも同じ想いだったのだろう。
さっきまでのからかいの表情は消え、彼の顔には長い年月を思わせる深い満足感が浮かんでいた。
「恐らくは、始まってしまえばクーデターは一瞬でかたが付く」
「そうだろうな」
ユグリスが口ひげを撫で、頷く。
「いつでも始められる準備はしておけよ」
「お前こそな。……それでは、今日は帰るとしよう」
「ああ。いつか来るその日に、また会おう」
◇◇
その日の夕方、私は軍部の主だった幹部を集め、会議を行った。
長い時間を掛けて作り上げた信頼できる部下たちだ。どこから秘密が漏れてもおかしくないこの貴族社会で、こいつらだけは絶対に裏切らないと自信を持って言うことが出来る。
特に緊急事態でもないのに私が集合させたことで、幹部たちは私が言おうとすることをすでに悟っているようだった。
その表情には今後起こることへの期待と、緊迫感と、そして必ずそれを達成できるだろうという自信が漲っていた。
「……では、私たちの待ち続けて来た“終焉因子”が、本当にこの世界に現れたのですね」
「そうだ」
私は力強く頷く。
「しかも、私たちの最も望む形で現れたと言っても良い」
「……ということは、その人物は、私たちの味方なのですね?」
「ああ」
と、私はやはり、力強く、頷く。
「味方だ」
一瞬で沸騰した湯のように、場がどっと沸いた。
「我々はいつでも始められる準備が出来ています」
「そう気を急くな。いつになるかはわからん」
「最高司令官こそ、一刻も早く始めたいからこそ、我々に伝えたのではないのですか」
「まあ、……そうだ」
軍部のトップに就任して以来、どれほど長い時間をこのことに費やして来ただろう。
注意深く部下たちを精査し、今の貴族社会に不満を持っている人物だけに、私の本心を打ち明けて来た。
その本心とは、“いずれこの貴族社会を終わらせる”、つまり、クーデターを起こすというもの。
八人の幹部は私同様に貴族社会に深い軽蔑を抱く者が集まっている。
幹部の下、末端の構成員たちは、今では私たちの思想に共感する純朴なしもべと言って良い。
総勢三万人の軍隊を、私の思想で完璧に染め上げたのだ。
そしてその軍隊は今、クーデターの日を待って、“終焉因子”である田村涼のもとへと集結したのだ。




