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89,大将軍ヴァレンティン。

 ※涼目線に戻ります。


 

 “法の守護者”の執政大法官であるユグリス・ヴァンデルに呼び出され、街の西側にある古い西洋館に赴いたのは、宴の翌週のことだった。


 古びてはいるが、上品さを損なっていない赤絨毯の廊下を奥へ進むと、そこにはいるはずのユグリスはおらず、ひとりの知らない大男が座っていた。年齢は五十半ばほどだろうか。二メートルはありそうな巨躯を、こじんまりとした椅子にかろうじて収めている。髪には白いものが混ざり、もみあげは特に白い。


 「大将軍を務めるヴァレンティン・ドラグスレイヤーだ。良く来てくれた」

 「あの、俺はユグリスさんと待ち合わせしているのですが……」


 そう問うが、ヴァレンティンはこちらの言葉に耳を貸さず、腕組みをして俺のことを見据えている。

 まるで、俺という人間をすべて見透かそうとするかのようだ。大熊を思わせる巨躯のせいで、その視線にも圧迫感というか、迫力がある。


 「ユグリスは訳あって遅れて来る。それまで少々話をしようじゃないか。さあ、座れ。さまかずっと立っているわけにもいかんだろう。……それとも、私と話をするのになにか不都合でもあるのか?」

 「いえ、ありません。では失礼します」


 ヴァレンティンの言葉には棘があり、厳しさもある。

 だが、それが彼の生来の性格ゆえなのか、俺に対する敵愾心ゆえなのかが、掴めない。どちらとも取れるだけに、気が抜けない。


 「大将軍と言えば、この国家の軍事部門の最高権力者だ。そのことはわかるか?」

 「ええ、一応、分かっているつもりです」


 大将軍ヴァレンティンの名前は、さすがに俺でも聞いたことがある。

 もとは教会出身者の第一階級の貴族だが、職業は“聖霊闘士ホーリー・スピリット・ナイト”で、もとはS級冒険者でもある。豪胆な性格と高い武力で知られ、そのスター性もあって、国民からの信頼と人気も高い。


 「軍事部門の最高権力者である大将軍が、俺になんの用があるのでしょうか。心当たりがないのですが」


 この世界の権力者と会うのには、いつもかなりの緊張が湧く。第四階級の出自で、しかも貴族社会を終わらせようとしている俺は、権力者側から見れば異端者であり、クーデターを企てる謀反者と思われても仕方ない。

 相当に言葉を選んで話さなければ、この凄腕のS級冒険者とすぐさま戦闘するハメになるかもしれない。そうなれば、俺もただでは済まないはずだ。

 

 「そう話を急ぐな。とにかくこれでも飲め」

 

 ヴァレンティンは足元に置いていた瓶を、テーブルに置く。

 超高アルコールの酒で知られる、ヤチェル蛇を使った蛇酒だ。


 「……いただきます」

 小さなグラスに注がれたその酒を、ぐっと一息で、飲み干す。

 毒でも入っていたらかなり危険だが、この状況で飲まないわけにはいかない。

 火で焙った鉛を飲み込んだような、熱いものが喉から胃へと流れ落ちる。


 「では、私もいただこう」

 ヴァレンティンは自分のグラスにも酒を注ぐと、それを一息で飲み干した。

 なにか俺を試す意図があったのか、それとも、ただ酒好きなだけなのか。


 

 「なにを望む?」

 

 アルコール臭い吐息でそうヴァレンティンが問うたのは、そのときのことだ。


 「は?」

 「なにを望むのか言え。権力か、金か。それとも、女か」

 「質問の意味がわかりません」

 「わからんはずはない。……わからんのなら質問を変えよう。お前は、どこを目指している」

 「やはり、質問の意味がわかりません。俺は別に、どこも目指してはいません」


 ヴァレンティンがその鋭い目で、俺を睨みつける。

 燃えるようなその眼は、はっきりと、”嘘をつくな“と俺に語り掛けている。


 「……フレッシャー商会の裁判、新しい美酒、“セーター”とかいう見たこともない衣服。それに貴婦人たちが取り合いになるほどの高品質な化粧品。どれもお前が仕掛けたものらしいな。私の知る限り、それほど多岐に渡って活躍をした冒険者はほかにいない。どんなからくりがあるのか知らんが、いかがわしいチカラがあるのは分かっている。……そのチカラを使って、なにを企んでいるか言え」


 ヴァレンティンの身体から発せられる圧が、一回り大きく膨らむ。

 一瞬、ヴァレンティンから目を離し、たった一つ部屋に備え付けられている窓に目を遣ると、そこに数人の人影が立っているのが見える。

 包囲されている。仕組まれたのだ。


 S級冒険者の発する圧で、俺のこめかみから一筋、汗が垂れた。


 「俺をここで殺す気ですか」

 「それはお前の返答次第による」

 「では、正直に言います。嘘は言いません」

 「当然だ。嘘など言わせるものか」

 「俺が目指しているのは、“平等な世界”です。階級差のない、完全に平等な世界。……それだけです」


 ヴァレンティンがすっと椅子の背にもたれ、わずかながら空気が緩むのがわかる。


 「望むのはそれだけか」

 「……正真正銘それだけです」

 「質問を変えよう」

 「ええ、なんでも」


 「オーヴェルニュの国を北西に進んだ先に、小さな街がある。そこの領主が間もなく寿命で命を失う。綺麗な女の多い、自然豊かな街だ。…その街は、次の若い領主を必要としている」

 「なにが言いたいのか、わかりません」

 「……出せるだけの金と、幾人かの街の高級娼婦を付けよう」

 「それを持って、この国から出て行けと言うのですか?」

 「その通りだ」ヴァレンティンは真っ直ぐ俺の目を見据えて言った。「悪い話ではないはずだ」


 これは交渉だ、と俺は思う。 

 ついにこの国の権力者に俺の存在が見つかり、彼らにとって邪魔者であることが明白となり、この国から追い出そうと交渉に来たのだ。


 “悪い話ではない”と言えば、確かにそうなのだ。

 ……だが、すぐにアニーや、ツルゲーネや、第四階級の仲間たちのことが、脳裏に浮かぶ。俺だけが別の場所に行って、悠々自適に暮らすわけにはいかない。


 「あり得ません」と、俺もまたヴァレンティンを真っ直ぐ見据え、そう言う。「この国を出て行こうとは考えていません」

 「……お前の指定する仲間を数人連れて行くことも、許容しよう」

 「それでもだめです。すべての第四階級の仲間を連れて行けないなら、意味がありません」

 「……いくら金を積んでもか?」

 「金は問題じゃありません。女もです。この国でやることがあるんです」


 ヴァレンティンはしばらく俺を睨みつけていたが、ふーっと長いため息を吐くと、


 「もういい、入って良いぞ」


 と、背中側の扉に向かってそう呼びかけた。


 「だから無駄だと言っただろう」

 

 と言ってその扉から入って来たのは、驚くことに、約束のあったユグリス本人であった。


 「試しても無駄だと言っただろう、彼は聖人のような男なんだ」

 と、呆れた様子で、ユグリスが部屋に入って来る。

 「しかし疑う必要もあるだろう。お前の話だけを真に受けるわけにはいかん」

 「私も相当疑ったが、彼には邪心はないよ。私たちとは違うんだ。根本からして、なにかが違うんだよ」


 “もういい”というように、ヴァレンティンは被りを振り、そして椅子から立ち上がる。


 「すまない。君を試した。正式に謝罪する。どうか許して欲しい」

 そう言うと、騎士の礼儀に乗っ取って、深々と頭を下げる。見ているこちらが心を痛めそうになるほどの、規律正しい謝罪だ。

 「頭をあげてください。いまいち事情がわかりません」

 「彼は私の旧友なんだ。君のことを話したら、一度顔を合わせてみたいと言い出した。あくまでも“私は信じない”と鼻息を荒くしていたがね」

 ユグリスが心底うんざりした様子で、そう言う。

 「では、疑いは晴らして貰えましたか」

 「もう疑ってはおらん。……窓の外の部下には殺気を放つように指示してあった。命の危険のある場面で、人間は嘘を吐けんものだ。ユグリスの言うように、君はどうやら本物の聖人らしい。改めて謝罪を言う。試すような真似をして、本当に申し訳ない」


 今度の謝罪は先ほどのものとは違い、やや砕けていた。

 肩の力を抜いて話すその姿は、わずかなユーモアを含んでいる。案外、面白い男なのかもしれない。

 

 「しかし、目の前に金をちらつかされ、女まで用意すると言われても眉ひとつ動かさないとは、……まったく、君はただものではないな」

 ヴァレンティンがそう嘆息すると、

 「分かっていないな」

 と、ユグリスが口を挟む。

 「涼殿はそういう次元に居ないんだ。私たちとは違うよ」

 「そうなのか? 私なんか、高級娼婦を付けると言われれば、ほいほいこの国から出て行くがな」

 「それは私も同じだ。……いや、この発言は、執政大法官としては、いささかまずかったか」

 「お前も今の役職に就いてからずいぶん仮面を被って生きておるよな。私としては、堅すぎる今のお前を見ているのは、少々、つまらん」

 「つまるつまらないで仕事をするものではないだろう。……それに、気持ちは私としても同じだ。まったく、下手に高い地位に就くものではないな」

 「それは同感だ。大将軍などやってられんよ。あれほど好きだった酒も、今は週に四日しか飲めん。以前は毎晩酔いつぶれるまで飲めたものだが」

 「お前は飲み過ぎだ。週に四日でも多いぞ。……私など、もう一月は飲んでいない」

 「お前それ、……正気か?」

 

 ヴァレンティンは眉根を寄せ、不可解なものを見るような目でユグリスを見据える。

 なにがなんだかわからず、

 

 「あの、結局、俺はなんで呼ばれたのですか?」 

 と、口を挟むと、ふたりは“そうそう”と言うように振り返り、


 「とにかくまずは酒を飲もう。ユグリスも座れ。……この酒がまた美味いんだ」

 と言って、卓の上のグラスに、それぞれ酒を注いだ。


 「またずいぶん度数の高い酒だな。……まあ私も、蛇酒は嫌いではないが」

 「久々に飲もうじゃないか、親友」

 「誰が親友だ。悪友か、腐れ縁だろう。……すまないね、涼殿。良かったら君も付き合ってくれ」


 乾杯といった具合に、三人でグラスを合わせ、再び、一息で蛇酒を飲み干す。

 ヴァレンティンの言うようにどうやら上質な酒のようで、一度目には分からなかった深い甘みが、焼けるような熱さのなかに混ざっているのが、分かる。


 「本題だが」

 と、酒を飲み干す俺を嬉し気に眺めながら、ヴァレンティンが言った。

 「君は“彼方人”だろう。……もう部下も下がらせている。私と、ユグリスと、君の三人だけの密室で、出来ればすべてを正直に打ち明けて欲しい」

 

 ヴァレンティンは真っ黒に焼けた肌に皺を寄せ、にっこりと笑うとこう付け足した。


 「この国を転覆させたいんだろう? 私とユグリスは、味方だ」






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