88、話せて幸せ。
※今回はツルゲーネ目線の話です。
オーヴェルニュの街の東に、その日、真っ白な新しい巨大施設が建造された。
二百人が寝泊まりできるその宿泊施設は、広場に水洗い場を備え付け、その隣には炊き出しの行える火事場があった。
中庭には青々とした人工芝が敷かれ、真昼時には太陽の光を浴びて施設は真っ白に輝く。
その洒脱な雰囲気は、まるで高級ホテルか金持ちの別荘地さながらで、これが第四階級の人々の為の簡易宿泊施設だとは到底誰も思わないだろう。
だが、そこまでのものが造られても、差別はなくなったりはしない。
「見ろよ。第四階級のクズどもが集まっていやがる」
施設の周辺に、二十人ほどの見物客が群がり、俺たちにも聞こえる声で嫌みを言う。
「なんの役にも立たない街のクズども。見るだけで吐き気がする」
見てと頼んだわけではないのだ。だったら、近づかなければ良いと思うが、文句を言いたいのだろう。
「あんな奴ら、俺一人で五分もあれば皆殺しに出来る」
「俺も出来るぜ。雑魚しかいないみたいだしな」
などと、物騒なことを言う連中もいる。
第四階級の仲間たちは、この陰口を耳にして震えあがっている。
「……見ろよ、俺たちを見て震えてるぜ!」
「ギャハハ、怯えていやがる!」
と、そのときのことだ。
噴水広場の方角から街道を歩いて来るふたりの人影が目に入る。
エレノアと、……涼だ。
「……ん? なんだこいつら」
騒いでいた群衆の横を通るとき、エレノアがなにか不審な空気を察知して、そう立ち止まる。
“翡翠の魔女”と呼ばれた凄腕の冒険者を前にして、さっきまで騒いでいた連中が、絞られた雑巾のように硬直する。
「なんだお前ら、なにか文句があるのか。なにを見ているんだ」
「ちょっと、エレノアさん、やめましょうよ。今日は新しい“生活の広場”が出来た記念すべき日なんですから」
「止めるな、涼。こいつら、なにか殺気立っている。しかも私たちの施設を取り囲んでいる。もしかしたら襲撃に来た強盗かも知れんぞ」
「こんな白昼堂々、強盗に来る奴なんていませんよ。勘違いですって、もう行きましょう」
「そうかあ? なにか様子が変な気がするが……。おい、ツルゲーネ、ちょっとこっちへ来てくれるか!」
と、エレノアが声をあげ、その場に俺が呼び出される。
慌てて駆け足でそこへ行くと、ふと、涼が後ろ手に大きな荷車を引いていることに、気が付く。
「あれ、涼、お前が引いているそれはなんだ?」
「ああ、これか。ついさっき街の外で大型魔獣熊が出没したから、エレノアさんと一緒に討伐に行ってきたんだ。皮を剥いで丁寧に焼くと、美味しい肉が採れる。みんなで食べよう」
大きな荷車には、すでに絶命した大型魔獣熊が、両手を広げて舌を出し、天を仰いでいる。
さっきまで陰口を叩いていた連中が、ひそひそと口を交わすのが、聞こえる。
「大型魔獣熊だってよ……、A級ランクでも討伐に一苦労する、超強敵だぞ……」
「しかも見ろよあの大きさ……。子供やメスじゃない。しっかり成熟したオスだ」
「お前、あんな化け物、倒せるか……?」
「馬鹿言うなよ、俺なんか一撃で殺されちまう……」
すでに真横にいる連中のことは頭にないのか、エレノアが腕を組んでこう提案する。
「大型魔獣熊は肉も美味いが、内臓も美味いんだ。丁寧に下処理をすれば臭みもない」
「肉も良いですが、皮も上質ですね。この皮を使って新しい衣服が造れるかもしれない」
「衣服も良いが、酒も良いぞ。大型魔獣熊の足の爪はサソリのように生きているんだが、それを度数の高いアルコールに漬けると、蠱惑的な旨みのある酒が出来上がる。……ただ、今日集まる人数的には、少々、量が足りないかもな」
「そうですね。出来れば群れで出て来てくれれば、ありがたかったのですが……」
「たった一匹だものな。戦いがいもなかった。私が出る幕もなかったな。涼ひとりであっさり倒してしまった」
「エレノアさんの修行のおかげですよ。……ただ、腕慣らしをするには、ちょっと雑魚過ぎましたね」
再び、陰口を叩いていた連中のひそひそ声が聞こえる。
「雑魚……? 大型魔獣熊を雑魚って言ったぞ……?」
「いや、というか、”翡翠の魔女“の力を借りずに、あれを倒したみたいだぞ……?」
「しかも“群れで出て来て欲しかった”なんて言っている……」
「……なあ、あの男、例の”第四階級の冒険者“じゃないか……?」
「うわ、ほんとだ。見たことあるぞ。フレッシャー商会の裁判で大活躍した奴だ」
「フレッシャー商会の裁判!? このあいだのやつか!?」
「そうだ、あいつ、田村涼とかいう奴だ。過去最速でB級に上がった異例の”第四階級冒険者“だよ……! 」
まるで彼らに追い打ちを掛けるかのように、そこへ聖女アニーが到着する。
「皆さんお揃いですか。すいません、遅れてしまって」
「いえ、俺たちも今着いたところです。……アニーさん、すいません。公務で忙しいのに、わざわざ来てもらって」
「皆さんの大切なお祝いです。来ないわけにいかないですよ」
「私からも詫びよう。アニー、多忙なところ、すまないね」
「やめてください。私が来たくて来たのです。皆さんに会えること、とても楽しみにしていたんですよ。……ツルゲーネさんも、呼んでくださって、本当にありがとうございます」
アニーはそう言うと、花咲くような笑みを浮かべ、深々と俺に頭を下げる。
再び、エレノアの背後にいる連中から、こんな囁き声が聞こえる。
「……こんな間近であの聖女アニー様を見るのは、初めてだ」
「おい、俺は今、猛烈に感動している。アニー様、とてつもなく美人だな」
「あんな美人、俺の人生で見たこともねえ。家にいる母ちゃんと大違いだ」
「お前のとこの母ちゃんと一緒なはずがねえだろう。……しかしアニー様、とんでもなく綺麗だなあ……」
「俺、一生このことを忘れないと思う……!」
と、そのときのことだ。
エレノアがふいに思い出したように、彼らを振り返って、こう言った。
「そういえばこいつらは結局なんなんだ? ツルゲーネ、なにか知っているか?」
「ああ、この人たちは」と、俺は内心やってやったと思いながら、こう言う。「さっきからこの辺りに溜まって、俺たち第四階級の悪口を叫んでいた人たちです」
すると涼、エレノア、アニーが一斉に、
「なんだって?」
「なんだと?」
「なんですって?」
と、ぎろりと彼らを睨みつける。
「涼、止めるなよ。私たちの仲間を馬鹿にする奴は私が許さない」
「止めませんよ。俺の方だって、仲間を馬鹿にされたら、絶対に許さない」
ふたりがそう憤る頃には、そこにいた群衆は四方へと駆け出していなくなっていた。
少々意地悪だったが、さすがに、俺の心も晴れた。
◇◇
約二百人分の引っ越し作業が終わると、施設の中庭で、大型魔獣熊の肉と酒を振る舞う祝賀会が開かれた。
ロジャーやセナや、ガブリエル、今回は解毒士のシビラまで来ている。なにか催し物を開くたびに、そこに集まる人が増えている。
それは多分、涼という男の人望ゆえだろう。
「催し物の隅でこうして話すのは、二度目ですね」
いつの間にかアニーが隣に来ていて、酒を薦めてくれる。
涼が最近造ったという、“深森の雫”という酒だ。匂いからしてすでに、美味い気配がする。
「せっかくアニーさんが来てくれているのに、涼はなにをしているんですかね」
「見てください。広場の中央で、第四階級の人々にスキルを贈与しています」
見ると、列を成した第四階級の人々ひとりずつに、涼がスキルの譲渡をしているのが見える。
与えているスキルは“調合”、“調理”、“建築”、“修理”、“裁縫”などなど。すべて生活職ばかりだ。
いつだったか、涼は第四階級の人々に分け与えるスキルを確保するために、街中の生活職の人のもとへ出向いて“物乞い”を行っていた。
たっぷり蓄えたその生活職を、今、仲間たちに分け与えているというわけだ。
「この宿泊施設に全員が住めるわけではないですから、住めない人には、街で働くためのスキルを与えているみたいです」
「さっき聞いた話だと、セシリアさんが新たに酒を造る工場を買ったみたいで、そこでも働かせてもらえるみたいですね」
「そのようですね。……あのおふたりはすごいです。どんどん新しい分野を開拓して行って、私など、ついて行くので精一杯です」
「俺もそうです。この間まで橋の下で眠るのが当たり前だったのに、いつの間にかこんな施設まで作ってしまって……。涼のやることには、驚かされてばかりです」
かなりの人数が並んでいたはずだが、しばらくすると、涼のスキル譲渡は終わりを迎えた。
すると今度はエレノアと大型魔獣熊の解体作業が始まり、その肉の捌きが終わると、その肉をふたりは火で焙り始めた。
火で肉を焙っている間、今日この為にやってきた人々が、涼のもとへ話しかけに行っている。
セナ、シビラ、ヴィクターに、ユリという治癒士、それからアレンとルナも来ている。
少々女性が多すぎるのと、彼女たちの涼に接する距離が近すぎるのが気になるが……。
「あいつはどこまで行ってしまうんでしょうね。だんだん規模が大きくなって来て、俺の頭ではついていけなくなって来てしまいました……」
「怖いですか?」
アニーがその可愛らしい顔を傾げて、そう尋ねて来る。
「怖い……。そうですね、確かに、怖いのかもしれません」
「分かります、その気持ち。涼さんは活躍し続けていますから、私も置いて行かれるのでは、と、時々怖くなります」
“でも”、と、アニーは続ける。
「でも、最近はこう思うんです。“涼さんが私たちを置いていくはずがない”って。むしろあの方は私たちをどこまでも幸せに導いてくれると思います。今までもそうだったし、きっと、これからもそうなはずです」
「涼が、俺たちを、幸せに導いてくれる……」
その言葉は、神秘的な祈りの言葉のように、俺の胸にすっと染み込んで来る。
涼について行けば、俺たちはどこまでも幸せになれる気がした。
「飲みませんか」
アニーが、“深森の雫”の入ったグラスを、俺の前に掲げる。
「……飲みましょうか」
俺もまた、自分のグラスを掲げ、彼女のグラスにそっと当てる。
「美味い……! アニーさん、このお酒、凄まじく美味いですね……!!」
一口飲んで、思わずびっくりしてしまい、俺はそう叫ぶ。
「ええ、本当に、とても美味しいです」
アニーもまた、驚いた様子で目を見開き、ふうっと溜息を吐く。
ふとそのとき、涼を見つめるアニーの瞳が、薄い涙の膜で揺れているのに気づいた。
まさに宝石のように青いその眼を濡らしているのは、喉から抜ける酒の匂いのせいでも、オーヴェルニュの冬の寒さのせいでもなさそうだ。
この女性は本当に涼のことが好きなのだな、と俺は思う。
アニーは誰が見ても絶世の美女で、多分、世界中の女性を集めても、“そこにアニーがいる”と見分けられるほど、その美貌は図抜けている。
真っ白な透きとおる肌と、惚れ惚れするほど青い豊かな髪。そして、見つめられただけで恋に落ちそうな、大きな青い眼。顔のすべての部位が、最上級に整っている。
その絶世の美女が今、俺の隣で、別の女性と話す涼を涙ぐみながら眺めている。
「あいつは馬鹿な男ですよ」
「えっ!? 」
「アニーさんという人がいながら、……あいつはまったく、馬鹿な男です」
「そんなことありません」
「呼んできます。ここで待っていてください」
「いえ、良いのです。話を出来なくても、私はここで見ているだけで、十分です」
「それ、本気で言っているのですか?」
「ええ、本気です」
アニーにここまで言わせるなんて、涼は罪深い男だ、と思う。
その一方で、これだけの美貌を持ちながら、自分の美しさがいまいちわかっていないアニーという女性が、若干、不憫でもある。
と、そのときのことだ。
「アニーさん、肉が焼けました。大型魔獣熊の美味しいお肉です。良かったら食べてください」
ふいに背後から声をがし、振り返ると、そこには涼が立っている。
アニーはすっと立ち上がり、まるで大切な卒業証書でも受け取るように、差し出された皿を受け取る。
……若干残念なことだが、火照ったその頬と、潤んだ瞳は、俺に向けていたものとはまったく別物だ。
彼女は全身で涼に恋をしているのだ、と俺は思う。
「今日はあんまりお相手出来なくてすいません。せっかく来てくれたのに」
「いえ、呼んでいただけただけで、嬉しいです」
「もっとお話ししたかったのですが、なにせ、集まった人数が多くて……」
「本当に、私のことは気にしないでください。美味しいお酒と、美味しい食べ物があれば、それで十分です」
「……おっと、また呼ばれてるな。すいません、ちょっと向こうへ行ってきます」
広場の中心へ駆けつけようとする涼を、片手を宙に浮かべたアニーが、呼び止める。
「あ、あの!」
「なんです?」
アニーは顔を真っ赤にさせて言う。
「ちょっとだけでも、お話しできて、……嬉しかったです」
涼は破顔した。
「……俺もです。またフィヨル広原でお会いしましょう。……それでは」
すとん、ともとの椅子に腰かけたアニーに、
「やっぱり、話したかったんじゃないですか」
と問うと、
「……そうですね。素直じゃありませんでした」
と、アニーは前髪を恥ずかしそうに撫でつけながら、言う。
「あとで呼んできましょうか? あいつももっと話したいと思いますよ」
「いえ、これで、本当に充分です」
アニーはそう言うと、さっき涼と過ごした時間をそっと胸にしまうように、その両手を胸元に当てて、大きな瞳を伏せる。
「今日は涼さんとお話が出来て、私はとても幸せです」
この絶世の美女である聖女にここまで言わせるなんて、涼は、世界一の幸せ者だな、と俺は思わずにはいられない。
しかもその幸福に、気がついていない。
「あいつはやっぱり」と、俺は酒をぐいと煽って、零した。「馬鹿ですよ。大馬鹿野郎です」




