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87,新しい生活の広場。

「それなりにお金が入って来たから、涼くんのやりたかった好きなことにお金を使って良いわよ」


 黄金色の眼鏡の縁を指で押し上げ、セシリアは親し気に目を細める。


 「好きなことって、例えば第四階級の人々に支援する、とかでも良いのですか」

 「良いわよ。ずっと彼らの為に宿泊施設を造りたがっていたものね。今、私たちの手元には”セーター“の売り上げと、こないだ造ったお酒の”深森の雫“の売り上げがあるから、それなりの蓄えがあるわ。大人数を収容できる宿泊施設を造ることも、可能でしょうね」

 「それは、何人ぐらい泊まれる施設の話ですか」

 「ざっと二百人は泊まれる施設が造れると思うわ」

 「二百人!? そんなにもですか?」


 上品な眼鏡のレンズの奥で、セシリアがその目に嬉し気な笑みを浮かべる。


 新しい商品を造ってはそれをセシリアやロジャーに委ねているから、俺は売り上げがどの程度なのかはあまり分かっていない。

 金の管理もほぼセシリアに一任していて、自分が今いくら持っているかも、漠然としている。

 ただ、第四階級の仲間の為に、新たな施設が建造できるということが純粋に嬉しかった。


 「宿泊施設だけでなくて、身体を洗う水洗い場も併設出来ると思うわ。それから、施設の前で定期的に炊き出しも行えると思う」

 「それじゃあほとんど、”生活の広場“みたいなものじゃないですか」

 「ええ、そうよ」

 セシリアの顔には、奥深くから湧き上がって来た満足感のようなものが、満ちている。

 「私たちはもう、自分たちの資産だけで“生活の広場”級のものが造れるのよ」

 

 信じられないくらい嬉しかった。

 “生活の広場”にはこの世界に来た当初から世話になってきたものの、あの施設を利用することには、多少の屈辱がある。

 教会というこの世界の権力者に飼い慣らされている感覚。

 自力で地に足をつけていない劣等感。

 なにより、自分で餌を確保できないという、動物的な情けなさ。


 でも、第四階級の俺が造る新たな“生活の広場”なら、同じ第四階級の仲間たちは劣等感を感じずに済むだろう。

 むしろ、同じ第四階級の仲間がここまでやれたのだと、誇りすら感じてくれるかもしれない。


 「信じられません。そこまで売り上げが良かったのですね」

 「“深森の雫”はまだ発売したばかりだからそれほどでもないのだけど……、とにかく“セーター”の売上金が大きいわね。あの衣服はこのシーズンで最も売れた衣服なのよ? そりゃあ儲かったわよ。……もっとも、製造はロジャーさんの工場だから、すべての売上金が私たちの手元に入って来るというわけではないのだけれどね」

 

 “証拠を見せましょうか”とでも言いたげに、セシリアは卓の上に帳簿を開いた。

 

 そこにはかつて見たことのない大きな数字が、はっきりと印字されている。

 もとの世界で言うところの、何千万という数字だ。

 帳簿上で自分の儲けた莫大な金額を確認するというのは、なにか、ゾクリとするような喜びがあった。

 それは今感じている幸福感が夢ではなく現実なのだという、確かな証拠でもある。


 「頑張ったわね、涼。ついに自力で”生活の広場“が運営できるのよ」

 「自分でも信じられません」

 「しかも、“生活の広場”よりもずっとグレードの高いものが造れると思うわ」

 「具体的には、どこが違うのですか」

 「良質なベッド。清潔なトイレ。使い放題のシャワー。施設も新築だから、見栄えもずっと良いわ」

 「場所はどうするのですか。施設を建てるには土地が要りますよ」

 「東の郊外に良い土地を見つけてあるわ。値段もそれほど高くない。広大な土地に大きな宿泊施設を造って、そこを第四階級の人々の為のアジトとして開放しましょうよ」

 「いずれかは、第四階級の人々全員が泊まれる施設が造れるでしょうか」

 「目指すのはそこなの?」

 半ばからかうような口調でセシリアは言う。

 「はい?」

 「私が夢想しているのはね、第四階級の人々がもっともっと活躍している未来よ。それぞれが職を持ち、それどころか社会の上層に食い込み、活躍し、有名になっている未来。第四階級と、私たちみんなで、この世界の上層を勝ち取るのよ」

 「俺たちみんなで、勝ち取る……」

 「あなたなら、それが実現出来るわ」


 確かに、セシリアの言うこの話は俺にとっても魅力的だった。

 “俺だけ”が成功する未来より、“第四階級のみんな”が成功している未来の方が、俺は嬉しい。

 ツルゲーネはロジャーさんの工場で成功し始めているし、アレンとルナの冒険者稼業も軌道に乗り始めている。

 でも、それだけではなく、もっと大勢の第四階級の人々に俺は成功して欲しかった。

 そしてセシリアの言うように、それは俺たちなら不可能ではないのだ。


 「今回のことで、フレッシャー商会が倒産したでしょう?」 

 グラスにワインを注ぎ足し、セシリアが言った。

 「はい。それがなにか?」

 「そのおかげで、彼らの使っていた工場、施設が、丸々空き家になったのよ」

 「はい、……それがなにか?」

 「おかげで、それらの施設がすべて安く買えたわ。今後の酒造りにも工場が欲しかったから、ちょうど良かったわ」

 「……セシリアさん、その行動はちょっと怖いです」

 「私はもともと怖いのよ」

 セシリアは鼻歌を歌うように言う。

 「自分に喧嘩を売って来た相手には徹底的に抗戦する。そのとき、完膚なきまでにその相手を叩き潰す。……私はそうやってここまでのし上がって来たの。フレッシャー商会が倒産した今、その残骸から利用できるものはなんでも拾い集めて利用するわ」

 

 セシリアは多少酔ったのか、顔を蒸気させてこんなことを言う。


 「以前、あなたを泊めなかった宿があるでしょう」

 「ああ、第四階級という理由で、宿泊を断られた宿ですね」

 「今だったら買収出来るわよ。買い取って、あなたのお家にしてあげましょうか」

 「なぜです? 俺はもう、気にはしていませんよ」

 「……これは冗談で言うのではないのだけれど、”舐められたらやり返す“という意思表示の為に、そういう復讐をやっておいた方が良いとも、個人的には思うわ」

 「……わからなくはないですが、やり過ぎです」

 「そうよね」と、セシリアは笑った。「私にも分かっているのよ。ただ、あなたの為になにかしてあげたいの。私ばかりがあなたの世話になってばかりいて、お礼が出来ていないように感じるのよ」

 「充分助かっていますよ。今の分で、俺にはもったいないくらいです」

 「本当に……?」

 セシリアは急に不安げに瞳を震わせて、俺を見る。

 「本当ですよ。セシリアさんには、いつも感謝しています」

 「……嘘じゃない?」

 「ええ、嘘はついていません」

 

 「……もう」

 と言ったっきり、セシリアは額に手の甲を当てて俯いてしまう。

 その顔はワインのせいで真っ赤になっているが、果たして、耳まで赤いのはアルコールのせいだろうか。


 「あなたに面と向かって褒められると、照れるわね。……妹があなたに惚れるのも分かる気がするわ」

 「……なんですって?」

 「いえ、なんでもないわ。ただ、あなたに褒められて、あまりにも嬉しかったの。……旦那にこんな顔は見せられないわね。怒られてしまうわ」

 「そうは言っても、俺は本当に感謝しているんですから」

 

 「もうやめて」と、セシリアは顔を背けて言った。「エレノアはともかく、既婚者の私まであなたに惚れてしまったら、冗談では済まないわ」


 “美味しいワインが奥にある”と言って、セシリアはその後しばらく、部屋には戻って来ないのだった。







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