85、エレノアとセシリア。
※今回はエレノア目線の話です。
フレッシャー商会の裁判が終わったあと、姉のセシリアに呼び出されて私は彼女の商会へと来ていた。
夕食の卓にはローストグリフォンのハーブ焼きが置かれ、香草と脂の篭った肉の匂いが部屋中に満ちている。
「あなたの為に極上のお肉を用意したのよ。さあ、座って」
「私のことは気にしないで良いのに。姉さんと違って、それほど食に興味はないんだ」
そう言う私の言葉など意に介さないとでも言うかのように、姉は鼻歌を歌いながら肉を切り分けてゆく。
グラスには赤ワインが注がれ、これも上質な酒なのだろう、素晴らしい匂いが鼻孔を抜けた。
「それで?」と私は言う。「なにか用があって呼んだのだろう?」
姉は昔から、大切な話をするときは夕食を囲みたがった。
まるで上質な食事さえ並べれば、どんな不穏な話もそれで中和されるとでも言いたげに。
「……ずっとあなたに言わないでおいたことがあるの。聞いてくれる?」
「……なんだ? 想像もつかないが……」
「私たちの両親のことよ。あなたは知らなくて良いと思って、言わないで来たの」
そう言うと、姉は赤ワインを口に含み、すっとグラスを置いた。
姉が話し始めたのは私たちが幼少期の頃の話だった。
両親の経営していた商会が、当時、”何者か“によって圧力を掛けられ、経営が困難になったこと。
その当時、姉のセシリアだけがその事件の首謀者らしき男と接触したこと。
その男の名前は、ブラッディ・メジロ。ブラッディ商会の現商会長であること。
「私たちの両親を死に追いやったのはブラッディだけではないわ。その当時、ほかに数人の貴族がこの件には関わっている」
「それは誰なんだ?」
「そのうちの一人はカルロ・フレッシャーよ」
「カルロ・フレッシャー……。どこかで聞いたことがある」
姉は静かに頷くと言った。
「カルロは前フレッシャー商会の商会長よ」
「まさか……」
「そのまさかよ。でも大丈夫。フレッシャーへの復讐は済んだから」
姉はそう言うと、澄ました顔でワインを口に含む。
いつも冷静で他人想いの姉が、先日発売した酒に関しては妙にフレッシャー商会を目の敵にしているな、とは思っていた。しかし、そこに私たちの両親との因縁が関わっているとは、露ほども思わない。
姉は、はっきりと、両親の復讐の為に、フレッシャー商会を経済的に叩きのめしたのだ。
「私ひとりでは戦えなかった。涼くんがいなかったら、とても出来なかったわ」
「……私の知らないうちに、涼の世話になっていたのか」
「彼には世話になりっぱなしだわ。造ったそのお酒も、とんでもない売り上げだもの」
「相変わらず、規格外な男だな」
と、思わず、私は笑う。
「……彼と知り合えたのは本当に幸運だと思う。もし涼くんがいなかったら、フレッシャー商会と戦おうなんて、そんな考え、浮かびもしなかったわ。……そうしたら、両親の復讐も出来なかった」
「あいつには感謝しなくてはならないな」
そのとき、姉の頬を一滴の涙が濡らしていることに、私は気がつく。
「セシリア姉さん」
「……ずっと心残りだったの」と、姉は言う。「両親が貴族たちに圧力を掛けられて死んでしまったということが。私は商会を大きくして、力をつけて、いつかその貴族たちに法の裁きを下したかった。でも、私にはそんな力はなかった。あいつらの方が遥かに強力で、ずる賢く、この世界で生き延びる力に長けていた。私はずっと怖かった。力を持った卑劣な貴族たちが。……でもそれを、涼くんが乗り越えさせてくれた」
ふと、幼い頃の姉は、気の強い女の子ではなかったことを、私は思い出す。
家に知らないひとが訪ねて来ただけで、私の後ろに隠れてびくびくしていた彼女なのだ。
それがいつの間にか、厳しいことをびしびしと言う、気の強い女性に変わっている。そうさせたのは、多分、幼少期に味わった両親の死という辛い体験のせいだ。
強くなるしか、私たちは生き延びれなかったのだ。
「やっとほんの少し、肩の荷が下りたわ」
姉は目端を拭って、そう言う。
姉にここまでのことを言わせている涼に、私は感謝しかない。
「……次に会ったら褒めてやるかな」
「あなたは少し、彼に厳しすぎるわよ」
「あいつは有能だからな。誰かが厳しくしないと、図に乗ってしまうかもしれない」
「彼が図に乗るとは思えないけれど」
「まあ、……そうかもな」
「彼を諦めちゃダメよ」
姉がそんな思わぬことを口にしたのは、互いにワインの酔いが深く回り出してからのことだ。
「……諦めるって、どういうことだ?」
「私にはわかるの。あなた、涼くんを諦めかけているでしょう」
「なにを言っているか、わからない」
「そう? 双子の私はあなたの気持ちがすべてわかる。……涼くんのこと、本当は好きなのでしょう?」
「……あいつにはアニーがいる。歳も近い。ふたりは良く似合っている」
「それはそうね。でも、あなただってそう悪くないわ」
「馬鹿を言うな。私たちは歳が離れすぎている」
「一度、涼くんに、あなたのことをどう思うか聞いたことがあるわ」
そう言われて、心臓を針でつつかれたように、ドキリとする。
「……なんて言ってた?」
「……気になる?」
「いいから、早く言え」
「”可愛いと思います“って言ってたわ」
直接火で焙られたように、顔がかーっと真っ赤になる。
姉の前だと言うのに、なにも言えずにただ顔を赤くして俯いてしまう。
「“もし彼女が若いときに知り合っていたら、きっと恋に落ちていたと思います”とも言っていたわ」
「……本当か?」
「嘘は言わないわ。宴の席で、彼は多少酔ってはいたけれど」
涼が、そんなふうに私を誉めていたのか。
こんなにも歳が離れているのに、私を”可愛い“と言ったのか……。
その言葉を聞いて、思わず私は顔がにやけてしまう。
「嬉しいの?」
と、私の顔を覗き込んで、姉が言った。
「う、嬉しいものか、からかうのもいい加減にしろ……!」
「嬉しくないのなら、そんなににやついたりしないと思うけど」
「もういい加減にしろ」
と言って、私は席を立つ。
そのまま足早に部屋を出て行き、廊下の突き当りにある洗面所へ入った。
火照る顔を冷水で冷ましながら、鏡に向かって私は独り言ちた。
「涼が、私を“可愛い”と言ったのか……。そうか……」
油断するとすぐににやけてしまう鏡のなかの自分の顔を、私は必死に制止した。




