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83/119

83,好き。

 ※今回は三人称で書かれています。


 フレッシャー商会の裁判が片付いたその二週間後、新年を祝う教会の祝福式に、アニーが聖女として登壇した。

 

 街の北西にあるセレスティアル大聖堂で行われるこの式典は、毎年、大勢の参列客がつめかける。

 ”沈黙の呪縛“を完全治癒した経緯もあって、実に六年ぶりとなる聖女アニーの登壇に、オーヴェルニュの国民は大いに賑わっていた。


 「すごい数の参列客だな」

 涼とともに大聖堂に参拝に来たツルゲーネが、集まった人の多さに、思わずそう零す。

 「人数もすごいが、アニーさんの人気もすごい」

 「まあ、あの美しさじゃな……」


 緩慢に前進する参列客の合間を縫って、ふたりは大聖堂の奥で聖女用のヴェールに包まれたアニーを眺める。

 見通しは悪く、アニーまでの距離は遠かったが、彼女の美しさは息が詰まるほど、そこからも感じられる。

 

 「あんな綺麗な人が俺の相手をしてくれるなんて、そんなことあり得るのかな……」

 アニーの美しさとその人気ぶりに、涼は、自信を無くしてつい、そう零す。

 「なんだって?」

 「いや、なんでも……」


 自分はなにを勘違いしていたのだろう、と涼は思う。この国の宝とも言われるあの絶世の美女が、なぜ自分に多少なりとも気があると思えていたのだろう。

 あの豊かな青い髪と、つい見惚れてしまうほどの大きな青い目。こんなにも遠く離れているのに、大勢の参列客が、みなアニーの美貌に見惚れている。

 それほどの美女なのに、自分のような平凡な容姿の男に惚れたりするだろうか。


 涼はアニーに感じていた自分の好意が、すべて夢幻だったような気がして、すっかり気を落していた。


 ◇◇


 

 「今日は食欲があまりありませんか……? 」


 一方のアニーは、夕食に招待した涼があまり料理に手をつけないことを、不審に感じていた。

 正式に公務に復帰して以来、一日も休みのない生活なのだ。その忙しさの合間を縫って、ようやく作った涼との時間だ。きっと相手も喜んでくれると思っていたのだが……、


 「涼さん、どこか具合いが悪いのですか?」

 そう尋ねても、

 「いえ……」

 と零すだけで、それ以上はなにも語ろうとしない。

 「そう、ですか……」


 アニーは、“ついにこの日が来たのだ”と感じていた。


 目の前に座る男は、この街で徐々に大きな成果を上げつつある、あの”第四階級の冒険者“なのだ。

 彼は今や多くの著名人や有力者に注目され、その活躍は冒険者という枠組みに収まり切らないでいる。あらゆる要素がこれまでの冒険者を越えていて、第四階級でありながら、貴族女性からの人気も高い。


 そんな人が、”古い知り合いだから“という理由だけで、いつまでも自分に構い続けてくれるはずがない。

 アニーはそんなふうに思い、憂鬱な涼の表情を見て気落ちしていた。


 (でも……)

 と、アニーは思う。

 (憂鬱そうな涼さんの顔……、初めて見たけど、男のひとの弱い部分を覗き見た気がして……、すごく可愛い……)


 (涼さんも、こんな表情をするんだ……)

 そう思いながら、アニーは涼の表情を凝視することをやめられない。


 (ずっと見ていたいな……。この人が傷ついているときも、楽しいときも、その移り変わる表情を、いつもそばで見ていたいな……。そして出来ることなら、その傷を私が癒してあげたい……)


 アニーはそう思いながら、市場で採れた白身魚のカルパッチョを、涼の為に取り分けてやる。


 ◇◇



 「そうそう、シキ村で採れたルーン・ハニーで、ちょっとしたお菓子を作ったのです」


 涼はそう言うと、持参したバームクーヘンを、机の上に取り出す。

 料理自体はさほど得意ではないし、お菓子作りもアニーの足元にも及ばないが、折角の上質な蜜が採れたのだから、彼女を喜ばすために作って来たのだ。

 すると、辺りが一段明るくなったように感じられるほど、アニーが顔を輝かせ、

 「……嬉しい!」

 と声を上げる。

 「涼さんが作って来てくれたのですか! 嬉しい……! 食後に一緒に食べましょうね!」

 その屈託のない表情に、涼は思わず、胸が締め付けられる。


 (改めて、可愛い過ぎる……!! )

 と、胸をぐっと抑え、涼は胸中で呟く。

 (ただでさえ可愛いのに、素直に喜んでくれると、なおさら可愛い……!!)

 

 ちらりと目線を上げると、アニーはバームクーヘンを両手で抱えてそれをきらきらした目で眺めている。


 (赤ん坊を抱くみたいにして喜んでくれてる……! こんなに可愛い生物がこの世にいるのか……!? 顔の造形のすべてが完璧すぎる……!! ずっと見ていたい……! ずっと見ていられる……!!)


 アニーは潤んだ瞳で自分を見つめてくる。

 思わず勘違いしてしまいそうなほどの、うっとりとした表情だ。


 (アニーさんは、俺に気があるのかな……。いや、そんなはずないか……。こんなに綺麗で、あんなにこの国のすべての男から好かれている女性だもんな……。自惚れるのは、やめにしよう)


 涼はそう思い、すっと無表情に切り替えて目の前のカルパッチョに手を付けた。



 ◇◇


 アニーはカルパッチョをフォークで弄びながら、考え事をしていた。

 白身魚は母親の好きな食べ物だ。自分が幼い頃から、食卓には良く並んだ。それを父も姉も喜んで、家族全員で一緒にこの食べ物を愛して来た。懐かしいとともに、今でもこの魚介類を好きだなあと思う。


 「好きだなあ……」

 と、口に出ていたのは、自分でも無意識のことだった。


 「え?」



 と、涼に言われて、アニーはやっと、自分がなにか喋ったことに、気がつく。

 「……わ、私、今、なにか言いましたか……?」

 「”好き“だって……」

 

 アニーは顔を真っ赤にし、その顔を両手で覆い隠す。


 「いや、あの、違うんです……」

 と、アニーは言う。

 「私、白身魚のことを考えていて、それで、この魚のことを好きだと言ったんです……」

 「そ、そうですよね!」

 と、涼が顔を真っ赤にし、大声でそう言う。

 「白身魚のことですよね! なるほど、なるほど……!!」


 アニーはいつの間にか自分の胸のうちを喋ってしまったのかと思い、焦った。

 涼に対する想いが募り過ぎて、それがいつの間にか言葉として漏れてしまったのかも、と。


 でも、顔を真っ赤にして額に汗をかいている涼を見ると、


 (……もしかしたら、涼さんも少しは自分のことを好いてくれているのかな……)

 と、アニーはそう思うのだった。

 (私のことなんかもう相手にしていないとは思うけど、ほんの少しは、女の子として意識してくれているのかな……)


 いくら”聖女“として国民に人気があっても、アニーは自分に恋愛経験がほぼまったくないことを自覚していた。

 男性の気持ちのことはこの歳になっても良くわからないし、そのことをコンプレックスにも感じている。

 涼にしても、自分と定期的に会ってくれて、多少の好意は持ってくれているように感じられるが、それが恋愛感情なのか、単なる友情なのかが、さっぱりわからない。

 おまけに涼はぐんぐんと出世を続けているから、そのうちに自分が忘れられてしまうのでは、と不安ばかりが募る。


 ふと、思わず呟いてしまった”好きです“という一言だが、それがあながち白身魚のことだけではないと、アニーには思えて来る。


 (白身魚のことを考えていたのは確かだけど……)

 と、アニーは胸のうちで呟く。

 (でもその言葉を声に出してみると、改めて……)



 (私はこの人のことが好きなんだなあ……)


 アニーはカルパッチョを口に運ぶ涼を見ながら、ため息をつくようにそう胸中で呟いた。


 (涼さんのすっと細目の目も好きだし、やや丸み掛かった鼻も好き。耳の形も、短く下ろした髪も好き。それほど大きな声を出さないところも、いつも私のことを気遣ってくれるところも、良く笑ってくれるところも好き。……ああ、どうしよう)


 と、アニーは思う。


 (私、この人の全部が好きなんだ……)



 





 

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