83,好き。
※今回は三人称で書かれています。
フレッシャー商会の裁判が片付いたその二週間後、新年を祝う教会の祝福式に、アニーが聖女として登壇した。
街の北西にあるセレスティアル大聖堂で行われるこの式典は、毎年、大勢の参列客がつめかける。
”沈黙の呪縛“を完全治癒した経緯もあって、実に六年ぶりとなる聖女アニーの登壇に、オーヴェルニュの国民は大いに賑わっていた。
「すごい数の参列客だな」
涼とともに大聖堂に参拝に来たツルゲーネが、集まった人の多さに、思わずそう零す。
「人数もすごいが、アニーさんの人気もすごい」
「まあ、あの美しさじゃな……」
緩慢に前進する参列客の合間を縫って、ふたりは大聖堂の奥で聖女用のヴェールに包まれたアニーを眺める。
見通しは悪く、アニーまでの距離は遠かったが、彼女の美しさは息が詰まるほど、そこからも感じられる。
「あんな綺麗な人が俺の相手をしてくれるなんて、そんなことあり得るのかな……」
アニーの美しさとその人気ぶりに、涼は、自信を無くしてつい、そう零す。
「なんだって?」
「いや、なんでも……」
自分はなにを勘違いしていたのだろう、と涼は思う。この国の宝とも言われるあの絶世の美女が、なぜ自分に多少なりとも気があると思えていたのだろう。
あの豊かな青い髪と、つい見惚れてしまうほどの大きな青い目。こんなにも遠く離れているのに、大勢の参列客が、みなアニーの美貌に見惚れている。
それほどの美女なのに、自分のような平凡な容姿の男に惚れたりするだろうか。
涼はアニーに感じていた自分の好意が、すべて夢幻だったような気がして、すっかり気を落していた。
◇◇
「今日は食欲があまりありませんか……? 」
一方のアニーは、夕食に招待した涼があまり料理に手をつけないことを、不審に感じていた。
正式に公務に復帰して以来、一日も休みのない生活なのだ。その忙しさの合間を縫って、ようやく作った涼との時間だ。きっと相手も喜んでくれると思っていたのだが……、
「涼さん、どこか具合いが悪いのですか?」
そう尋ねても、
「いえ……」
と零すだけで、それ以上はなにも語ろうとしない。
「そう、ですか……」
アニーは、“ついにこの日が来たのだ”と感じていた。
目の前に座る男は、この街で徐々に大きな成果を上げつつある、あの”第四階級の冒険者“なのだ。
彼は今や多くの著名人や有力者に注目され、その活躍は冒険者という枠組みに収まり切らないでいる。あらゆる要素がこれまでの冒険者を越えていて、第四階級でありながら、貴族女性からの人気も高い。
そんな人が、”古い知り合いだから“という理由だけで、いつまでも自分に構い続けてくれるはずがない。
アニーはそんなふうに思い、憂鬱な涼の表情を見て気落ちしていた。
(でも……)
と、アニーは思う。
(憂鬱そうな涼さんの顔……、初めて見たけど、男のひとの弱い部分を覗き見た気がして……、すごく可愛い……)
(涼さんも、こんな表情をするんだ……)
そう思いながら、アニーは涼の表情を凝視することをやめられない。
(ずっと見ていたいな……。この人が傷ついているときも、楽しいときも、その移り変わる表情を、いつもそばで見ていたいな……。そして出来ることなら、その傷を私が癒してあげたい……)
アニーはそう思いながら、市場で採れた白身魚のカルパッチョを、涼の為に取り分けてやる。
◇◇
「そうそう、シキ村で採れたルーン・ハニーで、ちょっとしたお菓子を作ったのです」
涼はそう言うと、持参したバームクーヘンを、机の上に取り出す。
料理自体はさほど得意ではないし、お菓子作りもアニーの足元にも及ばないが、折角の上質な蜜が採れたのだから、彼女を喜ばすために作って来たのだ。
すると、辺りが一段明るくなったように感じられるほど、アニーが顔を輝かせ、
「……嬉しい!」
と声を上げる。
「涼さんが作って来てくれたのですか! 嬉しい……! 食後に一緒に食べましょうね!」
その屈託のない表情に、涼は思わず、胸が締め付けられる。
(改めて、可愛い過ぎる……!! )
と、胸をぐっと抑え、涼は胸中で呟く。
(ただでさえ可愛いのに、素直に喜んでくれると、なおさら可愛い……!!)
ちらりと目線を上げると、アニーはバームクーヘンを両手で抱えてそれをきらきらした目で眺めている。
(赤ん坊を抱くみたいにして喜んでくれてる……! こんなに可愛い生物がこの世にいるのか……!? 顔の造形のすべてが完璧すぎる……!! ずっと見ていたい……! ずっと見ていられる……!!)
アニーは潤んだ瞳で自分を見つめてくる。
思わず勘違いしてしまいそうなほどの、うっとりとした表情だ。
(アニーさんは、俺に気があるのかな……。いや、そんなはずないか……。こんなに綺麗で、あんなにこの国のすべての男から好かれている女性だもんな……。自惚れるのは、やめにしよう)
涼はそう思い、すっと無表情に切り替えて目の前のカルパッチョに手を付けた。
◇◇
アニーはカルパッチョをフォークで弄びながら、考え事をしていた。
白身魚は母親の好きな食べ物だ。自分が幼い頃から、食卓には良く並んだ。それを父も姉も喜んで、家族全員で一緒にこの食べ物を愛して来た。懐かしいとともに、今でもこの魚介類を好きだなあと思う。
「好きだなあ……」
と、口に出ていたのは、自分でも無意識のことだった。
「え?」
と、涼に言われて、アニーはやっと、自分がなにか喋ったことに、気がつく。
「……わ、私、今、なにか言いましたか……?」
「”好き“だって……」
アニーは顔を真っ赤にし、その顔を両手で覆い隠す。
「いや、あの、違うんです……」
と、アニーは言う。
「私、白身魚のことを考えていて、それで、この魚のことを好きだと言ったんです……」
「そ、そうですよね!」
と、涼が顔を真っ赤にし、大声でそう言う。
「白身魚のことですよね! なるほど、なるほど……!!」
アニーはいつの間にか自分の胸のうちを喋ってしまったのかと思い、焦った。
涼に対する想いが募り過ぎて、それがいつの間にか言葉として漏れてしまったのかも、と。
でも、顔を真っ赤にして額に汗をかいている涼を見ると、
(……もしかしたら、涼さんも少しは自分のことを好いてくれているのかな……)
と、アニーはそう思うのだった。
(私のことなんかもう相手にしていないとは思うけど、ほんの少しは、女の子として意識してくれているのかな……)
いくら”聖女“として国民に人気があっても、アニーは自分に恋愛経験がほぼまったくないことを自覚していた。
男性の気持ちのことはこの歳になっても良くわからないし、そのことをコンプレックスにも感じている。
涼にしても、自分と定期的に会ってくれて、多少の好意は持ってくれているように感じられるが、それが恋愛感情なのか、単なる友情なのかが、さっぱりわからない。
おまけに涼はぐんぐんと出世を続けているから、そのうちに自分が忘れられてしまうのでは、と不安ばかりが募る。
ふと、思わず呟いてしまった”好きです“という一言だが、それがあながち白身魚のことだけではないと、アニーには思えて来る。
(白身魚のことを考えていたのは確かだけど……)
と、アニーは胸のうちで呟く。
(でもその言葉を声に出してみると、改めて……)
(私はこの人のことが好きなんだなあ……)
アニーはカルパッチョを口に運ぶ涼を見ながら、ため息をつくようにそう胸中で呟いた。
(涼さんのすっと細目の目も好きだし、やや丸み掛かった鼻も好き。耳の形も、短く下ろした髪も好き。それほど大きな声を出さないところも、いつも私のことを気遣ってくれるところも、良く笑ってくれるところも好き。……ああ、どうしよう)
と、アニーは思う。
(私、この人の全部が好きなんだ……)




