80,完全治癒。
※引き続きアニー目線の話です。
シビラさんの家に向かう途中、噴水広場を抜けてゆく。
オーヴェルニュの街では珍しく号外が出て、大量発行された新聞が人々の手に渡っている。
新聞の一面を飾っているのは、「フレッシャー商会、不祥事露見」という字面だ。涼さんが暴いた商会の悪事が、今まさに人々の耳目に入り、街は蜂の巣を突いたような騒ぎとなっている。
そこには「聖女アニー」の文字も載っており、私とシビラさんで突き止めた“沈黙の呪縛”の原因についても書かれていた。
自分の名前が久しぶりに新聞に載ったことで、若干の緊張が湧く。
「すごい騒ぎですね……。さすがに事態が大きくて、なんだか怖くなります」
「フレッシャー商会は誰でも知る大企業ですからね」と、涼さんが頷く。「これから裁判が始まりますから、騒ぎはもっと大きくなるでしょう」
「涼さんも忙しくなりますね」
と、ついぽろっとそんなことを言うと、
「でも、アニーさんには会いに来ますよ」
と嬉しいことを言われ、思わず赤面してしまう。
返す言葉は見つけられなかったが、返事の代わりに涼さんの手に触れると、その手を涼さんがおそるおそる握ってくれ、私はほっと安堵する。
そこから、私たちは多少ぎこちなさはあるものの、手を繋ぎながらシビラさんの家へと歩いて行った。
◇◇
「これが例の化け物か?」
家の扉を開くなりシビラさんが言ったのは、毒の籠ったそんな一言だ。
「化け物、ですか。……普段お二人は、俺のことをなんて話しているんです……?」
「いえ、違います!」と、私は慌てて弁解する。「私が言っているわけではありません! シビラさんが勝手にそう言っているだけで……」
「痴話げんかは良いから入んな」
シビラさんにそう言われ、ふたりで顔を真っ赤にして、家のなかに入る。
部屋のなかは資料や剥き出しの素材で埋もれている。古い解毒書が開いたまま机の上に置かれ、ビズ蜥蜴の尾や、ザザ百足の胴体が試験官の底で乾いている。
「特効薬の精製の為に調べ物を続けてくださっていたのですね」
私がそう問うと、
「まあな。……ただ、状況はそう芳しくない」
「現状を共有させてください」
涼さんがそう言うと、シビラさんは例の鋭い眼差しで一瞥したあと、静かに頷く。
時間は一秒でも無駄には出来ない、といった様子だ。
“沈黙の呪縛”の原因は解明出来たものの、その特効薬は未だに精製できていない。
私の“浄化”スキルによって症状はかなり緩和できるものの、あくまでもそれは緩和で、完治ではない。そこには再発の可能性が残る。
そこで、シビラさんとともに完治出来る薬の開発を進めていたのだが、これが、どうしても上手く行かない。
「“沈黙の呪縛”の毒性が強すぎるせいでしょうか」と、涼さんが尋ねる。
「いや違う」シビラさんが首を振る。「むしろ逆だ」
「逆?」
「毒性が強すぎるために解毒出来ないというケースもあるんだが、その逆のパターンもあるんだ。というのも……」
と、シビラさんは部屋の隅にある机に向かい、私たちを手招きする。
「強い毒素というのは、いわばこんなものだ」
シビラさんは机のうえに、人の顔と同じサイズほどの、スライムを落す。
「強い毒というのはゼリー状で、人間の身体の表面にしっかりと吸いつく。……だが、こうも出来る」
シビラさんはそう言うと、そのスライムを手で鷲掴みにし、もとのビーカーへと戻す。
「これが“解毒”だ」
「なるほど……」と、隣に立つ涼さんが頷く。
「だが、こういうパターンもある」
シビラさんはそう言うと、部屋の隅からひとつの霧吹きを持って来て、その霧吹きで、机のうえを一吹き、噴射した。
机のうえには、無数の水滴が散らかった。
「これが弱いタイプの毒素だ。毒性自体は弱いものの、範囲は広く、おまけに“まだら”だ」
「さっきのスライムのように、手で鷲掴みというわけにはいかなそうですね」
「その通りだ」と、シビラさんが頷く。「こういうケースの場合、解毒に手間がかかる。雫のひとつひとつを吸引し、丁寧に除去するしかない。“沈黙の呪縛”もこれと同様で、一発で解毒する手段がない。だからあの病は完全治癒がなかなか出来ないんだ」
それから、三人で様々なパターンについて提案しあった。
書棚にある古今東西、様々な解毒書を読み漁り、思いつく限りすべての方法で解毒を試みた。
でも、なにをどう組み替えても、どうしても”沈黙の呪縛“の完全治癒方法が、わからない。
三人でこの毒素の研究を進めて、時刻はすでに深夜一時を回っていた。
シビラさんにも涼さんにもさすがに疲労が見え始め、一旦休息を取ろうということになり、研究室の奥の小部屋に向かい、それぞれ仮眠を取る。私もソファの上で横たわり、いつしかうとうとし始めていた。
どのくらい眠っていただろうか。
ふと、なにか研究室から話し声が聞こえ、ソファから身を起こしたのが深夜三時のことだ。
研究室から漏れる明かりに気づき、そっとそこへ歩いてゆく。
「すまないが、もう一度説明してくれないか」
と言ったのは、古いローブを肩に掛けたシビラさんだ。
「ですから、いっそ毒素をもう一度注入したらどうでしょうか、と言ったのです」
「それがなぜ完全治癒に繋がるんだ? ……私には、良くわからないんだが」
「その先の説明は、私も聞いて良いでしょうか」
と言って部屋の中にそっと入ると、疲れた顔のふたりがこちらを向き、静かに頷く。
「この病の毒素は毒性が薄いために、かえって解毒が難しいという話でした。……そこで、敢えて、同じ毒素を患部に注入するのです。すると……」
涼さんはそう言うと、机のうえに昼間シビラさんが置いたのと同じスライムを、置く。
「散らばっていた毒素がひとつにまとまり、ゼリー状になります」
「……なるほど」
「そうすると、解毒は簡単になる」
涼さんはそう言いながら、机のうえのゼリーを手で摘まみあげた。
「……すごい発想だ。薄い毒素を取り除くのではなく、あえて強い毒性に強化することで、かえって解毒しやすくする、ということか」
「その通りです」
「こんな施術方法、聞いたことがありません」と、私は思わず、息を飲む。
「だが、実際に試してみて上手く行くだろうか」と、シビラさんが腕を組んで、唸る。
「わかりません。でも、試してみる価値はあります。……ちょっと、着替えてきます。すぐにでも街に行って、患者に試してみましょう」
涼さんはそう言うと、バタバタと奥の部屋へ着替えを取りに行った。
「これが上手く行けば、解毒の方法に革命をもたらす、新発見だ」
涼さんのいなくなった部屋で、シビラさんが、私に言う。
「すごいことです。”沈黙の呪縛“も、完治できるでしょうか」
「わからないが、可能性はかなり高いと思う。私も街について行く」
シビラさんは少し考えてから、こう付け足した。
「すごい奴だ。あんなに辛抱強い奴は初めて見た。私も眠っていたのに、あいつだけひとりで研究を続けていたんだ」
「本当に、涼さんはすごいんです。みんなが諦めても、あの人だけは決して諦めないんです」
「……認めよう。あの男は本物だ。アニー。良い男を見つけたな。……決して手放すんじゃないぞ」
その言葉に、思わず赤面するが、私はすぐに力強くこう返事をする。
「はい。……絶対に手放しません」
◇◇
その日の午後、治癒院に向かった私たち三人は“沈黙の呪縛”に掛かったとある患者に、涼さんの考案したこの治療方法を実行した。
いったん毒素を注入したことで、患者の喉には強い症状が現れたが、その患部に私の“浄化”を掛けると……、
「……やった、ついにやった……! 成功だ……! 決して治ることのないと言われた”沈黙の呪縛“は、今ここで完全治癒された。私たちは、この病を克服したんだ……!」
と、まるで戦争の勝利宣言のように、シビラさんがそう言った。
この事実はその日中にオーヴェルニュの国全体に広がり、国の正式な発表により、“沈黙の呪縛”は不治の病ではなくなった。
治癒院にはこの病に掛かった老人が列を成し、この治療方法により、次々と完全に治癒されて行った。
治癒院に訪れた患者たちは口々にこう言った。
「聖女アニー。あなたはやはり本物の聖人です。決して治らないと言われた”沈黙の呪縛“を治してくださるなんて……!」
そんな人々に、私はこう説明して回らなくてはならなかった。
「いいえ、この病を完治に導いたのは、私ではありません。第四階級の冒険者、田村涼さんです。彼こそが、本物の聖人なのです」と。




