77,深夜の生活の広場。
※今回は第四階級の双子の冒険者である、アレン目線の話です。
「会って話がしたいのはわかるが、こんな時間に会えるのか?」
暖かな防寒着を着込みながら、ヴォルドが言う。
「涼さんならまだ生活の広場に必ずいる」
「どうだかな。お前が尊敬するその人、冒険やいろんなビジネスで忙しいんだろ? こんな時間まで起きているとは思えないがな」
時刻はすでに深夜一時をまわっている。
普段ならとっくに寝ている時間だが、ルナが言うには、涼さんは今日B級昇格試験から戻って来たらしいのだ。
「俺がD級に昇格したことを伝えたい。あの人は忙しいから、会える時に会わないと、次はいつ会えるかわからない」
「さっき聞いた話だと、フレッシャー商会との裁判があるらしいぜ。……いくらなんでもそんな忙しいなか、“生活の広場”に顔を出しているとは思えないけどな」
涼さんが忙しいのは確かだが、その忙しい合間を縫って、あの人は生活の広場にしょっちゅう顔を出していた。
生活の広場に行くたびに涼さんはなにかを差し入れ、第四階級の人々の生活改善を進め、教会員やアニーさんと話し合いをしていた。その献身的な姿を、俺も妹のルナも何度も目にしている。
多分、街に戻ったばかりの今夜も、生活の広場に来ているはずだ。
“ここなら第四階級でも泊めさせてくれる”と涼さんから教わった宿を出て、生活の広場に向けて、ヴォルドとふたりで歩き出す。
真夜中の街は明かりが消え、オーヴェルニュの厳しい冬の寒さがしんと張り詰めている。
「お前が言うには、その涼さんって人、天才的冒険者なんだろ?」
「ああ。天才というか……、そんな次元じゃないけどな。とにかくすごい人だ」
「そんなすごい人が、忙しいなか、他人の為に時間を割くかな。俺がその人なら、お前の言うその”すごい力“を使って自分の楽しいことに集中するけどな」
ヴォルドにそう言われて、俺の心にも不安がよぎる。
あの人が俺たち第四階級の人間の為に尽くしてくれた恩は忘れないが、でも、そんな親切心もいつまで続くかはわからない。
ヴォルドの言うように、あの人が急に“自分の楽しみ”の為だけに生き始めることもあり得ないことではないのだ。
いや、むしろ、そうなることの方が、自然なことだ……。
「……明かりがついているな」
生活の広場に近づくと、ヴォルドがそう声を上げる。
ふたりで駆け足になってその明かりに近づくと、そこには涼さんがひとりで座り、盥に水を溜めてなにかを洗っていた。
「涼さん。いたんですね」
「ああ、アレンか。久しぶりだね。ずいぶん遅くに、なぜここに?」
「俺、D級に昇格したんです。それを報告したくて……! それから、こいつはヴォルド。俺たちのパーティーの一員です」
「そうか。アレンをよろしく。俺の大切な友人なんだ」
涼さんはそう言うと、たった十四歳のヴォルドに、深々と頭を下げる。
「あの、ここでなにをしているんですか? 忙しいと聞いているんですが……」
ヴォルドが恐る恐る、そう尋ねる。
「ああ。ちょっと衣服を洗っていてね。きっと溜まっているだろうと思ったから、寝る前に来てみたんだ」
「冒険用の衣服ですか。でも、自分で洗っているんですね。宿に言えば洗っておいてもらえるのに……」
ヴォルドがそう言ったとき、俺はふと、涼さんの洗う衣服が妙に多いことに気づく。
いや、多いどころか、莫大な数と言って良い。
すると涼さんは、からからと笑ってこう言った。
「これは俺の衣服じゃないよ。ここで生活する第四階級の人々の衣服だ」
「え。涼さんが洗っているのですか」
思わず、俺はそう声を上げる。
「ああ。ときどきこうして顔を出して水洗いしているよ」
「でも、そんなの、誰かがやるんじゃ……」
「ああ。《《誰かが》》やるだろうね。でも、その“誰か”って、誰なんだろう」
「あ……」
自分たちの衣服は自分で洗うのがきまりだが、橋の下で眠ることに慣れた俺たちは、つい洗濯を怠ることも多い。
ごく稀に生活の広場で洗濯をしてくれることもあるが、その場合、その仕事を担うのは教会員の下っ端かなにかだと思っていた。
そういう雑仕事を“誰が”行っているのか、考えたこともなかった。
それどころか、まさか涼さんが忙しい合間を縫って洗濯しているとは、思ってもみなかった。
あまりの衝撃に、隣のいるヴォルドは言葉を失って立ち尽くしている。
「……俺、残りをやります。涼さん、帰って寝てください」
「いや、いいよ……」
と言いかける涼さんを、必死に説得して、なんとかこの場から追い返す。
何度かのラリーのあと、涼さんはようやく、渋々といった感じで生活の広場から去って行った。
「……さっきの人、すごいな。みんなが尊敬する理由がわかった」
生活の広場にふたりきりになったあと、ヴォルドが腕まくりしながら言った。
「ああ。……俺も衝撃だった。まさか涼さんが洗濯しているとは思っていなかった」
「俺、あんなふうになりたいって、そう思った。ただ強いだけじゃなくて、泥臭くても、他人の為に生きられる人間になりたいって……」
「俺もそう思った」
「……俺たちも、あの人みたいになれるかな」
「わからない」と、俺は言う。「でも、俺はあの人に近づきたい」
ふたりが黙り込むと、しんとした静けさが広場全体に広がった。
やがてぽつりと、ヴォルドが聞いた。
「……第四階級から冒険者が出たのは、あの人が最初で、あとはお前だけなんだろ?」
「そうだ」と、俺は頷く。
「“お前なら自分みたいになれる”と思ったから、あの人はお前を選んだんじゃないか」
「わからないが……」と、必死に衣服の汚れを落としながら、俺は言う。「もしそうだとしたら、俺は嬉しい」
少し考えるような間があってから、ヴォルドが微笑みを浮かべて言った。
「きっとそうさ。……俺が保証する。お前なら、いつか涼さんみたいな立派な冒険者になれる」
「ああ」
と、胸の奥が微かに熱くなるのを感じながら、俺はそう呟く。
「でも、俺だけじゃない。お前もだ。……《《ふたりで一緒に》》、いつかあんな男になろう」
盥のなかで衣服を擦るその音が、誰もいない生活の広場にしばらくのあいだ響く。
盥のなかの水は冷たく、衣服を洗う手はかじかんだが、俺とヴォルドはともに、それ以上なにも言わずに微笑んでいた。




