76,法の守護者。
※涼目線に戻ります。
オーヴェルニュの街に戻ったその晩、早速、この国の立法機関である”法の守護者会“のひとりから打診が入る。”話が聞きたい“と。
時刻はすでに深夜だ。だが、事件の悪質さと、関与している企業の大きさとを考えると、法の守護者会もひとときも休んでいる暇などないのだろう。宿にはすでに従者が待機しており、「準備が出来ましたら、声を掛けてください」と表に馬車を停めて待っていた。
町外れの豪奢な洋館の一室に入ると、机の上で書きものをしていた“法の守護者会”の執政大法官――もとの世界で言うところの最高裁判所長官――である。ユグリス・ヴァンデルが顔を上げる。
広々としたシックな部屋には、彼とその机一脚きりだ。
「わざわざ来てもらってすまない。事件が事件だ。こんなことはあまりないのだが、裁判のまえに君の話を個人的に聞いておきたい」
長い白髪を後ろに撫でつけたこの男は、眼光鋭いその大きな目をぎろりと俺に向け、そう言う。
「もちろんです。なんでも聞いてください」
シキ村で起こった事件について、俺は知っていることをひとつずつ、説明する。
あの村では重度の“沈黙の呪縛”が蔓延していたこと。その病の原因は湖の水質汚染にあったこと。水質汚染の原因はフレッシャー商会による薬品の大量放棄であること。こうした汚職の隠ぺいの為に、治癒院のメンバーであるムッサが口止め役として村に入っていたこと。
ユグリスは黙って紙になにかを書きつけていたが、すべてを話し終えると、疲れを感じさせる吐息を鼻から漏らす。
「ガブリエルから聞いていた話と一致する。嘘はついていないようだ」
「誓って嘘は話していません。すべて真実です」
「……これは大変なことだ。フレッシャー商会め、やってくれたな……」
このとき、ふと、ある嫌な想像が眼前をよぎる。
それは、“果たして、目の前のこの男は信用できるのか”というものだ。
村でガブリエルが教えてくれたように、この世界の貴族社会は深いところまで腐っている。
その根深い腐りは、この国のどこまでを覆い尽くしているのか、ガブリエル自身もわからないのだという。
目の前に座るこのユグリスという男は、果たして、”どちら側“なのか。
もし彼が、ムッサやフレッシャー商会側の人間なら、俺は敵陣に単身で乗り込んだことになるが……。
「安心したまえ、私は君が恐れるような人間ではない」
なにかを察したように、ユグリスはその鋭い目を円形に歪めて言った。
その瞬間、張っていた糸が垂れるように、部屋の空気が柔らかくなる。
「……ヴィクター・ナイトシェイドを知っているな?」
「ええ。知っていますが……」
「昨晩、あいつから聞いたよ。君はヴィクターと”騎士の紋“を結んでいるらしいな」
「ええ、そうです」
「ふん、あいつらしいよ」
と、ユグリスはそう鼻で笑いながら、愛情深げにゆったりと微笑む。
「昔から自分が信じたことには馬鹿がつくほど真っ直ぐな男だった。まったく。家を継ぐときもそうだ。私たち友人にはなんの相談もなく、たったひとりですべて決めてしまった。だいたい、いくら貴族のしきたりが厳しいと言っても、やりようによっては抜け道はいくらでもあるんだ。それがあいつときたら、”ナイトシェイドの家を継ぐ以上、しきたりは守らなければならない“と言って馬鹿正直に親の決めた許嫁と結婚したんだ。いいか? ほかの貴族たちはもっと狡くやっているのにだぞ?」
ユグリスは先程までの固さを脱いだように、顔の前でペンを振りながら話し続ける。
「だいたいセナもセナだ。……君はセナ・ハンマースミスを知っているんだろう? ついさっきセナから手紙が届いたよ。この事件に君が関わっているとどこかで聞きつけたのだろう。”信用できる男だから便宜を図ってくれ“とだけ書かれていた。……信じられるか? 手紙上のやり取りとは言え、あいつと話すのは実に六年ぶりのことだ。それが、そのたった一行だけだ。君はどう思う? 私とセナとヴィクターは幼少期から付き合いのある古い友人なんだが……、ひどいと思わないか?」
「さ、さあ、どうでしょう……」
その剣幕というか、良くわからないテンションの高さに、しばし圧倒される。
「いずれにせよ」と、ユグリスは咳払いをして言う。「私が最も信頼するあのふたりの親友が“君は信用できる”と言うんだ。私も、君のことは無条件に信じよう」
「あ、ありがとうございます……」
「実は、この件で私に連絡を取って来たのは、セナとヴィクターだけではない」
「そうなのですか? ほかに、いったい誰が?」
「ひとりはセシリアだ。私は昔から“至高の美食会”に出入りしていてね。セシリアとは付き合いが深い。彼女もまた信頼できる男だと言って私に密使を送って来た。ついでに、西側の国で採れる極上のバフフ鶏の卵を添えてね。……まあ、分かりやすい賄賂だな」
「賄賂、ですか。受け取っても良いものなのですか、それは」
「良くはないが……、ほかの貴族の賄賂に比べれば、挨拶みたいなものだ」ユグリスは目を伏せて軽く首を振る。「それから、ロジャー商会の商会長であるロジャー・バレンティンも密使を送って来た。こちらは極上の化粧水と、“セーター”とやらをつけ添えてな。……両方とも妻が欲しがっていたものだ。これもまあ、賄賂だ」
ユグリスは鼻で深く息を吸うと、さらに続ける。
「……あとは、フランダルス家からも手紙が送られてきた。内容は似たようなものだ。そこにはふたりの聖女の名がサインされていたよ。聖女アニーと、聖女ロレッタのものだ。……聖女ふたりのサイン付きの手紙となると、さすがに重みがある。手が震える、とまではいかないが、私もいささか緊張させられたよ」
この件でこれほど多くの人が動いてくれたのか。そのことを知って、度数の高いアルコールを口にしたように、胸の芯がぐっと熱くなる。
「錚々たるメンバーだ。しかもその全員が、どうやら純粋な善意で動いている」
「なんて言って良いか……、ありがとうございます」
「先ほどは賄賂と言ったが、あんなものはこの貴族社会では軽いマナーみたいなものだ。なにも添えずに手紙を送る方が不自然なくらいだ。だが、彼らはその賄賂で買収しよう、などというつもりもないようだ。ただ純粋に、君を心配している様子だ」
なにがそれほど嬉しいのか、ユグリスは孫の顔を見るように、暖かく微笑んでいる。
「私が思うに」と、ユグリスは言う。「君には特殊な人望のようなものがあるらしい。なぜだろうな、彼らは揃って、どうにかしてでも君の力になりたいようなのだ」
そう言うと、ユグリスは椅子から立ち上がり、俺のいる目の前まで歩いてやって来る。
「第四階級の冒険者か……。ずいぶんまた、風変わりな男が出て来たものだ」
「すいません……」
謝ることではないと思いつつ、そう謝罪する。
「試験結果についてはガブリエルから聞いているな? 合格だ。だが、”法の守護者“の面々も、元老院の連中も、相当に君のことについては警戒していた。なにしろ、第四階級の冒険者がB級ランクに昇格するなど、前代未聞のことだ」
「自分が異質な、……というか、不自然な存在であることは、理解しています」
「元老院のなかには君のB級ランク昇格に反対する者も少なくなかった。特に保守派の連中は、第四階級の人間はなんのスキルも持たない役立たずで、そんな連中を評価するわけにはいかないと言って聞かなかった」
「では、なぜ、俺はB級に昇格させて貰えたのですか」
「ひとえに、今回のことがあったからだ。並大抵の成績では、君の昇格試験は不合格にするつもりだった。そのことに関しては試験官であるガブリエルも承諾済みだった。……だが、”非常に大きな成果を上げた場合に限り“、君の昇格については元老院で検討する、という約束になっていた。ところが、君はまさかの、フレッシャー商会の不正を暴くという、大きいにもほどがある土産を持って試験を終えて来た。元老院の連中も、君の昇格については認めざるを得なくなったのだ」
「ガブリエルさんが、相当に交渉してくれたのですか」
「そうだ。元老院のガブリエルに対する評価は高い。彼が嘘をついている可能性はまずあり得ない。その彼が、元老院の面々の前で、君がいかに優れた冒険者であるかを情熱たっぷりに話して聞かせた。……古い体質の元老院だ。新しいことにはなんでも反対をする連中だが、さすがに、今回の君の功績を無視して試験を不合格にすることは出来なかった」
「ガブリエルさんには、あとでお礼を言わなくてはなりませんね」
「私は、君の今後を見るのがとても楽しみだ」
突然、ユグリスは声のトーンを変えて、そんなことを話し出す。
「俺の、今後ですか」
「第四階級の冒険者がB級ランクの昇格試験を受けに来たと聞いたときは、ふざけた奴が出て来たと鼻白む気分だった。だが、君は私の想像を遥かに超えた成果を上げて来た」
「ありがとうございます」
「それに、ガブリエルの話では、君は複数職のスキルを駆使し、その魔術量も莫大だという話だ。……湖の水質浄化を一発で行ったと聞いたが、……それも真実か?」
「ええ、嘘ではありませんが……」
「誇張もなしか?」
「誇張もありません」
「まったく……」と、ユグリスは頭を抱える。「ガブリエルが“神話級の才能の持ち主が出て来た”と話していたが、あながち大袈裟な話でもないらしいな。困ったものだ」
「俺が神話級の力を持っていると、なにが困るのでしょうか」
「君が第一階級の出身であれば、なにも問題はない。教会や元老院も喜んで君を迎え入れ、大きく讃えるだろう。だが、第四階級から出て来たとなると、頭の固い彼らだ、まず間違いなく君を簡単には認めない。……そこに大きな摩擦が生じると思うと、私は今から頭が痛い」
ユグリスは話の分かる男で、すでに俺のことを認めてくれていることが感じられる。
だが、その一方で、彼の周囲にいる権力者たちは、俺のことをすでに疎んじていることもまた、感じられる。
とすると、ユグリスは俺側の勢力と、権力者側の勢力とで、板挟みに合う格好となる。
考えただけで胃が痛くなるような立場だが……。
「俺になにか出来ることはあるでしょうか」
気の毒になってそう問いかけると、
「いいや、なにも」と、ユグリスはごくさっぱりと、そう首を振る。「君が気にすることではない。君は変わらずに自分のことに集中し、冒険を続けたら良い。元老院や貴族社会との摩擦を調整するのは私の仕事だ。気を遣うことはなにもない」
「そうですか……」
「そうそう、もうひとつ確認なのだが……」
ユグリスは机に戻り掛け、ふと立ち止まって言った。
「ロジャー商会から送られてきた“セーター”と化粧水、あのふたつはどちらも君が造ったものだと聞いたのだが、……それも本当か?」
「ええ、本当です」
「さすがにそちらは冗談だろうと思ったのだが……」
ユグリスは腰に手を当てて、大きくため息を吐いて言った。
「“神話級の才能”、か。こんな化け物のような奴が出て来て、私たちにどう対処しろと言うんだ? さっさと国の宝に認定して保護するのが正しい道筋だと思うが、……頭の固い元老院の連中では、考えを改めるのにざっと五十年は掛かるだろうな」




