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75,プロモーション、ではない。

 ※今回はガブリエル目線の話です。


 「裁判の準備は整ったのか?」

 店の奥にあるたった一室の狭い個室に入るなり、黒の分厚いコートを脱ぎながら、エレノアが言う。

 「ある程度はな。しかし、相手が相手だ。相当な準備が必要になる」

 「準備で忙しいだろうに。私と飲んでいても良いのか?」

 「忙しいは忙しいが、息抜きも必要なんだ。今日ぐらいしか空きがない。息抜きに付き合ってくれ」

 

 シキ村からこの街に戻ってから、裁判の準備で追われ続けていた。裁判の相手があのフレッシャー商会なだけに、生半可な準備では、こちらにも火の粉が降りかかって来る。一撃で巨人を打倒す覚悟でやらなければ、我々も必ず報復を受けることになる。……必要なのは、それを実行する覚悟だ。


 「しかし、あの大企業が汚職か……。未来はわからんもんだな」

 「“魔力抑制剤”を生産する超大手企業だからな。あの薬は、私が子供の頃からこの国の人々に常飲されている」

 「”魔力抑制剤“だけじゃない。”月影の雫“だってそうだ。今だって居酒屋で飲む酒の定番だ」

 

 ”月影の雫“というのは、この国に古くからあるアルコール飲料で、安価ではあるがそれなりに美味い酒として、この国の人々に愛されてきた。エレノアが言うように、居酒屋ではこの酒を常飲するという者も多い。

 フレッシャー商会の商品は、それだけこの国の人々の生活に深く根差している。


 「この国の人々にとって、フレッシャー商会は“あって当然”というほどの大企業だ。それが汚職、それも倒産の可能性もあるとなれば、国をあげての大騒ぎだぞ」

 活発な店員の持ってきたエールを受け取りながら、エレノアが言う。

 「その通りだ。私自身も驚いている」

 「私は、……実は噂自体は聞いたことがある。フレッシャー商会は相当ヤバい、という話を」

 「ヤバい、というのは、どういう意味だ? 」

 「フレッシャー商会の前商会長は、創設者のニコラ・フレッシャーだが、晩年、相当ひどい経営を行っていたという話だ。もっとも、企業自体が大きすぎる為に、内部告発をする者もいなければ、国の調査自体が入ることもない」

 「”貴族同士の裾の持ち合い“というやつか……」

 眉間に深々と皺を寄せ、エレノアは静かに頷くと、黙ったままエールをぐっと飲み込む。


 “貴族同士の裾の持ち合い”というのは、互いの利益の為に、貴族間で汚職に目を瞑り合う状態を指す。

 フレッシャー商会の体質は相当に腐敗していそうだが、その腐敗の根は、貴族社会のどこまでに広がっているのか。

 本来ならばその腐食の根を文字通り”根こそぎ“掃う必要があるが、そこまでの大規模改革は、かつて誰も成し遂げたことがない。


 「なにか大きなきっかけでもないと、この国は変わらんな……」

 と、つい頭のなかで考えていたことの延長が、言葉となって口から漏れる。

 「まったくだ」

 と、エレノアは店の壁に視線を投げ、話題を転じて言った。

 「それより、試験の結果はどうだったんだ?」

 「試験の結果か……」

 あのシキ村で起こった一連の出来事を、どこから説明したものだろうか。

 そう逡巡していると、よほど涼くんの試験のことが気になっていたのか、エレノアはテーブルの上に身を乗り出して私に顔を近づけていた。


 「結果から言えば合格だよ。それは間違いない」

 「本当か!?」

 エレノアは喜びの光を顔いっぱいに広げ、狭い席で半立ちになる。

 「あいつなら大丈夫だと思っていたが、やはり、合格か!」

 「合格は合格なんだが……」と、私は腕を組んで、つい、唸る。

 「なんだ……? なにか不味いことでもしたのか?」

 「不味いことというか……。むしろその反対かも知れんな」

 「反対……? 反対とは、どういうことだ」

 「あれほど有能だとは思わなかった。正直に言って、私の想像を遥かに超えていた」

 

 そう言ってぐっとエールを煽ると、目の前に、まるで自分を誉められたかのように顔を赤らめてほくそ笑むエレノアがいる。いや、自分のこと以上に、涼くんの活躍を喜んでいる。


 「だが、感心はせんな。あれほどの逸材なら、試験の前にもっと説明くれても良かった。君はいつでも言葉が足りない」

 ひとつ咳ばらいをし、エレノアにそう苦言を言うと、

 「なにを言う。私は涼の素晴らしさについては何度も説明した。お前が信じなかったんだ。信じない者に、なにを言っても無駄というものだ」

 「それはそうだが……、だが、言いようはあったはずだ」

 「言いよう? なんて言えば信じたんだ? 私には、お前が涼に関心を持っているようには見えなったがな」

 「そんなことはない……!」

 慌ててそう否定するが、自分のことながら、エレノアの言い分が正しい、と思う。

 私は確かに、第四階級の冒険者を名乗る田村涼という男に、それほど深い興味を持ってはいなかった。

 いや、興味がないという意味で言えば、私以外の多くのA級冒険者も、彼にそれほど関心は持っていなかっただろう。第四階級の冒険者など、本来はそれほどにこの世界では異質であり、的はずれなことだ。


 「しかし、実力もさることながら、彼が凄いのはあの奉仕精神だな」

 店員の運んできたチーズを振ったサラダに手をつけながら、私は言う。

 「ああ。それについては私も同意する」

 「彼はすべての治療、活動を、無償で行っていた。……“すべて無償で行う”というのは、素晴らしいアイディアだ。いったい、誰がそんなプロモーションを考えたんだ? 君か?」

 「プロモーション?」

 と、サラダに箸をつけかけていたエレノアが、片眉を上げて、私を見据える。

 「プロモーションだよ。彼とアニーはこの世界から階級を無くすための活動をしているんだろう? そうした活動の一環として、すべての慈善事業を無償で行っているんだろう。上手い考えだ。あれに胸を打たれる者も多いだろう」

 「お前には、あれがプロモーションに見えるのか?」

 「見えるというか……」

 

 エレノアは澄んだ瞳を私に向けている。この瞳には見覚えがある。

 冒険中、魔獣に攻撃されて仲間が傷ついたとき、エレノアはこれと同じ目をしてその魔獣を睨みつけたものだ。

 多くの同世代冒険者が魅了された、美しい翡翠色の瞳。しかしその澄み切った湖の奥には、静かな怒りが隠されている。


 「……アニーが考えたのだろう。違うのか?」

 

 エレノアはとうとう、睫毛を伏せてなにも言わなくなってしまう。

 爽やかな沈黙を顔に浮かべて、ひたすらに黙々とサラダを口に運んでいた。


 「まさか、彼が自分で考えてやっているのか」 

 「そうだ」

 「……プロモーションでも、なんでもなく?」

 「あれはプロモーションなどではない」

 「……そんな、聖人のような男がいるのか?」

 「それがあの男だ。涼というのはそういうやつなんだ」

 「なんてことだ。私はてっきり……」

 そこまでを口にし、私は絶句する。

 他人の病を治すのも、辺境の村の湖を水質浄化するのも、美味い酒を振る舞うのも、すべて“他人を喜ばすため”だけに行われた奉仕活動だというのか。

 それほどに心の純真な男が、実在するのか。

 それに比べて、それらの活動を“プロモーション”と決めつけた私の心の、なんて汚いことか。

 ……そこまでを考えて、ひたすらに、絶句した。


 「気にするな。お前の心が特別汚れているわけではない。……涼が特別なんだ。あいつはあらゆる意味で、ただものではない」

 「……完敗だ」

 自分でも意図せずに、そんな言葉が私の口から、漏れる。

 「冒険者としてではない。人間として、……私は彼に完全に敗けている」

 「繰り返すが、気に病むことはない。あの男が異常なんだよ。ネジが何本か外れているんだ」

 エレノアの口調はどこか嘲るようだったが、一方で、その表情は愛おしいものを全身で包みこむかのようだ。

 いや、多分エレノアは、心の奥底から、涼のことを愛おしく感じている。

 まるで十代の少女が付き合いたての恋人について話すときのような表情を浮かべて、エレノアは柔らかく微笑している。彼女のこんな表情を見るのは、初めてのことだ。

 

 「君が彼の師匠になりたいわけがわかったよ」

 「そうだろう。あいつは少々性格が優しすぎるからな。誰かが見守る必要がある」

 「……いや、私が言いたいのは……」


 そこまでを言いかけて、私は口を閉ざす。


 「なんだ? なにが言いたい?」

 「いや、なんでもない。大したことじゃない」

 「? 妙なやつだ」


 当時、まだ私たちが若かったころ、多くの男たちがエレノアに恋をし、そしてその誰もが彼女をものにすることは出来なかった。

 彼女はあまりにも強く、精神的に自立しており、そしてあまりにも深く冒険を愛していた。

 あの美しい翡翠の目に、誰も映ることは出来なかった。


 それが、今更になって、あの田村涼という男が、エレノアの心を奪って行った。

 当時、自分自身も彼女との恋仲を夢見ていた者として、それが少し、悔しい。

 あの第四階級の冒険者に、私は人間として敗れ、そして、男としても敗れたのだ。


 「……まったく、とんでもない男が出て来たものだな」

 「ああ。心配でたまらんよ。あいつは人が良すぎるからな……」

 「君はあの男と冒険が出来て、心底幸せだろう」


 この質問になんて答えるだろうと思って顔を上げると、エレノアは屈託なく笑みを浮かべて、こう即答する。


 「ああ。とても幸せだ。あいつと一緒に冒険が出来て、私は今まで生きてきたなかで今が一番幸せだ」


 “敵わないな”と呟いたのは自分の胸のうちだったか、声に出ていたか。

 どちらでも構わない。いずれにせよ、強く気高い目の前の美女は、私のものにはならないのだから。






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