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74,小さな背伸び。

 一晩経ち、オーヴェルニュの街から憲兵がやって来た。彼らは手際良くムッサとその仲間を縛り上げた。

 「すまないが、私もこれで失礼する」

 ガブリエルはそう言うと、憲兵たちの乗って来た馬車に乗って去ってゆく。

 彼らがやってきて三十分ほどのことで、彼らがいなくなると、シキ村はがらんとした寂しい寒村に戻った。


 「涼さんは、これからどうされるのですか」

 隣に立っていたユリが言った。

 「俺もしばらくしたら街に戻ります。荷物の整理やこのあいだ造った酒のレシピを調整したいので、もう数日はいるかもしれませんが」

 「あの晩頂いたお酒でも充分美味しかったのに、さらに改良されるんですか?」

 「湖の近くにミスズ草を見つけたんです。独特の甘みのある草で、あれを混ぜたらさらに美味しくなるかもしれない」

 「自生していたのは、どの辺りですか」

 「湖の東に見える丘の辺りです。近くまで行かないと、確証はないのですが……」

 

 ユリはしばらくのあいだ、なにも言わずに鼻の頭を指で撫でていた。なにか言いたいことがあるのに言い出せないといった感じだった。

 出会った当初は気の強い、正直に言って若干感じの悪い女性だと感じていたが、その印象は今は薄らいでいる。どことなく田舎の娘らしい感じのする、飾り気のない女性だった。

 

 「その採取に、私もついて行って良いでしょうか」

 ふいに顔を上げて、ユリが言った。彼女の赤茶けた髪が、溌溂と揺れる。

 「え、良いですけど……。なぜです?」

 「……実は、治癒士としての仕事はもう終わっているのですが、なんだかこの村が気に入ってしまって、もうしばらく滞在したいのです。でも、ただ滞在していてもなんなので、なにかお手伝いがしたいのです。……それとも、邪魔でしょうか?」

 「いえ、邪魔ではありませんが……」

 

 そう答えはしたものの、ユリがいたからといって、採取の仕事が楽になるわけではない。

 ひとりで行ってひとりで採取するだけのことだから、誰かの手を借りたいということもなかった。

 ユリ自身もそのことは分かっているはずだから、この提案にはなにか裏がある気がした。

 そう訝しんでいると……


 「……本当は謝りたかったんです」

 と、ユリは照れくさそうに笑う。

 「謝りたい? なにをですか」

 「以前、涼さんを追い払ってしまったときのことをです」

 「あれについてはもう謝罪されたはずですが……」

 「謝罪はしました。でも、本心からではありません」

 さっきまで笑っていたユリの顔が、今は真剣なものに変わっている。

 「……どういうことでしょうか」

 「あのとき私が謝ったのは、アニーさんに迷惑が掛かったからです。それに自分の上司に叱られたというのもあります。本音では、自分が悪いとは思っていませんでした。……私は嘘をつきました。自分の保身の為に、楽な道を選んだのです」


 彼女は口を窄め、ゆっくりと細い息を吐いた。

 そして鼻からいっぱいに息を吸いこみ、それを再び細めた唇から吐き出した。


 「でも、今は本心から、涼さんに悪いことをしたと思っています。私は明確に差別意識を持っていたと思います。……ごめんなさい。そのことを、心から謝罪します」


 ユリはそう言うと、真っすぐに俺の方を向き直り、深々と頭を下げる。

 両手はぴしりと身体の脇に添えられており、背筋はぴんと伸びている。嘘や偽りの入り込む余地のない、真っすぐで、誠実な謝罪だ。

 

 「顔を上げてください。俺は別に怒ってはいませんから」

 「涼さんはそう言うと思っていました」ユリは顔を上げて言った。「でも、きちんと謝っておかないと、私自身が、私を許せないのです」

 「気持ちはありがたいのですが……。でも、どうして、そんな謝罪したい気持ちになったのですか?」

 「涼さんが、無償で人の為に尽くすのをこの目で見たからです」

 

 彼女はそう言うと、村の中心に集まり始めている村民たちを見つめた。


 「涼さんは、病を治療するときも、お酒を振る舞うときも、湖を浄化するときも、一切金銭を要求しませんでした。ただ黙々と誰かの為に行動して、終わったらにっこりと笑って人々の快復を喜ぶだけです。……私、反省したんです」


 彼女は俯き、こめかみを指で軽く触った。

 

 「治癒院は誰かを救うための組織で、私はその仕事に誇りを持っていたはずなのに、いつの間にか、給料の為にこの仕事をしている、と。それに、治癒院そのものもそうです。もとは気高い奉仕精神を持った組織だったのに、今は違います。利益追求型の組織に変わってしまいました。それに気づいたのは、涼さんのそばで行動を共にしたからです」


 彼女のなかでなにか憑き物が落ちたのか、その顔は晴れやかだ。それを見ている俺自身にも、嬉しい気持ちが湧き上がって来る。

 

 「俺は別に、無償で人の為に行動しようと決めてやっているわけではありません」


 これは俺の本心だった。この世界の人の為に無償で奉仕しようなんて、そんな崇高な信念を持っているわけではない。

 ただ、“チート”という能力を使うと、もとの世界に居たころでは考えられないほど、他人を喜ばすことが出来る。俺はただそれが純粋に嬉しいのだ。

 

 「私も、影ながら協力させて貰えませんか」

 ユリは突然、そんな思いがけないことを口にする。

 「協力……。なにを、ですか」

 「この世界から階級を無くす活動の、お手伝いです。……以前、アニーさんから聞いたことがあります。彼女が治癒院のみんなの前で話していたんです。“これから第四階級の冒険者が、この世界のすべてを変える。それはもう間もなくだ”って。……アニーさん、この話をすごく嬉しそうに話すんです」

  

 「そんなことがあったのですか……」

 素直で感情豊かなアニーさんが、みんなの前で楽しそうに話す姿が、思わず目に浮かぶ。陰でアニーさんがそんな話をしてくれていたとわかると、嬉しい気持ちはなお一層高まる。

 

 「当時は、正直に言って、その話にピンと来なかったんです」

 「無理もありません。第四階級の冒険者なんて、みんなあり得ないと思っているのですから」

 素直にそう言っただけなのだが、この言葉に批判の(とが)を感じ、ユリが「すいません」と謝る。

 「でも、今は違います」ユリは胸を張って言う。「今は、本当にその日が来るのだと信じています。……涼さん、私は間違っていました。この先なにがあっても、私はあなたについて行こうと思います」

 

 こんなふうに自分の胸の裡を打ち明けてくれるということが、素直に嬉しい。

 この国の差別意識というのは、元の世界の日本では考えられないほど、強く、根深いものだ。

 その世界で、ユリのように、自分から意識を変えてくれることなど、そう滅多にあることではない。

 自分の行ってきた活動が芽を出したのだと思い、思わず、涙ぐんでしまう。


 

 「ありがとうございます。すごく、ものすごく嬉しいです」

 「……涼さん、泣いているのですか?」

 「泣いてはいません。泣きそうにはなりました」

 「私、友達みんなに言って回るつもりです」

 「なにをですか?」

 「“第四階級の冒険者が、これから世界を大きく変える。それは、もう間もなくのことだ”って」

 「……アニーさんのようにですか?」 

 

 俺がそう問うと、ユリは、この日初めてその顔に満面の笑みを咲かせて、


 「ええ。そうです。アニーさんのようにです」と小さく背伸びをした。







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