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60,祭りの明かり。

 あとを追いかけて、やっと涼さんに追いついたのは、噴水広場でのことだ。

 噴水の縁石に腰掛けて腕の傷を見遣っている涼さんに、そっと近づいて、見下ろす。


 「アニーさん。どうしてここに? 」

 「さっき治癒院に来てくれましたか。治癒士の方が失礼を働いたと聞いて、謝りに来たのです」

 

 こんなにも強い憤りを覚えたのはいつぶりだろうと私は思う。

 しかも涼さんは腕に毒を受けており、治癒士による解毒施術を受けなくてはならないのは歴然としている。

 私は彼の隣にそっと腰掛け、「“ヒーリング・ライト”」と唱える。やがて彼の腕に出来ていた黒々とした紋様がすっと晴れ渡ってゆく。

 よほど強い毒性のものでなければ、この魔術で解毒することは出来る。


 「冒険中に毒に掛かったのですか? 私に言ってくれればすぐに治癒へ駆けつけましたのに」

 「痛みはないのです。ただ解毒の術も俺にはなくて。それに、治癒院に行けばアニーさんにも会えると思ったのですよ」

 

 あたかもなにもなかったかのように笑顔で話す涼さんに、心が痛んだ。


 やり取りがひと段落したところで、追随してくれた若い治癒士がぐいと前に出てきた。

 人目もはばからずに、彼女は涼さんの前で膝をついた。


 「田村涼様、さきほどは私の勘違いで追い返してしまい大変申し訳ありませんでした。もし処罰が必要だと仰るのなら、言われたままに従う所存です……! 」

 

  彼女の背中はかすかに震えを起こしている。長いこと頭を垂れたまま、視線を上げることもなかった。

 今でこそ私は雑仕事に従事して周りの人々とも対等に接しているが、もとは矢面に立って公職を行って来た“聖女”だ。治癒士の彼女たちとも友人のように接しているが、“聖女”を怒らせたとなると、彼女たちの立場もただでは済まない。


 「なぜ涼さんにそんなことを言ってしまったのですか」

 「アニーさんが第四階級の冒険者と親しくしているという噂は聞いていたのですが、……頭から抜け落ちていました。咄嗟に、“そんな人がいるはずがない”と思ってしまったのです。身分を偽って治療を受けようとする輩は多いので、つい……」

 「私が涼さんと親しくしているから、あなたは謝るのですか」

 「いえ、それは……」と、若い治癒士は目を泳がせる。

 「あなたは第四階級の人が来たと言う理由で追い返したのではないのですか。だとしたら、それはひどい差別です」


 この街の第四階級の人々に対する意識は変わって来たとは言え、未だに差別意識は拭い切れていない。深々と頭を垂れて謝罪をする彼女も、涼さんが私の友人だから謝っているという側面は、明らかにある。この世界の差別意識を丸ごと取り払うのは、容易なことではない。


 「……あなたは”セーター“を欲しがってはいませんでしたか」

 「ええ……。でも、あれはすでに売り切れていて買えませんでした」

 「あれを造ったのはここにいる涼さんなんですよ」

 「えっ、涼様は、セーターの製作者なのですか」

 「そうです。彼は現在ロジャー商会の特別顧問に就任しています。セーターも涼さんの発案で造られたものです」

 「友人たちの間でもあれは物凄い評判でした……! 暖かい上に、デザインも素晴らしいって……。私たち世代の人はみんな欲しがったのですけど、すごい早さで売り切れてしまったので、買えなかったのです」

 「もし良かったら、あとで差し上げますよ。確か予備の在庫が少しだけ残っていたので」


 このやり取りを苦笑いとともに眺めていた涼さんが、そう口を開く。

 

 「セーターは幸いなことにこの街の若い人々に大きく受け入れられてすぐに完売しました。でも、俺たちもあの製品の出来は気に入っていたので、関係者用に数十点だけ工場に保管しておいたんです。工場で働く仲間が誰かにプレゼントするために、自由に渡して良いものとして。……せっかくこうして話す機会があったのですから、良かったら貰ってください」

 

 涼さんの思わぬ提案に若い治癒士はきらきらと目を輝かせる。

 だが、その横に立っていた年輩の治癒士が、口を挟んだ。


 「……この度はうちの若い者が失礼を致しました。こちらの不手際でございます。セーターを下さるという提案は大変に喜ばしいのですが、彼女を甘やかすことになるゆえ、どうか、そのような提案はご遠慮ください……」

 「俺は気にしていませんよ」と、涼さんが優しい声で反論する。「気にしていないのですから、ここには加害者も被害者もいません。彼女はアニーさんの同僚でもあるのですよね。アニーさんがいつもお世話になっているお礼です。気にせず受け取ってください」

 「ですが……」

 

 念願のセーターが手に入るかの瀬戸際なのだ、若い治癒士は尾を振る子犬さながらに事態を見守る。

 一方、年輩の治癒士はどうしたものかと眉根を寄せた。


 「もう終わりにしましょうか……」と、見かねた私が口を挟む。「始めから分かってはいたことなのですが、涼さんはこういう人なのです。自分が傷つけられたことよりも、周りの人々がどうすれば幸せになれるかばかりを考えている。……これでは、必死に追いかけて来た私が馬鹿みたいです」

 「アニーさん、俺に呆れているのですか? 」

 「少々呆れています。涼さんは人が良すぎます」

 「誉め言葉のように俺には聞こえますが」

 「本気で呆れているんですよ。……もう」


 涼さんと話をしていると、いつも自分のなかにある黒い靄が綺麗に晴れ渡ってゆく。

 つい今しがたまで私は激しい憤りを覚えていたはずなのに、私の心はすでにすっかり晴れ渡っていた。


 「あ、あの……」

 と、若い治癒士が声を震わせて言った。

 「このあとアニーさんは涼様と食事に行かれると聞きました。せめてものお詫びとして、その食事をご馳走させては貰えないでしょうか」


 「……それ、本気で言っているの? 」

 少々呆れた顔でそう零したのは、傍らの年輩の治癒士だ。

 「本気です! 涼様は気にしないとおっしゃてくれましたが、自分の気が晴れません。食事の値段など気にしませんから、どうか……、この街の最上級のレストランで夕食をご馳走させていただけないでしょうか! 」


 年輩の治癒士が額に手を当て、深いため息を吐く。


 「……そうではなくて、見ていてわからないかしら。このおふたりは早くふたりきりになりたいのよ。本気で言っているの、と聞いたのはそういう意味よ。もうお詫びをするのは終わりにして、私たち邪魔ものはさっさと戻るわよ。……涼さん、アニーさん、なにからなにまで、気が利かない子で申し訳ありません」


 年輩の治癒士の言葉がよほど思いがけなかったのか、若い治癒士は目を丸くして私と涼さんを交互に見遣る。

 やがてその驚愕は好奇の昂りに変わったのか、彼女はハッと息を飲み、両手で口元を覆う。


 「アニーさんが涼様のことを“大切な人”とおっしゃっていたのは、そういうことでしたか……! 」 

 「もういいから、行くわよ」

 

 若い治癒士は最後は年輩の治癒士に腕を引かれて去って行った。

 騒々しいその去り際に、私と涼さんはふたりして同時に笑みを零した。


 「本当に許して良かったのですか」

 「彼女を責めても大した意味はありません。俺がもっと頑張れば良いだけのことです」

 「……本当にお詫びします。彼女に詳しく話していたら、こうはならなかったと思います」

 「アニーさんはなにも悪くありません。……それに、見てください。とても綺麗ですよ」


 私たちのいる噴水広場は陽が暮れて、とっぷりとした闇夜が落ちていた。

 その深い闇夜を、この街の風物詩である冬のお祭りの飾り付けが、いつの間にか灯している。


 「この件が無ければアニーさんとふたりでこの景色は見れませんでした」

 「いつの間にかお祭りの準備が始まっていたのですね」

 「……感動的な景色です」


 なぜこうもこの人は優しいのだろう。そんな想いが込み上げ、ぐっと胸が詰まった。

 

 「そろそろ行きましょうか」

 

 そう言って立ち上がり掛ける涼さんを、そっと手で制して、彼の肩に私は頭を寄せる。


 「もう少しだけこうしていて良いでしょうか。もう少しだけ、こうしてくっつかせていてください」


 自分でも思いがけないほど、そんな甘えの言葉がすっと出てくる。

 もっとこの人に近づきたい、もっとこの人の傍にいたい、その想いは抑えようのないところまで昂っていた。








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