54,父との会話。
“もしかしたら完全治療できるのかもしれない”と、そんなことを考え出したのは、ごく最近のことだ。
“沈黙の呪縛”と言えば“老人病”の代名詞で、掛かれば治癒は不可能とされてきた。
でも、幾度かの治癒を行った経験から、それはあながち不可能ではない、と私は感じ始めていた。
でもそれには、私が苦手とする「解毒術」への深い理解が必須なのだ。そしてそうした理解を深めるには、誰かその道に精通したひとに直に教わるほかない。
「アニー。こうして一緒に食事を取るのは久しぶりだね」
「ええ。お父様とふたりきりで食卓を囲めることを、嬉しく思います」
“解毒術に精通している人を紹介してもらう”為に、私が頼ったのは父だった。
フランダルス家は最も古い貴族の家系のひとつで、父の人脈はこの国の王族から地方の豪族まで隅々まで行き渡っている。父が知らないこの国の有力者は、ゼロに等しい。
「ずいぶん忙しそうだね。聖女の仕事は相変わらず大変かい」
「いえ、以前ほどでは」
「お姉ちゃんのロレッタも相変わらず忙しそうだ。滅多に顔も合わさないよ」
「お父様も忙しすぎるせいではないでしょうか? 」
「そう言われると辛いね」
母が亡くなって以来、私たち家族は少なからずバラバラとなっている。
多分、それぞれが母の死を重く受けとめ過ぎて、その重みから逃げる為に、それぞれが仕事に打ち込んでいるせいだ。
父が私を愛してくれているのはわかってはいるが、会うのも久しぶりのこと過ぎて、若干の緊張が私をこわばらせる。
「解毒術への理解を深める為に、誰かひとを紹介してもらいたいという話だったね? 」
「そうです、お父様」
「気難しくはあるがその道のエキスパートと、優しいが腕は二流の研究者を知っているよ」
「優しいエキスパートの方をお願い致します」
「それは空の飛べる猪を探せと言うようなものだよ」
「そんなにも難しいことなのですか? 」
「その道のエキスパートは大抵、気難しいものさ」
父はテーブルにあった紙にさらさらと文字を書きつけ、それを私の方へと寄越す。
やや丸みが掛かった、優しい字。母の字も父と同様に優しい丸みがあったのを、思い出す。
「その住所の場所を訪ねると良い。話は通しておくから」
「ありがとうございます。お父様に相談して、良かった」
父の目もとに、新しい皺が幾本も出来ていることに、私は気づく。
その身体も見るからにくたくたに疲れていて、きっと、また何日も寝不足の生活を続けているのだろう。母が亡くなって以来、父の仕事ぶりは自分にわざと鞭を打つかのようだ。
「君が聞かれたくないだろうことを、聞いても良いかな」
「可能なら、よして下さい」
「私だって聞きたくないんだよ。“可能なら”ね」
「つまり聞かなくてはならないこと、なのですね? 」
「父親としては、聞かないわけにはいかないね」
部屋の空気に若干のこわばりが混ざる。
昔から私が悪さをしたり悪戯をしたりすると、父がこの空気を纏って私の部屋にやってきたものだ。懐かしい。そう思うとともに、喉の奥がきゅっと縮こまりもする。
「良くない噂を耳にしたんだ」
「どのようなものですか? 」
「君が第四階級の男の子と親しくしているという噂だ」
「ええ、しています。それがなにか、問題でしょうか」
「階級は問題じゃないよ。でも、どのような男かは、説明してもらいたいな」
父に話して伝わるだろうか。母が第四階級の出身であったことを考えると、ほかの家庭よりは遥かに伝わりやすくはあるだろう。
でも、第四階級の男の子と親しくしているという言葉は、あまりにインパクトが強く、どう受け止められるか、予想がつかない。
「大切な人です」と、私は言った。「ですから、説明させてください」
「どうぞ」と、父は微笑んで言った。
私は息を飲む。軽い咳ばらいをし、喉の奥のきゅっとしたこわばりを、取り払う。
「仮定の話から始めさせてください」
「もちろん。君の好きに話したら良い」
「お父様が第四階級の出自だったとします」
「うん、わかった。想像してみるよ」
「ある日、莫大なお金が入ったとします。それを、どう使いますか」
「……きっと自分の欲しかったものをたくさん買い占めるだろうね」
「涼さんは」と、私は言った。「収入の大半を同じ第四階級の人々に分け与え続けています」
「例えば、なにに使っているの? 」
「第四階級の人々の寝床、衣服、食事の確保の為に資金を投じています」
「自分のことに使わずにかい? そんな聖人みたいな男が実在するのかな」
「実在します」と、私は言った。「……自分だけが幸せになろうと思ったら、涼さんはとっくに幸せになれていると思います。裕福な暮らし、冒険者仲間からの名声、明るい未来。それらはもう、あの方は自らの手で手に入れられるところにいると思います。……でも、彼は自分以外の人々の為に、行動し続けています。自分が幸せになることは、後回しにして」
この話を聞いて、父はかすかに困ったような表情を浮かべている。
遥か幼い頃から感じていたことではあったが、父は過保護なほど、私たち姉妹のことを愛してくれている。特に、母が亡くなってしまったあとからは。
だからこそ、父は涼さんという第四階級の人と私が親しくしていることが、心配でたまらないのだ。
「会うのをやめて欲しいと言うわけにはいかないんだろうね」
「困ります。私が、困ります」
「娘の君を困らせたくはないな」
「涼さんは私にとって今一番大切なひとのひとりです。彼には深い恩があります。聖女になって以来、私は深い深い悩みの底に沈んでいました。そこから引き揚げてくれたのは彼なのです。……もしお母様が生きていたら、母も涼さんのことを大切にするように言ってくれたと思います」
しばしの沈黙が流れる。私たち家族にとって、母の話は若干のタブーだ。
「お母さんを出されると辛いね」
「申し訳ありません」
「ひとつだけ聞いても良いかな」と、父は言った。
「はい、なんでも」
「僕は第四階級の人に恋する辛さを誰よりも知っているつもりだ。娘の君も、そうした辛さを幼い頃から見て来たと思う。……そのうえで、君はその涼くんというひとと、離れる気はないんだね? 」
「はい」と、私は真っ直ぐ父を見据え、そう答える。「今後も、ずっと一緒にいるつもりです」
ふー、と長いため息を父が漏らす。その目に微かに涙が滲んで見えるのは、悲しみのせいだろうか。それとも……。
「嬉しいね。君たち姉妹には立派に育って欲しかったが、いつの間にか強く正しい女性に成長していたらしい。……試すようなことを聞いて悪かったね。始めから君と涼くんの付き合いを邪魔する気はなかったんだよ」
”今日は母さんに乾杯だ“、父はそう言うと、テーブルの上のグラスに、なみなみと白ワインを注いだ。




