52,小さくて嬉しいもの。
※今回はアニー目線の話です。
涼さんの造った“セーター”がこの街に受け入れられて一週間後のこと、ロジャーさんの繊維工場の敷地内で、関係者のみで小さな催し物が開かれていた。
集まっていたのはロジャーさんやロジャー商会の役員たち。
それから、この工場で働く第四階級の人々。涼さんが親しくしている人々。
まるで階級などこの世界には存在しないかのように、ここには、多種多様な人が集まっている……。
「会うのは二度目ですね。あの、アニーさんって呼んでも良いですか……? 」
エールを片手にそう話しかけてくれたのは、涼さんの旧友である、ツルゲーネさんだった。
「ええ。もちろん」
そう微笑みはしたものの、ツルゲーネさんがまじまじと私の顔を凝視していることに、気がつく。
思わず、髪を胸の方へ戻して顔を隠してしまう。
だが、
「改めて見ると、とんでもない美人ですね……」
と、ツルゲーネはごく自然な口ぶりで、そう言った。
その言い方がまるで、博物館で古い骨とう品を見たときのような言い方で、私は胸を撫で下ろす。
かつて大勢の男性が私にその言葉を口にしたときのような、“私を口説こう”というような下心が、まるで感じられなかったからだ。
「初めて会ったときも美人だとは思いましたが、改めて見て、あんまり綺麗なんでびっくりしてしまいましたよ。こんな美人と手を繋いで歩けでもしたら、男はこれ以上ないくらい幸福でしょうね」
と、そのとき、
「へえ……? 」
と、ひとりの若い女性が、ツルゲーネさんの肩越しに、彼の顔を覗き込む。
「あなたもアニー様と手を繋いで歩きたいってことね……? 」
「い、いや、そうじゃなくて……! 」
と、振り返ったツルゲーネさんが、慌ててそう弁解する。
「男なら誰だってそう思うっていう話で、俺の話じゃないよ! 俺はサーシャ一筋だから……! すいません、アニーさん。彼女はサーシャ。街のパン屋に勤めていて、常連だった俺が彼女を口説いて――」
サーシャと呼ばれた女性は“まあ良いわ”という感じでクスりと笑うと、すっと居住まいを正して、私に言った。
「初めまして、聖女アニー様。私はサーシャ・フルーレ。ここにいるツルゲーネと結婚を前提にお付き合いしております」
「こちらこそ、よろしくお願いします。その、聖女アニーはよしてください。アニーと呼んでもらえると、私も嬉しいです」
「それでは、アニーさんとお呼びしますね」
サーシャさんはいかにも気さくそうに微笑み、ツルゲーネさんの隣に腰を下ろした。
「……でも、大勢の男たちがあなたに魅了されるのはわかるわ。女の私でも、少しドキリとしてしまうもの」
「そうだな……」
と、顎に指を添えて、ツルゲーネさんがそれに同意する。
「これほど整った女性は見たことがないというか……。俺が心配することでもないと思うのですが、案外、生きづらいのではないですか……? 」
「ええ、実は、多少、生きづらいです……! 」
と、普段ならそんなことを言わない私も、気さくに話してくれるふたりに、そう打ち明ける。
「やはり! 」
と、ツルゲーネさんが眉をあげて、そう驚く。
「自分に自信のある男ならまずアニーさんを口説こうとするでしょうしね。ま、まあ、俺はサーシャ一筋だから、そんな気持ちにはならないわけだけど……」
と、ツルゲーネさんは、若干慌てた調子で、隣に座るサーシャさんへちらりと視線を送る。
「はいはい」と、サーシャさん。「あなたが私にすごくほれ込んでいるのは分かっているから、言い訳しないで良いわよ。私も、あなたのこと、ちゃんと好きだから」
するとツルゲーネさんは、にっこりと笑顔になり、その笑顔を私にも向けた。
思わず、
「羨ましいです」
と、零してしまう。
「おふたりは、すごく仲良さそうで、……羨ましいです」
「……でも、あなたなら、選び放題じゃない」
と、サーシャさんが、そう言う。
“選び放題”であることと、”好きな人と一緒になる“ということは、まるで別物だ。
確かに、これまで大勢の貴族男性たちが、私に言い寄って来てくれた。
でもそれは、こちらの感情が動く前に進められる恋愛物語で、私の気持ちとは無関係に行われる”押し売り“みたいなものだ。
そしてそんな彼らが見ているのは、聖女という肩書と、私の容姿だけなのだ。
「いや、案外……」
と、口を挟んだのは、ツルゲーネさんだ。
「大勢の男に一方的に言い寄られるのも辛いと思うな。ましてや、好きでもない異性に言い寄られるのも、結構苦労すると思う」
「私からすれば羨ましい悩みだけれどね」
と、サーシャさんが斜めに空を見て、そう言う。
「でも、わからなくもないわ。恋愛って、もっと自然に始まるものだものね」
「俺たちのように? 」と言ったツルゲーネさんの肩を、サーシャさんが肘で小突く。
まさに、ごく自然に始まったかのようなふたりの恋愛関係が、私は心底、羨ましい。
◇◇
宴が二時間ほど経ち、夕陽が沈みだしたころ、私は催しものの隅に移ってひとりで白ワインを口にしていた。
「横、良いですかね」
と、再び声を掛けてくれたのは、ツルゲーネさんだ。
「ええ、もちろん」
そう返答すると、ツルゲーネさんが思わぬことを口にした。
「涼の横にずっといたのは、俺なんです」
「え? 」
「あいつがこっちの世界に来てから、あいつの横にいたのは、ずっと俺なんですよ」
その言葉の真意が掴めずじっとこの人の目を凝視していると、
「……だから、少し、アニーさんに俺は嫉妬します」
「嫉妬、ですか……? 」
「あいつは、少し変なんです。変なところが強情だし、みんながもう無理だと思っても、ひとりだけ諦めずにやり続けたり、……それに、いつだって自分のことは後回しで、他人のことばかり気にかけている。……そんな、“心配な”やつなんです」
「わかります」
「だから、俺がいつも、ずっと隣にいて、俺だけが、あいつの心配をしてやっていたんです。だって、俺が心配しなくちゃ、あいつの心配をする奴なんていなかったから」
どこか嬉しそうに、それでいて、どこか寂しそうに、ツルゲーネさんは、笑う。
「でもね、いつの間にかその役目を担っているのは、俺ではなく、あなたになっていた」
そんな言葉を向けられ、私とツルゲーネさんはごく自然に、宴の中心に目を遣る。
大騒ぎをして盛り上がっているロジャーさんや役員の方々、それに、第四階級の人々のあいだに、酔ったひとを看病するために走り回っている、涼さんの姿が見える。
私とツルゲーネさんは思わず目を合わせ、互いに吹き出してしまう。
「……見ました? 」
と、片腹を抑えて、ツルゲーネさんが言う。
「見ました。……みんなの、看病をしていましたね」
「あいつ、今日の主役なんですよ?? 」
「ええ、そうですね」
と、私は再び、声を出して笑ってしまう。
「ああいうやつなんです」
と、涼さんを眺めながら、なにか、深い誇りを味わっているかのように、ツルゲーネさんが目を細める。
「すごく有能な力を持っていながら、いつも他人のことばかり気にかけて生きている、あいつは、そういう“変わったやつ”なんです」
「ええ」と、私は頷く。
そしてツルゲーネさんというこの方が、いかに涼さんのことを信頼し、また、友人として尊敬しているかが、暖かな熱のように、伝わって来た。
「でも」
と、ツルゲーネさんはにやりと笑い、こちらを振り返って、こんなことを言った。
「あなたに譲りますよ。アニーさん。……特別ですからね? 」
「……良いんですか? 」
と、私も、少し邪悪な笑みを繕って、小声でそう口にする。
「うーん、本当は譲りたくないのですが、あなたなら、まあ、良いでしょう」
「……では、ありがたく、頂戴いたします」
ふたりでひとしきり笑ったあと、
「……また集まりませんか」
と、ツルゲーネさんがグラスを掲げて、言った。
「ええ。ぜひ」
と、私は持っていたグラスを、彼のグラスに、合わせる。
そしてそのときに、ツルゲーネさんが私の虚を突く、思いもよらぬことを口にした。
「……ここでなら、あなたも“聖女”という重荷を脱いで、素の自分に戻れるのじゃないですか? 俺たちで良かったら、いつでも”素のアニーさん“を、歓迎しますよ」
その言葉に、思わず、ハッと息を飲んでしまう。
ツルゲーネさんというこの人は、私が聖女という肩書に苛まれていることを、どこかではっきりと見抜いていたのだ。
「……私と、友人になってくれますか? 」
と、つい笑みが零れてそう問うと、
「……とっくに、そのつもりでしたが? 」
と、言って、いかにもお茶目に、肩を揺すって笑った。
遠くで駆けまわる涼さんを眺めながら、私は母のことに想いを馳せる。
母と、幼少期の私が、ずっと欲しかったものが、紛れもなく、今ここには出来上がっている。
ここには第四階級の人も、貴族も、生活職の人もいるのに、それらすべての人々が、階級差など微塵も感じさせることなく、平等な立場で笑い合っている。
”お母さん”と、私はそっと、胸のなかでそう囁いた。”あの当時ずっと欲しかったものを、小さいながら、やっと作ることが出来ました”。




