51,セーターという流行。
※今回はロジャー商会の役員、フィリップ・サザーランドの目線から始まります。
※フィリップは涼たちがロジャー商会を訪れた際、涼を盗人だと決めつけて反対していた役員です(26話参照)
とある冬の日のこと、ふたりの男はその日の仕事を終えて、飲み屋にでも入ろうかと街を練り歩いていた。
「今日は災難でしたね、フィリップ様」
「ああ、まったくだ。まさか取引先からあんなふうに罵倒されるとは思わなかった。まったく、ついていない日もあるものだ」
「向こうもフィリップ様の重大さが分かっておられないのでしょう。でも、すぐに自分たちの失態に気が付いて、謝罪に来るはずですよ」
「ふん、まあ、そうなるに違いないだろうな……」
フィリップたちはこの日、長年懇意にしてきた取引先と交渉が決裂し、いつものことながら、世間を馬鹿と決めつけて傲慢な口ぶりで話していた。
フィリップの横にぴったりと張り付いてゴマを擦っているこの男は、最近ロジャー商会の役員に末席として名を連ねたマリヴォ・フォレストという男で、小柄ながら全身に高級な衣服を着こんだ成金めいた装いをしていた。
「ついていないと言えば……」
と、舌打ちをしながらフィリップが話題に挙げたのは、こんな話である。
「ロジャー様はとうとう、新しい繊維工場をお作りになられた。信じられないことだ」
「なんでも」と、マリヴォがそれすぐさま同意する。「例の涼とかいう男と組んで、新しい繊維を発明する、とかいう話でしたね」
「そうだ。まったく、ロジャー様も老いたものだ。あのような第四階級の人間と手を組んで仕事をしようなどと、考えただけで身の毛がよだつ」
「そもそも、あの涼とかいう男、いったい何者なのでしょうね? ヴィクター様はずいぶん買って、騎士の紋まで結んだという話ですが……」
「ふん、新手の詐欺師だろうよ。ヴィクター殿も騙されているに違いない。だいたい、第四階級の人間に何が出来るというんだ? 戦闘は無理。鍛冶や調合も出来ない。まったくの無能であるから、第四階級なのだ。……それをロジャー様ときたら、なにをどう勘違いしたのか、あの男を頼って新しい繊維工場まで作るだなんて……」
「まあ、化けの皮が剝がれるのは時間の問題でしょう」
マリヴォはその小柄な身体を小動物のように震わせて、そう笑った。
「だろうな。私もそう心配はしておらんよ。詐欺師がそういつまでも詐欺に成功し続けるられるものではない。ロジャー様も、そろそろ目を覚まされるだろう」
「でもいっそ」
と、マリヴォはさらに邪悪な笑みを浮かべて、言った。
「ロジャー様が耄碌されたのなら、ロジャー商会はより有能な方に引き継いでもらう、という道もありますよ」
「誰なんだ? その、“より有能な方”というのは……? 」
わざとらしく、フィリップがそうマリヴォに尋ねる。
「言うまでもありません。フィリップ様ですよ」
その一言がよほど嬉しかったのか、フィリップは身体をぞくりと震わせ、しばし瞑目し、ゆっくりと頷いて見せる。
フィリップのなかでロジャー商会をいずれ引き継ぐのは自分だ、という想いがあっただけに、マリヴォにそう言われるのは最高の賛辞に思われた。
ふたりは場所を行きつけの飲み屋に移し、さらに会話を続けた。
「さっきの話ですがね、涼とかいう例の男、“セーター”とかいう謎の衣服をデザインしたの、ご存じですか? 」
「セーター、だと? 」
フィリップは眉根を寄せ、グラスのなかの酒をぐい、と飲み干す。
「ええ、そうです。なんでもシャドウスパイダーの核を利用して作ったそうで……」
「なんだそれは!? 」
と、フィリップは思わず吹き出し、マリヴォを問いただす。
「シャドウスパイダーの、核!? そんなものを使って衣服を作ろうと言うのか?? ……それで? お前はその新しい衣服とやらを、その目で確かめたのか? 」
「ええ」
と、マリヴォは得意になって、頷く。
「試作品が商会にあったので見せて貰ったのです。これがまた……」
「なんだ……? どのような代物だったのだ? 」
「笑ってしまうほどダサいデザインでして! シンプルと言えば聞こえは良いが、装飾のまるでない無様な見た目で、とてもとても、ロジャー商会が手掛けるような製品ではありませんでしたよ。オーヴェルニュの街の人々はファッションにこだわりが強いことで有名ですからね。あれがこの街で流行るなどということは到底あり得ないし、そもそも、誰一人買うものなどいないでしょう! 」
「となると……」
と、フィリップはさらに、酒をその喉に流し込む。
「今回の事業は失敗する、……そういうことだな? 」
「ええ、もう、間違いありません! 」
なにがそうも嬉しいのか、マリヴォは脂ぎった顔をめいっぱい笑みに変えて、肩越しにフィリップの顔を覗き込む。
「そうなれば、ロジャー様の地位も低下、役員会議での退陣要求も考えられます。……そうなると、いよいよ、フィリップ様が会長に収まる道も、それほど遠くはありませんね……」
「くっくっくっ、まったく……。ロジャー商会では長いこと苦汁を飲まされたが、ようやく、私に陽の目が当たりそうだな……」
「もし会長になりましたら、ぜひ、このマリヴォを取り立てて使ってください! 」
マリヴォが抜け目なくそう媚びを売ると、
「もちろんだとも! 今日は前祝いだ! どんな高い酒でも飲ませてやる! 好きなだけ飲め、さあ、飲め! 」
「はっ! 」
マリヴォは恭しく敬礼すると、まるで使いっ走りであることを誇るかのように、店の奥へと酒の注文をしに駆けてゆくのだった。
◇◇
ふたりがすっかり酔っぱらって店から出て来たのは、それから二時間ほど経ったときのことだ。
ふたりは酔いのせいで足取りもおぼつかない。半ば夢心地となって、噴水広場までの大通りを歩いていた。
そのときである。
長い髪にたくさんの装飾を施した、見るからに貴族風の若い女性が、通りの奥から歩いて来るのが見えた。
ふたりは通りの真ん中に立って、はたと、その女性に視線を向ける。
「セーターだ……」
思わず、そう呟いたのは、マリヴォであった。
その若い女性はすっぽりと例のセーターを着こみ、いかにも満足そうな微笑を浮かべて、通りの中心に立ち尽くすふたりの真横を、通り過ぎてゆく。
なにかの見間違いだろうか。
ふたりはしばし目を擦り、頬をぴしゃりと叩いて、酔いの残った頭に、喝を入れる。
「……今のは、セーターではなかったか……? 」
まるで自分の見たものが幻ではなかったかと確かめるかのように、フィリップが言った。
「ええ、私も、セーターに見えましたが……」
そしてふたりは、その場に立ったまま、なおのこと驚くことになる。
大通りの奥から歩いて来る若き貴族女性たちが、次々と、例の“セーター”なるものを着て、このオーヴェルニュの大通りを闊歩しているのである。
それも、セーターを着ているのはひとりふたりのことではない。
目を向ければ景色のいたるところにセーターを着た女性が立っていると言えるほどに、この街にはすでに、あの新しい衣服が、普及している。
こうなるともう、これは”流行“である。
「ど、どうなっているんだ、これは……? 」
両手を宙に浮かべて、その手を震わせながら言ったのは、フィリップであった。
「わ、分かりません。なにが起こっているのでしょう……?? 」
「あの衣服を作ったのは第四階級の男だぞ……? それを加工したのも、第四階級の下賤な奴らだ……。そのことが、彼女たちは分かっていないのか……? 」
「私、少し聞いてみます! 」
マリヴォはそう言うと、今まさに傍らを通り過ぎようとしていたひとりの女性に、声を掛ける。
「失礼ですが、お嬢さん。あなたが着ているその衣服、……確か、セーターと言いましたか。……それが、今、この街で流行っているのですか……? 」
声を掛けられたことで一瞬びっくりした顔を浮かべたその女性は、マリヴォの質問を飲み込んだあと、ぱあっと顔を輝かせて、こう言った。
「流行っていますよ! 私も行列に並んでようやく買えたのです! 見てください、この新しいデザイン! このような洗練されたものは見たことがありません。しかも、これ、とっても暖かいんですよ! 」
「そ、その……」
と、そこへ割って入ったのは、フィリップであった。
「それを作ったのが、第四階級の人間である、ということは、お嬢さん、ご存じなのですかな? 」
「え? 」と、女性はきょとんとして、答える。「ええ。もちろん」
「も、もちろん!? そ、その……汚らわしいとは、思わないのですか?? 」
「思いませんよ? 」と、女性は不思議そうに、首を振る。「むしろ”そこも”話題になっているところのひとつなんです。第四階級の人々がこれほど優れたものを造れるなんて、すごいじゃないですか。私、そこに勇気を貰ったんです。第四階級の人間でもやれる、なら、私でもやれる、って……」
この国でなにか大きな意識の変革が起こりつつあることを察し、フィリップは、くらりとした眩暈を覚える。
階級とは盤石のものであり、それは決して揺るがないと信じて来たのが、自分たちの時代だったのだ。
それが今、若い世代の者たちにとって、古く、下らないものへと失墜しつつある……。
そしてそんな衝撃を受けているふたりに止めをさすかのように、その若き女性は、こう付け加えたのだった。
「このブランドのコンセプトが、”階級を無くそう“というものなのだそうです。このセーターを着るということは、その運動に賛成する、という意味も含まれているんです。……今、若い女性たちのあいだで、このセーターを通じて、階級を無くそうという機運がどんどん高まっているんですよ」
彼女は屈託なく笑い、ふたりの中年男性を見上げる。
「おじさんたちも……」
「お、おじさん!? 」
「私たちと一緒に、ぜひ、階級を無くす運動に協力してください! 」
セーターを着たその若き貴族女性は、機嫌良さそうに手を振ると、夕暮れの賑やかな街の喧騒のなかへと、小躍りするような軽やかな足取りで、消えていった。




