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49,恋人繋ぎの形で。

「セナさんとヴィクターさんに、そんな過去があったのですね」


 セナの工房を出たあと、セシリアとパルサーとも別れ、アニーとふたりきりでカフェに入ったときのことだった。


 「俺も驚きました。でも、別れたと言っても、今でもふたりには深い絆があるように感じて、なぜでしょう、俺も嬉しい気持ちになったんです」

 「わかります。その話を聞いて、私も少し、嬉しくなりました」


 アニーはそう言って微笑むと、運ばれてきたカボチャのタルトに口をつけ、美味しそうに、温かなミルクティーに舌鼓を打った。


 「……でも、あんなふうに涼さんをたぶらかすのは、感心しません」

 と、アニーはフォークを指揮者のように振って、そう言う。

 「それは……、なぜですか? 」

 と、少々とぼけてそう聞くと、

 「それは……」と、アニーは顔を赤らめて、しばし黙り込む。「……涼さんは大切な友人ですから、セナさんのような、男をたぶらかして楽しむような人とは、一緒になって欲しくありません」

 「では、俺とセナさんがふたりきりで部屋に入ったときは、ずいぶん心配してくれたのですね? 」

 「ええ、とても……」

 と言ったあと、アニーはハッと口元を抑え、

 「……でもそれは、大切な友人が悪女にたぶらかされると思ったからです……! 」

 と、耳まで真っ赤にして、そう弁解する。

 「わかりました」と、俺は軽く笑って言った。「もうあんなふうに、アニーさんの前で、セナさんのような悪女とふたりきりになるような真似は、決してしません」

 

 こちらは軽口を利いているつもりだったから、アニーからも軽い言葉で返されると思ったのだが……、

 

 「ええ」と、アニーはいかにもホッとしたような表情を浮かべて、「お願いします。私、あのような場面には、二度と耐えられそうもありませんから……」

 と、どこか悲痛なトーンでそう返されてしまった。



 ◇◇


 カボチャのタルトを食べ終えて、互いのミルクティーもカップの底が見え始めた頃、


 「そうそう」と、アニーが話題を変えて言った。「ロジャーさんの繊維工場の件、少し、進展がありました」

 「繊維工場の件に関しては、すっかりアニーさん任せになってしまいましたね……。申し訳なく思います」

 「いえ」と、アニーが首を振って言う。「ロジャーさんとはもともと親交がありますし、この件は自分でも驚くほどやりがいを感じていて、楽しいのです。涼さんが気を病むことはありません」

 「進展があったというのは、どのようなものなのですか? 」

 「実は……」と、アニーはテーブルの上に身を乗り出し、いかにも楽し気に笑って、こう言った。

 「その新しい繊維工場に、第四階級の人々を雇い入れることが決まったのです……! 」

 「本当ですか!? 今までのセオリーでは、第四階級の人は街のなかでは働けない決まりになっていましたが……」

 「新しいこの繊維素材は第四階級である涼さんが発明したものですし、どうせなら、それを加工する職人にも大勢の第四階級の人を雇おうと、ロジャーさんが特別に計らってくれて、そうなることに決まったのです」


 これは、かつてない快挙だ。

 そもそもが、第四階級の俺が冒険者になれていることも異常事態だし、ツルゲーネが街のなかで雇われていることも、本来は滅多にないことだった。

 そのうえ、第四階級の俺の造った製品が次々と売れ、ついには、第四階級の仲間たちが、大勢ロジャーさんの工場で働かせてもらえると言うのだ。


 思わず、涙が溢れそうになる。

 少しずつではあっても、俺たちは確実に、この世界を根底からひっくり返しつつあるのだ……。


 

 ……と、そのとき、向かいに座ったアニーの目に、かすかに光るものがあるのを、俺は見つける。

 

 「覚えていますか」と、アニーは囁くような小声となって、言った。「私たちがふたりで始めたのですよ。涼さんと、私で、“この世界を変えよう”と始めたのです」

 「もちろん、覚えています」と、俺は頷く。

 「実は、この計画を始めてしばらくのあいだは、世界を変えることは実際には不可能なのではないかと、……そんなふうに半信半疑だったのです」

 「わかります」と、俺は頷く。「俺もどこかで、そう疑っている自分がいました」

 今度は、アニーが頷いて、言った。

 「でも今は、以前よりも遥かにずっと、“きっと世界は変えられるのだ”と、……そう感じています」

 「俺もです」と、俺は言った。「最近では、未来は今よりもずっとずっと良くなるのだと、そんなふうにばかり考えています」

 アニーの瞳に溜まった涙が、風に波打つ湖のように、静かに揺れている。

 このひとが「冒険者になりませんか」と言わなければ、今この状況も、第四階級の人々が街のなかで働き出すことも、起こり得なかったことなのだ。

 


 ……と、そのとき、店の奥にいた数名の客たちが、アニーのことを指差しながらひそひそと話していることに、気がつく。

 「あれ……聖女アニーじゃない……? 」

 と、そのなかのひとりがそう囁くのが、俺の耳にはっきりと聞こえて来る。


 「アニーさん、そろそろ行きましょうか」

 僅かに残っていたミルクティーを飲み干し、アニーにそう微笑むと、

 「もう少しいても……! 」

 と、彼女はそう言いかけるが、

 「……聖女アニーがこの店にいると、どうやら気づかれたみたいです」

 そう伝えると、両手を膝のうえに置いてぴたりと静止し、

 「では、行きましょうか」と名残惜しそうに微笑むのだった。


 

 「わあ、ずいぶん、寒くなりましたね」

 店を出ると、すでに陽は落ちていた。

 オーヴェルニュの街に吹く風も冬の寒さが籠っており、これから始まる冬の厳しさを予告している。


 「あ、あの……」

 と、アニーが思わぬことを言ったのは、そのときのことだ。

 「涼さんが作った、礼の試作品の、セーター。私、今日も持って来ているんです」

 「えっ、そうなのですか」

 「カフェのなかに戻って、トイレで着替えて来ても良いでしょうか。今日は寒そうなので……」

 

 アニーはそう言うと、俺の承諾を待つこともなくカフェへと駆け出してゆく。

 間もなくして戻って来たのは、彼女の身体にはやや大きい、ゆったりとしたセーターを着て恥ずかし気に顔を赤く染める、アニーだった。


 「そ、その……、と、とんでもなく、可愛い、です……! 」

 と、思わず、そう口走ってしまう。

 まるで彼氏の家に遊びに来た彼女が、男物の衣服を着てぶかぶかになっている姿のようで、それが、あまりにも、可愛い。

 ド直球の誉め言葉を口にしたことでアニーも戸惑ったのか、下唇を噛んで俯いたまま、なにも言わない。

 

 思いっきり抱き着いて彼女の青い髪に顔を埋めたい衝動を必死に抑えつつ、

 「では、行きましょうか」

 と言うと、セーターの袖口からひょっこりと手を出し、

 「家まで手を繋いでください」

 と、彼女は耳まで顔を真っ赤に染めて、そう口にする。

 「……そうですね。また尾行してくる怪しい男がいるかもしれませんものね」

 と、俺がそう言うと、彼女は恥ずかし気に俯いたまま、


 「いえ、尾行とかではなくて……」


 と、微かに声を掠らせながらもはっきりと、こう言ったのだった。


「私が、涼さんと、手を繋ぎたいのです」








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