39,ぎゅっと握り締めた。
その日、俺たちはジュース造りの今後の為にセシリアの館へと集まっていた。
この日の為に顔を出してくれたのは、セシリア、パルサー、それから、珍しいことにアニーも来てくれていた。
ところが……、集まって早々に、なにか不穏な空気が俺たちのいる応接間に広がり始めていた。
「あなたがアニーさんね。会うのは二度目よね。今日はよろしく」
「ええ……、こ、こちらこそ……」
どういったわけか、部屋に入って来るなり、セシリアはアニーを睨みつけたのだ。
突然の敵意にアニーは唖然とするしかなく、まるでライオンに睨まれた猫のごとくに、身体を硬直させている。
「申し訳ないけれど、あなたのことは良く思ってはいないわ。良くもまあ、堂々と顔を出せたものね」
「良く思ってはいない……。それは、私についてのこと、ですよね……? 」
アニーが不審そうにそう問いただすと、セシリアはぐいと顔をアニーに近づけ、
「あなた以外に誰がいるって言うの? 」と、すごんでさえ見せる。
「あの、……私がなにかしましたでしょうか?? 」
「なにかしましたか、ですって……? あなたに関する噂は山のように聞いているわよ。涼くんのことを搾取しているとか、あなたの母親の生家で奴隷のようにこき使っている、とか。……まったく、涼くんのことをなんだと思っているの? 私はあなたを絶対に許さない……! 」
セシリアがそう言い出したことで、俺とパルサーは思わず顔を見合わせる。
「あの、セシリアさん……」と、見ていられなくなったのか、パルサーが割って入る。「セシリアさんが耳にした噂っていうのは、いったいどのようなものなのでしょうか??? 」
「どんな噂って……。だから、この娘が涼くんをたぶらかしているっていう……」
「私が、涼さんを、たぶらかしている!? 」
「はあ……」と、パルサーは額に手を当てて、深いため息を吐く。「……どうやら、なにか大きな誤解があるみたいですね」
俺とパルサーが似たように呆れ顔を浮かべたことで、ようやく異変を察したのか、セシリアは「……もしかして、私、なにか誤解している? 」と言って、俺たち全員の顔を見回した。
◇◇
「そんな噂が出回っているんですね……」
と、セシリアから話を聞き終えてそう嘆息を漏らしたのは、パルサーだった。
「俺も初耳ですね。……俺が奴隷のようにこき使われているなんて、どこから出た情報なんでしょう……? 」
「以前、涼さんに私の母親の生家を修繕して貰ったことがありますから、誰かが、その様子を見て誤解したのかもしれません……」
と、アニーもさすがにショックを受けたのか、悲し気な表情を浮かべてそう零す。
誰がどこでばら撒いたのか、噂の大半は聖女アニーが俺のことを搾取しているという話だった。
奴隷のようにこき使い、冒険者としての稼ぎを奪い、身の回りの世話をすべてやらせているという、そんなでたらめな話だ。
しかもそのうえで、“ふたりは恋人としてデキている”と言うのだ。
「すべてでたらめだったのね……。真に受けてしまって、申し訳ないわ。改めて、アニーさん、許して頂戴。謝罪するわ」
「いえ、私は別に、誤解が解ければ、気にはしません……! 」
アニーにそう言われて安心したのか、セシリアはほっと胸を撫で下ろした。
状況の整理がついたところで、「すいません」と、俺はそう切り出す。「街の人々に誤解されたのは、俺の責任です。もっと上手い立ち回りがあったのだと思います……! 」
「そんな……! 」と、アニーがすぐさま、割って入る。「涼さんは悪くありません! ……責任はすべて私にあります。私の立ち振る舞いが良くなかったのだと思います! ですから、涼さんはなにも気に病まないでください……! 」
「恐らくは嫉妬もあるでしょうね」と、パルサーが指を顎に当てて、そう推察する。「涼くんはこのところ調子の良い新進気鋭の冒険者ですからね。評判もすこぶる良い。そんな順風満帆な若者が、この国一番の美女と親しくしている。しかもその美女はこの世界にたった四人しかいない聖女ですからね。ふたりが“ただ普通に親しくしている”とは、嫉妬深い連中は認めたくないのかもしれません」
「逆もあるかもしれないわね」と言い出したのは、セシリアだ。
「逆と言うと? 」と、質問で返したのは、パルサー。
「つまり、嫉妬されたのは、アニーさんということよ。……アニーさんは最近、少しずつ元の仕事に復帰して、表舞台に戻りつつある。やっぱり、改めて見るととんでもなく可愛いもの。女同士は妬み合うものよ。見た目だけでもとんでもなく恵まれた子なのに、そんな子が、いかにも楽しそうにやり手の冒険者と仲睦まじく過ごしている……。その辺りに妬みの種がありそうだわ。それに、たまに見かけるあなたたち、本当にとっても楽しそうだもの」
そのとき、
「もしかしたら、ふたりが外で会うのは控えた方が良いかもしれませんね」
と口に出したのは、パルサーだった。
その瞬間、アニーが心配そうに顔をこわばらせ、パルサーの方を向いたのが分かった。
「……いえ、それは得策ではないわ。むしろ、これはあなたたちにとって幸運なことかも知れない。……少なくとも、涼くん、あなたにとってはね」
セシリアのその言葉に、俺は首を捻る。
「いったい、それはどういう意味ですか? 」
「4、この数字の持つ意味が分かる? 」
「4、ですか……。いえ、わかりません」
「この一月の間に、あなたを紹介してと頼んできた貴族の女性の数よ」
セシリアのその言葉に、隣にいるアニーがぐっと息を飲み込む。
さらにセシリアは続けた。
「……それも、ビジネスの為ではないわ。“あなたと親しくなりたい”という、交際目的での依頼よ」
「待ってください! 俺と親しくなりたい、……そんな女性が本当にいるんですか!? 」
「あなたは分かっていないようだけれど、案外、あなたは異性にモテるのよ。特に、聡い女性たちはあなたが今後出世するであろうことを早くも見抜いている……。“高騰するであろう株は早めに唾を付けておく”と言ったところね」
「でも俺は、第四階級の人間ですよ?? 」
「関係ないわ」と、セシリアは首を振る。「少なくとも将来の見透せる賢い女性たちは、“そんなことは問題ではない”と考えている――いや、“考え始めている”のよ。」
セシリアにその言葉に、俺は“自分を取り巻く環境が大きく変わったのだ”という、そんな実感を抱いた。
少し前の自分なら、第四階級の自分に貴族が言い寄って来ることなど、到底考えられる事態ではなかったのだ。
「……むしろ好都合だというのは? 」と、改めて問い直したのは、パルサーだ。
「そこなのよ」と、セシリアが話を続けた。「さっきの噂が広まっているおかげで、涼くんには悪い虫がつかずに済んでいるとも言えるわ。……多分、あの噂がなければ、涼くんはもっともっと異性に言い寄られていると思うのよ。アニーさんという絶世の美女が常に近くにいるという理由で、涼くんはそれほど女性に言い寄られずに済んでいるんだわ。だって、こんなにも綺麗で、しかも聖女であるアニーさんと、女だったら誰も恋愛で勝てるだなんて思わないでしょう? 」
「まあ、こんな綺麗な女性と張り合おうなんて子は、そうはいないでしょうね……」と、パルサーがそれに同意する。
すると、セシリアはこう続けたのだった。
「……涼くんが誰かれ構わず女性と遊びたいって言うなら、今この街に流布されている噂は払拭した方が良いわ。でも……、どうなの? 涼くんは、ほかの貴族女性たちと遊びたいと考えている? 彼女たちも、それなりに綺麗な女性たちだったわよ」
それから、なにかを測るようにセシリアはちらりとアニーの方へ視線を向け、さらに俺にこう問いを重ねたのだった。
「それとも、ほかの女性たちには邪魔をされずに、今のアニーさんとの関係を維持したいと、あなたはそう願っている? 」
この問いが発せられとき、さっきまでとは比べものにならないほど、アニーが深く息を飲むのが分かった。
そのことを感じ、ふっとアニーの方に目を向けると、アニーはうっすらと瞳に涙を溜め、戸惑うような表情で俺を見据えていた。
そして、
「涼さんがそうしたいのなら、私に、それを止める権利はありません……」
と、深刻そうな表情で、俯いたまま、そう口にする。
だが、俺のなかでこの問いに対する回答は、とっくに決まっていた。
「……セシリアさん、答えるまでもありません。俺は今のアニーさんとの関係を維持したいと、そのことをなによりも願っています」
「では、噂はこのまま、放っておくことにしましょうか」
と、パルサーがなにかホッとしたような様子で、そう呟く。
すると、さっきまでの戸惑いの表情を消し、今や幸福そうに顔を赤らめているアニーに向けて、セシリアはこう言い諭した。
「おめでとう、アニーさん。今後も、思う存分、涼くんと楽しく過ごしなさい。……私が出来得る限り、涼くんに付き纏ってくる悪い虫は私が叩き落としておくから。安心しなさい。あなたたちふたりの邪魔を、私たちが絶対にさせないから」
まるで大きな嵐がやっと過ぎ去って安心したとでも言うかのように、アニーがそのとき、隣にいた俺の衣服の端を、意識的なのか無意識的なのか、ほんの少し、ぎゅっと握り締めたのだった。




