32,ずっとこうしていたいですね。
フィヨル広原の近くまで着くと、レーダー上の例の人影は完全に俺たちを見失っているのがわかった。
「もう大丈夫そうです。……念の為に、これを渡しておきます」
アニーを地面に降ろしながら、俺はそう伝える。
「これは……、なんですか? 」
彼女に渡したのは、輪っかの付いた小さな木の実だが、そこには特殊な魔術が込めてある。
「そこには俺の魔術が込めてあります。もし危険な目に合ったら、その実を潰してください。木の実が割れれば、俺の籠めた魔術も壊れて、どれだけ離れていても、そのことに気づけます」
元の世界で言うところの“防犯ブザー”みたいなものだが、この装置は音もしなければ、距離の制限もない。
エンチャントの応用で遊び半分に作ったものだが、案外、実用性は高い気がする。
「……嬉しい」
しばらくその木の実を眺めていたアニーだったが、やっとそう呟くと、その実の輪のなかに腕を通し、手首に下げた。
そしてそれを、まるで大切な恋人に貰ったブレスレットのように、宙に掲げて嬉し気に眺めている。
そのあまりの嬉し気な表情と、綺麗さに、俺は思わず見とれてしまう……。
それから、アニーは俺に視線を戻すと、
「……あの、ひとつお願いをしても良いですか」
「ええ、なんでも……」
「……手の震えが収まるまで、手を繋いで歩いてくれませんか」
「手を繋いで、歩く……。俺とですか」
「危険が去ったとわかっていても、まだ怖いのです。家までもう少し距離があります。手を繋いで歩けば、それまでには恐怖も消えて落ち着くと思うのです」
そう言うと、アニーはその真っ白な手を、俺の胸の辺りに掲げた。
「……失礼します」
と言ってその手を取ると、アニーは相変わらず怯えてはいたものの、口元に微笑を浮かべ、俺の手を強く握り返した。
元の世界にいたときも好きな女の子ぐらいはいたが、異性と手を繋いで歩くのはこれが初めてのことだった。
緊張で手が汗ばみ、顔も赤くなっているのがわかる。
おまけに、俺が手を繋いでいるのは、この国で一番の美女とも言われる、あの”聖女アニー“なのだ。
だが……、俺がそう意識したとき、繋いだ手の先でアニーの手がまだ微かに震えているのが、わかった。
彼女は、本当に、心からこのシチュエーションを怖がっているのだ。
「……大丈夫ですよ」
と、俺は自分でも思いがけず、彼女をそう励ましていた。
「もう大丈夫です。つけていた連中はいなくなりました。……それに、誰が来ても、必ず俺がどうにかしますから」
ツルゲーネが言うようにアニーは俺に恋心を抱いているのかもしれない。
あるいは、そうではないかもしれない。
でも、今はそんなことは関係なく、ただただ、このか弱い女性を自分の手で守ってあげたかった。
やがて、俺の手を固く握り締めていた彼女の手から、小刻みな震えがほぐれ、消えていくのがわかった。
すると彼女は微笑を浮かべて、俺を見上げ、
「涼さんといると、すごく安心します。あなたと手を繋いでいると、なにも怖くはありません」
その夕陽を浴びた笑みがあまりに美しかったので、「アニーさん……」と呟いたまま黙っていると、
「ずっと、……ずっとこうしていたいですね」
と、アニーはフィヨル広原に建つ一軒の家の方を向いて、かすかに弾むような調子で、残りの道のりを風のように軽やかに歩いて行くのだった。




