31,夕陽。
翌日、アニーに「買い物に付き合って欲しい」と頼まれ、俺は噴水のある広場に来ていた。
「すいません、遅れてしまって。急な用事が入ってしまって、家を出れなかったのです」
そう言ってアニーが現れたのは、待ち合わせをした時刻の十分後のことだ。
「いえ、全然構いませんよ。それより……」
と、俺は彼女の全身を見据えた。
「ええ、これは……」と、アニーは笑って言った。「変装してみたのです。正体がバレるのは構わないのですが、折角涼さんと二人きりで出掛けるのですから、邪魔されたくなくて」
アニーは黒縁の眼鏡を掛けており、普段の服装とはイメージの違う農民風の衣服を身に纏っていた。
俺は、思わずさっと顔を逸らした。
どんな格好をしていても隠せないほどアニーは美しかったが、この農民風の野暮ったい恰好が、普段とのギャップで余計に可愛く見えたのだ。
「で、では、行きましょうか! 今日は、荷物係として、なんでも持つつもりです。す、好きに、俺のことは使ってください……! 」
やっとのことでそう口にするが、明らかに俺の声は震えて顔もほのかに赤面していた……。
◇◇
アニーに連れて行かれたのは街の東側にあるひとつの家具屋で、アニーはそこに椅子を見に来たのだと言った。
「これなんてどうでしょう。時代は百年ほど前のもので、しかし造りは頑丈です」
店主がそう薦めて来たのは、古いビンテージ調の椅子だった。
「良いですね。ほど良い飾り気で、気取ったところがない。……そこが気に入りました」
アニーはいかにも嬉しそうに、そう頷く。
「……今これをお買いになるのなら、同じものをもう一脚プレゼントしますよ」
と、店主が言う。
「もう一脚、ですか? 」
「ええ。ご夫婦で使われるのでしょう? 私どもとしても、是非、二脚一緒に使ってもらいたい」
俺とアニーは思わず、顔を見合わせる。
「……夫婦、というのは、私たちのことですか? 」
やがてゆっくりと、アニーがそう問いただす。
「……ええ。違いましたか? 店内で家具を見る様子がいかにも仲が良さそうなので、てっきりそう思ったのですが……」
アニーがすっかり赤面し、俯いたまま「友です」と言うと、店主は悪びれた様子もなく「それは失礼しました」とだけ笑った。
その一言が俺とアニーとの関係を錆びつかせたように、その後しばらく、俺たちはぎこちなく会話を続けたのだった。
◇◇
「良い買い物ができました。あのフィヨル広原の家に気に入った椅子が欲しかったのですが、ようやく買えました」
とアニーが顔を綻ばせたのは、家具屋での支払いと発送の手続きを済ませ、噴水広場へ向けて舗道を歩き出してのことだ。
「良いデザインの椅子でしたね。俺も気に入りました」
「涼さんが気に入ってくれたのなら、それが一番です。店内ではなにも言ってくれなかったので、気に入って貰えているか、心配だったのです」
「……そうなのですか? それは失礼しました。言わなかっただけで、良い椅子だと思っていましたよ」
俺がそう言うと、アニーはいかにもホッとした様子で胸を撫で下ろし、
「良かった」
と、ため息を吐くように呟く。
「……涼さんが気に入ってくれるかどうかが、とても大事なことなのです」
と続ける。思わず、
「なぜですか……? 」
と問うと、
「……だって、あの家に来るのは涼さんだけですから」
と、アニーは思いがけないことを呟く。
恐らくは単純な意味で言っただけだったのだろうが、その言葉を、俺は強く意識してしまう。
再び、以前ツルゲーネが言った言葉が、俺の頭の中でエコーを伴いながら反響する。「お前は鈍いところがあるからな」という言葉が。
《《“聖女アニー”が俺に恋心を抱いている。》》
そんな可能性が本当にあるのだろうか。
確かに彼女は明らかに“俺にだけ”優しくしてくれ、あの家に来ているのも“俺だけ”のようなのだ。
そして今も、こうして二人きりで歩いていると、まるで恋人同士のような甘いムードが漂ってくる……。
これは、もしかしたら、本当に……。
俺がそう思いかけているとき、
「あの……」
と、アニーが思いがけない表情で、俺の服の袖を引いた。
「ど、どうしたのですか? 」
と、その怯え切った表情に驚いてそう問うと、
「……誰かに、誰かにつけられている気がします」
と、アニーはすっかり蒼ざめた顔でそう呟く。
俺は悟られないようゆっくりと後ろを振り返った。
人影の乏しいその道の遥か後方に、ふたつの人影があった。……確かに、つけられている、と思えなくもない、距離感だ。
「アニーさん。俺のあとをしっかりついてきて下さい。つけられているか、確かめますから」
俺がそう言うと、アニーは相変わらず蒼ざめた顔で、こくこくと頷く。
「“気配探知B”」
と、俺は盗賊が用いるスキルを使い、目の前に俺にしか見えないレーダーを表示させる。
そのレーダー上には、さきほどの二人の人影がマークされている。
「通りを何度か曲がってみましょう。つけられているのなら、同じ順序でついて来るはずです」
そう断って通りを数回曲がると、レーダー上の人影も同じルートでついて来る。
どうやら、つけられているのは、間違いないらしい。
「……昔、私がまだ聖女になりたてだったころ、悪い大人たちに誘拐されそうになったことがあるのです」
と、俺の後をついてきていたアニーが、囁くようにそう言った。
「そのときは周りの人々が気づいてくれて、偶然助かりましたが、……それがすっかりトラウマになってしまって……。誰かにつけられているという状況が、私はすごく怖いのです」
そう言うアニーの手は、がたがたと小刻みに震えていた。
「アニーさん、高いところは平気ですか? 」
「え? 高いところ、ですか……? 」
「そうです。今から、彼らを巻くために、あなたを抱いて建物の屋根に上がろうと思います」
「私を、抱いて……? 」
と、アニーが両の手をぎゅっと胸の前で握り締める。その顔は、微かに赤く染まっている……。
「駄目ですか。もし失礼だったり、高いところが駄目なら、やめておきます」
俺がアニーを心配してそう言うと、アニーは強く首を振り、目を瞑って、こう言うのだった。
「平気です。やって下さい。お願いします! 」
「“身体強化”! 」
と、俺は最近手に入れたスキルを唱え、彼女の身体を抱え込む。
いわゆるお姫様抱っこの状態にし、ぐっと屈みこんで、一気に目の前の家の屋根の上へと飛び上がる。
「良いですか。このまま、フィヨル広原の近くまで向かいます」
俺の腕のなかでしっかりと目を瞑っているアニーに、俺はそう囁く。
彼女はしっかりと俺の身体を掴んでいたが、屋根から屋根へと渡っていく最中、一度だけその目を開いて、
「綺麗……」
と、この街の果てに沈んで行く夕陽を見て、そう零した。




