26,沈黙の呪縛。
「……見事な味だわ」
グラスから唇を離し、セシリアは瞑目して唸るようにそう言った。
「ほど良い甘みのなかに、草原に吹くような爽やかさが宿っている……。美味しい、という言葉では言い表せないほど、美味しいジュースだわ」
彼女は噛みしめるように黙りこくり、時折首を振っては、「見事だわ……」と零していた。
俺としてもそこまで感動してもらえると思っていなかったので、その反応に、熱いものが胸のなかに込み上げてくる。
「上手く行って良かったです。計算上は上手くと思っていても、実際に上手く行くとは限らないので……」
「逆にあなたがジュース造りに失敗するなんてことは、想像もつかないわね……」
「上手く行くことばかりではありません。俺もまだまだ、未熟な腕前ですから……」
「きっとそれは謙遜ね。……でもまあ、そういうことにしておいてあげるわ」
セシリアはそう言うと、まるで十代の少女のようなチャーミングな笑みを、俺に向けた。
……と、そのときのことだ。
こんこんと、俺たちのいる部屋のドアをノックする音があった。
「入って」
とセシリアが言うと、そのドアが開き、ちょうどセシリアと同世代くらいの男性が、部屋に入って来た。
「紹介するわ。私の夫の、エヴァンよ」
「こんにちは。エヴァンです。いつも妻がお世話になっています」
そう言うと、エヴァンは丁寧に頭を下げ、人の良さそうな笑みを浮かべて俺の方を見た。
エヴァンはセシリアに渡すものがあったのか、彼女に近づくとそっと小包のようなものを手渡していた。
だが、なにか様子がおかしい。
身体全体に疲労感のようなものが漂っているが、それにも増して、声を出すのがなによりも辛そうなのだ。
「もしかして……」と俺が言いかけると、
「“沈黙の呪縛”」と、重い声でセシリアが言葉継いだ。
「やはり」と言うと、セシリアは深刻そうな表情で頷いた。
”沈黙の呪縛“。
この国の中年男性に流行している流行り病で、まだ確たる治療法は確立されていない。
この病に掛かると、徐々に声を出すのが苦痛になり、重篤化すれば声はまったく出せなくなる。
「痛みを和らげる為に塗り薬は貰っているのだけれど、……どう? 効果はある? 」
セシリアはそう言って、夫のエヴァンの背中を優しく擦った。
「駄目だな。スース―するだけで、ろくに効き目はないよ」
と、エヴァンが首を振ってそう言う。
「少し、見せて貰っても良いですか」
と言って、俺はエヴァンの身体に近づいた。
“沈黙の呪縛”は蓄積した魔力が一点に集中し、それが腐ってしまう為に起こると言われていた。
見た目の症状としては、闇の魔術を受けた際に起こる“呪い状態”に近いのだという。
「……痛いのは、喉ぼとけの辺りですか? 確かに、外側から見てもずいぶん黒ずんでいます」
天井を仰いだエヴァンが、こくこくと辛そうに頷く。
「“沈黙の呪縛”は呪い状態に近いと言われています。……だったら、“浄化の魔術”で治せないまでも症状は軽減できるかもしれません」
「あなた、浄化の魔術が使えるの? 」
俺は首を振った。
「浄化の魔術を使うことは出来ません。……ですが、代わりに浄化の効力のあるエンチャントを掛けることは出来ます」
「浄化のエンチャント……? 」
と、セシリアが俺の言葉を繰り返す。
前回エレノアとエボル洞穴に冒険に行ったとき、洞穴の入り口でとあるパーティーと話をする機会があった。
そのパーティーには若いエンチャント士がひとり、低レベルながら修行目的で参加していた。
これは新たなスキル獲得のチャンスと思い、その男から「出会った記念に、身に着けているものを互いに一つずつ交換しませんか」と言っておいたのだ。
彼は気前良く身に着けていたスカーフをくれ、俺は代わりに皮の腕輪を渡した。
その男が数日前、“エンチャントB”のスキルを獲得したのだ。そして自動的に、俺のステータスにも“エンチャントB”の項目が増えていた。
「エンチャントCで扱える属性は火、風、水といった五大属性までですが、Bからは浄化や闇が扱えるんです。つい先日取得したばかりのスキルなので、上手く扱えるかはわかりませんが……」
さっき作ったジュースに手を翳すと、いかにも興味津々といった様子で、セシリアが上から俺の手を覗き込む。
「復讐の職業のスキルが扱えるなんて、改めて、あなたって異常な存在ね……」
と、セシリアは感嘆し、こう続ける。
「エンチャントの掛かった腕輪やアクセサリーは見たことあるけれど、ジュースに授与するのは見たことがないわね……」
「要領は同じですよ。物体に魔術を流し込んで、刻印するようにそれを定着させるイメージです」
指先から溢れさせた魔術をジュースへと注ぎ込み、それが形として固まるまで、待機する。
ジュースが持っている魔術配列を書き換え、そこへ新たな術式を刻んでいく。
最後に、
「“浄化のエンチャント”」
と唱えると、ジュースへのエンチャントは完了する。これで、さっきまで俺たちの飲んでいたジュースに”浄化“の効力が加わったはずだ。
「飲んでみてください」
とそのジュースを指し示すと、エヴァンはかすかに疑わし気な表情を浮かべて、テーブルの上のグラスを手に取る。
だが、
「……痛みが、和らいだ……! 」
ジュースを一口喉に流し込んだエヴァンが言ったのは、そんな一言だった。そしてその顔に宿った歓喜の明かりは、みるみるうちにエヴァンの顔全体に広がって行く。
「痛みが、かなり和らいでいる……! セシリア、症状が、ずっと軽くなったよ……! 」
「あなた、声の調子もだいぶ良いじゃない……!! 」
ほとんど抱き合わんばかりに喜んでいるふたりに、俺はこう続ける。
「ここにあるジュースはすべて飲んでください。それだけでも症状はずっと和らぐはずです。でも、”浄化“のエンチャントを扱えるエンチャント士はそれほど多くはありません。もしかしたら、このジュースを飲み終えた後も症状が悪化するかもしれない。なので……」
と、俺は安手のスカーフを二人の顔の位置に翳して続けた。
「このスカーフにも”浄化“を付与しておきます。これを首に巻いておけば、このジュースを飲むのと同じ効果が得られるはずです。もし苦しくなったら、ぜひ使ってください」
セシリアとエヴァンが喜んでいるのはその声を聞くまでもなかった。
ふたりは呆気に取られたように俺を見つめ、エヴァンに至っては半ば涙目になってさえいたのだ。
◇◇
セシリアと話し合うべき項目をすべて話し終え、彼女の屋敷を出るころには、すでにオーヴェルニュの街は深い闇夜に包まれていた。
「遅くまで悪かったわね。でも、じっくり話し合えて良かったわ」
セシリアは玄関口まで出て来て俺を見送りながらそう言った。
「俺の方も良かったと思います。次のジュース造りのヒントもありましたし……」
と、そのとき、セシリアの背後から影のようにひとりの男が出て来た。
「……涼くん。さっきはありがとう。君のおかげですっかり喉の痛みが軽くなったよ」
それはこの屋敷で最初に見たときとは比較にならないほど表情の明るくなった、エヴァンそのひとだった。
「そんな、偶然上手く行っただけで、大したことはしていません。どうか、気になさらないでください」
俺はそう首を振ったが、エヴァンはさらに玄関口から出て来てそっと俺の掌を握った。
「……君には深く感謝している。僕の喉はもう駄目だと諦めていたんだ。私は妻とお喋りするのが好きだった。でも、いずれ話せなくなると恐れていたんだ。君が喉を治してくれて、どれだけ嬉しかったか……」
と、とうとう俺の掌に額を押し当てて泣き出してしまった。
さすがにあまりにも大きすぎる反応に戸惑ったが、セシリアに目を向けると、彼女の眼にも涙が光り輝いていた。その光を見て、俺は自分のしたことがいかにこの二人を喜ばせたのか、ようやくその重みを悟った。
「涼。私からもお礼を言うわ」
と、セシリアがその美しい手で涙を拭って言った。
「あなたはほんとうに私たちの恩人だわ。どれだけ感謝してもしきれない。またいつでもこの屋敷に遊びに来てちょうだい。私たちは、あなたのことを息子のように大切に想っているから」
セシリアの屋敷を出て通りから振り返ると、セシリアはいつまでも手を振り、エヴァンはかしこまった姿勢で深々と俺に向かって頭を下げ続けてくれていた……。




