22,聖女の姉妹。
「いかがでした? 話し合いは上手く進みましたか? 」
ロジャー商会との話し合いを終えて中庭に出ると、アニーが花畑のなかで花を摘んでいる。
「そうですね。割と上手く行ったと思います……」
「良かった! 涼さんなら、きっと上手く行くと思っていましたわ」
アニーはいかにも嬉し気に微笑み、茶菓子を持ってくるからここで待っていて欲しいと告げ、この場を去って行った。
中庭に備え付けられたテーブルに着くと、どっとした疲れが、肩の辺りから伸し掛かって来た。
「疲れたな……。優しくして貰えたとはいえ、お偉いさんと話すのは疲れる……! 」
中庭に吹き込む風に吹かれてほっと胸を撫で下ろしていると、
「どうぞ。紅茶をお持ちしました」
と声がし、そちらを振り返ると、
「あれ……、あなたは……? 」
そこには俺の知らない女性が立っていた。
「私はロレッタ。アニーの姉よ。妹は今、クッキーが焼きあがるのを待っているわ」
「お姉さんでしたか! い、いつも、アニーさんにはお世話になっています! 」
慌ててそう椅子を立ちあがると、
「いいのよ。座って頂戴。気なんて遣わなくて良いんだから」
と、ロレッタは気さくに笑い、顔の前で手を振った。
それから、
「あなたが涼さんね。アニーからあなたの話はようく聞いているわ」
と、彼女は微笑みを浮かべて俺を見据え、ゆっくりと頷く。
「俺の話をですか!? い、いったい、どんな話を?? 」
と尋ねると、
「ふふふ」と彼女は笑い、なぜかその先は言おうとしないのだった。
「それより、あなた、第四階級の人なのね」
と、ロレッタが言う。
「ええ。そうです。先ほどの会議でも、そのことが問題になって、なかには怒っている役員の方もいました」
「そうでしょうね。貴族のなかには、下の階級の人間を激しく憎悪している人間もいるわ。彼らと友好関係を結ぶのは、とても大変なことだわ」
俺は少し考えたあと、
「ロレッタさんにも、そういった差別の感情はありますか? 」
と、思い切ってそう尋ねてみた。
彼女はいかにも興味深そうに俺をじっと眺めたあと、
「ないわ」と笑った。
「良かった……」と胸を撫で下ろすと、
「あなた、面白い子ね。貴族に向かってあなたには差別の感情があるか、なんてなかなか聞けることじゃないわ」と言う。
「そ、そうですかね……」
「そういうところが、あの子の気に入ったのでしょうね」
「……? なんのことでしょう……? 」
一呼吸置いて、
「……アニーはね、少し前まで“氷の聖女”と呼ばれるほど、冷たい人だったの」
と、少し寂し気な表情を浮かべて、ロレッタが言う。
「アニーさんが、そんなふうに言われていたんですか?? 」
「そうよ」
と、ロレッタが頷く。
「仕事だけはちゃんとするけれど、人前で笑みを見せることもないし、愛想を振る撒くこともしない。聖女としての公務は果たすけれど、誰にも笑みを見せない女……。ついたあだ名が“氷の聖女”というわけ」
「だけど……」
と、ロレッタが続ける。
「あの子は変わったわ。すごく明るくなった。それは多分、あなたのおかげだと思うの」
「俺の、おかげ……? 」
ゆっくりと、静かな動作でロレッタが頷く。
それからふっと笑い、
「あの子ね、家に帰って来ると、あなたの話ばかりしているわ。あの人は素晴らしい、この世界を本当に変えられるかも知れないって」
それから、ロレッタは急に立ち上がり、突然、深々と頭を下げた。
「姉として、あなたにはお礼を言うわ。ありがとう。あの子を変えてくれて」
「よしてください、ロレッタさん」と、俺は慌てて言った。「俺はただ、アニーさんと楽しく喋ったり、美味しいものを食べたりしているだけです。特別なことは、なにもしてはいません」
「それが良いのでしょうね」
と、ロレッタは顔を上げ、ふっと笑って言った。
それから、
「あなた、アニーのことをどれくらい知っている? 」
と、突然その顔を近づけて、そう問うてくる。
「ど、どれくらい、というのは、どういう意味でしょう……?? 」
「あの子の好きな食べ物、飲み物、お花、好きな服のタイプ、好きな歌劇……どのくらい知っているのよ? 」
ロレッタは突然そう捲し立て、まるでさっきまでの淑女っぷりを脱ぎ捨てたかのようだ。
「す、すいません、なにも、分かっていません……」
と、素直にそう返答すると、
「……呆れたわ。全然駄目ね。もっとあの子のことを知って頂戴」
と、冷酷な眼差しで俺を睨みつけ、そう叱咤する。
「……かしこまりました。いろいろと、確認しておきます……! 」
すると彼女は、
「……ぷっ」
と、指を唇の先に添えて突然吹き出し、
「……ごめんなさいね、からかったりして」
と言った。
「ただ、とても嬉しかったの。あなたのような人があの子に現れてくれて。姉としてお願いするわ。今後もどうか、アニーと親しくしてください」
ロレッタはそう言うと、最後には立ち上がり、深々と俺に頭を下げる。
それは、あまりにも妹への深い愛情に満ちた、まさしく聖女の立ち姿だった。
「こちらこそ、今後もよろしくお願いします。俺の方こそ、感謝しています」
と、俺は彼女の真の優しさに打たれ、誠心誠意を籠めてこちらも深々と頭を下げたのだった。
◇◇
ロレッタが立ち去ると、それと入れ替わるように、今度はクッキーを持ってアニーがやってきた。
「……? ここに、さっきまで誰かいましたか? 」
と、アニーが椅子がずれていることに気づき、そう尋ねる。
「さっきまで、ロレッタさんがいましたよ」
「姉が!? なにか、話しましたか……? 」
と、なぜかアニーの顔は真っ赤に染まっている。
「妹をこれからもよろしく、とおっしゃってしました」
アニーは真っ赤な顔のまま俺を見据え、
「……ほかにはなにか、言ってはいませんでしたか? 」
「なにか……? いえ、特別なことはなにも……」
「ほ、本当ですか……? 」
と、アニーはしつこく食い下がって、そう尋ねる。
「はい……。なにもおっしゃってはいませんでしたが……」
アニーはしばらく疑わし気に俺を睨んでいたが、やがて疑惑は解けたのか、どっかりと椅子に腰かけると、
「……クッキーを食べましょう。焼きたてが一番美味しいですから……」
と、普段の落ち着きを取り戻して俺にそう微笑んだ。
彼女が焼いてくれたクッキーを数枚頬張ったあと、
「アニーさん。あなたのことを、もっと教えてくれませんか」
と、俺はロレッタに言われたことを、そう切り出した。
「ど、どうしたのですか、急に……!? 」
「アニーさんの好きな食べ物、飲み物、なにが好きでなにが嫌いか、なにも知らないことに気づいたのです。すいません、今まで、なにも聞いたりしないで……」
「ど、どうしたのですか、そんなことを突然言って……?? 私は別に……」
「いえ、あまりにも自分は駄目な男でした! お願いです、一つずつ、俺に教えて下さい! 好きな食べ物は、なんですか?? 」
「好きな食べ物は……蜂蜜のたっぷりかかったパンケーキですが……」
「では、飲み物は!? 」
「飲み物は……あっさりしたものが好みです……。例えば、ポーション草を煎じたものや……、以前涼さんが造ってくれたジュースなんかが……」
「では、歌劇はなにがお好きでしょう!? 」
ぷっ
と、アニーが吹き出したのは、そのときのことだ。
「……もうやめましょう、涼さん。どうしたのですか、急に。そんなふうに圧を籠めて聞かれてると、困ってしまいます」
「す、すいません。ただ、ロレッタさんに、あなたは妹のことをなにも知らないと言われたもので……」
「姉がそんなことを……?? 」
俺がこくり、と頷くと、
「……では、涼さん、こうしませんか」
と、アニーはその美しい顔を少しばかり傾げ、その可愛らしい唇を笑みに崩し、こう言った。
「お互いの好きなものを、一緒に、味わっていきませんか。質問で知り合うのも良いですが、互いの好きなものを持ち寄って、一緒に味わっていきませんか。そうやって理解を深めるのも、とても素敵なことだと思うのです」
彼女にそう言われると、さっきまで張っていた肩の張りが解けてゆくようだった。
多分、俺のなかには、この世界に“彼方人”としてたった一人生きているという不安が、しつこく根を張っている。
アニーはその不安を、いつでも優しく包みこみ、暖かくほぐしてくれる。
彼女がいるから、この世界で俺も生きて行ける……、嘘偽りなく、俺はそんなことを感じているのだった。
「……そうですね、少し急ぎ過ぎたかもしれません。アニーさん。また今度、あの家に呼んでください。そのときはあなたの好きなものを、俺と一緒に味わってください」
俺がそう言うと、アニーは穢れのまったくない優しさだけで出来た笑みをにっこりと浮かべ、
「よろこんで」と言った。「まずはパンケーキから始めましょう。美味しい蜂蜜を取り寄せておきます。もちろん、パンケーキの材料も。涼さん、覚悟しておいてくださいね。私は好きなものがすごくたくさんあるのです」
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