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116/119

116,霊樹姫。

 その振動はかつて味わったことのない規模のものだった。

 神殿を飛び出た俺たちは慌てて、もとの謁見の間へと急いだ。

 そしてその大広間に開いた大窓から外を見ると、凄まじい早さで地上が落下していた。いや、地上が落下しているのではない。

 この白霊樹が、恐ろしい早さで天に伸びているのだ。


 「いったい」

 と、フラジャイルがよろめきながら言う。

 「どれほどの魔力を注いだのですか!?」


 

 ◇◇


 約五分ほど続いた震動は徐々に静まり、やがてぴたりと生育を止めた。

 恐る恐る地面から立ち上がった俺たちは、すっかり様変わりした外の景色を眺める。


 「遥か彼方の地平まで見えますね……。これ、どのくらいの高さなんでしょうか」

 呆気に取られて、フラジャイルがそう零す。

 「間違いなく、この地上で最も背丈の高い建造物だろうな。まあ、建造物と言うか、植物ではあるが」

 エレノアはそう言って首を振る。


 「いったん、外へ出て白霊樹を見てみませんか。中からでは分かりづらいので。と言っても、どう考えても元気になっているようには見えますが……」


 フラジャイルのその一言で、俺たちは白霊樹を降りて一度外の森へと降りる。

 この出来事はエルフ全体にとって相当な衝撃だったらしく、俺たちと同じように次々とエルフたちが下へと降りて行った。


 「こんなことが、現実で起こり得るのですか。自分の目で見ているのに、私は今目の前の光景がとても信じられません」


 白霊樹の根元に立ち、フラジャイルが天を仰いで目をしばたかせた。


 白霊樹の最上層にあった花の部分はかすんで見えないほど高くに伸び、根の部分はかつての五倍ほどに太く育っていた。

 元気、どころか、まったく別の植物になったとさえ言えそうなほどだ。


 そして何より変化したのは、俺たちと同じように外へ出て来たエルフたちが、まるでお祭りのように歓喜の声を上げていたことだ。

 彼らは白霊樹の影響で活力を取り戻し、その喜びで外中を子供のように跳ねまわっていたのだ。


 「……お兄様、あんなに辛かった頭痛や、身体の疲れが、嘘のように消えています……!」

 そっと近づいて来て、ラフィンドールが零した。

 「私もだ。まるで百歳は若返ったように、力が漲っている……」

 「……私たちは、救われたのですね」

 「そのようだな。……助かったのだ」


 兄妹でしばしの感激を味わったあと、握り締めていた兄の手を離し、ラフィンドールがこちらへ歩み寄った。

 そして俺のすぐそばで立ち止まると、驚くような行動に出た。


 彼女は子供のように、ぽろぽろと泣き始めたのだ。

 それはほとんど、「ウエーン」と泣く小学生のような泣き方だった。


 「ちょ、ちょっと、ラフィンドールさん、泣かないでください!」

 「だって、私、涼さんにたくさん失礼なことをしてしまったんだもの!」

 「いや、怒っていないですし、……どうしちゃったんですか、急に子供みたいになって」

 「いや、ラフィンはもともとこんなふうなんだ……」

 と、少々ばつが悪そうに、フラジャイルが言う。

 「エルフ族の危機とあって気を張っていたのだが、その緊張が解けたようだ。もとの子どもっぽい妹に戻ってしまった」

 「ごめんなさぁい、ごめんなさぁい、涼さぁん!」

 

 口を大きく開けて、その口を歪ませ、天を仰いでラフィンドールが泣き喚く。

 見た目が息を飲むような長身の美女であるだけに、その泣き姿はあまりにも子供っぽく映った。


 ◇◇


 エルフ族全員の出席する宴が始まったのが、その日の夕方のことだ。

 白霊樹に住まうすべてのエルフたちがその日は仕事を止め、酒や歌えの大騒ぎとなる。そこでは王も王妃も関係なく、無礼講とばかりにエルフたちは騒ぎに騒いでいた。


 「これを飲め! 涼さんが持って来てくれた酒だ! 腰を抜かすほど美味いぞ!」

 

 俺の造った酒も持ち寄って振る舞うと、それも瞬く間にエルフたちに消費されていく。

 見ているこちらが嬉しくなるほど、エルフたちは白霊樹の復活で歓喜に湧いていた。


 宴も終盤になったとき、ひとり謁見の間で夕闇を眺めていると、フラジャイルの兄妹がふたりで挨拶に来てくれた。

 

 「涼さん。ここにいたのですね。今日の主役であるあなたがいないと、みんなが寂しがります。宴に戻りませんか」

 「ちょっと飲み過ぎてしまい、一人になりたかったのです。もう少ししたら戻ります」


 丁寧にそう断りを入れたのだが、フラジャイルの要件の要はそこではなかったようで、一向にもとの会場へと戻ろうとしない。しかも、なにか言い辛いことがあるのか、指の甘皮を剥がしてもじもじとその場に留まっている。


 「あの、……なにか?」

 と水を向けると、

 「いや、あの、聖霊龍の件は、オーヴェルニュの国に密使を送って伝えておきました」

 と言う。


 しかし、その件に関してはとっくに耳にしていた。

 フラジャイルはオーヴェルニュの国王に使いを送り、長年対立していたエルフの国とオーヴェルニュの和解を結ぼうと持ち掛けていた。

 ただしその条件として、オーヴェルニュに住み着いた例の龍を聖霊龍と認めること、その所有者が田村涼だと認めること、そして、例のあの廃坑も、田村涼が所有すること。これらを条件として付きつけている。

 エルフと和解をしたがっているオーヴェルニュとしては、まず間違いなくこの交渉を飲むはずだ。そういうわけで、俺たちがこの国にやってきた当初の目的自体は、これで解決したことになる。

 

 しかし、この話は宴の前にフラジャイルとすでに話し終えていた。

 だから、フラジャイルは別の用件でここに来ているはずなのだ。


 ところが、当のフラジャイルはその要件を、なぜかなかなか話そうとはしなかった。


 「涼さんは、その……、妹のラフィンのことはどう思われますか」

 

 ようやくフラジャイルが口にしたのは、そんな想像もしていなかった言葉だ。


 「どう思われるか、ですか」

 俺はちらりと、ラフィンドールに目を向ける。彼女は両手を腹の前に組み、その長身の肩身を狭くして、どことなく恥ずかしそうに下唇を噛んでいる。しおらしいその表情は、出会った当初の気の強いイメージからは想像もつかなかったものだ。


 「いや、もちろん、綺麗だとは思いますが……」


 フラジャイルの質問の意図が読めず、正直にそう返答をする。実際、ラフィンドールは誰がどう見ても超一級の美人なのだ。


 「妹を、綺麗だと思いますか」

 「ええ。というか、誰が見ても綺麗だと思うと思いますが」

 「失礼ですが、”誰が見ても“などという曖昧な言い方ではなく、涼さんがどう思うか、教えていただきたい」

 「え、俺が、ですか。いや、そりゃ、可愛いと思います……」


 するとフラジャイルは、まるで熟達した行商人のようににっこりと笑い、ラフィンドールの肩をぽんと叩く。

 それから、「では、ここからはふたりで……」と言い残して、すっとこの場を去ってしまった。

 まさかとは思うが、どうやらその“まさか”に当たることが本当に起こったようだ。


 「あの、涼さん。少し、私のお話を聞いてくれますか」

 ラフィンドールの真っ白な頬は、今や微かに赤らいでいる。

 「はい、聞きます。話してください」

 「エルフ族は白霊樹から産まれて来るとは、話してあったと思います」

 「ええ。聞いています」

 「そしてエルフは性交によって子を成すのではないと、そうも言ったと思います」

 「ええ。そう聞きましたよ」

 「それは嘘ではないのですが、少し事実とは違うのです」

 「事実とは違う? というと……?」

 

 ラフィンドールは一呼吸置いて続けた。


 「エルフ族には常に、たった一人、霊樹姫(れいきひ)という役割の女性がいます。その霊樹姫はこの白霊樹と深く繋がり合っています。エルフ族はこの霊樹姫が、誰かと性交をし、その結果として、この白霊樹から出産をするのです。……言っていることがわかりますか。エルフ族の子孫繁栄はすべてその霊樹姫によって担われ、そしてすべての子がこの白霊樹から産まれい出てくるのです」


 俺はふと、窓の外を見遣って、白霊樹の巨大な花びらを見つめる。

 エルフ族の神秘的な子づくりの話は、人間族の俺にはあまりにも現実離れしたものに感じられた。


 「この白霊樹は、ですから、その霊樹姫(れいきひ)の巨大な子宮のようなものです。それほど深く、白霊樹と霊樹姫の心と身体は繋がっているのです」

 「……なるほど」

 

 するとラフィンドールは、思わぬことを口にした。


 「そして私は、今の代の霊樹姫なのです」


 ラフィンドールが、俺の顔色を窺うようにそっとこちらを向く。

 今やその顔は、火傷しそうなほど熱く火照っている。


 「……先程、白霊樹と霊樹姫は心と身体が深く繋がっていると言ったのを、覚えていますか」

 「……覚えています」

 「涼さんは白霊樹を救ったつもりでしょうが、それは同時に、霊樹姫である私をも救う行為だったのです」

  

 俺はふと、霊樹姫の子宮に当たるこの白霊樹に大量の俺の魔力を注ぐとは、彼女にとっていったいどのような行為なのだろうと、そう考えた。

 しかしその答えは、こちらがたじろぐほど真っ赤にさせている、彼女の顔に出ている。

 どう考えてもそれは、女性にとって相当に重い意味を持つ。……多分、俺が思うよりも、遥かに重い意味を。


 「……あのとき、私の身体の奥を涼さんの大量の魔力が流れて来るのを感じました」

 「す、すいません」

 と、なぜか俺は謝る。

 「男の方にあんなことをされたのは、初めてのことです」

 「ま、まことに申し訳ありません……」

 

 再び、ラフィンドールの大きな瞳がこちらへ向けられる。アニーとはまた違う、神秘的な美しさのある大きな瞳だ。

 

 「霊樹姫は、生涯でひとりの男性を選ばなくてはなりません。……エルフの、子孫繁栄のためです」

 「そ、それは非常に大変そうですね……」

 

 他人事のように言ったこの一言が、よほど彼女の不安を煽ったのか、ラフィンドールは突如その大きな瞳を涙で潤ませ、


 「涼さん! 私じゃ、……私じゃダメですか??」


 と、子供っぽくそう尋ねて来る。


 「いや、ダメとか良いとじゃなくて……」

 「じゃあ、なんなんですか!?」

 「いや、その、お互いにまだ、なにも知らないですし……」

 「私にあんなことをしておいて、……ひどい!」

 「ま、待ってください! 俺はただ、エルフ族を救おうと……」


 「ひどい、……ひどい!」


 ラフィンドールはそう言うと、女の子座りをしてその場で泣き出してしまう。本当に、感情が昂るとすぐに幼くなる子供っぽい女性だ。


 「な、泣かないでください! あとで甘いものを買ってあげますから!」

 半ばやけくそでそう言ったのだが、

 「……本当に?」

 と、顔を覆っていた手をどけて、ラフィンドールがこちらを向く。

 つんとした冷酷そうな美女なのに、その精神があまりにも子供っぽく、そのギャップについ驚かされる。


 「買ってあげます。たくさん、買ってあげます」

 「……嬉しい」

 と、満面の笑みを浮かべて、ラフィンドールが小首を傾げる。

 「……ただ、さっきの話は、良く考えさせてください」

 「どうして……?」

 再び、彼女の瞳に涙が滲み始める。まったく、感情の起伏の大きい女の子だ。

 「とても重要なことですから、おいそれと約束できません。エルフ族の繁栄も大切ですが、俺も俺なりに自分の人生を大事にしていますから」


 どこか部屋のなにもない空間を見つめたあと、彼女はふいにこう提案した。


 「じゃあ、お互いのことを知るために、まずは一緒に住みましょう。私がオーヴェルニュへ移住します。それなら、文句はないでしょう?」

 「い、一緒に!?」

 「それなら、お互いのことが良くわかるじゃないですか」

 「一緒にはマズいです。それは出来ません」

 と、俺は首を振る。さすがにそんなことをすれば、アニーやエレノアに殺されそうだ。


 唇を突き出し、今にも泣きだしそうな顔をラフィンドールが浮かべ始めたので、俺は慌ててこう付け加える。

 

 「同じ部屋に住むのはマズいですが、同じ建物内なら大丈夫です。オーヴェルニュには俺が造った大きな集落があるので、そこの集落の施設に、一緒に住みましょう。ね、それなら、お互いのことも良くわかりそうです」


 ラフィンドールはまだ不服そうに頬を膨らませていたが、やがてじっと目を瞑ると、


 「わかった」

 と言った。

 それから悪戯っぽくにいっと笑い、


 「さっき私のこと”可愛い“って、そう言ってくれましたものね。だったら、すぐそばに暮らせば、きっと私のことを好きになってくれるはずです。……ね、そうでしょう?」


 さっきまでの泣き顔はどこへやら、自信たっぷりにラフィンドールがそう言う。多分、自分の容姿の美しさを自分でもしっかりと熟知しているのだろう。


 そして当の俺自身も、確かにこの美貌を前に、すでに心が揺さぶられかかっていた。


 「すぐそばに住むだけですからね。一緒には住みませんよ。そこは強調しておきます。俺には俺の生活があるんですからね。そこはお願いしますよ……」

 

 と、やっとそう言うのが、精いっぱいだったのだ。

 だが、そんな俺の言葉にたじろぐこともなく、ラフィンドールはこう続けた。


 「絶対に私を好きにさせます。案外、涼さんに好きになって貰うのは難しくないと思います。だって、私の顔、好きですよね?」


 上目遣いにそう問われ、さすがに顔を赤らめてしまう。

 すると、即座にその狼狽を読み取られ、ラフィンドールは目を細めて悪戯っぽく笑うと、こう言い足した。


 「ほら、もう好きになりかかってる。顔が真っ赤になっていますよ。涼さん、……エルフ族の繁栄の為に、いっぱい愛し合いましょうね」













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