113、説得。
「お兄様、本当に人間族をあの部屋へ入れるのですか」
フラジャイルの妹であるラフィンドールがそう言って俺たちの前に立ちはだかったのは、秘薬を造り終えて数分後のことだ。
「ラフィン。そこをどきなさい。彼らは、……涼さんはお前が思っているような人間族とは違う」
「どきません。お兄様はたぶらかされているのです。人間族に心の綺麗な者など、ひとりもいはしません」
俺たちの立つこの通路は、通称“つぼみの間”と呼ばれる部屋に通じていた。フラジャイルは秘薬を掛ける為に、本来エルフの中でもごく少数の選ばれし者しか入れないその小部屋に、俺たちを通そうとしていたのだ。
それがどれほどの例外的な処置なのかは、ラフィンドールのこの怒りの顔つきを見ればわかるというものだ。
「ラフィンドールさん」
彼女を説得するためにそう口を開きかけたとき、俺はふと、あることに気がつく。
怒りを全面に押し出したそのラフィンドールの顔には、くっきりと疲弊の跡が見て取れたのだ。
その疲れはフラジャイルのものと酷似していたが、俺はふと、ある事実に思い当たる。
「……もしかして、白霊樹のエネルギーは、エルフ族全体の体力と関係があるのではないですか」
白霊樹から産まれてくるエルフたちのことだから、白霊樹が弱まればエルフたちひとりひとりの力も弱まってしまう、そういうことがあり得るのではないかと思ったのだ。
そう口にした途端ぎくりとした沈黙が流れ、フラジャイルとラフィンドールの兄妹は顔を蒼ざめさせて、互いの顔を見遣った。
それはもうほとんど、俺のこの意見に同意したも同然だ。
「お兄様……」
ラフィンドールが力なくそう零すと、
「……涼さん、もうすでに手遅れかと思いますが、そのことは”気づかなかったこと“にしてはくれませんか。長寿のエルフたちにとって、その事実は心臓を握られるに等しい絶対に知られたくない弱みなのです」
「もちろんです」
と断ったうえで、俺はさらに質問を重ねる。今出揃った事実を積み重ねれば、悲劇としか言いようのない彼らの未来が見透せてしまうからだ。
「……ですが、白霊樹は枯れかかっているのですよね。とすれば、もしかすると、現在、エルフたちは存亡の危機に瀕しているのでは……?」
恐る恐る口にしたこの言葉は、彼らの胸の芯を氷の矢で貫いたようだった。
CGで造ったような美しい容姿のこの兄妹は、堅く口を結び、しばしのあいだ悔しさに震えていたが、やがて、糸が切れたように脱力すると、まるで迷子の幼子が大人を頼るような口調で、こう問い返して来た。
「涼さん、なぜこんなことになってしまったのでしょう。我々にはその原因がまるで掴めないのです。白霊樹はある日を境にみるみる枯れ始め、なにをしても活力を取り戻すことはなく、それに伴い、エルフたちも弱り続けています。私たちは、このまま滅びてしまうのでしょうか」
フラジャイルにそう打ち明けられて初めて、彼らが出会った当初から極めて衰弱していたのだということに気がつく。
枯れゆく白霊樹と一緒に、エルフ族そのものも、今まさにこの世界から消え去ろうとしていたのだ。
「よろしいでしょうか」
と、そのときにふいに口を開いたのは、アニーだった。
「聖女アニー様。あなたの名はここエルフの里にも響いております。……どうぞ、言いたいことがあれば、なんなりと」
「この方は、涼さんは、聖女である私が最も信頼する方です。彼は様々な奇跡を起こして参りました。先日の聖霊龍のテイムもそうですし、生きる値打ちもないとまで言われた第四階級の人々に職を与えたり、見たこともないような衣服を造ったり、……ここでは列挙し切れません。とにかく」
アニーはそこで言葉を切り、こう声を荒らげた。
「私たちに、……涼さんに任せてはくれませんか。彼ならきっと、エルフ族の力になってくれるはずです」
アニーがそう言い終えると、手狭な通路にしいんとした静寂が降りた。
いかにも清楚なアニーが見せたこの必死の説得は、特にラフィンドールの心を打ったようだ。
彼女は芯から驚いた表情を浮かべてアニーを見据え、思わずこう零したのだ。
「信じられない。あなたはそうまで、この男を信頼するのですか」
「します」
と、アニーはすぐさま、そう返答する。
「なぜですか。なぜそこまで、他人に期待できるのですか」
「前例があるからです」
アニーは真っ直ぐにラフィンドールを見つめ返し、力の篭った声ではっきりと言う。
「彼が、……涼さんがたくさんの人を救うところを、私は何度も何度も、身近で見てきました。彼が打算や利益のために動いているのを、私は見たことがありません。涼さんの心にあるのは、いつも人の役に立ちたいという純粋な優しさだけです。……そして私自身が、その優しさに救われた者のひとりなのです」
狼狽えたような目で、ラフィンドールが俺に目を向けた。
ひとりの人間がここまで熱を籠めて誰かを誉めるところを、彼女は見たことなかったのだろう。
「涼、と言いましたか」
真っ白な肌をした長身の美女ラフィンドールは、その小さな口をふいに開いた。
「田村涼と申します」
「“つぼみの間”は、エルフ族にとって最も神聖にして、神秘的な神殿です。多種族の者がおいそれと入って良い場所ではありません。そのことは、どうか切に分かっていただきたい」
「エルフ族の方々には、最大限の敬意を払っているつもりです」
探るような目つきを向けたあと、ラフィンドールはすっと視線を外して言った。
「出来れば私たちエルフ族だけで解決したかった」
「ラフィン……」
フラジャイルがそっと、妹の華奢な方に手を添える。
「お父様、お母さまから受け継いだこの里を、……白霊樹を、私たち自身の手で建て直したかった」
「私たちの力が及ばなかったのだ。潔くそのことを認めよう」
フラジャイルはそう言うと、その魂までもを包み込むように妹を抱きしめる。ラフィンドールはそっと、その兄の肩に額を預けた。
そしてフラジャイルは妹の頭を抱いたまま、力の篭った声でこう零した。
「涼さん、どうか、我々エルフ族をお救いください。私たちにはもう、頼れる人があなたしかいないのです。そしてもう、私たちにはそれほど多くの時間は、残されてはいないのです」




