111,白霊樹。
フラジャイルに案内された別室は、先程の待合室よりも一回り大きな彼の個室だった。
白霊樹の最上層に位置するこの部屋は、西側の壁が一面ガラス張りになり、オーヴェルニュはおろか、遥か彼方の地平線までもが見渡せた。
「それで、白霊樹が枯れかかっているというのは、いったいどういうことなの」
エルフの好物だという浮き花のエキスの入ったグラスが人数分配られると、すっかりかつての親密さを取り戻したゾクが、そう切り出した。
「ゾク。……みなさん。このことはエルフの国の根幹に関わる超重要機密です。絶対に秘密にしていただきたい。守れますか」
フラジャイルが俺たちみんなの顔を見回す。こちらの心の底まで見透しそうな目つきだ。
「安心してください」と、俺は言った。「ここには他人の弱みに付け込むような悪人はいません。ただ力になりたいだけです。良かったら、俺たちに話を聞かせてください」
よほど心労が溜まっていたのだろう。その一言がフラジャイルの心を射抜いたようだった。
彼は額に掌を当て、長い一束の銀髪をこめかみから垂らすと、俺たちにも聞こえるほどの大きなため息を漏らした。やっと手の付ける陸を見つけた、というふうに。
「エルフがどう産まれて来るか、みなさんはご存じですか」
「いえ。なにか特別な方法があるのですか……?」
フラジャイルは窓の外に目を向け、そこから窺い見える白霊樹の巨大なつぼみを見上げた。
この白霊樹の巨木は最上部が二手に別れており、片側はこの個室や王の謁見の間に、もう片側は巨大なつぼみをつけていた。ガラス張りの部屋からはそのつぼみが窺い見えている。
「エルフは人間族のように性交によって子を成すのではありません。すべて、この白霊樹のつぼみから産まれて来るのです」
「お兄様!」
フラジャイルの妹であるラフィンドールが、初めてそこで口を開く。
「本当にこの者たちを信用するおつもりですか」
「私は信じるつもりだ。それに、私たちにはもうほかに打つ手がない」
ラフィンドールがじろりと俺たちを睨みつける。
息を飲むような長身の美女にこうも敵意を剥き出しにされると、さすがに胸が締め付けられる。
「私は、人間族を信用することは出来ません。……彼らは、私たちエルフ族に剣を向ける敵の種族です」
彼女はそう吐き捨てると、苛立ちの篭った足取りでこの部屋を出て行く。振り返らずに勢い良く閉められたドアの音が、彼女のいなくなったあとのこの部屋に響いた。
「すまない。妹は特に人間族を敵視していてね……。我々エルフ族にとっては、心根の優しい暖かい娘なんだが」
「気にしていません」と、その場を取り繕う為に俺は言った。「それより、エルフが白霊樹から産まれるというのは、どういうことなのですか」
フラジャイルは神経質そうに首を振ると、最高機密情報であるというエルフ族の出生の秘密について打ち明けてくれた。
エルフたちは人間族と違い、性交ではなく、古来からこの白霊樹のつぼみから産まれい出てくるのだと言う。
しかし十数年前から、どういうわけかつぼみはエルフの子を産むことをやめ、徐々にではあるが、植物として枯れ始めたのだという。
「その原因がなんなのか、我々エルフには皆目見当もつかないのです」
藁をもすがるような目で、フラジャイルが俺を見据える。その眼は何年も寝ていない者のように、くたびれていた。
「なにか、手がかりのようなものはないのですか」
俺がそう尋ねると、
「なくはありません。……これを見てください」
フラジャイルは真っ白なテーブルに一枚の羊皮紙を広げ、俺たちを傍に呼んだ。
「これは、この国に古来から伝わる秘薬のレシピです。宝物庫にある古文書によれば、白霊樹が枯れかかるとき、この秘薬を掛ければ樹は再生へと向かうはずなのですが……」
「上手く行かないのですか」
フラジャイルは首を振る。
「駄目なのです。なぜかはわかりません」
俺はフラジャイルの横から羊皮紙を覗き込み、そこに書かれている文書を読んだ。
「秘薬に必要なのは、エルフの涙草、血霊花の花弁、黄金蜜露、……結構いろいろ必要ですね」
「エルフの古文が読めるのですか」
配合士のスキルのなかに”読解“というものがあり、そのスキルにも効果を倍加させるバフを掛けているから、この程度の古文書ならすらすらと読めた。
しかしフラジャイルにとっては驚きだったようで、異物を見るような眼差しを向けて来る。
「説明すると長くなるのですが、まあ、読めるんです」
「エルフの中でも特別に教養の高い者しか読めないのだが……」
驚いているフラジャイルを尻目に、俺はレシピの読解を進める。
レシピ自体はさほど難しいものではなく、製作工程にも複雑なところはないのだが、読んでいてなにか妙な違和感がある。
なにかが欠けているような不足感というか、片落ち感が、どうしても漂ってくる。
やがて、なにが欠けているのか、その不足感の正体がつかめて来る。
「あの、言いにくいのですが」
「なんですか。なんでも言って下さい」
「いえ、本当に言い辛いんです。怒らないで聞いてくれますか」
「怒ったりはしません。我々にはもう打つ手がないんです。ぜひ、なんでも仰ってください」
「このレシピ、間違っている気がするんです。……エルフ族の方々が大切にしている古書を悪く言うようで心が痛いのですけど……」
「まさか」
フラジャイルはそう言ったまま、その場に固まってしまう。
しかしすぐさま否定しないところを見ると、フラジャイルにも思うところがあったのかもしれない。
「なぜそう思うのか、お伺いしても……?」
「……妙だと思うのは、血霊花の花弁を使うところです。血霊花には微量の毒素が含まれていますよね」
「その通りです。……しかし、秘薬のような特殊な薬品の場合、微量の毒性が含まれていても不思議はないと思うのだが……」
フラジャイルの言い分はもっともではある。
古い秘薬のレシピほど、そのレシピのなかに毒性のある素材を用いることは多い。
しかし問題は、その毒素を和らげる中和剤にあたるものがこのレシピには含まれていないことだ。
「毒性のある素材を使う場合、普通は中和剤にあたる素材も一緒に混ぜるものです。しかしこのレシピにはそれが見当たりません。……ひとつ思うのですが、その時代のエルフたちはこのレシピを使うにあたって、“浄化水”を用いていたのではありませんか」
「浄化水……」
フラジャイルはそう言ったっきり、黙り込む。
「”浄化水“には毒性を中和する作用があります。しかしレシピには”水“とだけ書かれています。当時のエルフにとっては秘薬に”浄化水“を用いるのはごく自然なことであったために、ただ”水“と表記したのではないでしょうか。それが彼らにとって、”書く必要がないほど“に、自然なことだったからです」
「そう考えると、……確かに合点がいく」
フラジャイルは深く考え込み、こう続ける。
「ではこのレシピに”浄化水“を加えて作れば、秘薬は完成するのだろうか?」
「現段階では予感でしかありませんが……、上手く行くと思います」
フラジャイルはしばしの時間、窓の外の白霊樹のつぼみを見据える。
その切ないような表情には、風邪を引いた赤子を心配する母親の母性が宿って見えた。
「あなたに会えて良かった。田村涼さん、秘薬を造るのに手を貸してくれますか」
「お礼を言うのは早いですよ。秘薬が上手く完成してから喜びましょう」
それもそうですね、と言うと、フラジャイルの顔には、出会ってから始めて笑みの花が咲いた。




