110,謁見。
検問を通ったあと、俺たちはエルフの使用人に案内されるまま、白霊樹の上層階へと足を踏み入れた。
そこには、人間族の国では想像も出来ないような、息を飲む風景が広がっていた。
遥か彼方に霞む地平線。手が届きそうなほど近くにある雲。そして、まるでファンタジー世界の一部のようなこの白霊樹という神木。歩いているエルフたちの姿も、誰もが長身で美しく、もとの世界で言うCGで造られたような姿をしていた。
待合室で三十分ほど待たされたあと、使用人が俺たちを呼びに来た。
左右が白い漆喰で出来た通路を抜け、謁見の間に入ると、現国王らしき男と、その隣に彼と似たような容姿の、美しいエルフの女が立っていた。
「私はフラジャイル・ヴェリウスだ。こちらは妹のラフィンドール。今日は来てくれて済まないね」
長い銀髪を垂らしたフラジャイルは、そう言うとうやうやしく頭を下げる。しかし、なにか様子がおかしかった。
エルフと言えば、人間族を毛嫌いしている高慢な種族であり、今日この日も約百年ぶりに行われた邂逅なのだ。そこにはなにかしらの感動とか、反応なりがありそうなものだが、当の国王であるフラジャイルは、どこか上の空だった。もともとは聖霊龍の障壁が話の焦点であるはずなのに、それすらが舌上に上がりそうな感じがしない。
「あ、あの」と、思わず俺はそう聞いてしまう。「なにかお困りのことがあったのですか?」
「ああ、いや」
フラジャイルはふと顔を上げる。
「……すまないね。ちょっと厄介ごとがあってね……。いや、申し訳ない」
素直にそう謝罪するものの、フラジャイルは付き人を呼びつけて、彼と小声でなにか打ち合わせをしている。
思わず、エレノアやヴァレンティンと顔を見合わせる。ふたりも同様に眉根を寄せて軽く首を振る。エレノアは小声で「わからん」と囁いた。
誰もなにも話さない空白の時間が流れたあと、口火を切ったのは意外な人物だった。
「失礼ですが」
と、うやうやしく手を挙げて、ゾクがこう言ったのだ。
「もしかして、白霊樹になにかあったのではないでしょうか。……僕は幼い時に父に連れられてこの国へ来たことがあります。国王は覚えてはいないかもしれませんが……。今僕の目に映る白霊樹は、あのときに見た姿とはまったく違うものです。白霊樹は頼りなく枯れかかっているように見えます。力が衰え、木全体が萎れているように見えます。国王様たちの悩みも、そのことと関係がおありなのではないでしょうか」
フラジャイルは驚いた様子でゾクを見つめる。
「……君は、ゾクか?」
「お久しぶりです。会うのはいつ以来でしょうか。あの頃は、ふたりともまだ子供でしたね」
「なんていうことだ。君だったのか。いったい何年ぶりだろう。エルフの時間感覚は多種族と違って緩やかであるとは言え、途方もない時が流れたように感じる。……ああ、友よ」
ふたりはよほど親しかったのかもしれない。フラジャイルの頬を涙が伝う。
「フラジャイル様」
と、ゾクが話を続けようとすると、フラジャイルが立ち上がって言う。
「フラジャイルで良い。敬称などつけないでくれ」
「では、フラジャイル。この方たちは僕が最も尊敬する人々です。……君も聖霊龍の障壁がこの国を覆ったことには気づいているんだろう?」
「……ああ。あれには驚いた。突如眩い光が西の空から流れて来たと思うと、次の瞬間、我がリュミナリエの国は強固な防御障壁に護られていた。あんな体験は生まれて初めてのことだ。エルフたちも腰を抜かすほど驚いていた。……あれは、そなたたちが行った行為なのだな?」
「主に、ここにいる田村涼さんがしてくれたことです」
ゾクにそう紹介され、俺は丁寧に立ち上がった。
「ただいま紹介いただいた田村涼と申します。エルフの国王であるフラジャイル様とお話しできて、光栄に思います」
「手紙に書かれていたが、そなたが聖霊龍をテイムしたというのは本当なのか?」
「事実です。もっとも、俺はヴォルカニック・ドラゴンだと思ってテイムしたのですが……」
「なんと……」
フラジャイルはそう零すと、立ったまましばし呆然とした。
「聖霊龍をテイム……! あの神の化身をテイムししたのか……! あの龍は国によっては神と扱われている生き物だ。それをテイムするなんて……。信じられんことだ……!」
「嘘ではありません」
ゾクがそう言いかけると、
「いや、すまない。疑っているわけではない。むしろ礼が言いたいんだ」
フラジャイルは腰を折り、深々と頭を下げた。エルフの国王が人間族に頭を下げるなど、ひょっとすると歴史上初めてのことかも知れない。
「知っての通り、エルフ族は攻撃魔術には長けているが、君たち人間族と違い、防御障壁を造るすべに長けてはいない。国を護る障壁を拵えることは、我が国の長年の悲願であった。……それをまさか、人間族が叶えてくれるとは。エルフの民全員を代表して礼を言う。本当に、ありがとう」
防御障壁のない暮らしというのは、野犬の群れの中で柵もなく暮らすようなものだ。
エルフたちも当然、見回りや守衛を立てて魔獣対策は行っているが、どれだけ準備をしても、「ひょっとすると魔獣が入ってくるかもしれない」という疑念までは拭えない。その疑念のなかで眠る夜は、さぞ気の休まらないものだろう。
「あの防御障壁が出来て以来、エルフたちは白霊樹を降りて辺りを散歩するようになった。国の周囲をのどかに散歩するなど、エルフの国建国以来、一度も無かった光景だ。エルフたちが子を連れて散歩に出て行く姿を見て、……私は涙が溢れそうになった。それは目もくらむような平和な景色だった」
約百年前の戦争以来、エルフ族と人間族は火花が散るほどの牽制を続けて来た。
エルフは人間を憎しみ、人間はエルフを忌避してきた。特に教会は、エルフの国を恐れながら、同時に、どのようにかしてこの隣国を失脚させようと企み続けて来た。
それが今、エルフ族と人間族との間で、「和解する」という、まったく新しい歴史が始まろうとしていた。
そのとき、ゾクが再び口を開いた。
「フラジャイル。君も、ドワーフが人間族を憎んでいたのを知っているよね。例の戦争ではドワーフも多くの命を人間によって奪われた。憎まないはずがない」
「その怒りに関しては我々エルフも同じだ。人間族はずっと、エルフたちの宿敵であった」
「でも、どうか僕を信じて欲しい。この方々は、……涼さんは、かつての人間族たちとは違う。あらゆる種族を越えて、僕が本当に尊敬できる人なんだ」
「君が、……いや、敢えてこう言おう。”ドワーフが“、人間族をそこまで信じるのか……!」
ゾクは真っ直ぐフラジャイルを見据えて言った。
「うん、僕は信じる。田村涼さんを本気で信じている。この人は、きっとこの世界すべてを変えてくれる人だ」
まるで雷に打たれでもしたかのように、フラジャイルは立ち尽くしている。
「そこまでの人なのか。この田村涼さんという方は」
「うん。そこまでの人だ。……君も一緒に過ごせばわかる」
「……信じて良いのか」
「うん。僕を信じて。僕は君の親友のゾクだ。覚えているだろ? ふたりでいつも、白霊樹の水たまりで魚を釣ったじゃないか」
「……王子であるがゆえに同じエルフの友人が出来にくかった私にとって、あの頃、君は私の唯一の友人だった」
「僕もそうさ。僕もドワーフの友達は少なかった」
ゾクは辺りを見渡してから言った。
「この周囲には弓矢を構えたエルフが大勢隠れているんだろう? 僕らの返答次第によっては矢を射られていたはずだ。それがエルフの流儀だということを僕は知っている。でも、フラジャイル。どうか弓を下ろして欲しい。涼さんは君が思う人間族とは違う。まったく違うんだ」
フラジャイルはすっと片手を挙げ、「皆の者」と静かに言った。「弓を下ろせ。この方々は敵ではない」
謁見の間を取り囲む深緑のなかで、すっという、微かな物音がいくつも流れた。
「ありがとう」と、ゾクが言う。
「いや、こちらこそ、無礼を詫びよう」
「……それで? 白霊樹になにがあったんだ? フラジャイル。僕らに相談してよ。もしかしたら、涼さんならどうにか出来るかもしれない」
フラジャイルはしばらく指の腹でこめかみを擦り、意を決したようにこう言った。
「……力を貸してくれますか、田村涼さん。我が国の誇りである白霊樹は、今まさに枯れかかっている。その原因が、我々エルフにはまったくわからないのです……」




