108,エルフの国へ。
エルフの国リュミナリエはオーヴェルニュから東へ六百キロほど進んだ先にあり、白霊樹という巨木の樹上に城が建てられている。
エルフたちはこの樹を「生命の母」と呼び崇めており、白霊樹の葉が白金色に輝いているおかげで、国全体が夜でもほのかに明るかった。
エルフの国へは、大将軍であるヴァレンティンと、アニー、セシリアとエレノア、そしてゾクの六人で行くことになった。
リュミナリエへ向かう道中の荷馬車で、いささか興奮した身振りで、ヴァレンティンがこう言う。
「いったい、どんな力であんな障壁が出来たんだ」
「聖霊龍ですよ。本来は地中に住まうのが習性らしく、廃坑へ連れて行ったらああなりました」
俺がそう答えると、ヴァレンティンは腕組みをして唸りを上げた。
「とてつもない規模の、そしてまたとてつもない強度の防御障壁だ。あれが出来たことで、国の上層部の連中は大騒ぎだ。あの障壁のおかげで国境の位置が大きく変わってしまった」
上層部の慌ただしさを表すかのように、ヴァレンティンは大げさに掌を振って話した。
確かに、半径八百キロほどに及ぶ防御障壁が突如出現すれば、本来魔獣の出てくるエリアとの線上に引かれている国境も、大きくその位置を変えることになる。他国との交渉も余儀なくされるから、上層部は相当な忙しさだろう。
「教会も同じです。本来、国を守る障壁は教会の管轄なのですが、あの障壁が出来てからは、以前あった教会の障壁はまったく役に立たなくなってしまいました……」
「教会が造った障壁の、完全に上位互換だものな。無理もない」
足を組み、外の景色を眺めているエレノアが、そう零した。
「そう……、本当に、あの障壁は教会が造った障壁の、まさに上位互換です」
アニーはそう続けた。
「教会が造った障壁は、あくまでも魔獣を通さないためのものです。“それだけ”と言ってしまうと言い方は悪いですが、事実、それだけの障壁です」
「聖霊龍が造った障壁は違うのか?」
エレノアが顔をこちらへ向ける。
「ええ、違います」と、アニーが頷く。「聖霊龍の障壁は魔獣を通さないのはもちろん、外部からの攻撃にも耐えられます。恐らく、S級以下の冒険者の魔術であれば、無傷で跳ね返せるかと思います」
「機能はほかにもあると聞いたが」
なぜか怒ったような言い方で、ヴァレンティンがそう尋ねた。
「ええ。あります。障壁内にいる術士の魔力量を快復、軽微な毒であれば解毒、スタミナに補助が掛かり、その他、呪いやデバフにもアンチ効果が掛かっています」
「軍の連中が」と、ヴァレンティンが身を乗り出して言った。「すっかり健康になったと騒いでいた。いくら走っても疲れないんだそうだ。まったく、信じられん防御障壁だよ」
荷馬車が荒れ道で大きく左右に傾いだあと、乱れた髪を耳に掛けながら、エレノアが言った。
「それで? 教会はなんて言っているんだ?」
「相変わらず、あの龍を聖霊龍とは認めないつもりのようです」
アニーは俯き、左右に首を振る。
「いくらなんでも無理がないか? さすがにプライドが高すぎるだろう」
「私もそう思います。あの龍は聖霊龍ではなく、あくまでもヴォルカニック・ドラゴンだというのが教会の言い分ですが、実際に防御障壁は明らかに私たちの国を護っています。さすがに意固地になっていると言うか……、見ていられません」
「障壁が上書きされたのも気に入らないんだろう。教会の造った防御障壁がこの国を護っているというのが、教会の最大の売り文句でもあった。それを奪われたんだ。今頃、はらわたの煮えくり返るような想いだろうさ」
「皆さん、見てください。前方にリュミナリエが見えてきました」
ゾクのその一言で、全員が荷馬車の窓から顔を突き出し、平原の奥に広がる深緑地を眺めた。
樹齢数百年の大樹が密林するなか、ひと際高い、白霊樹というエルフたちの聖木が聳えている。
「人間族がエルフの国に立ち入るのは、例の戦争以来はじめてのことだ。ざっと百年はなかった」
喉をわずかに掠れさせながら、ヴァレンティンがそう言う。
約八十年前、この世界では大きな世界大戦が起こった。人間族、エルフ族、ドワーフ族、その他多くの種族たちが、別々の種族を攻撃し合い、大きな戦禍を残した。
その大戦のあと、エルフ族と人間族は互いに睨み合いしながら、さほど遠くない距離で、国交を断絶したまま冷戦状態を保ってきた。
それが今、実に百年ぶりに、人間族がエルフ族の国へ足を踏み入れようとしている。
大げさでなく、歴史が変わろうとしているのだ。
「まったく、涼といるとなにが起こるか、予想がつかん」
揺れる荷馬車のなかで器用に頬杖をついて、エレノアが言った。
「私もそう思うわ。ビジネスパートナーとして共闘してきたつもりなのに、ついに政治の分野にまで首を突っ込むハメになるなんて……」
エレノアの隣でワインをあおりながら、セシリアが言った。
「私もです」
と、アニーが可憐な溜息をついて、言う。
「涼さんが関わると世の中が大きく変わるので、毎度毎度、ハラハラしてしまいます」
「私も付き合いは短いんだが」
と、ヴァレンティンは快活に笑って言った。
「この男が規格外なことは良く分かった。次になにが起こるか、私では想像もつかんよ」
それぞれの口ぶりだけを耳にしていたら、褒められているのか、呆れられているのか、わからなかった。
事実、褒められているようで、どこか呆れられてもいるのだ。
しかし自分でも、まさか聖霊龍をテイムしたことがきっかけで、話がこうも大きくなるとは思ってはいなかった。
オーヴェルニュという国をひっくり返すつもりでいたのに、その前に、教会を跨いで国の代表としてエルフの国に立ち入ることになっているのだ。こんなこと、想像すら出来ない。
「皆さん、間もなく白霊樹の足元に到着します。一応、それなりに厳しく検問されますから、手荷物を準備しておいてください」
ゾクのその一言で、荷馬車の全員が、手荷物を自分の腿の上へ引き寄せた。
前方に二人組のエルフの姿が見え、荷馬車は静かにスピードを緩める。
生まれて初めて見る本物のエルフの姿だ。さっきから高鳴っている胸の高揚は、抑えようがなかった。




