言葉狩りはダメ! 約束だぞ!
言葉狩りについて語源を調べていたら、筒井康隆という人物にたどり着きました。
直接的に彼が作った言葉ではないようですが、その発端になった人物です。
どんな人なのかなと思ったら『時をかける少女』の原作の著者でした。びっくり!
言葉狩り――ある言葉の使用が不適切だと見なされてタブーとなること。
異世界ファンタジーで、現実世界の表現がどこまで許容されるか。
異世界言語問題とも言われるこの問題は、時に書き手を苦しめます。
例えば、地獄。
物語で誰かが、
「地獄に堕ちろぉぉーー!!」
そう言ったとします。
地獄は仏教用語です。生前に悪い行いを犯した者たちがその報いを受ける場所。
「仏教がないとこの言葉は使えないということか。ふむふむ、じゃあ仏教の歴史を作らなきゃ!」
そうは書き手はならんのです。メンタルが弱かったら筆を置いちゃう。
例えば、阿呆。
物語で誰かが、
「お前は阿呆か」
そう言ったとします。
阿呆は中国語またはポルトガル語を語源とする説が有力です。
「どちらかの国が存在しないと、この言葉は使えないということか。ふむふむ、じゃあ国を作らなきゃ!」
そうも書き手はならんのです。ブラウザをそっと閉じちゃいます。
私も読み専だったときは、『いやいや、その言葉は異世界にはないでしょう』とよく思っていました。
今ならわかります。書き手にもなった今なら。
胸を張ってこう言います。
面 倒 く さ い。
熟語を使わずに、横文字を一切使わずに文章を書けるかと言えば書けるでしょう。
ただし、ものすごい労力がかかります。物書きの九割九分は作品による収益など何もない、趣味ですよ? 言葉狩りをする読み手が、一文字一円で買い取ってくれたら、書き手はこぞって文字を書き換えるかもしれません。
かのトールキンさんが言ったとされる(出典不明)
「現地の言葉を私が現代に通じる言語に訳して記しています」
もうこれが満点の正解だと思います。
それでも、いやいやそれでも単位が現実世界と一緒なのはおかしいだろ、という人はいったん立ち止まって欲しいです。
そして、現実を見て欲しいです。いま我々が生きるこの世界にある
ヤ ー ド ポ ン ド 法 を。
いま私たちが日常的に使っている測量法はメートル法。
長さの単位はメートル。重さの単位をキログラムとする国際的度量衡制です。
このおかげで私たちは国境を越えても、その単位については日本との違いに戸惑うことはないでしょう。海外で車を運転する場合の法定速度も、看板に多少違いはあれど数字を見れば理解できるでしょう――メートル法を使っている限りは。
詳しいことはWikipediaなどに任せますが、ヤードポンド法の単位の一つ「フィート」にいたっては「足のつま先からかかとまでの長さ」を基準にした単位系です。
ピンときますか? 加えて、ヤード・ポンド法は十進法じゃないですよ。
一フィート=約三十点五センチメートル。
その下の単位であるインチは、二点五四センチメートル。
つまり、十二インチ=一フィート。
じゃあフィートの上である単位ヤードは、十二フィート?
いいえ、三フィートです。一ヤード=九十一点四四センチメートル。
これがどういう影響を及ぼすかと言うと、例えばです。
物語で登場人物を描写するシーンがあったとして、
「どうだ! 俺の身長は六点二フィートだ」
「だが体重も二百六十四ポンドもあるじゃないか!」
「なんだと言ったなー!!」
毎回計算したいですか?
ヤード・ポンド法はあくまで例ですが、いずれにせよ初回以外は測量方法は出ないですよ?
新たな登場人物の描写が出る度に、空論の測量をしたいと思う方はなかなかいらっしゃらないと思います。
何せヤード・ポンド法はあのNASAですら、取り扱いを間違える程です。
他にも温度の表記で使われる摂氏と華氏。
例えば、華氏と同じ温度表記が当たり前の世界であれば、こういう表現もできます。
温度計を見た。
「今日は八十度だ。暑くなってきた」
そう言って額ににじみ出た汗を拭った。
私たちからすれば、
「八十度ッ!? 入れたてのお茶かよ」
もしくは、
「誤記おつ」
となるかも知りません。
ちなみに華氏の八十度は摂氏で言う二十六点七度です。
摂氏が私たち日本人に馴染みのある温度表記になります。
もちろん気温の計測法についても初回登場時は説明しますが、二回目以降は基本的に説明はないでしょう。
ただの情景イメージのための一文ですから。
空想でメートル法以外の測量、計測法を作ったとしてそれを覚える人が何人いるでしょう。
後で矛盾が出ないように設定を考えるのにどれくらいの時間がいるでしょう。
そんなことよりワクワクする本編を楽しみたくないですか?
タイトルかあらすじか、はたまた第一話か。何かが読み手に刺さり、書き手の物語を楽しみにしているんじゃないですか。
もちろん、やりすぎはダメですよ。何事にも限度があります。
それが耐えられなければ、ただ読むのを辞めればいいだけです。
読み手はサブスクリプションサービスのようにお金を払っているわけでもありません。
書き手が書くのをいつでもやめられるように、読み手だって読むことはいつでもやめられます。
そんな言葉狩りで読み手の物語を終わらせるよりも、読み手も書き手もワクワクする物語に一緒に飛び込みませんか?
パプリカの作者でもあるんですね。
パプリカは名作ですが、日本より海外の評価の方が高い印象です。
THE・大人のアニメですね。