日本語って綺麗だよね、ってお話!
気になったアニメは英語音声でも見ます!
日本語って綺麗な言葉だと思いませんか?
以下のタイトルをご存じの人も多いかと思います。
『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない』
『さよならの朝に約束の花をかざろう』
『ぼくだけがいない街』
『時をかける少女』
そこはかとなく詩的な響きを感じませんか。
見終わった後にタイトルを見ると、すっと胸に落ちてきませんか。
私の胸には視聴前にタイトルから刺さりました。
それらの英語版は以下になります。
『Anohana: The Flower We Saw That Day』
『Maquia: When the Promised Flower Blooms』
『Girl Who Leapt Through Time』
『Erased』
うーん……。端的すぎて味気なく感じるのは私だけでしょうか。
Erasedにいたっては物騒過ぎてタイトル映像に合わないですね。
タイトルだけではなく内容で言うと強く印象に残ったのは、『時をかける少女』の最後に別れるシーン。
未来に帰らなければならない千昭が泣きじゃくる真琴を抱きしめて、
「I'll be waitng for you」
と言います。
真琴のタイムリープによって、なかったことにされた千昭の想いを届ける言葉がようやく届いたのです。
それに対して真琴が、
「Kay, I won't be long, I'll come running」
と答えを返すシーンがありますが、鳥肌が立ちました。
――I'll come RUNNING.
これは個人的な解釈ですが、時をかける少女というタイトルは、leapとrunとtakeの意味を内包しているではないでしょうか。
この直前で真琴は千昭のいる未来まで絵を守るということを宣言しており、この後のシーンでももう一人の親友である功介に「I've made decision about my future too」と言って物語は幕を閉じます。
つまり、時をかける少女は三つの意味に解釈できます。
①Girl Who Leapt Through Time.
②Girl Who Will Come Running Through Time.
③Girl Who Takes Through Time.
それぞれ
①は時間跳躍をして過去を変えようとする少女
②は千昭が待っている未来へと走る少女
③は未来へと絵を守るために現在を生きる少女
解釈次第ではもしかしたらbetの要素もどこかにあるのかもしれませんね。
逆に私の解釈が間違っているのかもしれません。
映画製作者だけがその答えを知っているのでしょう。
ともすれば日本語は曖昧な言語とも、ハイコンテクスト文化とも言われます。
主語は当たり前に省くし、目的語も言わないことはあるし、動詞だって省いてしまう。
そのことから日本語は英語に比べて回りくどいとも言われます。
その裏を返せば、解釈の余地が広いとも言えないでしょうか。
そして、この解釈の広さこそが日本語の魅力の一つだと思います。
アニメを見終わってタイトルでこれだけ考えることができるのだから。
やはり、日本語って綺麗な言葉だと思います。
海外ドラマはFRIENDSを三周ぐらいしました。
今でもチャンドラーが大好きです!