言語は生き物! みんなで育てていこう!
――言語は生き物。
こういう表現を耳にしたことはありませんか。
あり、ますか……。そうです、か……。では本話はよまなくて、大丈夫、です……。
書き手は言葉の意味にどれぐらい気をつけて物語を書けばいいのでしょうか。
言語の意味は時代によって変わります。
それが生き物と称される所以です。
これだけ言われてもピンとはこないと思います。
予備知識なしで、ははーんとなった方は頭の回転が速い方です。
きっとおもしろい物語を作れると思いますので、筆をとって下さい。
私はその物語を読んでみたいです。
唐突ですが、この単語の意味がわかりますか?
・やばい
小説、漫画やアニメ、邦画に洋画の吹き替え。日常生活でもよく目に耳にする言葉です。
程度がはなはだしい形容詞でよく使われています。
「やばいくらい美味しい」
「見て。この写真やばない?」
この言葉をこれらを使っている状況を簡単に想像できますよね。
本来の意味は、危険な状況や違法行為を指す形容詞です(≒危ない)。
現在でもギリギリの危機が迫ったときに「やばい」、その危機が去った時に「やばかった」と言うことがありますよね。それがこの言葉の本流です。
それを踏まえて先の例を見直すと、
「やばいくらい美味しい」
――本場のハッピーピザかな?
「見て。この写真やばない?」
――心霊写真かな?
でも、実際問題はそう解釈する人は少ないでしょう。
他にはJK。
元々は援助行動で女子高校生を示す隠語です。
それが今では地上波でその言葉が堂々と流れる時代です。
それらは若者言葉だから、という方もいらっしゃるかもしれません。
同様のことが熟語や慣用表現、ことわざでも起こっています。
ここにそれぞれ一例をあげてみます。
・破天荒
誤用:大胆で型破りなこと。
正解:今までだれもしなかったような事をすること。
・敷居が高い
誤用:その場所が身の丈に合わずに行きにくい。
正解:不義理を働いてしまったため、その場所に行きにくい。
・情けは人の為ならず
誤用:情けはかけられた人の為にならない。
正解:情けはかけられた人だけでなく、かけた人の為にもなる。
いずれの言葉も、今でもよく使われる言葉ではないでしょうか。
特に「敷居が高い」「情けは人の為ならず」。
この二つに関しては、誤用の方が認知度が高いという統計データもあります。
「私にはあの店の敷居が高い」
――以前来店した時に、吐瀉物でもぶちまけたのでしょうか?
歴史の中で、それが本来もつ意味が変わったのです。
「やばい」や「情けは人の為ならず」にいたっては本来の意味から真反対と言えるかもしれません。
私は私の知る限りで誤用されがちな表現は使わないように心がけています。
ただ、私も歩く国語辞典ではないので絶対に間違いは犯します。
例えば、誰かに申し訳なさそうに頼みごとされた時に、
「全然いいよ!」
そう返すこともあります。
そしてその度に、
――そう言えば、"全然"って否定語と組み合わせて使う表現だったなぁ。
までが私のセットです。
これは日本語だけじゃなく、ほとんどの言語でも起きているそうです。
毎年のように新しい言葉が生まれては消え、時にその意味を変えて、次代へと繋がれていきます。
私はいまだに「卍」がよくわかりません。
普通に「まじ」でよくないですか。「まじ卍」も、普通に「まじまじ」の方が語感よいですよね。
だからこそ、すぐに廃れたのでしょうが。
敬語同様に完璧である必要はありませんが、物語の話と関係のないところで、
――この登場人物の言葉遣いおかしいなあ。
読み手にそこで引っかかって欲しくありません。引っかかるのは伏線だけで十分です。
そのために、純粋に物語を楽しんでいただけるぐらいの言葉使いでありたい。
ただその塩梅が難しいなぁ、と思いながら物語への筆をとり続ける今日この頃です。
「やばい」は江戸時代頃からある言葉とされていて、明治時代には隠語辞典に載っていたとされています。
「やばい」と言い「JK」と言い、時間が経てば隠れるのを止めて、表舞台に現れる様もまるで生き物ですね!




